第73話 襲撃
ガキンという激しい金属音に、女性と思われる悲鳴。それがスラムと呼ばれる一帯に響き渡る。
こういう争いが頻繁にあるのか、周囲の民家らしき廃屋から人の顔が出てくることは無い。
とにかく、それがエリーの物かどうかはわからないけど、この際手掛かりは何だって欲しい。
「エイル、行ってみよう!」
「うん!」
もしあの争いの音がエリーだとすれば……早く行かないと間に合わない。彼女は運動が苦手なのだ。
音を頼りに、夜の街を駆ける。わたしの速度にジリジリとリムルが引き離されていく。
「ボクはいい。エイル、先に行け!」
彼もその差を実感したのか、わたしを先行させる指示を出す。
この路地裏にリムルを放置するのも心配だけど、当面危険があるであろう声の方が優先だ。
音だけでは詳しい場所がわかりにくいので、翼を広げて空へと舞い上がる。
屋根や張り出したバルコニー等で上から見下ろしても見通しは悪く、発生源が特定できない。
それでも通りに出て、きょろきょろと不審気に辺りを見回している人影は発見できた。音の発信源も、おそらくは近い場所だ。
わたしは急遽、その人物の前に舞い降りた。
「そこ、動くな!」
「うわっ、あ、お前――!?」
「んぅ?」
その人影は見知った顔だった。
この半年の間、ほぼ毎日見かけたと言っていい。そういえば、こいつも行方がわからなくなってたっけ?
「アレフ、どうしてここに? 先生達が捜してたよ」
「な、何しに来た! ここには何も無いぞ、帰れ!」
会話が繋がっていない。それに、あからさまに怪しい挙動。
視線も泳いでいるし、さっきからきょろきょろと挙動もおかしい。
「なに、隠してるの? わたしはこの先に用があるんだけど」
今もどこかで響く剣戟の音。それは紛れも無く、この先から聞こえてくる。
「お前には関係ないだろ、さっさと――」
「そこをどけぇ!」
狭い路地で身体を張って遮ろうとするアレフ。
リムルの同級生だから手荒な真似はしたくないけど、もしこの先にエリーがいるのなら、問答してる暇なんて無い。
強引に壁に押しやり、罷り通る。
その時――奥の様子が変わった。
「きゃ――ごふっ」
「あ、え……エリー!?」
聞こえてきた声は、エリーとセーレさん。
「くそぉっ!」
判断ミスだ、アレフに時間を取られすぎた!
後悔に苛まれながら、路地裏を駆ける。
最悪の展開を予想し、間違いであって欲しいと願い、その路地の角を曲がる。
そこには……胸に剣を突き刺され、地に倒れ伏すエリーの姿と、いつか見た男と斬り結ぶセーレさんの姿があった。
「……あ………」
エリーは魔術学院の生徒だ。
その身には、もちろん相当量の魔力を抱え込んでいる。
「ああ…………」
そして、わたしの額の角は、魔力を検知する機能のあるその部位は……その魔力が霞の様に霧散していくのを――明確に、残酷なまでに、知覚していた。
「う、あぁ……ああぁぁぁぁぁ!?」
そばに敵がいることは理解していた。
セーレさんが斬り結んでいることも理解していた。
それでも、わたしはエリーのそばに駆け寄るのを止められなかった。
「り、リムル――」
剣は完全に胸を貫通し、その位置は的確に心臓を射抜いている。
一目でわかるほどに、致命傷。
「たすけ……リムル、助けて! エリーが、エリーが死んじゃう!」
自分でも信じられないくらい、取り乱した声。
敵を前に武器を取り出すこともせず、セーレさんの危機を援護することもせず、わたしはひたすらに泣き喚いた。
自分で叫んで笑い出したくなってしまう。わたしの中の冷静な……冷徹な部分が明確に告げてくる。
すでに手遅れだ。彼女はもう死んでいる、と。
それでも、叫ばずにいられなかった。
リムルが来ればきっと助かる。救ってくれる。そう信じたかったから。
「――エイル!?」
わたしの声に応えるかの様にリムルが姿を現す。
彼は状況を確認すると、真っ先にわたしの場所へやってきた。
「エイル、ここはボクに任せて。アイツを……追い払ってきて」
そう言われて、初めてわたしは『その男』を意識に乗せた。
ここへ来た当日に、宿の階段ですれ違った男だ。ケビン並の力量を持つと判断した、腕利き。
セーレさんは必死に防戦していたようだが、やはり及ばなかったのか、身体のあちこちに傷を負っている。
左腕はだらりと下がったまま、ピクリとも動いていない。
「……おまえが…………」
「チッ、邪魔者が入ったか」
「――お前が……」
怒りが、意識を埋めていく。
異空庫から、クト・ド・ブレシェを取り出す。セーレさんにばれても関係ない。気にしない。
この男を――
「お前が、エリーを……!」
――殺せるのなら!
