2-3 騒動の原因は
水路凍結騒動はひとまず落ち着いた。
救助現場に集まっていた人々は解散し、水路を見物していた人たちも普通の日曜日を送り始めた。ただ、水路凍結に伴う異様な雰囲気は、いまだ街全体に漂っている。
堅枠大、アスラ、リサ、クーディは救助現場に残っていた。
四人は顔を合わせて話し合う。
「しかし、さっきのはいったい何だったんだろう? ここに来る前に都市を一通り見て来たけど、都市の水路は全部凍っていた。門番の兵士たちが防いでいなかったら、農耕地帯の水路まで凍りそうだった。なのに、今は何事も無かったかのように水が流れているし……」
アスラは独り言のように言う。
その言葉に、リサは表情を険しくした。
「なにって、カタワクが原因に決まってんだろうが! こいつが街中の水路を凍らせたんだ! その証拠に、こいつを救出してから水路が戻った! こいつの周辺だけ氷の強さが段違いだった! 魔力の発生源もこいつだったじゃねーか!」
リサは感情的になって声を荒げる。
そうやって言いたいことを吐き出した後、彼女は我に返ったかのように手を胸に当てて深呼吸を始めた。
リサが落ち着いたところで、クーディが口を開く。
「でも、カタワクさんが悪意を持って水路を凍らせたりなんかするかしら? しかも、仮にカタワクさんが氷の魔法を使えたとしても、街中の水路を全部凍らせるなんて芸当、普通の人どころか国家魔法士のエースでもできないでしょう?」
クーディの真っ当な意見に、堅枠大は救われた気がした。
ただ、一時的とはいえ自分が悪者扱いされたことで居心地が悪くなり、彼は昂った感情を抑えることができなかった。
「そうですよ! だいたい、俺は氷の魔法なんてまだ使えませんし! 昨日までは、温度を少し下げることくらいしかできませんでした! しかもなんで水運奴隷の俺が、商売で一番大事な水路を凍らせたりするんですか! おかしいでしょ!」
堅枠大は誰に向かってでもなくまくし立てる。
真夏の水路が凍るという驚愕。氷に左手が埋まるという悲哀。人々を騒がさてしまったという申し訳なさ。そして、水路凍結の原因が自分にあるかもしれないという焦燥感。
そう言った感情が一気に押し寄せ、堅枠大はいつもの自分を保つことができなくなっていた。
そんな彼の言葉を、アスラは最後まで黙って聞き、小さく頷く。
「確かにね……災難だったね、カタワク。でも、なんであんなに大きな魔力が? 王宮でも騒ぎになっていたよ。ワタシはすぐに駆け付けたから、王宮が今どうなっているかわからないけど」
彼女は堅枠大に寄り添いつつも、国の一員としてこの異常事態の原因を掴もうとした。特に気になるのが、堅枠大から感じる莫大な魔力についてだ。
一度口を閉じたアスラに続いて、リサが話し始める。
「どうせ、もう少ししたら救護隊や警察の見廻隊が来ますよ。まあ、水路に落ちた人の救助とか他のこととかで手一杯でしょうけど……そんなことより、大事なのは水路凍結の原因です。考えられる中で一番可能性がありそうなのは、カタワクが特異体質になってしまったというところでしょうね。そして、その左手が一番怪しい」
彼女は少しトゲのある口調でそう述べ、歩き出した。
そして、リサは階段のそばに落ちていた青いハンカチを拾い上げた。まだ少し凍っているその布を三人に突き出しながら、彼女は話を続ける。
「見てください、このハンカチを。カタワクの左手に当てた瞬間、凍り付きました。なのに、カタワクにガッツリ触れていたアスラは凍っていません。アスラはぎりぎり、左手に触っていませんでした。それに左手以外は周囲の空気の色も変わっていません。カタワクの左手だけがおかしいんです」
リサは真剣な表情で自分の考えを包み隠さず話した。
現状をできる限り把握して論理的に考え、物事を次に進められる状態にしようとする。その姿は、まさに研究者そのものだった。
彼女の話に、クーディは納得したように唸った。
「だから、リサは左手だけにこんなにも厳重にバリアを張ったのね。たしかに、特異体質というのは、ありえない話ではないわね。この魔力量の増大は普通じゃ考えられないし、特異体質になったと考えるほうが自然」
