第89話 始末
エルフ達が派遣した斥候はコール、ハウメアの両名を除いて四名。
この四名が四方を監視し、暗殺者の予備部隊を叩いていた。
積み上がった死体は九名にも及ぶ。
「地下に閉じ込めてるのも合わせて十一名か、結構本気で来てたみたいね」
「本気じゃないパターンとかあるのかよ」
「持久戦による衰弱狙いとかならあるぞ」
アミーの推測に反論を唱えたケビンが、あっさりとバルゼイに論破される。
リッテンバーグにも表立って動かせる人間に限りはあるだろうが、それでもこちらよりは人員は豊富だろう。
持久戦でこちらの精神を削ってくる手段も、戦略の一つだ。
「嫌らしい攻め方考えるな。そういうのは遠慮したいぜ」
「戦場では結構あることだぞ。魔獣相手ならあまり考えることは無いけどな」
「それで、この死体はどうする?」
九つの死体というのは流石に目立つ。このまま放置するわけには行くまい。
そこへ地下の様子を身に行っていたハウメアが戻ってきた。
「地下の連中、自害してたわよ」
「くっそ! さすがにそこら辺は手抜かりねぇな」
暗殺業に携わるならば、捕らえられた時点で情報漏洩を防ぐために自害することは、充分に考えられた。
さすがに地下室を開けるわけにはいかないので、ボディチェックはできなかったのだ。
「これで死体は十一か。大漁だな」
「皮肉か」
坦々と指摘するコール。表情が全く動いていないので、冗談なのか皮肉なのかの区別が付かない。
だが彼の指摘は事実だ。
十一人の死体を今夜中に処理しなければならない。一般市民に見られたら、問題になりそうだからだ。
「まぁ、九人分程度はリッテンバーグの屋敷の前にでも放置しておきましょ。警告にもなるでしょ」
「それに、そういうのが人目に付けば大っぴらには動けなくなるわね」
顔色一つ変えず、大胆な提案をする女性陣に男たちの腰がやや引ける。
「ってか九人? 残り二人はどうすんだよ?」
「氷結の魔術を掛けて保存しておくわ。リムルが帰ってくれば、蘇生すればいいのよ」
「その後、拷問からの自白ね。リムル君が居れば多少の怪我は治せるし、自殺を選んでも生き返らせれるから、無茶できるわね」
ハウメアの冷酷な宣言に、コールが二歩後ずさる。
ケビンとバルゼイも、これにはドン引きである。
この夜エルフたちによってリッテンバーグ邸の門番が気絶させられ、門前に九人分の死体が投げ捨てられているのを、街の住人が目撃することになる。
これが衛兵詰所に知らせられたことで、屋敷に監視が付いたのは計算通りと言えるだろう。
太った男が手に持った杯を控えている老人へと叩きつける。
「失敗しただと! しかも死体を突き返してくるとは……ガキ共が、馬鹿にしおって!」
「此度の一件、衛士に知られ、屋敷に見張りを付けられております。しばらくは身動きが取れぬかと」
「知るか! 下級兵士程度どうとでもなるわ」
男の名前はオーランド・リッテンバーグ。現リッテンバーグ家当主である。
杯を頭部に受けた執事は、流れ落ちる血を拭いもせず、深々と頭を下げる。
「しかし、大事な立太子の儀の直前でカークリノラースの跡継ぎまで消えるのは、いささか不審を煽るのでは?」
「エリゴールの放蕩娘が、まだのうのうと生きておるという既成事実を積み上げているだけで、問題があるわ!」
異国で死亡したのならば、事故なり何なり工作はできた。
だが彼女はまだ生きていることになっているのだ。
いや、オーランドとて死亡の報告に対しては、懐疑的になってきている。刺客が嘘の報告をしたのでは無いか、と。
本物かどうか分からないエリーが、目の前をうろついているのだ。まるで挑発するかのように。
確実に抹殺しておきたい彼としては、気が気では無いだろう。
「至急人を集めて、再度刺客を送れ。今度こそエリゴールの首を持って来い」
「お待ちください、レアフほどの手錬はそうおりませぬ。それに臨時で雇えばどこからか話が漏れるやも――」
「貴様はこの私に、座してあの小娘が王位を継ぐのを指をくわえて見ていろとでも言うのか!」
もはや正気を疑うほどにヒステリックな声を上げるオーランド。
顔は紅潮し、首周りの余った肉がブルブルと震える。
それを目にして老執事はおとなしく一礼してから部屋を出ることにした。
これ以上言い募ると、自分の首が――命すら危ないと判断したからだ。
「それにしても、レアフ・ジェンドを退ける冒険者か。ヤツ以上の手錬を探すのは骨が折れる」
レアフは対人戦闘に特化した、いわゆる剣士と呼ばれる類の人間だった。
あらゆる手段を使って敵を倒す暗殺者とは違い、ただ剣の腕だけを追い求めた剣士だ。
故に人相手に正面からの戦いでは、そうそう負けることは無い。だがそれ以外の要素が絡んだとしたら?