一瞬で全身に魔力付与を施す。状況なんか知ったことか、力任せの斬撃を男に向かって浴びせかけた。
「素人が――」
この狭い路地で、クト・ド・ブレシェの様な長物は取り回しに困る。
男の予想通り、刃先は壁に引っ掛かり、勢いを削ごうと反発する。わたしはそんな障害を物ともせず、怒りのままに得物を振り下ろした。
クト・ド・ブレシェはまるでチーズの様に壁を切り裂き、いや、引き裂いて男に迫る。
「――なにぃ!?」
壁を切り崩しながら、些かも勢いを殺さぬ一撃に、男が驚愕の声を上げる。
それでもその斬撃を手に持った小剣で受け流す辺りは、やはり腕が立つのだろう。
壁すら斬り崩すわたしの一撃を、咄嗟に受け流した所からも、腕前の程が窺える。
「お前があぁぁぁぁぁ!!」
その後も闇雲に、がむしゃらに斬りかかる。
一振りごとに左右の壁は切り崩され、地面を砕き、薙ぎ払う。
「くそ、コイツ……技もクソもねぇくせに力だけで押し切ってきやがる!」
「ああああぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
わたしの声はすでに言葉にすらなっていない。
男の命を絶つために、ひたすら武器を振り、追い詰める。
「ち……目的は果たしたんだ、ここは引かせてもらうとするか」
まるで駄々っ子のようなわたしの猛攻に辟易したのか、男は小さな小瓶をわたしに向かって投げつけてきた。
もちろんまともに喰らうようなわたしじゃない。咄嗟に躱して反撃に移ろうとするが、背後で瓶の割れる音と共にリムルの叫びが聞こえた。
「ぐあぁぁ!?」
してやられた!
さっきの小瓶の目的は、最初から背後で治療に当たっていたリムルだ。
エリーを殺すのが目的なら、治療に当たる彼は邪魔な存在のはずだ。
「リムル!」
背後で目を押さえて蹲る彼に駆け寄りたかったが、目の前の男がそうはさせてくれない。
コイツはやはり腕利きだ。
戦闘に関してはケビンの方が一枚も二枚も上だろう。だけど、上手さでは足元にも及ばない。
隙を突く、弱点を見抜く、そういった点でわたしたちより遥かに上手い。
モンスター相手じゃない、人間と戦うことに特化した存在。それがこの男だ。
小さな突きで牽制を挟んで距離を取り、正対する。
男も無理に踏み込んでこずに距離を取り……そして逃げ出した。
「く……そぉ………」
エリーの仇を前にして、取り逃がした。それが痛恨の念となって、心に淀む。
「いや、今はそれより――リムル、大丈夫?」
「ああ、さっき解毒を掛けた。目潰しとはやってくれる」
「エリー、エリーはどうなんだ!?」
駆け寄ってきたセーレさんが、動く右腕だけでリムルに掴みかかった。
リムルはそんな彼女を見て、沈痛そうに首を振る。
「そ、んな……」
「ボクが駆けつけたときにはすでに……残念です」
その言葉を聴いて、目の前が真っ暗になった。
エリーが、死んだ? そんなの、まだ信じられない。
でも、魔力の反応は、冷酷なまでに存在しない。それがわたしの知覚力で判ってしまう。
「そんな、これから……これからという時に、なぜ……エリー」
崩れ落ちるように膝を付き、すすり泣く声を上げるセーレさん。
そこには日頃の明朗快活な姿は欠片も残っていない。
「手が――無い訳じゃない」
そこにリムルの声が重なる。
見上げると、彼は逡巡するような表情でセーレさんを見下ろしている。
「セーレ・カークリノラース。世界樹教の大司教の娘――」
「それが、なによ……」
