21.過去との再会(2)
コンドミニアムの中上階にあるベンチに座り、めぐみは夜空を眺めていた。
この階にはコンド住人の共有スペース、クラブハウスがある。
夏は夜になってもプールやジャクージ、バーベキューグリルなどを利用する
住人で遅くまで賑わうが、この時期はまだひっそりと静まり返っている。
健介を愛していながら、タカユキの才能に魅了され心が奪われていく自分を
どうすることもできない、涙が頬を伝わる。
「こんな時間に一人で、星空見物?」
「あ、先生…」
耕平に気づくとめぐみは慌てて目頭を押さえた。
「彼は当直? それとも、犬も食わない何とかってヤツかな?」
めぐみの横に腰をおろし夜空を見上げた。
「先生は、嘘をついたことありますか?」
めぐみはベンチからすうっと立ち上がり手すりに両肘をついた。
「ある、ある、数えきれないくらいにね。嘘ついたことのない人間なんて
この世の中に、まずいないだろうな」
「そうね、人間って、狡くて、自分勝手で、欲張りで… 同時に二人の人を
平気で好きになったりして、ほんと、嫌な動物…。」
耕平に背を向けたまま、めぐみは呟いた。
突然、下の路上で車が急ブレーキを掛ける音がした。
すぐに遠くからけたたましいサイレンの音が鳴り響き、近くまで来るとピタッと
止まった。真下を覗くと救急車の赤いランプが点滅し怪我をした子供が運ばれて
いく。傍らで必死で子供の名を呼ぶ母親らしき女の姿が見える。
その様子をじっと見ていためぐみが急に両手で耳を塞ぎ地面にしゃがみ込んだ。
何かに怯えるように小刻みに震えている。耕平は彼女の身体を抱き起した。
「亮! 亮を助けて、お願い、亮!亮!… 」
耕平の腕に抱かれたまま泣き叫ぶように亮の名前を繰り返す。
「大丈夫、亮は大丈夫、心配しなくても大丈夫だから…」
耕平は子供をあやすように背中を擦り続けた。
「私がいけないの、亮を一人にして。亮を助けて、お願い、亮を…」
亜希は苦しそうに頭を抱えた。
たった今目にした光景が、彼女の中でずっと眠っていた我が子の事故の記憶を
呼び起こした。亜希の脳内は今必死で過去の記憶を取り戻そうとしている・・・
「耕平さん…」
暫くして、ぽつりと口にすると、深い眠りから覚めたように耕平の腕の中で
虚ろに宙を見つめた。
「…亮は、あの子は死んだのよね…」
哀しそうに亜希は再び目を閉じた。
涙で濡れた長い睫が震えている。
「思い出したんだね?」
亜希は小さく頷いた。
「私… 亮のところへ、亮とタクのところへ行くつもりで……。」
崇之のもとを去った後、亜希は死を決意し成田からワシントンへ旅だった。
あの日、桜が満開のポトマック川の畔、拓也からプロポーズされた想い出の場所
へ向かう途中あの事故に遭った。
「私は、また同じ過ちを繰り返そうとしているのね… ケンを愛しているのに、
木戸君のことを…」
声を詰まらせ耕平の胸に顔を埋めた。
「いいか、亜希、俺がこれから言うことを良く聞くんだぞ…」
小さな子供に言い聞かせるように耕平は切り出した。
「成瀬亜希は、もうこの世には存在しない、めぐみとして生まれ変わったんだ。
過去のことは忘れてケンと正式に結婚し、これからは有賀めぐみとして幸せな
人生を送るんだ。彼は君のことを心から愛しているよ。だから、今すごく
苦しんでいる。木戸さんにも彼のことを愛している奥さんがいる。
誰かを傷つけたり苦しめたりして手に入れた幸福なんて本物じゃない。
そんなもの決して長続きしない。そうだろ?」
亜希は静かに頷いた。
「…人間は嘘つきで貪欲でどうしようもない動物かもしれない。だけど、
人の心を思い遣るために嘘をつくことができる優しい生き物でもある。
ケンには木戸さんとの過去のことは一切話さず、このまま彼と二人で新たな
人生を築いていくんだ。俺が不幸にした分、君にはどんなことがあっても
幸せになってもらいたい」
耕平は亜希の身体をぎゅっと抱きしめた。




