1
「娘は預かった。返して欲しければ一千万円を用意しろ」
とんでもない間違い電話がきた。
おいおい……どういうことだ?
僕に娘なんていないぞ。
そんなことより、これって誘拐犯からの間違い電話? そんなバカな話があるか!
「あのー、もしかして、いたずら電話ですか?」
真っ先に浮かんだのはそれだった。ラーメン屋でバイト中の僕を、友人の誰かがからかってるんだ。だから午後三時なんて、ちょうど仕事が暇な時間に仕掛けてきたのだろう。
「俺は本当にお前の娘を預かったんだ! 証拠に声を聞かせてやろう」
「へえ、聞かせてくださいよ」
動揺してないことが伝わったら、相手も種明かしをするに違いない。
がさごそとノイズが混じる。きっと僕の友人に受話器を渡しているのだ。
「イヤです! それより、お腹が空きましたわ」
しかし、僕の予想に反し、舌足らずな女の子の声が聞こえた。いたずら電話にしては手が込んでいる。
ということは、本当に間違い電話? 相手は本物の誘拐犯?
おそるおそるスマートフォンを耳に押し当てる。
「わ、ワガママ言わないで。ほーら、お前のパパだぞー?」
「わたくし、お父様をパパと呼ぶのは卒業しました! 食事がないのでしたら、わたくし自分で探します!」
「あっ! ちょっ、待つんだ!」
バタン、と強くドアが閉まる大きな音。頭をガツンと殴られたように感じて、とっさに耳からスマートフォンを離した。その画面には、非通知の文字が整然と並んでいる。
……大変なことになったぞ。
僕は今さらになって、じわじわと焦り始める。
いつの間に僕に娘ができていたんだ。
……僕はまだ高校三年生だぞ?
男が呼ぶ声が聞こえて、反射的にスピーカーをオンにした。
「オイ! 聞こえただろ?」
「は、はいっ」
意外にも大きな声にびっくりして、返事が裏返ってしまった。恥ずかしさで顔に手を当てる。思った以上に僕の手は冷たくて、小刻みに震えていた。
「一時間後だ。一時間後にまた電話する」
男は一方的に電話を切った。
それと同時に、入口の戸が勢いよく開く。
「ごきげんよう」
凛とした声で、場違いにも程がある挨拶が聞こえた。
油で汚れた床に、綺麗な顔をした少女が立っている。まず目につくのは、僕を睨みつける三白眼だ。
まるで僕に似てない。なぜなら僕には娘なんていないから。
「わたくしはお腹が空きました。何かないかしら?」
この舌足らずで偉そうな口調は聞いた覚えがある。
まさか、そんなはずはない。
僕は心を落ち着けるために「いらっしゃいませ」と決まりきった仕事をする。
女の子の歳の頃は十三ほどだろうか。身長は僕と比べて頭ひとつ分ほど低い。この辺じゃ見たことのない学生服だし、黒いローファーはピカピカに磨かれている。つややかな黒髪は姫カット。まぎれもなくお嬢様だ。
「何ですか? ジロジロ見て」
「い、いや、その……」
いやいや、まさか。
今さっき誘拐犯からの間違い電話が来たばかりだ。その上、誘拐されたはずのお嬢様がウチの店に来るなんて偶然、あると思うか?
ないね。絶対にない。あったとしたら、運命的な何かだ。
それに「あなた、もしかして誘拐されてませんか?」なんて訊けるはずもない。
バカバカしくも、一方で本気な僕の葛藤を見透かしたように、女の子は鼻で笑う。次いで重心を掛ける方の足を入れ替えた。
「ここ、あの男のハウスでしょう?」
「あの男?」
「わたくし、その方に誘拐されましたの」
僕は耳を疑った。
誘拐犯からの間違い電話がかかってきただけでも信じられないのに、誘拐されたはずの女の子が僕の目の前に現れただって?
頭のなかが真っ白だ。
「ここは調理場でしょう?」
「たしかにラーメン屋だけど」
あまりに現実離れした状況なのに、平然と答えることができた。いや、むしろ夢みたいだから、あんまり危機感とか感じていないだけなのかも。
「ラーメン屋?」
女の子はきょとんとして、聞き慣れない単語をリピートするみたいにつぶやいた。
ラーメン屋がどういうところか説明しそうになったが、今はそれどころではない。どうやら僕は思った以上に困惑しているようだった。
「それより、誘拐って?」
「ええ、わたくしはいま、この家に誘拐されていますわ」
「この家って、まさか上の階に?」
彼女は首肯した。
このラーメン屋の上階は賃貸借だ。外階段で行き来できるし、上の部屋に住んでいる人も何人か店にくる。
どうやら誘拐犯は同じ屋根の下にいるようだ。
偶然が重なりすぎだ!