彼が言いたいことは、わたしにもわかる。
それは彼女にとって、大きな決断を迫ることも。
「あなたは……エリーを助けるために、教義を捨てることが出来ますか?」
「……え?」
「全ての魂は、樹より産まれ出で、樹に帰る」
「……わたしたちの教えね」
「それを覆せるとしたら?」
わたしたちは、蘇生の術式を入手している。
今は障害があるから機能しない魔術。でも、数年以内には解決してみせると、破戒神が約束してくれた。
障害があるとすれば、それは彼女の……セーレさんの実家だ。
「そんなことが、できるわけ――」
「ボクは蘇生の術式について、研究しています。両親を、蘇らせるために」
「なっ!?」
「それが禁忌であることは重々承知しています。その上でもう一度問います。あなたはエリーのために、自身の教議を捨てることができますか?」
エリーを助けたければ、世界樹教という彼女の人生に密着してきた教えを捨てねばならない。
明らかな禁忌を犯すことは、大司教の娘である彼女にとって『家族を捨てろ』と宣言しているのと同義だ。
家族を取り戻すために蘇生を研究してきたリムルが、友を蘇らせるために家族を捨てろと迫る。
なんて……皮肉。
「私は……そんな……決められるわけが――」
「残念ですが時間がありません。今、ここで決めてください」
人が集まってくれば、彼女の死体は人目に触れる。
そうなればただでは済まない。
旅行中の学生、それも貴族が殺されたのだ。捜査の手は厳しくなるだろう。
そしてそんな状況になれば、遺体を保存するなんて真似はできなくなる。
今決めないといけないのだ。人が集まる前に、すぐにでも。
「セーレさん。エリーを……わたしは助けたい」
「エイル……」
「人目に触れれば、彼女の遺体を保存することはできなくなる。弔われては、蘇生なんて適わなくなる。今ここで決めてください」
セーレさんは一度顔を伏せ、そして上げた。決然とした表情で。悲壮な表情で。
「……わかった。家族を――捨てる」
「いいんですか?」
「今、このタイミングでエリーを失うわけにはいかない。そういう理由がある」
「事情は話してくれますか?」
「もちろんだ」
「……わかりました。エイル、エリーに氷結を掛けて保存する。異空庫に隠しておいてくれ」
「うん!」
リムルがエリーに氷結を掛け、二メートルほどの氷塊に変える。
わたしが即座に異空庫に仕舞いこむことで、現場には大量の血痕しか残らなくなってしまった。
それはこの貧民街では珍しい物ではない。
「とにかく一度宿に戻ろう。エリーのことは上手く言い繕って、先に帰ったとか処理しないと、騒ぎが大きくなる」
「そうだね。何とか誤魔化さないと」
続けてリムルはセーレさんの身体に快癒を掛ける。
動かなかった左腕に力が戻り、服以外は健康体へと戻る。
「その服は、ボクじゃどうしようもないですね」
「キミなら女物も似合うと思うけどね」
私がエリーを収納したことに驚愕していたが、それを後回しにしていつもの調子が戻って軽口を叩くセーレさん。
いや、そうでもしないと平静が保てないのか。
「そうだ、そこにアレフが居たので、彼の上着だけでも借りれば――」
「アレフ? ああ、『エリーを売れば上のクラスへ編入してもらえる』とか言ってた愚か者か」
「あいつ、そんなことを?」
「そんな都合のいい話、あるわけが無いのにな」
ともかくアレフと合流するべく角を曲がると……
そこにはアレフの死体だけが放置されていた。