第05話 予定
気がつけば朝になっていました。
「これはつまり……ご主人との打ち合わせの最中に寝てしまった、と?」
主とのミーティングの最中に寝るなど、奴隷としては言語道断の出来事。
厳しい人だと『役立たず』として、放り出されてもおかしくない。
奴隷が主の庇護を無くすと言うのは、ほとんど死んだも同然の意味を持つ。
主を持たない奴隷と言うのはいくつか有るが、例えば――
解放奴隷。これは自力で自分の身分を買い戻した奴隷の総称。すでに奴隷では無いけど、便宜上そう呼ばれることは多い。
追放奴隷。これは主に不要と見限られ、捨てられた奴隷たち。主が居ないので、市民から好き放題扱われることになる。大抵は性奴か労働奴隷か、もしくは謎の肉になって餌になるか。
逃亡奴隷。これは主が何らかの手段で制裁を加えることが出来ず、主の元から逃げ出した者たち。大抵の末路は追放奴隷と同じになる。
自分を解放したもの以外は、まともに買い物すら出来ず、命の危険に常時晒されて過ごさねばならなくなる。
わたしとしては、そんな身分にはなりたくない。何とか機嫌を取っておかないと……
「と、とにかく……部屋の掃除とかしておいて、有用性をアピールしよう」
ご主人にわたしを解放する意思が無い以上、心変わりするまで、働き者のイメージを植えつけて、見捨てられないようにしないと。
部屋の隅に掃除道具が置いてあったので、毛足の長い絨毯の上の埃を掃き取り、窓を乾拭きしておく。
勉強用の机の上を整理し、ベッドメイクも整えて……おや?
「これは……?」
―― ベッドの下に何か本が落ちている?
もしや……お父さんが言ってた、『ベッドの下は男の聖域』とか言うアレかな?
ベッドの下からは、刺激的な格好をした女性の描かれた本が一冊出てきた。画集っぽい。
「ご主人も『男の子』と言う訳? どれどれ……」
色々思うところはありますが、わたしだって年頃だし、男性がどんな女性に興味を持ってるかと言うのは、やはり気になる。
床に座り込んでページを繰っていくと、ドンドン衣装が過激になっていく。
「これは……えぇ、こんなことを!? ふわぁ!」
気が付けば夢中になって先を読み進めていた。
そんな状態だったから、ドアの開いた音に気が付かなかった訳で――
「コラァ! 何を見ているー!?」
「えっ! あ、いや、これは……」
「返せ!」
物凄い勢いで駆け寄ってきたご主人に本を没収され、オマケにゲンコツを貰ってしまった。
「リムル様、いたい」
「あたりまえだっ! どっから見つけ出した!」
「ベッドの下」
「なぜ見た……いや、いい。とにかく、これは没収。以後この事実は忘れるように」
「えー」
「命令!」
「はい」
奴隷になって初めて受けた『命令』がこれかぁ。
それはそれとして……
「ところでリムル様」
「なんだ?」
「……巨乳派、なんですね?」
「忘れろって言ったぞ!」
ガリガリのわたしでは趣味に合わなかったのかぁ。良かったような残念なような?
というか、そっちじゃない。
「えーと……」
「今度は何?」
「その、昨夜は寝てしまって、すみませんでした」
「ああ、それに関しては別にいいよ。エイルも限界まで頑張って疲れてただろうし。話はどこまで覚えてる?」
「それが……ご主じ、いやリムル様が横に座った後の事はサッパリです」
うっかりご主人と呼びそうになって、慌てて切り替える。
けじめの為に、心の中ではそう呼んでたのが口に出そうになった。疲れが残ってるのかな?
