22.過去との再会(3)
本番に向け最終のリハーサルが公演会場で行われていた。
「いいなぁ、音に何とも言えない艶がある。あの二人、完全に二人だけの
空間を創っているな。まるで恋人同士のようだ…」
スタインベックはさっきからしきりに感心している。
「そりゃあ、そうさ。二人は本物の恋人同士だったからな.わけあって、
一緒にはなれなかったが…」
「えっ、どういうことだ?」
崇之からすべてを打ち明けられていたアレックスはジムに二人の過去を話した。
「そうか、二人の間にそんな悲恋物語があったとはな… それにしても、恋人を
取り戻そうとするタカユキの情熱、執念には凄いものがあるな。けど、もうその
必要はないんじゃないか、メグはすでに今の彼に心を奪われているよ。
彼女のピアノにはっきりと現れている」
「確かに、おまえの言う通りだな…」
ホールの隅で二人の会話を聞いていた健介は、いたたまれない気持ちになり会場を
抜け出した。音楽的なことは解らないが、演奏中に何度も見つめあう二人、男が
投げかける熱い眼差し、それに応える女の悦に入ったような表情・・・
それは確かに、愛し合う男女の姿以外の何ものでもない。
健介は男に対して激しい嫉妬を感じた。
* * * * * * *
イースター・チャリティーコンサートは大盛況のうちに幕を下ろした。
不幸な事故を乗り越え、左手のピアニストして復活しためぐみの演奏は絶賛され、
地元紙などに紹介された。同時にパートナーを務めたバイオリニストが、日本の
大企業の次期社長であることも大きく取り上げられた。
「それにしてもすげぇーなぁ… アルマーニのスーツでビシッと決めたイケメン
バイオリニスト、おまけに大金持ちの一人息子かぁー ケン、気をつけろよ、
うかうかしてたら、メグを寝取られるぞ!」
新聞に載った木戸崇之の写真と経歴を見ながら、ライアンが冷やかすように
言った。
「そうかもな… 俺、帰るよ」
淡々とした口調で言うと健介は席を立った。
「おい、待てよ、冗談だよ。まさか本気にしたわけじゃないだろうな?」
ライアンは慌てて後を追いかけた。
「どうしたんだよ、ケン? おまえ、近頃ちょっと変だぞ。メグとなんか
あったのか?」
ここ最近、元気のない親友を心配するライアンは久しぶりに金曜の夜の
“ハッピー・アワー” に誘い、男同士の時間を楽しむつもりだった。
「あるわけないだろ… やっぱ、今夜は帰るよ」
ライアンを残し健介は一人で店を出た。
腕時計を見るとまだ九時前だった。このまま真っ直ぐ家に帰る気がしなかった。
めぐみと顔を合わせるのがだんだん苦痛になっている。
彼女が自分からどんどん遠のいて行く気がしてならない。
「なんだケンだったなの。あたしを指名するなんて誰かと思ったら。
ここはあんたのようなエリートドクターが来る店じゃないよ」
営業用の濃い化粧と派手な衣装に身を包んだマリエは無愛想に言った。
「元気そうじゃないか」
「ああ、この通り食欲も性欲も全快さ!」
おつまみ用のピーナッツを頬張るとVサインを掲げた。
「そっちは元気なさそうじゃん。カノジョと喧嘩でもした?」
水割りを健介の前に置いた。
「木戸財閥の、御曹司か… 」
吐き捨てるように言うとグラスの酒を一気に流し込んだ。
「…なにがドクターだ、なにがエリートだ、そんなもん糞くらえ!
漫画本や弁当の万引きからはじまって、喧嘩、喝あげ、麻薬、挙句の果ては
危うく人殺しになるところをアメリカくんだりまで逃れてきた男、それが俺の
正体じゃないか!」
拳を握りしめドンとテーブルを叩いた。
「どうしたのさ、そんなに荒れて?」
マリエは心配そうに健介の顔を覗き込んだ。
「やっと… やっと、めぐり逢えたんだ、愛おしいと思える女に…
それなのに… 」
健介はボトルの酒を呷った。
「やめなよ、ケン! もう帰りな」
「おまえまで俺を見放すのかよ…」
虚ろな目でマリエを睨みつけた。
「いい加減にしなよ! 何があったか知んないけどさ、あんたは昔から
相手のことばっか考えて自分を犠牲にするようなとこがあったけど、
そんなにカノジョに惚れてるんなら、そんなに大事なら、どんなことが
あっても放すんじゃないよ。こんなとこでくだ巻いてないで、さあ、もう
とっと帰った、帰った」
マリエは健介からボトルを取り上げた。
店を出ると雨が降っていた。
めぐみと一緒になろうと決めた時、彼女の過去などどうでもいいと思った。
心のどこかで彼女の過去も自分と同じように暗く悲惨なものだと決めつけていた。
いや、むしろそうあってほしいと願っていたのかもしれない。だが、現実は
そうではなかった。めぐみには結婚寸前に引き裂かれた富豪の恋人がいた。
記憶を失くした今でも、健介の理解の域を超える感性という世界の中で二人は
強く結ばれている。そこには自分の入り込む余地などない。
冷たい雨に打たれながら健介はどこ行く当てもなく歩き続けていた。




