第90話 上層
ここからエイルたちの視点に戻ります。
ラストスパートです。
迷宮攻略は予想以上に順調だった。
ほぼ一直線に五十層まで攻略し終え、感覚を掴んだ所でイーグに五百層近辺にあるという木の洞へ案内してもらう。
さすがにそこでのモンスターの強さは激しいものがあり、一時的に攻略速度が鈍ったりもしたけど、今では普通に蹂躙できる程度には慣れた。
「おらおらおらおら――」
ボクボクと連続する打撃音にはじけ飛ぶ首。
わたしの強力なパンチに耐え切れず、弾け飛び、捻れ、捩れ、そして戻ってきた所をまた殴り飛ばされる。
その数、八つ。
「うわぁ……なんていうか、うわぁ……」
「ヒュドラもさすがにあんな目に会うとは思わなかっただろうね」
「オヤビンってば外道」
今わたしの前に立ち塞がっているのは、陸生に適応したヒュドラだ。
シタラで出会ったヤツは足の部分がヒレになっていたけど、コイツはブットイ四足歩行の形をしている。
なぜクト・ド・ブレシェを使用しないで、拳で戦っているかと言うと、こいつの生態のせいである。
切り落としたら生え変わってくるのなら、切り落とさなければいいじゃない。
そういうわけで、撲殺に挑戦することにしたのだ。
「エイルって基本頭は悪く無いと思うんだけど……どっか思考の方向性が斜め上だよね」
「そういう所は実にユーリ様の子孫っぽいねー」
「素直に焔纏使えよ。何のために仕込んであるんだよ」
「とりゃー!」
メキョ、と嫌な音を立てて、ヒュドラの首が体の中にめり込んだ。
頭蓋が砕け、目や口から血を流し、崩れ落ちる。
他の首もすでに力なく垂れ下がり、すでに息をしていない。
「おわった、かな?」
「もう少しスマートな戦い方は無かったものか」
「いいの。勝てば官軍なのだ」
ズルリ、と迷宮が脈動し、ヒュドラの死骸を取り込んでいく。
この迷宮ではモンスターの死骸はほとんど残らない。全て世界樹が取り込み、再利用してくるのだ。
そしてモンスターを動かしていた魔石だけが、その場に残される。
これをギルドに持ちこむと、そこそこの額で買い取ってもらえる。
素材を剥ぎ取る場合、迷宮に取り込まれる前に剥ぎ取らねばならない。
そのため獲物が大きくなると、剥ぎ取りにも技量が必要となってくるのだった。
魔石は様々な魔道器に活用され、高値で世界に流通することになる。
魔石の他にもモンスターの部位なんかが残されることもある。これらを加工して装備を作ることも可能だ。
こうして独特の経済を発展させてきたのが、ここベリトの世界樹迷宮である。
「さすがにヒュドラクラスの魔石は大きいね」
「お肉、食べたかった」
「まだ異空庫に残ってるでしょ……」
確かにまだ肉の在庫は残っているけど、目の前で消えられると『もったいない感』が発生するので仕方ない。
今更だけど、異空庫に取り込んでおけばよかったかな?
