2 過去(前世?)の記憶が甦ってきました
幼い頃から感じてきた既視感を、気のせいと思って追及してこなかったツケが、一気に回ってきたみたい。
わたしには、過去の記憶があった。
どこにでもいるような平凡な少女で、暮らしはそれほど裕福ではない。でも、贅沢を望まなければ十分なくらいの生活を送っていた。
恐らく恋人なんていなかったのだろう。友人もいたのかいないのか。
ただ覚えているのは、放課後、必死にアルバイトをしていたこと。
稼いだお金は「乙女ゲーム」に、ほとんどを費やしていたこと。
そのゲームの世界が、わたしの世界を満たしていたこと。
後は……覚えていない。
王宮の自室で薬師の診療を受け、侍女のアヤメが用意したお茶を一杯飲み終える頃には、自分が置かれた状況を把握するくらいには冷静になった。
この世界がゲームに似ているのか、ゲームの世界がこの世界に似ているのか。
はたまた、わたし自身がゲームな世界に転生してしまったのか。
どうやらわたしは、過去の……前世と言うべきかしら、前世のわたしが大好きだった乙女ゲームの世界観そっくりの世界にいるらしい。
「どうされたのですか姫様」
「ううん、気にしないで」
しっかりして、今のわたしは陽出国の第四王女に間違いないのだから。
この顔も、どこかで見たような気がしていた。
手鏡に映った自分の顔を、まじまじと見つめながら思い起こす。
別に自分の顔に見惚れているわけじゃありません。自分の顔なんだから当たり前だと言われたらそれまでだけど、そうじゃないの。もっと客観的な視点でこの顔を見ていた記憶がある。
柔らかな流れる銀髪と、淡い翡翠色の瞳。整った顔立ちも手伝って冷たい印象になりそうなところだけれど、少し垂れ気味な大きな目が愛嬌を醸し出している。
この顔は、わたしが知っている顔よりもまだ少し幼い。デフォルトの名前は「此花」だ。陽出国の第四王女、此花姫だ。
自由に名前は変更できるけれど、わたしはもっぱらデフォルトのままにしていた。
デフォルトのままだと、攻略キャラクターたちが名前を呼んでくれるんだよね。せっかくのフルボイスなのに名前を呼ばれないって悲しすぎる。
わたしは主人公を自分に投影させることなく、純粋に王女此花姫の物語としてこのゲームを楽しんでいたんだ。
それにしてもすごい。カイと会ったのを切っ掛けに、どんどん新たな記憶が流れ込んでくる。その記憶は今まで感じてきた既視感を補って、混乱するどころか色々納得するものだった。
ちなみに乙女ゲームというのは、何人かの攻略キャラクターとの恋愛を楽しむゲームのこと。主人公は、大体が誰にも好かれるような愛らしい美少女であります。
で、そのゲームの主人公が、今のわたし……らしい。
極々平凡な容姿、ぼっち気質で人見知りなわたしが主人公?! なんて、なんておこがましいのかしら……!
「う、わあ……」
「どうされました、姫様?」
頭を抱えて漏らした奇声に、いよいよおかしいと思ったようだ。アヤメは慌ててわたしの額に手を添えた。
「お熱は……ないようですが」
「違うのよ、ちょっと事実を受け入れられなくて」
「事実、ですか?」
「ううん、こっちの話」
にっこりと微笑む。王女スマイル決まった。よし。
侍女のアヤメも、乙女ゲームに登場するキャラクターだ。主人公である此花とは主従の関係を越えて親しい間柄、という設定になっていた。
今の時点ではそこまで親しいとは言えないかな。確かストーリーは十六歳の誕生日からスタートするから、あと四年の間に変わるのかもしれない。
「アヤメ。ノート……ううん、もっと分厚い方がいいわ……日記帳とインクを用意してくださらない?」
「かしこまりました」
過去の自分と今の自分。思い出してきたものの、ほんの少し。思い出せないことばかりだ。
過去のわたしが好きだった乙女ゲームについて。今、生まれ変わってゲームの世界とよく似た世界にいる意味。そして、カイの存在。
思い出したことを片っ端から書き連ねるしかない。まだ思い出せないけれど、わたしにはやらなければならないことがある、やりたかったことがある。多分、そんな気がする。
思い出せ、思い出すんだ。
真っ白な日記帳を開くと、頭に浮かんだ文字があった。手が勝手に動くそのままに、その文字を書き綴る。