彼女は堅枠大の状態について考え始めた。
それに続いて、アスラも事態の収束に向けて動き出す。
「だったら、すぐに検査したほうがいいよ。特異体質かどうかはわからないけど、カタワクの体に異変が起きているのは確かだから」
彼女の言葉に、クーディもリサも同意する。
「診療所じゃ設備も人員も足りないから、中央病院に連れていくべきかしら……いえ、特異体質なら魔法士の領域かしら」
「とりあえず、わたしの研究室に運びましょう。そのほうが早いです。一度落ち着いてから、医師や魔法士たちと相談すべきです」
医師のクーディと魔法士のリサがそれぞれ意見を述べる。
アスラは二人に頷いた。
「わかった。それでいこう。カタワクもいいね?」
「あ、ああ……それで構いません」
堅枠大は戸惑い気味に了承した。
この話し合いにおいて、彼は自分が蚊帳の外にいるかのような感覚を抱いていた。ただ、堅枠大は特異体質については詳しいことは何も知らないため、意見すら思い浮かばなかった。水運奴隷の彼にとって、今は高度専門職の三人に従うのが最善策だった。
アスラは心配するような目で堅枠大を見る。
「では、王宮へ向かおう。カタワク、歩けるか?」
「大丈夫……歩けます」
堅枠大は小さな声で頭を縦に振った。
水路凍結騒動の疲れと昨日の酒による二日酔いが、今になって一気に襲ってきた。それでも、自分にできることは自分でやろうと彼は思った。何から何まで任せきりにするのは、救助してくれた三人に申し訳なかった。
「決まりですね。じゃあ、とっとと行きますよ」
リサが場の空気を変えるかのように両手を叩く。
次の行動に移るため、クーディは再び指揮をとり始めた。
「カタワクさんには私が付き添うわ。アスラは私たちの護衛を。リサは救護隊と見廻隊への連絡をお願いできる?」
「任せてください」
「わかりました。ついでに王宮各所への連絡もやっておきます」
アスラとリサがクーディの指示を受け入れる。
そして、四人は王宮に向けて歩き出した。
アスラが先頭を行き、真ん中にクーディとカタワクが並び、最後尾にリサがつく。アスラは周辺を警戒し、クーディは堅枠大の右側に寄り添い、リサは魔法で各所と遠隔会話をおこなう。
堅枠大は右手で左手首を持ち、左手がどこにも触れないように注意しながら歩く。三重のバリアを張っているとはいえ、凍結の力が貫通しないという保証はどこにもない。念には念を入れるのが、今の彼にできる精一杯のことだった。
歩き始めて十分ほど経った頃、最後尾のリサが前の三人に向けて口を開いた。
「連絡終了しました。救護隊や見廻隊には救援は不要と言っておきました。カタワクを下手に刺激して状況が変わったら、街が大変なことになりかねないので。もっとも、救護隊と見廻隊は水路に落ちた住民の救助と野次馬を追い払うのに忙しいみたいですが」
リサはそこで小さく息を吐き、報告を続けた。
「あと、医師と魔法士は王宮付きの人間が来るそうです。ひとまずの安静場所は、わたしの研究室でいいみたいですね」
彼女はそう言うと、堅枠大の左隣に移動する。
その瞬間、クーディが血相を変えて声を上げた。
「リサ! 左は危ないわよ!」
彼女にしては珍しい慌てようだった。しかし、リサはそれを気にも留めず、飄々とした顔で堅枠大の左手を見てからクーディと目を合わせる。
「バリアを張ってるのはわたしです。なるべく近くにいたほうが安定するでしょう。私の心配はいいですから、クーディ先生はカタワクに異変が無いかどうか見張っててください」
「もう、昔からそういうところは変わらないわね」
クーディは呆れたようにため息をついた。
その後、四人は無言で歩き、それぞれのやるべきことに集中した。
やがて、堅枠大たちは王宮前の広場までやって来た。
目的地は目前というところで、リサが口を開く。
「カタワクあんた、さっきから思ってたんですが酒くせぇよ。おまけに汗臭い。なんとかして」
突然のクレームを受け、堅枠大は戸惑うしかなかった。
