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Samsara~愛の輪廻~Ⅲ  作者: 二条順子
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06.過去との遭遇(2)

ボストンの暑い夏も終わりを告げ、九月に入るとようやく秋めいてきた。

ワシントンから移り住んで二か月が過ぎた。めぐみの体力は順調に回復し週一回の

検査も月に一度となり、日常生活に支障をきたすことはほとんどなくなっていた。

健介は新しい職場にも慣れ精力的に仕事をこなしている。

当初、同じコンドに住む日本人と知り合いになったことから、煩わしい付き合いや

めぐみのことを色々と詮索されるのではないかと懸念していた。が、三沢夫婦とも

高村とも顔を合わせば挨拶を交わすくらいで、お互いの生活を干渉することもなく

良好な隣人関係を保っている。



「今日ねえ、トリニティー・チャーチで高村先生を見たの」

食後の珈琲を入れながらめぐみは思い出したように言った。

市の中心街にあるこの教会では毎週金曜の午後、パイプオルガンによる讃美歌の

演奏があり、誰でも自由に観賞することができる。めぐみはその音色に魅せられた

ようで、初めて健介と行って以来毎週のように通っている。

「へぇ、珍しいね、一人でチャーチなんて…」

「一人じゃなかったわ。日本人っぽい綺麗な女性と一緒だったから、つい

声を掛けそびれちゃった」

「そう…」

高村は六年前に妻と死別し一人娘を妻の実家に預け、以来独身を通していると

三沢から聞いていた。


「誰かな、今頃?」

突然、玄関のチャイムが鳴った。

「サプライズ!!」

ドアを開けると、両手を高く掲げたライアンが立っていた。

「ワォ、なかなかいいとこじゃん! ハ~イ、メグ、元気そうだね、顔色も

良くなって、ますます美人になったよ」

相変わらず彼の舌は滑らかだ。

「どうした、急に? 電話くれたらローガンまで迎えに行ったのに…」

「二人を驚かせたくてな。それに、飛行機じゃなくて車で来たんだ」

「車、どこに停めてるの?」

「地下のパーキング。俺も今日からここの住人、ヨロシク!」

「?!」

この近くのMCH(マサチューセッツ・チルドレンズ・ホスピタル)での

仕事が決まり下の階に越してきたと言う。健介と頻繁にメールのやり取りを

しているのに、一言もそんなことは言ってなかった。

「それならそうと、知らせてくれればよかったのに…」

「なんか、おまえの真似して後を追っかけてるみたいで。 それに… 」

やけにニヤニヤと口元が緩んでいる。

「実は、俺さ… 結婚したんだ。式とかはまだ挙げてないけど…」

「はあ!」

「つまり、その… デキ婚、来年早々には、俺もついに‘ダディ’ってわけよ」

「そうなんだ、おめでとうライアン!」

「ありがと。メグだけだよ、そんな風に素直に祝福してくれるの…」

ライアンは複雑な笑みを浮かべた。

相手は同じ職場のナース、モニカらしい。彼女はヒスパニック系アメリカ人で

めぐみとも親しかった。ライアンの母親は保守的で敬虔なカトリック教徒。

息子の相手がイタリア系の娘でないばかりが、婚前に子供を作ったことに

ショックを受け二人の結婚を猛反対している。ライアンは母親の反対を予想し、

モニカの妊娠がわかるとすぐこっちでの就職先を探していたらしい。


「それで、モニカは?」

「こっちが一段落してから迎えに行くつもりなんだ… と言うわけで、

これからは何かとお世話になりますので、どうか宜しくお願いします」

ライアンは日本式に頭を下げてみせた。

「もちろんよ、私たちでできることは何でも、ねぇ、ケン」

めぐみの言葉に健介も大きく頷いた。

「やっぱ、持つべきものは友だなぁー ぜんぶ話すと、なんか腹へちゃった」

「あ、今すぐなんか作るね」

めぐみはいそいそとキッチンの中に入った。



「メグ、まだ記憶戻らないのか?」

「ああ…」

「けど、体調も良さそうだし幸せそうで安心したよ。あっちの方もうまく

いってるんだろ?」

「…」

「おいおい、まさか、今だに清く美しい関係なんてことはない、よな!?」

「え、うん、まあな…」

健介は言葉を濁した。



二人はまだ結ばれていない。若い男と女が二か月も同じ屋根の下に暮らしながら、

そういう関係にならないのは不自然かもしれないが、めぐみ身体のことを気遣い、

健介は自制している。抱きたいという欲望がないと言えば嘘になるが、肉体関係

ありきの恋愛ではなく、今は彼女が傍にいてくれるだけで十分に満たされている。




* * * * * * * 



「へぇー、結構いいところに住んでるじゃないの。煩わしい日本を脱出して

独身貴族を謳歌してるってとこかしら…」

嫌味たっぷりに言いながら部屋中を見回した。

「勇樹、どうしてる?」

「母親のことはどうでもよくても、やっぱり血を分けた息子のことは気になる?

元気にしてるわよ。『親は無くとも子は育つ』あれってほんとね…」

杏子はバージニアスリムを銜え火をつけた。


「私、暫くこっちにいようと思うの。マタニティー休暇もたっぷり残ってるし。

ここにおいてもらってもいいでしょ?」

スーツケースの異様な大きさが気になってはいたが、相変わらず地球は

自分中心に回っているような、相手の都合も気持ちも無視した杏子の言動に

耕平はうんざりした。

「このコンドには日本人の知り合いも多いようだし、あの三沢君が、まさか、

ブロンドの奥さんもらうなんてねえ…」

反応を探るように耕平の顔を伺った。


なぜ杏子がここに来たかすぐに察しがついた。ネット上に流れたクインシー

マーケットで三沢一家と取った写真の中の亜希に気づいたにちがいない。

「お荷物になった愛人を捨てて元妻とボストンくんだりまで逃避行ってわけ?」

「誤解だよ、彼女は今ある男性と幸せに暮らしてる。頼むから亜希には

近づかないでくれ、そっとしておいてやってほしい。実は、彼女は……。」

耕平はこれまでのいきだつを説明した。


「そんな小説や映画の中のような話、信じろって言うの? 二人して私を

騙そうとしてるんじゃないの?」

「君が信じようと信じまいと事実は事実だ。三沢に俺のことを何と言っても

かまわない。けど、頼む、亜希のことだけは黙っていてくれ。その条件を

呑んでくれるなら、好きなだけここに居ていいから」

杏子は返事を焦らすように二本目の煙草に火をつけた。


「分かった、彼女の正体はバラさないわ。でも、現実にそんな事があるんだ…

なんだかちょっと面白くなってきたわ」

意味あり気の含み笑いを洩らした。

「もしまた亜希を傷つけるような真似をしたら、俺、今度は絶対に許さない

からな!」

興味本位の杏子の態度に不快さを露わにした耕平は、彼女の暴走に釘を刺す

ように声を荒げた。その真剣さにさすがの杏子も一瞬だじろいだた。



亜希に対する耕平の愛の中には、杏子が邪推するような男女間の生臭い感情は

もはや存在しない。むしろ、年の離れた妹を心配する兄、愛娘の幸福を願う

父親の心情に近いものがある。有賀健介は亜希のことを真剣に愛している。

彼となら今度こそ幸せになれるだろう。願わくば、彼女が記憶を取り戻すこと

なく彼と結婚し、このまま有賀めぐみとして生きて行ってほしい。

それが今の耕平の偽ざる気持ちだった。



 



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