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狭間の女  作者: 春田夏木
8/8

後編:男(2)

-8-


 約4か月ぶりの外の世界は大きく変わったように見える。

 運転席の後ろに座っている俺は、窓に張り付くようにして通り過ぎていく景色を見ていた。入院している間に季節は変わり、工事中だったところは完成していたり、またしても時間を飛び越えたような感覚になった。


 もちろん病室にいても季節感を忘れることはなかったが、それはほんの些細なことで、風が冷たいことと外に見える木々が寂しくなってきたとかそれくらいだった。

 だから車内からの眺めでさえ、こんなにも心を弾ませるのだ。


 タクシーが病院を出てからすぐ「どこ向かってるんだよ」と貴也が怪訝そうに言ったが「着けばわかる」と納得させた。しかしその場所に近付くにつれて貴也は顔を強張らせ、次第に不機嫌になり、今では俺と目も合わせようとしない。


「あのーもうすぐ着きますが奥まで入りますか? 入ったほうがいいですよね」


 遠慮がちながらもバックミラーでちらとこちらを見る。歩くのが不自由なのに気遣ってくれている。しかしほんの一瞬の沈黙があり、目が泳ぐ運転手。気の毒だ。軽く言葉を返して窓の外に視線を戻すと『霊苑』の文字が目に飛び込んできた。歩道には墓参りに来たと見られる人々が小さな列を成している。平日にもかかわらず墓地は賑やかだろうと推測できた。


 そろそろかと松葉杖を持ち、体勢を立て直す。浮かばない顔の貴也も、隣で財布を出し、降りる準備をしている。


 母親の墓参りがそんなに嫌かと問いたかったが、俺は握る松葉杖に力を込め、何も言わず外を眺めた。


「ありがとうございました」


 運転手の言葉と共に停車し、運賃を告げられる。

 貴也が無言で金を渡し、それから小声でお礼を言うと先に降り、俺が降りるのを待ってくれた。


 それからトランクの荷物を下ろし、運転手に心配されながら母の元に向かった。






 両脇に松葉杖を持っているとどうやら目立つらしい。

 すれ違いざまに二度見され、少し気まずい思いをしながら歩く。


「なんで退院した当日に墓参りなんだよ。安静にって言われてるだろ」


 ふいに口を開いた貴也は怒っていた。

 こうして機嫌を悪くする理由はなんとなくわかっている。この数年、仲は険悪だったがそれでも兄弟、生まれたときから一緒にいるのだから曖昧ながらもお互いを知っているのだ。


「死に目に会えなかったんだから許してくれよ」


 ため息交じりにそう言うと、貴也が目を伏せて歩幅を合わせるように横に来た。


「そんな体で行っても母さん心配させるだけじゃん」

「挨拶が遅れるほうが心配すると思うけど?」


 再び口を閉ざし、考える素振りを見せる貴也。


「こんなんだったら車椅子借りてくればよかったんだよ」


 貴也の言うとおりだ。俺は初めからここに来るつもりだったし、手配しておけば楽に墓参りができたはずだ。それでも俺は自分の足で行きたかった。


 ふたりとも無言のまま墓地を進み、やっとのことで両親の眠る墓に着いたときには、入口から20分も経っていた。普通なら5分とかからない距離だが、こんなにも大変だとは思っていなかった。完治するまでは20分前行動を心がける必要がありそうだ。


「あ……」


 何かを思い出したような貴也が俺を見る。なんだと訊く前に俺も声をあげる。


「線香ないじゃん」

「ごめん。来ることしか考えてなかった」


 苦笑いを返すと、貴也は大げさにため息をついてその場にしゃがみ込んだ。そのまま墓石に手を合わせる。

 俺はバランスを崩すと大事になりかねないのでそのまま目を閉じた。


 ――ありがとう。俺、もうしばらく生きてみる。貴也とも仲良くするよ。


 お経をあげることはできないし、そのうえ線香ですら忘れる自分に苛立ちながらも母を思うとそんなことはどうでもいいような気がした。


 目を開けると、下から見上げる貴也と目が合った。

 にこっと歯を見せて笑う貴也の表情で機嫌が直ったことがわかり、自然と心が温かくなる。どことなく母に似ている笑顔は、俺も一緒なのだろうか。


「兄貴って父さんに似てるよな」


 そうだった。俺は父に似て、貴也は母に似ている。小さいころから「ふたりは似ていないね」と言われて育ってきたのだ。


「それくらい知ってるって。昔からだろ」

「顔じゃなくて、なんて言うか……佇まいが、入院前とは別人みたいだ」

「なんだそれ」


 外から見ても俺は変わったようだった。確かに俺の心はどういうわけか綺麗さっぱり洗われたような気持ちなのだ。昔の自分――自殺しようとした――はどうかしていたんじゃないかと思うほど、今の俺は生に溢れていた。


