1-12 奴隷の一日(夜)
堅枠大はマッコウに連れられるまま赤茶色の建物に入った。
その飲食店の中は賑わっていて、すでに席の八割が客で埋まっている。店には甘いミルクの香りが漂い、客たちは行儀よく食事をしながら話に花を咲かせていた。
堅枠大とマッコウは隅の二人用テーブルに座った。
マッコウに注文を任せて数分後、店員の一人が食事を運んできた。出てきたのはコッペパンのようなものと、具がたくさん入ったシチューのようなものだった。
二人が食事開始の挨拶をすると、マッコウはすぐに食べ始めた。
堅枠大は腕組みをして料理を睨み付ける。
(じゃがいも、にんじん、ほうれん草、たまねぎ、かぶ……それから、この肉は鶏っぽいな。昼間もそうだったけど、奴隷がこんなに食べていいのか?)
木製の大きな深皿に注がれた白色の料理に、堅枠大は疑いを強めていく。だが、空腹感には逆らえない。
彼は木製のスプーンでその液体をすくい取り、口に運んだ。
(あ、普通にシチューだ、これ。美味い。というか安心する味だ。ちょっとミルクの匂いが強いけど、これはこれでいい感じ。パンとも合いそうだし)
味に問題がない事がわかると、堅枠大は黙々と食べ進めた。
シチューをすくって食べてはパンをちぎって口に入れ、またシチューを味わう。午前と昼間に肉体労働をしたせいか、堅枠大はこの夕食を異様に美味しく感じていた。
気づけば料理も残り半分。あっという間だった。
そこで、堅枠大は我に返って頭を左右に振った。
(いやいや待て待て! なに呑気に食ってるんだ俺は! これからどうするのかも聞いてないのに、味わって食べてる場合じゃない! 十中八九、地獄の深夜労働が待ってるんだぞ! 荷分けか? 倉庫整理か? 書類作成か? 意味の分からん会議か? 説教か? それとも深夜も水路で荷物を運ぶのか? 冗談じゃない!)
堅枠大は目の前のマッコウを見る。
マッコウは夕食に夢中で、憂鬱そうな様子は一切ない。その光景が、堅枠大が昨日から抱き続けていた違和感を一気に増幅させた。
(この男がおかしいのか、この世界がおかしいのか、それとも俺がおかしいのか。そろそろハッキリさせておかないと……そう、これから仕事があるかどうかくらい訊けるだろ? なあ、堅枠大!)
堅枠大は心の中で自らに檄を飛ばし、スプーンを置く。そのままマッコウに質問をしようとしたが、彼は躊躇った。
当の相棒は幸せそうに食べている。食事は奴隷労働を忘れられる貴重な時間なのかもしれない。それを邪魔するのは外道に等しい行為なのかもしれない。そう思うと、せっかく湧いてきた勇気が再び沈んでしまう。
堅枠大は唾を呑み込んだ。
(訊け! 訊くんだ堅枠大! この違和感の正体をはっきりさせるんだ!)
彼はなけなしの勇気を振り絞る。
そして、おそるおそる口を開いた。
「な、なあ、マッコウ。一つ訊きたいことがあるんだけど……」
「んあ?」
マッコウはスプーンを口に入れる寸前で止め、堅枠大に目を向ける。それからスプーンを咥え込み、口に入れた物を噛んで呑み込み、改めて堅枠大を見た。
マッコウは緩んだ表情で堅枠大に応える。
「なんだカタワク? そんな怖い顔して。口に合わなかったか?」
「いや、そうじゃなくてだな。この店もすんげえ美味いんだけどさ……」
「ん? どしたの? ほんとに?」
堅枠大が言葉に詰まるのを見て、マッコウは首を傾げた。
残業があるのかないのかを確定させるのが、堅枠大は怖かった。これから仕事が待ち受けているのかどうかが不明な分、元の世界での職場以上に今の時間が恐ろしく感じた。通い慣れた職場の残業は日常茶飯事だったが、今の水運奴隷はなにもかもが非日常。これに深夜労働が加わるとなれば、身が持たない。
単純に怖かった。それでも、堅枠大は自分を奮い立たせた。
「あ、あのさ……今日の仕事は、あとどれくらい残ってるんだ?」
「ほえ?」
堅枠大の質問を聞き、マッコウは固まった。まるで、パソコンがフリーズしているかのような静寂だった。
数秒後、言葉の意味をようやく理解できたのか、マッコウはさらに首を傾げた。
彼は眉をひそめて、答えを放った。
「ん? 仕事はもうとっくに終わってるぜ」
「……はえ?」
今度は堅枠大が固まった。
言っている意味がすぐには理解できなかった。残業ありきで仕事をしていた彼にとって、日中もしくは定時に仕事を終えるのはあり得ないことだった。
突拍子も無い言葉により、堅枠大の脳は一時停止していた。