「しかも十一人をまとめて返り討ちか。バルゼイの守護……いや、ケビンという男、噂通りの腕らしい」
そんな護衛たちを抜いて、エリーもしくはその影武者たるセーレを倒さねばならない。
難題に一つ溜息を吐いて、老執事は使いの者を呼んだのだった。
人集めには、さらに二週間を費やした。
口の堅いならず者というのは、そう簡単に見つかるものではない。
ましてや、事が貴族がらみの暗殺ともなれば、うっかり口を滑らせただけで、こちらが致命傷を負いかねないのだ。
老執事が集めた人数は十五人。
本当はもっと多くの人間に声を掛けていたのだが、なぜか数人が行方をくらませていた。
姿を消した者には依頼の詳細を語っていなかったので、大勢に影響はないはずだが、何かキナ臭い物を感じてはいた。
その日、老執事は自らの姿を隠して暗殺者たちに向かい合う。
念のため姿を隠してはいるが、腕の立つ連中ほど隠しきれる物ではない。
おそらくは数人は、こちらの正体に気付いているはずだった。
それでも建前として、こういった処置は必要である。
「ではこれが前金になります。残りの三分の二は首を持ってきたら支払いましょう」
「ふん、最後までツラは晒さねぇか。気に入らんな」
「お互い、知らぬが幸福ということもあるでしょう」
数十枚の金貨が詰められた、小さな袋をそれぞれが手に取り、薄暗い部屋を抜け出していく。
この後、別の場所に再集合して攻め方を相談する手はずになっている。
そこに依頼者は必要ない。
老執事はならず者との交渉を終え、馬車へと乗り込んだ。
このまま市街を遠回りして屋敷へと戻らねばならない。後を着けられるような真似はしてはならなかった。
これで明日の夜、この地下室へ首尾を確認し、成功報酬を支払えば仕事は終わる。そのはずだった。
「どけ、貴様なにをしている!」
突如馬車が停車し、御者が大声を張り上げている。
内密に事を済ませねばならぬというのに、目立つ罵声を上げる御者に、執事は顔をしかめて見せた。
「騒々しいぞ、何があった?」
馬車の小窓を開いて、御者に問いかける。
雇い主の不機嫌そうな声に、御者は背筋を正して答えを返す。
「へぃ、男が一人、道を塞いでやがるんでして――」
言葉が終わる前に、御者の姿が掻き消える。
数瞬遅れて壮絶な衝突音が、街道脇の壁から聞こえてきた。
そして乱暴に馬車の扉が開かれる。いや、もぎ取られる。
そこには背の高い壮年の男が立ち塞がっていた。
「お前だな。俺の顧客にしつこく手を出しているのは」
反論を許さぬ断定的な口調。
何よりも男の放つ威圧感が、口を開くことも許さない。
「な、なん――ひぃ!?」
有無を言わさず馬車から引きずり出される執事。
そして目にしてしまう。御者の男がどこに行ったのかを。
彼は道沿いの廃屋の壁に張り付いていた。いや、めり込んでいるという方が的確か。
どうやってその状況になったのかは、考えるまでも無い。
自らの胸倉を掴む男の拳が、真っ赤に血塗られているのだから。
「お前をここで潰しておくのは簡単だが……ふむ、それだと害虫の頭に逃げられるかも知れんな」
ひょいと、まるで挨拶でもするかのように手を上げる男。
ただし、その手は執事の胸倉を掴んでいる。
