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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

聖遺の蒼穹 ―帝国の剣、その継承の記録―

作者: なるもん
掲載日:2026/01/04

第一章:凡庸なる剣の自覚


その日の風も、今日のように柔らかだっただろうか。


私が帝国騎士団の門を叩いたのは、もう二十年以上も前のことになる。


名門の家柄に生まれ、周囲からは「将来の将軍」と目されて育った。


しかし、私自身は早くから自分の限界に気づいていた。


剣術の型は美しく、座学の成績も優秀。


だが、戦場という生き物のように形を変える混沌を、力ずくでねじ伏せるような「天賦の才」が自分には欠けていることを、誰よりも私自身が知っていた。


家柄という追い風を受けて、私は若くして隊長クラスの地位に就いた。


部下たちは表向き私を敬ったが、その瞳の奥には「血筋だけの指揮官」への冷ややかな色が混じっているのを、私は敏感に感じ取っていた。訓練に明け暮れ、一生懸命に戦場を駆け抜けても、戦果はいつも中途半端だった。


そんな時、一人の新しい隊員が私の部隊に配属された。


彼の名はジェント。後に私の副官となる男だ。


彼は私とは対照的だった。家柄もなければ、騎士としての華々しい立ち振る舞いもしない。


だが、その瞳には戦場のすべてを透視するような、底知れぬ理知の光が宿っていた。


「隊長、先ほどの演習ですが、右翼の展開をあと三歩遅らせれば、敵の退路を完全に断てたはずです」


初めて彼と交わした言葉を今でも覚えている。


気さくで、よく話し、何より戦術について語る時の彼は、まるで盤上の駒を操る神のようだった。

私は彼を遠ざけるどころか、その才能に魅了された。私たちは夜遅くまで、戦術について語り合った。


「もし、この地形で敵がこう動いたら?」


「それなら、あえて中央を薄くし、敵を引き込んでから包囲します」


彼と話すようになってから、私の戦いは一変した。


彼と共に考え、彼が提示する最適解を私が軍としての形にする。


その関係性が形作られた瞬間、私は本当の意味で「戦い方」を知ったのだ。



第二章:双星の躍進


彼が私の隣に立つようになってから、負け知らずの進撃が始まった。


私たちが立案する作戦は、まるで敵の思考を先回りするように次々と的中した。


右を向けば敵が崩れ、左を向けば伏兵が落ちる。


戦うたびに戦果は積み上がり、軍の中で一番の功績を挙げるのは、いつしか当たり前のことになっていた。


私はトントン拍子に昇進を重ね、ついには騎兵将軍の地位にまで上り詰めた。


もちろん、私の影であり、知恵そのものである彼を、副官として常に傍らに置いた。


「閣下、周囲はあなたを『帝国の剣』と呼んでいますよ」


ある日、中規模な紛争で敵の二個軍団を完膚なきまでに叩き潰し、敵将を負傷させて退却させた帰り道、彼がそう笑って言った。


私は苦笑した。その剣を研ぎ、鞘から抜くべき時を教えているのは彼なのだ。


私一人の力では、今ごろどこかの地方都市で燻っていただろう。


だが、世間は私という「象徴」を必要としていた。


私はその役割を演じ続けた。


彼という「本物の才能」を守り、育てるための防壁として。


第三章:決戦の蒼穹

そして、運命の決戦の日が訪れた。


敵国は残された戦力のすべてを集中させ、我が帝国の喉元へと迫ってきた。


平原を埋め尽くす敵軍の数は、我が軍とほぼ互角。


しかし、こちらの士気は最高潮だった。連戦連勝の記憶が、兵士たちの心に「不敗」の確信を刻んでいた。


私たちの作戦は、これまでの集大成とも言えるものだった。


正面で敵の主力を受け止め、膠着状態を作り出す。


その隙に、私が率いる精鋭騎兵隊が右翼から大きく左回りに迂回し、敵の中央本陣を背後から突き崩す。


「閣下、この作戦が成功すれば、この戦争は今日で終わります」


副官の言葉に、私は深く頷いた。私が受け持つのは、作戦の要である騎兵隊の突撃。


彼が描いた勝利への軌跡を、私がこの足で、この剣で現実のものにする。


戦いの幕が上がった。 最初は小規模な競り合いから始まったが、すべては計算通りだった。味方の歩兵隊が敵の右翼をこじ開ける。


その僅かな隙間に、私は愛馬を駆り、騎兵隊と共に飛び込んだ。


風を切る音が心地よかった。 敵陣のど真ん中を駆け抜け、中央を目指す。今までで一番の調子だ。後ろを振り返れば、信頼する部下たちが一糸乱れぬ動きで私に続いている。


「いけるぞ! このまま中央を突き破る!」


私は叫んだ。あと少し、あと数百メートルで敵の本陣に届く。


勝利の女神の衣を掴みかけた、その瞬間だった。




第四章:綻びと、剥き出しの真実


左足に、熱い衝撃が走った。


「……っ!」


思わず顔をしかめて視線を落とすと、一本の黒い矢が私の左脚を貫いていた。


その瞬間、視界の端に無数の矢が雨のように降り注ぐのが見えた。


(読まれていたのか……?)


