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 レイカは不安げに僕の服の裾を掴む。

 僕は裾を掴んだ手に、手のひらを重ねた。

「どうするんですの?」

「犯人は店の前にいる。まだ逃げ出せない。そこで、犯人を別の場所に誘導する」

「その隙に逃げるのですわね」

 飲み込みが早くて助かる。やっぱりレイカは才色兼備のお嬢様なのだ。

 僕は相槌を打ち、画面に表示された応答をタッチした。

「はい」

 電話の向こう側で男の息遣いが聞こえる。いくらか震えているようだ。

「一千万円は用意したか?」

 来た。この引き渡し場所を指定して、男が移動した時が逃げるチャンスだ。

「ああ」

 僕は最低限の言葉で嘘をつく。

「ん? お前……」

 男が何かに気がついたようだ。

 ひょっとすると男が僕の声に気付いたのかもしれない。そうなれば最後。今度こそ逃げるチャンスは失われてしまう。

「まさか警察に連絡してないよな?」

「ああ……」

 心臓に悪い。

 どうやら取り越し苦労だったとわかると、自分がひどく動揺していることに気がついた。心臓の脈拍は静かになる気配がない。焦りが僕の脳裏を支配していった。

 どうしよう。どうすれば男に怪しまれず、身代金の引き渡し場所を指定すればいい。いや、こちらから指定しちゃダメだ。きっと指定は犯人の方がするはずだから。じゃあ、いま、僕はどうすればいいんだ?

 頭のなかはパンク気味で、これというアイディアが浮かばない。無言の時間が長引いていることも僕を悩ませている。しかし、衣擦れのような音だけはずっと聞こえていた。

 店の外には男の背中が見える。もぞもぞと動いて、服のあちこちを探している様子だった。願わくば、こちらを振り向かないでくれ。

 思考が支離滅裂のまま、僕は沈黙に耐え切れなくなった。

「れ、レイカの声を聞かせてほしい」

 えっ。

 いったい僕は何を訊いているんだ?

 混乱のあまり、わけのわからないことを尋ねてしまった。レイカは僕の目の前にいるんだぞ。というか、どうしてレイカ、僕にべったりくっついてくるの?

「……声を聞きたいのかしら?」

 レイカの熱っぽい声をスマートフォンを物理的に越えて聞く。

 頭のなかの変な回路が開かれそうになり、心を落ち着かせるため遠くの方を見る。たとえば店の外にいる男の方とか。

 よく観察すると、男はもぞもぞと動くのをやめていた。

「ええと、……ちょっと待ってろ」

 万が一、男がこちらを振り向いた時のために、レイカを僕の陰に隠す。高校三年生の僕の背中に、レイカの小さな身体はすっぽりと収まった。

 電話口から咳払いが聞こえる。

「ワタシ、レイカ! レイカですワよ!」

「……」

 男はレイカの声真似をしていた。それも必死に。

 隣でスマートフォンから漏れる声を聞いていたレイかも、不遜そうな顔をしている。

 今までハラハラしていた僕でも、さすがに熱が冷める。

「レイカの声じゃない」

「か、風邪を引いちゃって! いま、こんな声ナノデスワ!」

「……」

 なんてバカバカしいんだ。

 あまりのくだらなさ加減に呆れて言葉が出ない。

 店先で男は肩を落としてシュンとしている。

「はーあぁ」

 わざとらしい溜息をするやいなや、通話を切ってしまった。

 僕は急いでスマートフォンの画面を確認するが、通話終了と表示されている。

 カラカラ、と入口の戸が開く音がした。

 まずい! 男が戻ってきた!

 男はしょんぼりした様子で、僕の顔を見るとやるせなさそうに笑った。

 もう逃げられない。そう確信した時、僕の陰からレイカが颯爽と飛び出した。

「わたくしの声は、あんな気持ち悪い声じゃないですわ!」

 男の目の前に仁王立ちして、堂々と存在を主張している。

「えっ」

「えっ」

 僕と男は顔を見合わせる。

 どうしてここにお嬢様がいるのかさっぱり理解できない。それは男も同じ気持ちだろう。

 考えてみれば、レイカというお嬢様は、誘拐犯から自力で逃げ出し、その先で僕を誘拐犯呼ばわりした後、打って変わって王子様だと頼りにするような利かん気のおてんば娘だ。

 そんな女の子の行動が予想できる人がいるだろうか。

 とにかく、このままではレイカが男に捕まってしまう。

 僕が立ち上がったその時、突然の来客が来た。

 店内の三人は同じタイミングで入口に視線を移す。

 来客は警察官だった。三十代ほどの男性で、体格もいい。きっと男を取り押さえてくれるはずだ。

「一時間ほど前、いたずらで通報を……」

 面倒くさそうに口を開いたが、僕たちの状況を見て言葉を止める。

「おたくら、いったい何を?」

「おまわりさん、そいつです!」

 その質問に間髪をいれず、僕は男を指差した。

 警察官は両手を前に出し、男を取り押さえようと構える。

 わけもわからずレイカは両手をあげていた。

 そんなレイカを男はとっさに突き飛ばす。

「俺じゃない!」

 突き飛ばされたレイカは、まっすぐ僕の胸元に飛び込んできた。両手で抱えるように受け止めると、甘い香りが鼻をくすぐる。緊迫した空気がなんだか間違いみたいに思えてきたが、顔を上げると警察官が今度は僕の方を向いて構えていた。

 僕のすぐ下でレイカが幸せそうに微笑んでいる。

「ふふ、信じられませんわ」

 何か楽しいことがあるだろうか。

 いや、このくだらなくてしょうもない出来事が、楽しくないわけがない。

 いつしか僕はこのハプニングを楽しんでいた。学校に行かなくなって、久々の高揚感と興奮を覚えていたんだから。

「それはこっちのセリフだ」

 ついさっき似たようなやり取りをしたことを思い出しながら、今までのあれこれをできるだけ穏便に事を収めるアイディアを思いついた。

 僕は男を一瞥した後、警察官の方を向く。

「おい君、あれはいたずら電話じゃなかったのか?」

「はい、間違い電話だったんです」


 それから男は自首し、僕とレイカは事情を話すために警察署へ行くことになった。

 怪我がないか調べるということで、パトカーより先に救急車が来るらしい。

 僕はあわただしくなる予感を覚え、この光景を目に焼き付けておくことにした。

 なぜなら、この出来事は僕の人生を大きく変えるはずだ。そして、レイカとのかけがえのない思い出になるだろう。

 すべてが終わったら、レイカに伝えたい言葉がある。

 そういえば、店長はどこに行ったんだろう?

 僕のポケットに入ったスマートフォンから、マリンバの音色が鳴り出した。午後三時、暇を持て余していたあの時と同じ場所、同じ仕草で通話をタッチする。

「店長は預かった。返して欲しければ一千万円を用意しろ」

すいません、投稿するのを忘れてました。


これにて完結です。

ここまでお読みいただいた方、ありがとうございます。

忌憚なきご意見、ご感想お待ちしております。

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