年老いたとはいえ、体格の良い老人である。体重は六十キロを軽く超えるだろう。
それなのに、全く重さを感じさせること無く持ち上げて見せたのだ。
「帰ったらお前の飼い主によく言い聞かせておけ。これ以上俺の顧客に手を出すことは、このハスタールが許さん、とな」
そう言って、開いた方の手を軽く馬車に叩きつけた。
微かに魔力を帯びたその拳は、軽々と馬車を捻り潰す。
粉々に砕けるのではない、吹き飛ばす訳でもない。まるでひしゃげるかの様に、その場で潰されたのだ。
馬を繋いでいた牽引索が一瞬で引きちぎられ、急に解放された馬が不思議そうな顔をこちらに向ける。
馬ごと薙ぎ払うのではなく、馬車だけに限定して破壊力を発現させたのだ。
「ひぃあ……」
「理解したな?」
「あ、あぅ……で、ですがすでに……」
すでに刺客は放ってしまった。
それがこの男に知られるのは危険だが、手遅れである事を知らせねば、再び来襲してくるかも知れない。
先の一撃で、それは自分の死を意味する事を、執事は思い知った。
だが、ハスタール――風神と同じ名を名乗る男は意に解する風でもなく、鼻を鳴らす。
「……面倒だが、そっちはこちらで始末しておく。別に、殺しても構わんのだろう?」
「は、はいぃ!」
有無を言わさぬ、圧し掛かるような重いプレッシャーに、執事の股間が生暖かく湿る。
――もうダメだ、自らの主人はとんでもない相手を敵に回してしまった。
詰みだ。完全に詰んだ――そう判断した執事は、一刻も早く主人に事の次第を知らせ、そして退職する意思を固めた。
肯定の意を表したにも拘わらず、男は手首を軽く捻る。
それだけで襟元が的確に締め付けられ、頚動脈を決められる。
一瞬にして遠くなる意識。
執事が再び目を覚ました時、路上には瀕死の御者と壊れた馬車の残骸だけが残されていた。
男たちは依頼人と別れ、別所で襲撃の手はずを整える予定だった。
相手は四人。青ランクの冒険者であるバルゼイとケビンは難敵だが、四倍近い手勢で攻めればどうとでもなる。
成功すれば前金も合わせて金貨二百枚。あまりにも容易い仕事に思えた。
打ち合わせを終え、解散しようかと言う段になって、部屋の扉が乱暴に開け放たれた。
開かれた扉の向こうには背の高い男の姿――ハスタールだ。
「誰だ、テメ――」
「ごきげんよう、諸君。そして死ね」
問答無用の宣告。
直後に展開する数え切れないほどの魔法陣、そして放たれる真空の刃……その数軽く百を超える。
無詠唱、並列起動、そして精密誘導。
真空の刃は室内を傷付けることなく、一発たりとも的を外すことなく、的確に男たちを斬り刻んでは消えていく。
扉が開いて僅か数秒。
室内に残されていたのは、何発もの風刃を受けて細切れにされた死体だけだった。
宴まで一週間を切った。
リムルたちはまだ戻らない。
だがケビンたちは安心している。あのリムルが、エイルが約束を違えるはずは無いと。
その日も夕食を終え、警戒の探信を放ってからお茶を嗜む。
一人だけレモン水を啜りながら、アミーはポツリと呟いた。
「おかしいわね。もう一、二回は無駄な足掻きがあると思ってたんだけど……」
今日も夜に後1本予定しています。