「それにここからまだ百……えーと、八十二層だっけ? 残ってるんだから、荷物は少ない方がいいよ。いくら異空庫があるって言ってもね」
「そりゃそうだけどー」
現在の踏破階層は五百十二層。
残り一か月あるから、一日二層のペースで充分間に合う計算だ。
今のわたしたちはアルマの育成などという余裕を一切見せず、わたしとイーグの前衛で敵をねじ伏せて進んでいる。
しかも、この迷宮内で急速に成長しているため、ヒュドラクラスのモンスターなんて雑魚に等しいのだ。
「それじゃ一旦五百十層まで戻って今日は野営しよう」
迷宮内ではいちいち地上に戻る余裕なんて無い。ましてや六百層の大迷宮である。
本来なら、一週間どころか、一か月単位で迷宮内に寝泊りする必要があるのだ。
そこで役に立つのが、五層おきに存在するボスのいる部屋。
一度倒すと出てこない上に、他のモンスターも寄り付かないため、安全な野営地として利用できる。
この高さだと他の冒険者もいないため、ボス部屋で夜営していても邪魔になることは無い。
「わーい、やっとごはーん」
スキップを踏むような足取りでイーグがクルリとUターン。
「――あ、きゃああぁぁぁぁぁ……」
そしてその場から消えた。
消えた足元には、大きな落とし穴が開いていた。先ほど調べた時には存在していなかったのに。
「なんで?」
「多分、さっきの捕食の時の鳴動とタイミングを合わせて、迷宮が変動したんじゃないかな?」
ヒュドラを取り込んだときの鳴動と同時に、落とし穴を生成したのか。
破戒神も結界を張るのと同時に落とし穴を作っていた。その時も結界に惑わされて落とし穴を見抜けなかったっけ。
わたしの角の魔力感知も万能じゃないってことだね。
「イーグ、無事か!?」
「アルマ、そんなに慌てなくても……イーグだよ? 無事に決まってるじゃない」
「いや、わかってても普通焦るだろ」
まぁ、これが普通の反応だとは思うけどね。まだまだ染まってないね、彼は。
「あー、死ぬかと思った」
そんなやり取りの合間にイーグが地上に戻ってくる。
穴の底を覗いたリムルが、『うげ』と呻いていた。
「どしたの?」
「穴の底、槍衾だらけだ。イーグじゃなかったら即死してたね」
「この槍、結構な鋭さだったよー」
イーグは起き上がって背中を見せる。そこには穴だらけになった服の下に血が滲んでいた。
彼女は人型に変身していても、ファブニールの時の防御力を維持できるようになっている。
その硬い防御を貫いてくるとか、どういう素材なのかと。
「ふーん……エイル、あの槍、回収できないかな?」
「使うの?」
「何かに使えるかも知れない。強度ならグランドヘッジホッグの毛針以上っぽいし」
これが先ほどの荷物を減らしておきたい理由の一つだ。
慎重派のリムルは何かにつけ、『役に立つかも知れない』という理由で“異空庫”にアイテムを突っ込んでくる。
水、樹液、枝に樹皮、他にもモンスターの素材が多数。
「らめぇ、異空庫の中、一杯でもう入らないよぉ」
「どこでそんな言葉覚えてくるの?」
「破戒神さまがよく言ってるんだって、イーグが言ってた」
「アレはダメな大人の一例だから、真似しちゃいけません」
「はぁい」
「ユーリ様ェ……」
イーグは口調とは裏腹に『してやったり』の表情をしている。
これはきっと悪い事を企んでいたな。
とにかくやたら硬い材質の槍を数本苦労して回収して、異空庫へ放り込む。
世界樹の材質を利用した槍なので、使い道はあるだろう。薪にはならなさそうだけど。
その後一直線に二層を駆け下り、迷宮内での夜営の準備を整えた。
換気の問題があるので、火は熾せないけど、その辺はわたしの異空庫が活躍してくれる。
前もって温かい料理を入れておけば、そのまま取り出せるからだ。
「はい、リムル。お茶」
「ん、ありがとう。でもポットのまま渡すのはやめようね?」
リムルに注意されたので、ポイポイとカップを手渡していく。
その後に今度は料理を取り出して夕食にする。
焼肉とか、バーベキューとか、ステーキとか……
「エイル、肉以外も出して。主に野菜」
「えー?」
お肉美味しいのに……野菜を要求するリムルに『意図が掴めない』と言う風に首を傾げてみせる。
毎日一杯動いているんだから、たんぱく質の補給は急務だよ?
