幕間 いもうとからのてがみ
※桐人兄上視点です。
山のように積まれた決裁書類の隣に置かれた封筒は、明らかにこの執務室には不似合いなものだった。
訝しげに桐人が手に取ると、お茶の支度をしていた侍女頭のキヨウが穏やかに告げる。
「先ほど姫様から持ってこられたのですよ」
「此花が?」
ここで姫様は、第四王女の此花のことを指す。
第一王女の芙蓉と第二王女の紫苑は、すでに他国に嫁いでいる。第三王女の桐花も、来年の春には侯爵家へ降嫁する。また、本人の希望で「桐花様」と呼ばれているから、実質この王宮で「姫様」と呼ばれているのは此花だけなのだ。
「兄上に渡してくださいと、わざわざ持ってこられたのですよ」
キヨウは微笑ましげに顔を綻ばせている。しかし彼は興味の欠片も無さそうに「ふうん」と息を吐く。そして、執務机の片隅に追いやった。
「ご覧にならないのですか?」
「この山が一段落したら見るよ」
綺麗に微笑むと、椅子に深く腰を降ろす。
滅多に顔を合わせることのない妹の此花。たまに顔を合わせると、翡翠の瞳を嬉しげに輝かせる可愛い妹。彼女が自分を兄として慕っているのは、十分過ぎるくらいにわかる。
しかし、彼女が事実を知っても、今のようにいてくれるだろうか?
彼女の自分を見る目が変わってしまうのが怖いだなんて、馬鹿らしくて誰にも打ち明けたことなどないが。
呑気で穏やかな末姫、というのが王女此花の定評だ。あの春の陽射しのような笑顔が偽りではないことくらい知っている。
しかし、彼女は下位といえども王位継承権を持つ、生まれながらの王族。此花が意図せずとも、正統な血筋を持つ彼女を王位にと動く輩も出てくるだろう。
一体どれだけ知る者がいるのだろう。
第一王子を産んだのは正妃はないことを。
側妃になる前に死んでしまった女だということ。
王族は複数の妻を持つことを許されてはいるし、当然のものだとされている。しかし、王族とて人間だ。当たり前だからと言えども簡単に割り切れるものではない。
正妃以外の腹から生まれた子が王太子になることを、快く思わない者の方が多いだろう。
王位は必ずしも男子が継がなければならないというものではないのだから。しかし、昔ながらの慣習の名残りで、跡継ぎは男子がなるものだという思想は根強く残っているのも事実。
そんな中、第四王女を王位にという声も、まだ少ないながら上がっている。
つまり、桐人が正妃が産んだ子ではないという事実を知る者がいるということだろう。
桐人の実の母であった女を、側妃に迎えるという動きもあったらしい。しかし産後の肥立ちが悪く、我が子を腕に抱くことなく亡くなったことによって、その話は立ち消えた。
国王は早速箝口令を敷いたものの、人の口に戸口は立てられない。第一王子の出生にまつわる秘密は、まことしやかに囁かれていった。
国王夫妻を自分の実の両親だと信じていた桐人の耳に届いたのは、一体いつの頃だったか。恐らく今の此花の年齢には事実のすべてを知っていたと思う。
最初は雑談からだった。それは若い侍女だった。歳が近い侍女同士が桐人の部屋を設えながらしていた会話だった。
『桐人殿下の生みの親が王妃様じゃないって話、知ってる?』
この手の話はよくあることだ。町で仕入れた質の悪い噂に過ぎないと、そう思っていた。
しかし、おかしいと思ったのは、その三日後のこと。桐人の世話係の侍女たちが総入れ替えになった。
新たに配属されたのは、古参の信頼がおける者たちばかり。どうして……と思った桐人の脳裏を過ったのは、あの侍女の言葉。
理由は、聞いてはいけない気がした。だから自ら動くことにした。水面下で、人知れずそっと。
まずは過去の帳簿や決議書類からその痕跡を探した。しかし側妃に関わる書類など一切なく、やはり侍女の他愛もない与太話だったのだと安堵しかけた時だった。
「……ああ、カガヤ様によく似ておられて」
慰問先での養老院で掛けられた言葉に戦慄した。
一瞬、輝夜という母の名を言い間違えたのだろうと思ったが、すでに亡くなった叔母……母の妹の名がカガヤだということを思い出した。
相手は物忘れが酷くなった老女で、彼女の自慢は貴族に仕えた侍女だったということだ。
幸い老女が発した言葉に気付いたのは自分だけだったのは幸いだった。
別のルートから突いてみれば、真実は実に簡単に転がり落ちてきた。
正妃との間に産まれるのが姫ばかりなのを憂いた側近たちに用意された側妃候補たち。父である王は選んだのは、母の双子の妹であるカガヤだった。
しかし、問題はまだ候補であった時点で彼女は妊娠していたということだ。
相手は一体誰なのだろう?
なぜ、父……王は彼女を側妃に選んだのだろう?
側妃を取って子を産ませるなど、王族にはよくあることだ。
かつては男子のみが王位を継承していた時代、何人もの側妃を囲い、何人もの子を産ませてきたという事実は知っている。
まだ生みの母親が側妃だというのなら納得もできた。しかし、父となる人物が王ではないとしたら……自分は一体何者なのだろう?
両親の愛情を疑ったことなどなかった。
王太子になるのは当たり前のことだと思っていた。
だからこそ、周囲の期待に応えようと幼い日から日々努力を重ねてきた。
自分が得た情報は間違いで、聞かなかったことにすればいいのだと思っていた。思っていたかった。
「此花……」
この子が継ぐのが正しいというのに、私は……。
初めて此花から渡された手紙。桐人は静かに手に取ると、執務机の引き出しにしまい込んだ。