「恋に落ちた花園で」
多分、ううん、きっとこれが、このゲームのタイトルだ。
今のわたしは、この世を統べる時の王の五番目の子供。
兄と三人の姉を持つ、第四王女である此花。
王位継承権からほど遠く、呑気にのどかに育ったお姫様。それが今のわたし。
この乙女ゲーム「恋に落ちた花園で」では、今の私……つまりこの国の第四王女が、王太子に、次期国王になってしまっていたところから始まる。
なぜ王位継承権から遠い此花が王太子にされたのか。
原因は本来の王太子である兄の桐人が出奔したからだ。
だったら三人の姉たちに……となるところだけれど、そうはならなかった。
ます、上の二人の姉たちにはすでに婚約者がいた。しかも姉たちの婚約者は隣国の王子様で次期王位継承者。つまりは未来のお后様というわけ。もちろん相手が未来の王様なのだから、婚約破棄なんて無理だし姉たちもそんなことを望んではいないだろう。
歳が近い三番目の姉は、身体を壊して辺境へ療養中。最初は三番目の姉が王位を継ぐ方向で話が進んでいたらしい。でも、原因不明の病に罹り、今では起き上がることも出来ないほど衰弱してしまった。王位を継ぐのは難しいと判断されたのだろう。
そんなわけで、王位に近い兄や姉が候補から消え、残った此花にお鉢が廻って来てしまう、というのが物語の序盤。
兄上が失踪するのは、わたしの十六歳の生誕祝いの宴の前日。その宴は、わたしの王太子即位発表の場となった。
そして、集められた王配候補……つまり女王の結婚相手候補が名乗りを上げることになる。
はっきり言って、此花というキャラは王様には向いていないと思う。
純粋で、慈悲深くて、情が深く、包み込むような優しい心の持ち主。つまりは、世間知らずのふんわりお姫様ということで、腹芸など絶対無理。そもそも王族だなんて、ドロドロした血統に生まれたこと自体間違いなんじゃないかっていうくらいの女の子なのだから。
ああ、だからか。
納得してしまった。地位に見合った能力がありそうな面々が攻略キャラのね。うん。
攻略キャラクターは四人。
今は混乱して詳しくは思い出せない。でもわかることは、全員華族や王族といった身分があり、女王を支える適任者とも言える人たちだったこと。
攻略対象となるキャラクターの中に、庭師の青年はいない。
じゃあカイはモブキャラってこと……?
モブキャラ。それは……その他大勢のキャラ、つまり絶対に主人公と結ばれることがないキャラクターだ。
どういうことだろう? わたし、攻略キャラじゃないのに、カイが好きだってこと?
庭師のカイがどんな人物だったか。カイの顔を思い浮かべると……あ、思い出した。
* * *
庭師その1
主人公に密かに想いを寄せる庭師の青年。
* * *
あらら、名前すらなかったんだ。
そうよね……モブですもの。でも庭園へ行くと必ずと言っていいほど登場するところをみると、製作スタッフのお気に入りなのかもね。
記憶にあるカイの姿は、大抵庭園のスチルに描かれたもの。ほぼ背景の一部と化していたけれど、もっと背も高くて体型も大人のものだった。
「尊い……」
きっと今は十代ね。恐らく十六、七歳くらい。ああ、少年のカイも最高です。
少年の頃の姿を想像したことはあったけれど、想像以上に可愛かった。髪も十代の頃は伸ばしていたなんて新たな発見もできた。
思わず身悶えてしまいそうなところを、ぐっと堪えて再びペンを取る。
控えめで、いつも主人公を見守るような笑顔。しかもモブキャラにも関わらず「主人公に密かな想いを寄せている」という設定がおいしい。
なのに主人公ってば、攻略キャラにばっかり気を取られて……カイに目もくれないなんて。
まあ、仕方がないのだけれど。わたしはモニタの前で、どんなにヤキモキしたことか。
ああ、わたしだったら絶対に彼を選ぶのに。
もしかして、カイと結ばれるために神様が用意してくれたご褒美なのかもしれない。
過去の、前世というのかな。きっと前のわたしは死んでしまった。記憶は曖昧だけれど、たぶんゲームのわたしと同じ十六歳だった。歳が同じなのに、わたしには恋いの予感のひとつもない……と嘆いていたのを思い出してしまった。
「……決めたわ」
手にしたペンを握りしめる。
わたしは、カイと幸せになる!