「なら朝食の時にでも、もう一度確認するよ。下で用意してあるから、着替えたら降りてくるように」
「はい」
どうやら食事の用意までしてくれてた様子。使用人の立場が無いなぁ。
朝食は焼いたベーコンとトースト。それにコーヒーにサラダが付いていた。
卵は無いようだけど、完璧な出来栄え。
「これは……」
「ボクが作ったんだが?」
「よく野菜とかありましたね?」
旅の用意に野菜類も大量に購入していたけど、それは異空庫の中にある。
わたしが寝込んでいた以上、取り出すのは不可能なわけで。
「野菜は八百屋のカイエンさんが届けてくれたんだよ。朝一で」
「気を利かせてくれたんですね」
あの八百屋のオジサンはカイエンさんと言うのか。覚えとこ。
「エイルの様子が気になったって言うのもあったみたいだよ。後でお礼言いに行こう」
「そうですね」
席に着いて朝食を頂きながら、今後の予定を聞いてみる。
ベーコンの焼き加減が……絶妙。
「エイルにはまず、この家にある薬草やポーション類を異空庫に取り込んでもらう。後、調合道具とか、まあ色々」
「この家にある分、全部?」
「全部。長く家を空けることになるからね。一応管理は親戚に頼んであるけど」
「わかりました」
薬草やポーションは長く放置すると品質が落ちる物もあるので、異空庫の存在を知れば、中で保存しようとするのは当然かな。
わざわざ実家に戻ったのは、この為かな。
「次に……一週間掛けて、エイルには魔術の基礎を学んでもらう」
「え?」
「魔力付与のギフトがあっただろ。魔道具の作成に才能があるかもしれないから」
「リムル様が教えてくれる?」
「他に誰がいるんだよ」
「それはありがたい……でも、一週間は短すぎる?」
「一週間でもギリギリかもしれないんだよ。ラウムの学園の入試は一か月後だから」
ラウムまで徒歩だと二週間かかる。わたしの修行に一週間掛けたとすれば、時間的な余裕は一週間しかない。
天候の崩れや、余分な時間なんかも計算したら、確かにギリギリかもしれない。
「一週間、その間にその身体にも慣れておくんだ。慣れてないのに急に旅に出ると、余計に疲れるだろう?」
「あ、そっか」
旅と言うことは一日中歩き通しになる。足を引き摺っている現状だと、疲労は倍増してもおかしくない。
「それにエイルはちょっと痩せすぎだしね。筋力はともかく、体力を取り戻してもらわないと」
「ちゃんと食べれば、普通に戻る。多分」
山に居た頃から、痩せ過ぎとはよく言われてましたけど、体力は自信あったし。
「とにかく……リハビリがてら、朝はランニングしてから、午前中に魔術の勉強をしてもらう。午後は剣を練習してもらおうかな」
「剣……?」
「身体を慣らすには丁度いいだろ。剣を振るたびに治癒術を使うのは効率が悪い」
「確かに、自分がどこまで動けるかは確かめないと」
「戦いの経験も無いって言ってたし、武器を持った動きって言うのは、また特別な物があるらしいからね」
「下手なことしたら、自分を斬りかねない?」
「そういうこと」
「まあ、今日はまだ病み上がりだから、ゆっくりしてていいよ。午後からはカイエンさんの所に行くけど」
「お礼、ですね」
「セクハラ紛いの発言でからかわれそうだけどね……」
ご主人、あのオッチャンが苦手なんだなぁ。
食事が終わった後は、働き者アピールのために家中を掃除してまわることにした。
今日は朝から失敗続きだし、点数稼ぎしておかないと。
この家の一階は診察室とロビー、それに入院用の大部屋と食堂がある。
裏手には風呂も用意されているので、家の大きさのわりには設備は整っている。
二階にはご主人の部屋と、亡くなった夫妻の部屋。後は魔術書や医学書が保管されている書斎。
地下室もあるみたいだけど……
「ご主人、地下室の扉が開かない」
「ああ、そこは……危険な薬品とか保管してあるから、封印が掛けてあるんだ」
「封印?」
「ここは施療院だからね。麻酔とか、悪用されたら危険な薬も多いんだ」
「なるほど」
「それより、午後からカイエンさんのところに寄った後に買い出しに行くから、掃除も適当なところで切り上げるように」
「まだ買うの?」
ベリトで散々買い物したのに、まだ足りないのかな?