頬をつねる。困ったことに現実だ。
いや、あの電話の誘拐犯は彼女の誘拐犯とは別人かもしれない。仮に別人だったとして、上の階に誘拐犯がいることは残念ながら事実らしい。
「別人……。ウチの店と上の部屋は別。そう、無関係なんだ」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。そうしないと正気を保っていられる気がしなかった。
相談しようにも店長の姿は見えない。きっと店の奥で寝ている。
世間知らずなお嬢様は、驚きの表情だ。きっと同じ家に壁一枚を挟んで他人が住んでいる、という庶民の暮らしが信じられないのだろう。
僕はあきれて、お嬢様にアパートメントについて説明することもできなかった。
ふと、カウンターにあった卓上電話が目に入る。
「そうだ、警察に電話しなきゃ」
突拍子もない出来事に遭遇した時、頼みの綱は常識とルーティンだ。僕は大多数の人がそうするように、自分の手に負えないことをひとまず警察に預けることにした。
スマートフォンを手に取った時、壁の「携帯禁止」の四文字が目に入る。ルーティンに従うなら、このハウスルールにも従うべきだろう。
僕は今の時代じゃ考えられないようなダイヤル式電話を操作する。教科書で見た程度だったが、なんとこの店では未だに現役だ。おかげで使い方を覚えてしまった。まず受話器を取り、その後でダイヤルを回す。ダイヤルを回す度、少しずつ非日常から意識を取り戻していくような気がした。ゼロから手を離すと、ダイヤルが元の位置に戻り、短いコールの後、すぐにつながった。
「もしもし、警察ですか?」
電話するなり、何があったのか尋ねられる。
「事件? 事故? ……とにかく、女の子が誘拐されたんです! 目撃者? はい、たぶん、そう」
誘拐される瞬間を目撃したわけじゃない。どうやら誰かが誘拐されたらしいことと、誘拐されたと名乗る女の子がそばにいる、という事実があるだけだ。
僕が誘拐事件とどんな関係にあるのかについて、その二つの事実が重なることでややこしくなっていた。
「え? いつ誘拐されたか……?」
「つい三時間ほど前ですわ」
いつの間にか女の子が厨房に入っていた。
「ええと、三時間ほど前だそうで」
「女の子の名前は……」
「わたくし、レイカともうしますわ」
先んじて答える。じろり、と凄みのにじむ目つきをしていた。なぜそこまで睨まれなければならないんだ。君とは初対面だったはずだ。
「レイカというそうで、え? レイカさんは、はい、僕の横にいますけどって、えっ!? 僕が誘拐犯!? 僕は誘拐犯じゃなくて……ええと、ええと……すす、すいません!!」
あわてて受話器を戻した。冷や汗が止まらない。
深呼吸を繰り返すと、頭に新鮮な空気が行き渡る。
危うく誘拐犯になるところだった!
考えてみればそうだ。誘拐事件を通報したのに、誘拐された本人がそばにいるなんて、僕が犯人だと疑われて仕方がない。
ふらふらと近くの丸イスに腰を下ろした。
レイカと名乗った女の子は、よそ行きのツンと取り澄ますような顔で見下ろしてくる。
「元はといえば、君が! ……いや、それは違うか」
レイカは誘拐された側なのだ。彼女に責任はない。すべて悪いのは誘拐犯だ。ならば、不幸にもさらわれた女の子を怒鳴るべきではない。むしろいたわるべきだろう。
僕は立ち上がり、今まで座っていたそれをレイカに差し出した。
不愉快そうに口元を隠し、抗議の目を僕に向ける。
「そんな怖い目しなくていいのに」
「元からですわ、それに」
丸イスを指さす。パイプ製の足はがたつき、座面の青色はかすれて白っぽくなっていた。
「座って、どうぞ」
またツンとしている。座面が汚くて座りたくないということか?
「あいにくハンカチは持ってないんだけど」
近くにあったタオルをイスの上に敷く。もちろん洗ったし、まだ一度も使ってないから清潔だ。少々チープなため、タオル地にイスの青色が透けている。
どうやら彼女が座るところは常に清潔でなければないらしい。庶民にはまったく想像のつかない世界に生きているようだ。
レディをもてなしたことはないが、テレビで見た俳優の仕草を真似て、手のひらでイスに座るよううながしてみた。しかし、返ってきたのはふたたび抗議の目だ。
僕の仕草がいけなかったのか。もう一度、試してみるが、そうではないらしい。
仕方なく、もう一枚タオルを敷いて、レイカの表情をたしかめる。
……まだ足りないの。
結局、十枚のタオルを重ねた。大喜利かよ。
ふかふかになったイスの上に、レイカは自前のハンカチを敷いて、それでやっと腰を下ろしたのだった。
電撃文庫の文学賞に応募した小説です。
昨日、誕生日だったので、今まで書いた小説を放流しようかな、と思います。