いや、それは違う。作戦が漏れたのではない。


敵の中に、一瞬の隙を見逃さない、凄まじい執念を持った者がいたのだ。


矢を剣ではじき返そうとしたが、二本、三本と衝撃が体に伝わる。


馬が崩れ、世界が激しく回転した。 冷たい土の感触。


重い鎧が地面に叩きつけられる音。


私の意識は、そこで一度途切れた。


……気が付くと、私は仰向けに横たわっていた。


耳鳴りの中で、誰かが私の名を叫んでいるのが聞こえる。


副官だ。 彼は、私がかつて見たこともないような、


絶望と悲しみに満ちた顔をして、必死に何かを叫んでいた。


「……っか! 閣下! 起きてください!」


彼の声は聞こえる。だが、その言葉が持つ「意味」が、砂のように指の間からこぼれ落ちていく。


私は自分の体が、もう元には戻らないことを悟っていた。


私は空を見上げた。 そこには、あまりにも無慈悲なほどに美しい、


雲一つない蒼穹が広がっていた。


(ああ……今日は、いい天気だ……)


薄れゆく意識の中で、私は一つの確信に辿り着いた。


私がここで果てるのは、もはや必然なのだ。


だが、帝国にとって、そしてこの国の人々にとって、失ってはならないのは私ではない。


私の隣で泣いている、この男だ。


私を将軍にまで押し上げたその頭脳。


私を支え続けたその献身。


彼こそが、これからの帝国を担うべき「真の剣」なのだ。




第五章:遺言


私は残された力を振り絞り、彼の腕を掴んだ。


彼は驚いたように私を見た。私はその目を見つめ、彼が一生忘れることのできない「最後の下知」を放った。


「……お前は……生き残れ」


私の喉から、血の混じった声が絞り出される。


「部隊を……まとめろ。そして……退却を、執行せよ」


副官の瞳が大きく見開かれた。


彼には分かったはずだ。この命令が、単なる指示ではなく、


私の命を賭した「願い」であることを。


「しかし、閣下を置いていくわけには――」


「これは……命令だ。……行け!」


周りの部下たちにも、私の意志が伝播していく。


副官は悔しさに顔を歪めながらも、私の最後の命令を完遂するために、仲間たちに抱えられるようにして戦線から離脱していった。


遠ざかっていく彼らの背中を見送りながら、私は静かに目を閉じた。



最終章:蒼穹へ還る


戦場の騒音は、いつしか遠い潮騒のように、心地よい静寂へと変わっていた。


さわやかな風が、そよそよと私の頬を撫でる。


不意に、私は自分が今日は何曜日かを考えた。 「今日は、何曜日だ……?」 答えは出なかった。だが、そんなことはどうでもよかった。


騎士団に入ったばかりの未熟な自分。


彼と出会い、共に駆け抜けた栄光の数々。


そして、今、自分のすべてを託して未来へ送り出したあの背中。


「……最高の……人生だったな」


思考の破片が、光の中に溶けていく。


痛みも、責任も、家柄という重圧も、すべてはもう遠い過去のことだ。


天候は、良し。 気分は、この上なく良好だ。


私は最後にもう一度だけ、深く、深く息を吸い込んだ。


蒼い空の中に、私の魂が溶け込んでいく。


帝国の剣は、その役割を終え、ただの風となって自由な空へと還っていった。




エピローグ:残された者たち(断章)


その日の撤退戦は、後に帝国の歴史において「奇跡」と呼ばれることになった。


指揮官を失った混乱の中で、副官のジェントは瞬時に軍を再編し、


最小限の犠牲で敵の包囲網を突破。


三日後、彼は再起した軍を率いて、再び平原へと姿を現す。


そこには、もう「影」としての彼は存在しなかった。


彼の心には、亡き将軍から託された意思が刻まれていた。


新しい時代の風が、帝国に吹き始めていた。


空は、どこまでも青く、澄み渡っていた。

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