「なに言ってる。エイルの剣、壊れたままだろ。新しいの買わないと」
「あ、そうだった」
あれだけ粉々に砕けると、修理とかはまず無理っぽい。
左腕の腕力に釣り合う剣となると、選ぶのに時間かかりそうだし。
「この町はトロールの襲来があったばかりで、武器も人も足りて無いからね。時間は余分に取っておかないと」
「被害、大きかった?」
「結構ね。衛士隊は半壊。治癒術師も父さんを含め何人も犠牲になったし、武器もいくつも壊された。鍛冶屋のおじさんも被害にあったから、生産が追いつかないんだ」
「鍛冶屋さんが居ないなら、武器無いんじゃない?」
「子供が跡を継いだんだよ。まだ腕は不安だけど」
「不安なのかぁ」
「無いよりマシさ」
そうかな? この腕だと爪で殴りかかるだけでも、結構な凶器になりそうだけど。
でも、護衛としての押し出しは必要かな? 威嚇とか、必要な時もあるかもしれない。
「そういえばリムル様の武器は?」
「ボク? ボクが武器持って何しろってのさ?」
「自衛とか?」
「できるわけ無いだろ。子供とケンカしても負けるのに」
「そんなの、自慢気に言わない」
どうしてウチのご主人はこう……要所で残念なんだろう。
「でも、危ないよ?」
「鎧着てるから大丈夫さ。この胸甲、家宝なだけあって見かけによらず頑丈なんだぞ」
ご主人は変な模様の刻まれた胸鎧をガンガン叩く。
角に微妙に反応あるところから、あれマジックアイテムっぽい。さすがは治癒術師の名家、と言うところか。
「んじゃ、そろそろ出かけるから着替えておいで」
「はい」
別にこのままでも……と思ったけど、首輪や翼を隠さないといけなかったんだ。
カイエンさんにお礼を言ってから、武器屋のバーンズさんの所に寄る。
武器屋といっても、武器はほとんど無くなっていて、ガランとした印象を受けた。
「おう、リムル。町に戻ってたのか?」
「ええ、昨日」
「お前も町を出る時は挨拶くらいしていけよ。親父さんを亡くしたばっかだったから、俺焦っちまったよ」
気安くご主人と話をしているのは、二十歳を超えた年頃のお兄さん。
結構なイケメンでモテそうなのに、なんだか話し方が荒いのが残念。
「今度は寄らせてもらいます。それで今日は彼女に武器を買おうかと思って……」
「彼女だと!」
「そこに反応するんですか? 言っておきますけど付き合ってるわけじゃ無いですからね」
「なんだ、違うのか」
「彼女は護衛です、護衛!」
「リムルもついに春が来たのかと思ったんだがなぁ」
「ボクより先にバーンズさんでしょ」
「鍛冶屋には出会いが無いんだよ。俺はもう諦めた」
「早っ!?」
バーンズさんはご主人との会話を一通り楽しんだ後、わたしを一瞥してきた。
「ちょっと……いや、かなり細いけど、剣持てるのか?」
「こう見えて豪腕ですよ、彼女」
疑惑の視線を向けてきたので、壁に掛けてある斧槍を左手一本で振り回してみせる。
狭い店内だから、あまり派手には動かせなかったけど、筋力は示せたはず。
「す、すっげぇな」
「でしょう? できれば扱いやすい剣を持たせたいのですけど」
「剣かぁ……今、品薄なんだよな」
「ですよねぇ……店内見れば、なんとなく察しは付きましたけど」
「ああ、そうだ。あれがあったな!」
一言叫んで、バーンズさんは奥へ引っ込んでしまいました。
ご主人と顔を見合わせ首をひねっていると、一本の大剣を持って戻ってきた。
両手で抱えきれないほどの、巨大な剣。それを一人で持っているところから見ると、軽量化の魔術が付与されているかもしれない。
「ウチの家宝なんだけど飾っておくだけだし、リムルに貸し出してやろう。売りモンじゃなくて悪いけどな」
「家宝を貸し出しって……悪いですよ!」
「まあそういうな。剣ってのは使われてナンボだ。今のままじゃ壁の花と大して変わらん」
「そうは言っても……」
「帰って来た時に返してくれれば、それでいい。弟分への餞別ってことにしとけ」
「……ありがとう、ございます」
わたしは彼から剣を受け取り……驚愕しました。
「これ、魔剣?」
手に取っただけでわかる、凄まじい魔力。見てるだけで吸い込まれそうな剣身。
武器に無知なわたしでもわかる、業物だ。
軽量化だけじゃない、頑強の他にもいくつか付与されているっぽい。
「こんなすごい……いいの?」
「かまわん。それでリムルを守ってやってくれ。こいつは身体が弱いからな」
「は、はい!」
わたしは新たな大剣を背に負い、身の引き締まる思いがしました。