「帰る? 今から戻ってもバスの時間まで余裕あるけど、することないし」

「そうだな」


 来た道を戻りながら考える。俺は確かに変わった。しかし同じくらいに貴也も変わっている。そういえば貴也はこんなに優しい奴だったな、と懐かしく感じる。そんな貴也と仲が悪くなったのは、嫉妬の塊だった俺の責任が大きいだろう。本当に情けない兄貴だった。


「――危ない!」

 

 ぼんやりしていたのと、来るときより道のデコボコや斜面に慣れたせいで左足がうっかり段差に引っかかった。


 大きな声にハッとし、こけると思ったとき、体が戻った。


「あ、兄貴?」

「……おおう。危ねえ」

「いや、まあ、気つけろよ」


 貴也は何か言いたそうだったが、気付かないふりをする。


 今の声は確かに沙織のものだった。

 声が貴也に聞こえたかどうかはわからない。しかし、あの前方に傾いた体が、不自然に何事もなかったように戻ったのは見えたはずだ。沙織によって支えられたとしか考えられない。


 姿は見えないし何の感触もなかった。

 それでも沙織が助けてくれた――直感的にそう思った。


 再び歩き始めると俺たちを取り巻くように風が起こった。


「うわ、何? 木枯らしかな」


 貴也がコートの襟を立てて、マフラーを巻きなおす。


 ――朋也さん。元気そうでよかった。


「え?」


 聞き間違いかと思った。すぐ横で沙織の声がする。


 ――わたし心配で、ついでに見に来ちゃった。


「ついでって……」

「兄貴?」


 ――だから、成仏のついで?


「成仏、すんのか」

「何言ってんだよ……」


 ――そう。中途半端に生きてたってしょうがないでしょ。やり残したことはないから。


「好きな人は」


 ――もういい。彼のこと、諦められたから。じゃあね。


 風が止むと同時に、喪失感が漂った。

 いるときは何も感じなかったのに、いなくなってからさっきまで存在していたことがわかるなんて……。


 元から霊感があれば彼女の姿を見られたのだろうか。一目会いたかった。

 彼女のせいで俺は妙な体験をしたが、彼女がいなければ俺はあのまま自殺して死んだだろう。

 沙織が成仏するということは、もう二度と会えない。


「ありがとう」

「兄貴……」

「よし、行こうか」

「大丈夫? やっぱり脳に異常あるんじゃ」

「ないない」


 本気で心配する貴也を笑い飛ばし、バス停に向かおうとして、その道の向こうに見覚えのあるベージュのパーカーに、赤いパンプスを履いた女がいるような気がした。しかしすぐに見えなくなる。

 そんなに俺は沙織に会いたいのか、一体何がそんなにおかしいのかわからないが笑みがこぼれる。


 ――バーカ。見えた? ねえ、見えたでしょ。案外やる気出せばできるもんだね。朋也さんに会いたいって想いと、朋也さんの会いたいの気持ちが重なったからかな?


「そうかもな」


 耳元で沙織の笑い声が聞こえる。


「両想いってわけだ」


 呟いたが、もう返事は返ってこなかった。


 これで彼女とは本当にお別れだ。俺の人生を救ってくれた彼女は、もうこの世にはいない。そして、同じように俺を救った母も……。

 心の中で固く決意する。

 薄く浮かんだ涙を貴也に気付かれないように拭いスピードを上げて進む。後ろから「もっとゆっくり」とか声を張り上げる弟にこれから世話になりそうだ。


「よろしくな」


いいわけではないのです。とても尻すぼみになってしまいました。早く終わらせたくて……。いいわけではありません。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。よければ感想等、よろしくおねがいします。

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