「可愛らしく首を傾げても許さないよ」
「むぅ」
仕方ないのでサラダとドレッシングも出しておく。
後は主食のパンや米をさらに乗せて、スープ類も用意しておく。
リムルが迷宮に入る前にドラム缶ほどもある寸胴鍋で煮込んだものだ。
迷宮に入る食料を用意するなら、これくらいのサイズは必要になってしまう。
「わたしたちはいいんだけど、他の人達は一か月も潜る時はどうしてるんだろ?」
「ああ、それね。ゴーレムを使って大量の資材を運び込んでるんだって」
「それ専門の術者もいるって話だぜ」
わたしの疑問にリムルとアルマがすぐさま答えを返す。
この二人は最近特に仲がいい。ギルドに二人だけで出掛けて情報を集めてきたりしてる。
「ひょっとして、わたし……寝取られてる?」
「どうしてそうなる!」
「ごほっぐほっ!?」
わたしの発言にリムルが激昂しアルマが咽る。
「その慌てようが怪しい」
「怪しくないから! 本当にどこでそんな知識を集めてきたの!」
「エリーの書庫」
「エイルは図書館の出入り禁止ィ!」
「横暴!」
リムルの横暴な決定に、わたしは民主主義的立場を持って異を唱える。
『重要な案件は多数決を持って決定すべき』だと破戒神が言ってた。
もっとも、『最後の決定は誰がなんと言おうと自分で決めるべき』とも言ってたけど。
いつも以上にはっちゃけた雰囲気でその日の夕食を終え、寝床に着く。
こうしてテンションを上げて、気を緩めるタイミングを取っておかないと、後が続かないということを、この一か月で学んでいるからだ。
長く戦うというのは、上手く休みを取るという事でもある。
わたしたちは戦闘力に関しては確かに一流なのだが、冒険者としてはまだまだ発展途上だ。
常に気を張り続けるのは、さすがにできない。
「後一か月かぁ」
「大丈夫、充分間に合うよ。みんな頑張ってるし」
「うん」
そうだ、みんな頑張ってる。きっとアミーさんたちも頑張ってるはずだ。
こうやって気を抜けるわたしたちと違って、アミーさんやセーレさんは学院ではほとんど気を抜く暇が無いはず。
それに比べれば、きっとこっちの方が楽だ。
そう思い直して、目を閉じた。
翌日、夕方まで必至に頑張って三層を攻略する。
この日だけですでに四十キロほどの距離を歩き回っており、非常に疲労が溜まっている。
それでも目の前の扉を見て、退却することは考えなかった。
「ここが――五百十五層のボス……」
「もちろん、行くよね?」
ここまで来て四層を駆け戻るより、ボスを倒しきってその場で休んだ方が安全だ。
わたしは、そう判断する。
「勝てる……かな?」
「オヤビンたちならよゆーっショ」
イーグの気安い判断に、わたしたちは安堵の息を漏らす。
彼女の目は確かだ。勝てないとか、疲労が溜まって余裕がない時はそうハッキリと口にする。
「イーグが余裕があると判断するなら、行くべきなんだろうね」
「――ん」
小さく首肯してイーグを視線で促す。彼女も無言で扉に手をかける。
こういう扉を開く際に最初に行動するのは彼女の役目だ。
デタラメな防御力を持ち、反射神経があり、そして冷静で判断が乱れない。
そのイーグの左右をわたしとアルマが固めながら、部屋の中へと進んでいく。
背後で定番の閉門。
そして部屋の中央の空間から滲み出るように巨大な影が浮かぶ。
そこには一匹の狼が鎮座していた。
「グルルルル……」
こちらを見て、わたしの腕ほどもある巨大な牙を剥く。
全長は軽く十メートルを超え、白銀の毛はまるで銀細工の様。
「あれは……フェンリ――」
「えい」
「グギャン!?」
……先制など、させるものか。
わたしはこちらを確認し、威嚇してきた狼の反応を待たずに懐に飛び込み、クト・ド・ブレシェを一閃。
しかも焔纏と加速、身体強化・筋力、耐久を発動させ、魔力付与も行っての一撃だ。
これはイーグだって直撃すればただでは済まない。
一瞬遅れ、轟音を立てて風が舞う。
その音に乗って、狼の首も宙を舞った。
どさり、と首と体が地に落ちる。
わたしはリムルたちに振り向いて誇らしげに胸を張って見せた。
「ぶぃ」
「じゃねーわ、あほぉ!」
何が不満なのかアルマがわたしの頭を叩こうとするので、これを回避。
「俺の出番は!」
「ない」
「くれよ!?」
「やだ」
この階層になるとアルマでは少し心配なのだ。わたしがさっくり倒した方がいい。
「まぁ、エイルならこれくらいはするか……天下のフェンリル狼がこの有様とはね」
「ね、らくしょーだったでしょ?」
イーグの主張にリムルが溜息を吐く。
まぁ、多少身も蓋もない戦闘ではあったけど、これが今のわたしたちの力量なのだった。
今日はここまでです。
次は明日に。