「そんなの、しょうがないじゃないですか……昨日は職場の飲み会だったんだから……風呂は、今日の朝入ろうと思っていたんですよ……」
「あぁ、喋るな。余計臭くなるだろうが」
「んな理不尽な……」
リサに険しい顔で言い返され、堅枠大は肩を落とした。
そして、四人は周囲の注目を少しだけ浴びながら王宮へと入っていった。
王宮は中央区の約三分の一を占めるほどの広さがあり、いくつかの建物に分かれていた。外の廊下には石造りの柱が等間隔に並んでいて、天井は普通の建物と比べると二倍程度の高さがあった。
四人は外廊下をいくつか歩き、やがて白い建物にたどり着いた。
その建物の入り口では、リサと同じく白ローブに身を包んだ人間が何人か出入りしているのが見えた。
リサは歩きながら、堅枠大に向けて説明を始める。
「ここが魔法研究棟です。基本的には国家魔法士と、それから手続きを経て許可を受けた人間しか出入りできません。機密情報がいっぱいですからね。ちなみに、王宮は通常、王宮関係の人間以外は立ち入り禁止です。奴隷が無断で入ったら、場所によっては重罪ですので気を付けてください」
「わ、わかりました。気を付けます……あと、研究棟の中はあまり見ないようにします」
半ば脅し気味なリサの言葉を受け、堅枠大は両目を伏せた。
彼のそのしぐさを見て、リサは微かに笑う。
「賢明な判断です。まあ、専門的な知識の無い人間が見ても何が何やらさっぱりわからないでしょうし、カタワクは別に目を閉じたりしなくても大丈夫ですよ。むしろ、ちゃんと前を見て歩かねーと危ねぇよ」
「そ、そうですね」
堅枠大は肩身の狭さを感じ、苦笑しつつ視線を上げた。
四人はそのまま研究棟の中に入った。
研究棟内は静かな雰囲気だった。天井と壁は白く、床は黒い。研究室の入り口と思われる扉が広い間隔で並んでいて、扉は灰色。それぞれの部屋からはまったくと言っていいほど物音は漏れてこないが、きっとその扉の先では魔法の研究がおこなわれているのだろう。
堅枠大たちは階段から地下に降りた。
地下も地上一階と同じような雰囲気だったが、扉の間隔は少し狭い。天井には照明の魔道具があるため、日の光が無くても十分に明るかった。
リサの先導で四人は彼女の研究室に入った。
研究室内は意外に広く、明るかった。二部屋に分かれていて、魔法実験用の部屋には机がいくつかあり、その上にはガラス器具や書類が整頓して並べられている。もう一部屋は休憩用で、こちらはベッドとソファと小さな机があるだけの簡素な場所だった。
堅枠大は言われるがまま、そのベッドに上がり、仰向けになった。
「これで、次の対応に移れますね」
「荒事にならなくて助かった」
リサとアスラは大きく息を吐き、安心したような表情を浮かべた。
水路凍結から堅枠大の救出、そしてここに至るまで、二人はずっと気を張っていたのだろう。
だが、アスラとリサはすぐに顔を引き締め、クーディに目を向ける。
「では、ワタシは王宮各所へ報告と相談に行きます」
「わたしは医師と魔法士を集めて打ち合わせをしてきます」
二人がそう言うと、クーディは穏やかな表情で小さく頷いた。
「カタワクさんのことは私に任せておいて。左手のバリアは切れないように魔力を送り続けるから」
「わかりました。では、ワタシは一足先に」
アスラはクーディとリサに目で挨拶をし、堅枠大には凛々しい表情で頷く。彼女は頼もしい背中を見せながら、部屋から出ていった。
リサは部屋を見渡した後、一度深呼吸をしてからクーディとカタワクに目を向ける。
「じゃあ、わたしも行きます」
彼女は気合の籠った声を残し、出口に向けて歩き出した。
リサの手がドアノブに触れる。
そのとき、何かを思い出したかのように彼女は堅枠大たちに振り向いた。
「あっ、一応言っておきますけど、隣の実験室には立ち入らないでくださいね! 実験者以外が器物に触れるのは事故のもとですからね! クーディ先生もカタワクも信用しますからね!」
彼女は切羽詰った表情で声を張り上げ、二人の反応を待たずに部屋から出ていった。




