表現者かく語りき
「やった! 合格した!」
そんな声を聞きながら私は呆然と立ちすくんだ。目の前の掲示板には味気ないコピー用紙に私達のクラスメイトの未来が書かれていた。いや、クラスメイトだったと言った方がいいかもしれない。この瞬間から、完全に分けられてしまった。
アニメで有名な事務所、洋画の吹替えが強い事務所。ナレーションに定評のある事務所。
何度も見返した所で、そこに書かれた名前は6名分だけ。クラスは22人はいた。
喜ぶ数名を心から応援する人が、私には信じられない。昨日までは同じクラスメイトだったのに、明日からは声優として旅立てる者と、未来も知れないその他大勢だ。卒業式を終えた後、本来なら改めて挨拶するはずだろうけれど、私は荷物をまとめて部屋を出た。
「お世話になりました」
講師陣に別れの挨拶を告げる。二年間の専門学校の生活は、常に鍛錬と研鑽の日々だった。アルバイトの合間に必死に台本を覚え、ダンスで身体を鍛え、声を磨いた。
――でも無駄だった。
私は引き摺る足をこづいて講師陣の部屋から離れた。
「田名部。まだ時間あるか?」
現役の声優であり、講師の一人である吉岡さんが、学校から駅までの間をトボトボと歩く私に追い付いてきた。わざわざ走ってきたらしい吉岡さんは、すぐに息を整えると駅から離れた公園に私を誘ってくれた。
「悔しいだろう」
当たり前の事を聞く吉岡さん。でも、悔しいよりは、虚しさが募る。二年間がまるで無駄になった気分だ。
声優になりたいと上京して来て、初めての一人暮し、初めての東京で必死に戦ってきたのに、結果はどこの事務所にも入れず。
声優になるには、専門学校卒業と同等の実力があると認められ、声優のプロダクション――いわゆる事務所へと所属が必要になる。勿論、所属しないでフリーのタレントとしてやっていく事も出来るけれど、芸歴も無い私みたいなのがいきなりフリーでは売れる事は無い。
つまり、専門学校を卒業する時点で事務所から声をかけて貰えないと先は無いのだ。
「この世の終わりみたいな顔してるけどな、そうじゃないんだぞ」
ホットの紅茶を私におごってくれながら吉岡さんは語った。
「実は俺も卒業の時は声かからなかった」
思わず顔を上げると、苦笑した様な吉岡さんの表情。
「俺もがむしゃらにやってただけで、器用でも無かったからな。演技がくどいって言われてな」
吉岡さんは舞台出身の俳優さんで、地道な下積みから、洋画の吹替えやナレーションで定評のある方だ。教え方も個々の個性を伸ばそうと苦心してくれた方で、私も凄く伸びた実感がある。正直アニメの声優はほとんどやっていないから、知名度自体は低いと本人も言っているけれど。でも、安定した落ち着いた低音の響きは、こんな時も胸に響く素敵な声だ。
「声がかからず、一年は色々と見て回ったよ。また養成所も通ってな。その最後に、補欠合格で拾ってくれたのが今お世話になってる事務所だよ」
Aという事務所で、ズタボロに言われてもBという事務所でべた褒めされる事もある。出会いは縁で運なんだと。
「だから……、田名部の今の状態で色々と考えるのも辛いと思うが……」
まず休め。そして、芝居を続けたいなら、俺の講師の手伝いをしながら学ばないかと。
私は正直、凄くいい芝居が出来ていたとは思わない。ただひたすら真面目にやってきて、成績は良かった。でも成績イコール役者としての魅力では無いと。
「俺は二年間お前を見てきて、まだまだやれると思ってる。だから」
私の可能性を信じていると。
渇ききった心に優しい温かさが沁みる。さっき貰った紅茶の様に、じんわりと。
嗚呼、まだ辞めなくていいんだ。まだ好きでいていいんだ芝居を、声優を。
「オーディションなんて、100回受けて全滅なんて事も沢山ある。だから、進み続けろ。表現したいという気持ちを捨てず、自分を信じて這ってでも進むんだ」
今感じている悔しさも、それも糧にして、進め。そう言って伸びてきた手が私を持ち上げる。
今はまず私を信じてくれたこの手を信じよう。そして、いつか自分自身でこの手の様に自信を持てる様になろう。そう私は、この温かさを胸に刻み歩き始めた。