そんな彼に対し、マッコウはなんてことないといった様子で話し続ける。
「バーンさんとアリィさんから封筒貰っただろ? あの封筒を事務の人に渡して、今日の仕事は終わりだぜ。ちょうど、仕事終わりの時間も来てたしな」
そこで、堅枠大の脳が急速に動き出した。
「え? ……えええええええええええええええええ!?」
堅枠大はマッコウの言葉の意味をようやく理解し、驚きのあまり大声を上げた。勢い余って、彼は椅子から転がり落ちる。
「お、おいカタワク。大丈夫か?」
マッコウは椅子から立ち上がり、堅枠大に寄り添った。
突然の大声と転倒音により、店内は一気に騒がしくなった。店中の視線が堅枠大に集まる。
だが、堅枠大は注目も気にせず、転んだ痛みも感じないまま、マッコウを指差し、震えながら声を出す。
「え? だ、だって、あの時はまだ夕方前だったよな?」
「そうだけど? そんなに驚くことか? 普通あれくらいだぜ?」
マッコウは平然とした様子で、またもや驚くべき発言をした。
堅枠大の疑念が爆発し、彼の表情が鬼のように歪む。
「う、嘘だ! お前、俺を騙してるんだろ! 奴隷の労働って言ったら、毎日毎日朝早くから夜遅くまで働かされて、給料は少ししか貰えなくて生活が厳しくて、おまけに上司には怒鳴られまくって、死んだほうがマシだと思うようなもんだろ!? お、俺は昨日までそうだったんだぞ!」
堅枠大は元の職場を思い出しながら、恐怖を吐き出すかのように叫ぶ。
そんな彼の言葉を聞き、マッコウは眉をひそめた。店内の客も、従業員も、口を閉ざした。奇妙な静寂が空間を支配する。
そして数秒後、マッコウが大笑いした。
彼に続き、他の客たちも笑い出す。店内は爆笑に包まれた。
「な、なんだ! なにがおかしい!?」
堅枠大は飛び起き、店内の人間に向かって怒鳴る。
この場の全員が自分を見て笑っているという奇妙な光景に、彼は恐怖を感じざるを得なかった。
近距離で新入りから怒声を浴びせられたというのに、マッコウは笑い続けていた。
「なにがおかしいって、全部だよ全部! なんだよそれぇ! いつの時代のどこの国の話なんだよ! アハハハハッ! 笑いすぎて腹いてえ!」
マッコウは床に膝をつけて片腕で腹を抱え、見上げながらもう片方の手で堅枠大を指差して、目尻に涙を浮かべる。
このポンコツ相棒では話にならないと思い、堅枠大は近くの男性客に目を向ける。
だが、その二人も膝を叩きながら大笑いしていた。
「そんな労働、この国じゃありえないって!」
「ああ! 少なくとも、この周辺諸国じゃありえないな!」
二人の言葉に、堅枠大は顔を引き攣らせる。
「どうなってる……何がどうなってるんだ?」
彼は困惑して店内を見渡す。大爆笑の中、孤立した彼には視線を動かす以外のことはできなかった。
「はーっ! はーっ! ふふっ……よし、収まってきた」
すると、笑い終えたマッコウが立ち上がった。彼は緩みきった顔を堅枠大に向け、視線を合わせる。
堅枠大は、この相棒が敵か味方かわからず、身構えてしまった。
「カタワク、教えてやるよ」
マッコウが表情を引き締める。
堅枠大はその言葉の続きを、固唾を飲んで待った。
マッコウは少しの間を置いてから、口を開く。
「この国の奴隷はな、一日に四時間までしか働かせちゃいけないんだぜ。そのうえ、三日連続で働かせてもいけない。給料もたくさんあげなきゃいけないし、怒鳴るのもマナー違反なんだぜ?」
マッコウが新人にそう言い聞かせると、店内の人々は笑うのを止めて無言で頷いた。さっきまでの大爆笑が嘘のように、全員が真剣な顔をしている。
堅枠大にはマッコウの言葉が理解できた。
だが、納得することはできなかった。
「ど、どういうことだ。それ……?」
「そうだなぁ……一言で言えば」
困り果てた堅枠大に、マッコウが簡潔に説明しようとする。
そのとき、翻訳魔法が強く働き、堅枠大の視界が歪んだ。
「一日四時間労働、完全週休三日制、手取りで月収二十五万円以上。が当たり前だな」
直後、堅枠大の全身に雷で撃たれたような衝撃が走った。
「い、いちにちよじかん……かんぜんしゅうきゅうみっか……てどりにじゅうごまんえんいじょう……ブクブクブク……」
驚愕のあまり、堅枠大は白目を向いて泡を吹く。
そして、彼は真後ろに倒れて失神した。
「おいカタワク! カタワクーーーー! 誰か医者をーーーー!」
気を失った堅枠大をマッコウが抱える。
助けを呼ぶマッコウの声がこだまする。店はこの後、混乱の渦に巻き込まれた。




