第3話:怒りの恋人
半刻後――
うぅぅ・・・どうしたらいいんだ・・・。
机の上に思わず突っ伏してしまった小五郎である。
とりあえず病人をそのままにはできないので、栄太郎に氷を貰ってくるように頼んだ。蔵六はずっと総司を診ている。だから、これはこれでいい。
問題は―壬生の面々である。
ただでさえ会津と長州は仲が悪い。かつ、あの連中は真っ直ぐすぎて融通が全く利かないのである。特に土方さんの頑固さときたら天下一品と言っていい。
また、よりにもよって、こっちが誘拐まがいのことをしているので、善意で押し切る訳にもいかない。一体何と言って彼らを納得させればいいか――。というか、そもそも話を聞いてくれるかどうか・・・。
小五郎は天井を仰いだ。
今頃彼ら血眼になって捜しているだろうなあ。
ということは、ここを嗅ぎつけるのも時間の問題か・・・。
「下手したら血が流れる、か―。」
思わず壁にかかった刀を見やる。
剣には自信があるものの、こんなことで刀をふるいたくはない。できれば話し合いで穏便に済ませたい。
そう、蔵六が医者である様に、自分は外交官なのだから――。
* * *
その時、急に玄関先が騒がしくなった。
栄太郎が帰ってきたか、それとも壬生の連中が嗅ぎつけたか――。
小五郎は思わず身構える。
が、座敷に入ってきた人を見て小五郎の思考は固まってしまった。真紅の着物を纏った女性――、幾松である。
「いっ、いいいいいぃぃぃ幾松さん?!」
あまりに意外すぎる人の登場に目を白黒させている小五郎に、幾松はどかどかと足早に近づいていった。
明らかに怒っている。
小五郎はやっとこれだけ言った。
「こ、こんな時間にどうされたんです?」
「こんな時間に、じゃありませんわよっっ!」
ものすごい剣幕に自然及び腰になっている小五郎。
「私の知らないのをいいことに、他の女の方を囲い込んでるっていうのは一体どういうことなんですの!」
「・・・は?」
呆気に取られて、何のことを言っているのか分からない様子の小五郎に幾松はブチ切れ寸前である。
「ち、ちょっと待って幾松さん。私には何のことだかさっぱり・・・。」
「しらを切られるのもいい加減にして下さいます? 先ほど栄太郎さんに氷を頼まれましたわよね?」
「ええ、それが何か?」
「今、お屋敷の方には病人はいらっしゃいませんわよね?」
「まあ、そうですが・・・。」
「じゃあ、なんで氷が必要なんですの? ・・・答えは簡単ですわよね。あなたに他の女の方がいらっしゃって、その方が病気で要るのでしょう?」
「いっ?!」
おいっ、いきなり話が飛躍してないか?!
幾松はすっかり誤解してしまっているし。うぅ、どうしよう・・・。
「すいませんねえ、桂さん。」
いつの間にか栄太郎が部屋に入ってきていた。
「栄太郎、あなた・・・。」
恨めしそうな顔の小五郎に、栄太郎は慌てて手を左右に振った。
「言っときますけど、私、何も言ってませんよ。私のなじみさんに頼もうとしたら、いきなり幾松さんが出てくるんだもん。どうにも止まらないんで、ここは桂さんに止めてもらうしかないかなーって。」
いや、私でも止まるかどうか・・・ってか、申し訳なさそうにしながら、なんか楽しそうなんですけど、栄太郎・・・。
「小五郎、なーんか面白いことになってるみたいだなー。」
急に栄太郎の後ろからひょっこり見知った顔がのぞいた。高杉晋作である。
「し、晋作?! あなた何でここに? 萩に帰るって言ってたじゃないですか?!」
「いや〜帰るつもりだったんだけどさー。隣の部屋で幾松姐さんがすごい剣幕だから気になって様子見に来た。でも知らなかったな〜。小五郎に他の女がいるとはねえ。」
その言葉に小五郎は思わず頭を抱えてしまった。
上目遣いに晋作を見やる。
「・・・あなたが焚きつけましたね、晋作。」
「さあ、どうだろうねえ。」
晋作も心底楽しそうである。
逆側からは幾松の鋭い視線が痛い。何はともあれ、ここはとにかく誤解を解かなくては。
「と、とにかく、幾松さん。これは誤解なんです。」
「何がですの。」
「今、長州藩邸に病人が運ばれてきたんです。だから氷が必要なんです。それだけのことなんです。」
「病人って誰なんですの?」
小五郎はうっと言葉に詰まった。
「・・・それは言えません。」
「ほら、言えないって、やっぱりいい方なんだわ〜。」
袖で目頭を押さえる幾松に狼狽する小五郎。
「身元を明かすと後々大変なんで、詳しくは言えないんです。でも、その病人は―。」
「まあ、姫さんの様なもんだがな。」
意外な方向からの声に小五郎と幾松、栄太郎と晋作も思わず振り向いた。
そこには、蔵六が相変わらずの仏頂面で立っていた。
「?! あんたも来てたんか?」
晋作が声をあげる。
「ほらっ、姫さんって!」
幾松が小五郎を強くこづいた。
小五郎はげんなりした。
「村田さん。あなたまでそんな誤解を生むようなことを・・・。」
「うむ。まあ、それは冗談だ。」
全く冗談になってないよ・・・。
「しかし、男でも女でも病人は病人だ。・・・それより、氷はまだか? かなり熱が上がっている。早急にお願いしたい。」
蔵六はそれだけを言うと、また隣の部屋に入ってしまった。