第1話:やって来た駕籠
ちら ちら ちら
心もとなく提灯の明かりが揺れる。
――時は幕末、場所は京の都――
既に夜も更け、漆黒の闇が辺りを包んでいる。時間も空間も一息に飲み込んでしまう闇。
その中を一つの影が四条通を東に動いていた。一丁の提灯を頼りにまっすぐ、ただただまっすぐに――。
・・・どれだけ時間が経っただろうか。
視界の先に祇園の華やかな明かりが見え始めた。
一瞬、提灯の灯が止まる。
そして誰に言うでもなく、その影はぼつりと呟いた。
「もう少しだな・・・。」
* * *
さて同刻、河原町の長州藩邸では桂小五郎が相変わらず書類の山と格闘していた。
その彼の隣で本を読んでいた吉田栄太郎が声を掛けた。
「大変ですねー桂さん。少し休憩したらどうです? 今日もずっと仕事しっぱなしじゃないですか?」
「うーん、そうしたいのは山々なんですけど、明日大事な会合があるんで、どうしても今日中にまとめとかないと・・・。」
「桂さん、いつも用意周到で、ほんっとえらいですよねー。尊敬ですよー。」
「いや・・・。あんまり機転が利かないからこうするしかないだけなんですけどね・・・。」
栄太郎の賛辞に思わず苦笑する小五郎。
「何か私に手伝えることがあればいいんですけど・・・。」
その時、不意に表の方がガタガタ鳴った。
「ん? お客さんかな? どうしたんだろ、こんな夜更けに。桂さん、ちょっと私見てきますね。」
「ええ、頼みます。」
栄太郎は一つ頷くと部屋から出て行った。
それを見送って、小五郎はうーん、と伸びをした。そして散乱している書類を見やる。
量は多いけど、まあ、今日徹夜すれば何とかなりそうだ・・・。
ほっと息をついた、その瞬間――。
「桂さんっっ、桂さん大変です! ちょっと来て下さい!!」
絶叫ともいえる栄太郎の甲高い声が玄関先から響いてきた。
どうもただ事ではなさそうな様子である。
「?! どうしたんです?」
小五郎は玄関先に顔を出すと、栄太郎が指差すほうを見た。
玄関先には駕籠が一丁止まっている。
――が、その中にいる人を見て、小五郎も絶句してしまった。
その人の顔は熱で赤くほてっていて、具合悪そうに荒い息遣いをしている。意識も朦朧としている様だ。
「桂さん。病人の来客ですよ・・・。」
栄太郎が半ば呆然と小五郎に呟いたのであった・・・。
* * *
しばらく後――。
「しかし、なんで病人がこんなトコに来るんですかねえ。病院じゃないのに。」
栄太郎が腑に落ちない様子で病人と小五郎を見比べながら言った。
小五郎にも訳が分からない。
運んできた駕籠かき達も『長州藩邸まで、こいつを乗せてやってくれ』としか言われてないらしい。
とりあえず彼らには他言無用と包みを渡して帰し、病人もこのままにしておく訳にもいかず、こうやって布団に寝かせているのであった。しかし――。
「・・・どこかで見たことがあるような気がするんですよね・・・。」
ぽつりと呟いた小五郎にびっくりした様子で栄太郎が言った。
「この人を、ですか?」
「ええ・・・。」
「私には全然分かりませんねえ。土佐人でもなさそうですし。・・・そういえば、あの駕籠壬生から来たって言ってましたねえ。壬生って何かありましたっけ?」
「壬生・・・。」
――壬生ねえ。そういえば、最近江戸からやって来た浪士組がたむろしてたっけ? ん? まさかこの人、試衛館道場の――?!
「?!」
思わずまじまじと病人の顔を覗き込む。間違いない、こいつは――。
「どうしました? 何か思い当たるところでも?」
小五郎の急な狼狽ぶりに、栄太郎が怪訝そうな顔で言った。
だが、小五郎はそれに答えず頭を抱えてしまった。
「桂さん?」
「・・・これは、やっかいなものを抱えてしまいましたよ、栄太郎――。」
「え?」
「この人、江戸試衛館道場の沖田総司ですよ・・・。」
「?」
「会津預かり壬生浪士組の一人・・・つまり。」
栄太郎にも事態が飲み込めたらしい。
「つまり、――敵ってこと?」
「そう。」
栄太郎も思わず病人の顔を見つめてしまった。