村と青年
国境となる山脈の梺には特別な村がある。
この村だけは、他の村との関わりは禁じられていた。
ヴェール(緑)村と名付られた名の通り、この村に住む者達は皆緑色の瞳を持って生まれてくる。
国民の中の1割にも満たないが、彼らはこの疎外された村で平穏な暮らしを送っていた。
程よく焼けた肌の健康的な色の少年が、丘から木製の樽を抱えて駆け下りてくる。
その後ろから女性の快活な声が聞こえてきた。
「セオ〜!!気をつけてよ!」
森と村の境にある井戸の前で、セオと呼ばれた少年は足を止めて樽を地に下ろす。
樽にひと雫の汗が青年の頬から滑り落ちた。
風に揺れる美しい黒髪は日の光を受けて輝きを放ち、まるで星空のようだ。
「あっつ…」
季節は春季。子供であれば日中は半袖で事足りる程温かい。
国に季節は大きく分けて4つあり、春季と雨季が長く続き、短い秋季と冬季が来る。
その季節それぞれに旬があり、海に山にと食材が尽きない豊かな国だ。
決して裕福な村でなくても飢えることもなく暮らしていけるのは、他国では珍しい世の中だとはここにいる限り知ることはない事実だった。
村で唯一の鐘が鳴ったとき、それを合図に村人達が賑わい出すのが丘の上にいたセオにはよく見えた。
今日は特別な日なのだ。
セオは自分の穴が空いていたり、解れてだらしなくなっている服に目をやってからため息をついた。
特別な日…鐘の鳴る日には王宮の衛兵が各村に定期的に物資を届けに来るが、村人は衛兵とは直接的に関わりを持たないのも村の掟だ。
物資は村の中で仲介人として役付けされている者を通してやり取りをして、必要な物は全てそこで揃えて生活が成り立っていた。
つまりは村で作るのが難しい衣服や、食器や、調味料を手に入れられる日なのだ。
ヴェール村の掟は厳しく、村人は森から外へは出られない。
この村に必要なものは、村長が衛兵に紙に書いて渡すと彼等が物を仕入れてくる…という流れだ。
彼等はいつもこの村の住人に優しい。
しかし、そう見えている筈なのにセオは彼等との関わりを持ちたいとは思えずにいた。
今頃は中央の広場へ荷物を運び入れて村人に配っているだろう。
自分より年下の子供達のはしゃぐ声に、セオの口角が自然と上がる。
しかし、広場の方をしばらく眺めた後は森の中へ視線を移した。
彼はこの日には必ず、何かしらの理由をつけて村の中心から離れるようにしていた。
…他人との接し方がわからない。
衛兵達は自分達に良くしてくれるが、彼等に違和感…恐ろしさに似た感情が胸の奥にある。
村人もそうだ。
自分の周りに当たり前のように存在する、平和で優しい穏やかな世界。
それが彼にとっては恐ろしく、やはり違和感を感じるものなのだ。
この薄暗い森の中を駆け抜けて自由になれば、歳を重ねるたびに増していくこの感情を無くすことができるのかもしれない。
村から離れた森の井戸に水汲みをしに来ると、彼はそんな考えがいつも頭の中に浮かんできていた。
風に煽られた木々が、鮮やかな緑色を光らせながら身を揺らす。
目を瞑ると会話をしている気分になる、この森はどこか特別で、セオには良き友人のようにも母のようにも感じられていた。
風に煽られて足元に転がってきた樽を見て、セオは用事を思い出し慌てて井戸へ駆け寄り、縄を引いて底へ降ろされていた蓋のない入物を引き上げた。
それを何度か繰り返し、樽の縁きり一杯まで水を入れると彼はその場に寝転んで空を見上げた。
風が草を揺らすと、彼は擽ったそうに身をよじりながら目を瞑った。
陽の光を通して赤く見える瞼の裏に黄緑色の小さなひかりが瞬く。
その光に手を伸ばした瞬間、彼はハッと目を見開いた。
「あっ、鍋の火を点けっぱなしだ!」
慌てて跳ね起きると、足に鋭い痛みが走った。
靴は泥で汚れ、足先が破れて指が全て見える状態になっている。
2年前に貰った靴は成長期になり1年間で10cm以上伸びた彼の体には合わなくなってしまい、去年靴の爪先を少しだけナイフで切った。
その切り口は大きく広がり、ボロボロになってしまって履いている意味を成さなくなっていく。
けれど靴は貴重品。
それに、必要な品を村長と話し合う定期会議に出席できるのは家庭を持つ男のみ。
彼には両親がいないため、親友のニーヤの親が彼に必要な品はないかと聞きに来てくれる。
だが、頼んだ品は貰い受ける時にそれぞれ家が支払うことになっているので、頼んでもらえてもお金は自腹だ。
お金は自分で育てた野菜と描いた絵を衛兵に運んでもらって、仲介商人に売ってもらい、その利益の6割を貰う。
4割は仲介商人の取り分だ。
それでも絵以外は高値で売れるような品ではないので、6割の殆どは食費などに消えてしまい貯金は絵の道具に消えていく。
頼りの絵は3ヶ月に1つ仕上げるので精一杯。
貴重品なだけあって、靴はセオにとっては生活費を数ヶ月分削っても買うことができるのは半年後くらいになりそうだ。