巻き戻り悪女の完全なる報復
まあ、何という事でしょう。
目覚めてすぐ、ディアリアはそう口にした。
長い長い夢を見ていたような、そんな気分だが、あれは現実だったと認識している。
思わず、指で首筋を撫でた。
滑らかな肌の感触がして、そこに傷など存在しないのを確認する。
時戻しの魔法は、成功したのだ。
巻き戻す前の時間軸、ディアリアは放逐された。
男爵令嬢、リンカ・バーライネンが第一王子ギルバートの寵愛を得た事で、邪魔になった婚約者のディアリアは冤罪をかけられた末、修道院送りとなったのだ。
表向きは修道院へ行った事になっていたが、領地で復讐の機会を窺い、復讐の結果、リンカは処刑された。
だが、黒幕はリンカの友人であり子爵令嬢のラウラ・ハザンである。
しぶとく野心家のラウラとの攻防で、国は割れ、荒れ果てた。
大事な人達も喪った。
だから、『始まる前』に時を戻したのだ。
王家の秘宝を使って。
王弟であるレオシュが持ち出した時軸の珠は、幾人かの生命を犠牲にした分時を戻す。
五人の生命を使って、戻せた時間は五年と少し。
もう既に、ギルバートとリンカは出会ってしまっているが、それは些事である。
控えめに扉を叩く音がして、小間使いが寝台脇まで来て告げる。
「公爵様と小公爵様がお呼びでございます」
「……ええ、分かったわ。着替えを手伝って頂戴」
きっとお兄様は既に目覚めてらしたのね、とディアリアは安堵の息を漏らす。
美しい衣装を身に纏い、ディアリアは颯爽と父の執務室へと向かう。
大事な話をする時は、いつもそこに集合するのだ。
「失礼いたします」
戸口で淑女の礼を執ってから、部屋へと入る。
父は眉間に皺を寄せて、厳しい顔をしていた。
それはそうだろう。
きっと兄から荒唐無稽とも思える予言を聞かされたのだろうから。
ディアリアは顎で指し示された通り、長椅子へと座るなり言った。
「お兄様が申し上げた事は本当です。遠くない未来にこの国は荒れ果てた上、亡ぶでしょう」
「お前も一度、死んだと申すか」
「はい。ですから、本日中にもギルバート殿下との婚約の解消を願います。陛下の説得は王弟殿下と第二王子殿下がなさってくださるでしょう」
ふむ、と先程よりは表情を和らげ、公爵は考え込む。
昨日まで裏切り者の第一王子を恋い慕っていたと思えない娘の様子に、公爵は何かがあったのだと悟ったように頷く。
「お前は殿下を慕っていたと思ったが?」
「気の迷い、若き日の過ちと思って頂いて宜しいかと。今はもう微塵もその思いは残しておりません。臣民よりも自分の欲を優先するような王は国にとって害にしかなりませんもの」
そうか、と公爵は破顔した。
ボーヴォワール公爵家を馬鹿にした行動に我慢の限界がきていた公爵としては嬉しい誤算である。
途方もない話を二人揃って突然言い出したことに戸惑いを感じたが、王弟や第二王子とその婚約者である侯爵令嬢まで同じ記憶を持つというのであれば、信頼性は高い。
「良いだろう。他には」
「ギルバート殿下の廃嫡の準備を願います。これもお二方の協力があれば可能ですわね。まずは恩情として臣籍降下を。お相手の令嬢と釣り合う爵位を用意して頂き、恩情に気づけぬ様子であれば廃嫡で宜しいかと思われます。外堀はわたくしがお埋め致しましょう」
「必要なものは全て使え」
「承りました」
部屋に戻ったディアリアは愉しそうに微笑む。
まずは、あの娘を手元に戻さないと、と。
「お久しぶりでございます、お嬢様」
「ナターリエ。お久しぶりね。会いたかったわ」
「ふふ、わたくしもです」
ナターリエの生家は小さな商家だ。
リンカの男爵家と同じく、宝飾品を扱う小さくても実入りの良い商いをしている。
前の時間軸では、王太子妃となったリンカに潰されてしまった。
意匠を盗用したのはリンカのバーライネン男爵家だったにも関わらず、だ。
爵位を取り上げられ、父親は冤罪で処刑され、母親は失意の内に病に倒れ。
弟妹を守る為にナターリエは娼婦に身を落とした。
だから、ディアリアが拾い上げて、王宮へと送り込んで陰謀の片棒を担がせたのである。
彼女が見事にやり遂げたからこそ、リンカを処刑台に送ることが出来たのだ。
時間を戻した今も、ディアリアはナターリエに感謝の気持ちを抱いている。
「そうだわ。まずリンカの手足をもぎましょう。寄子と派閥の関係者全て、バーライネン男爵家との取引を止めさせて、貴女の生家との取引に切り替えますわ。お父上のエルロイ子爵には貴女が手紙を書いてね、ナターリエ。今日から貴女はわたくしの侍女になって貰います」
「はい。仰せのままに」
「嫌がらせに奴らが何を仕出かすか分からないから、うちの騎士もエルロイ子爵家の警備に向かわせるわ」
「有難う存じます」
ナターリエとディアリアはくすくすと、笑い合い、謀略は進んでいく。
ディアリアは今十五歳、ナターリエは三歳下の十二歳である。
ナターリエは学園に通う年齢ではないが、その間はディアリアの仕事をして貰う心算だ。
学園では今、ギルバート第一王子による寵愛が話題になっていた。
男爵令嬢のリンカ・バーライネンがその輪の中心に居る。
桃色とも茶色とも名状しがたい赤朽葉の髪に、淡い緋色の大きな瞳。
天真爛漫な彼女の近くには、密やかに悪意を振り撒くラウラ・ハザン子爵令嬢。
騎士団長の息子や宰相の息子、大商会の息子まで揃い踏みだ。
以前のディアリアは嫉妬と忠誠心から、正面切ってリンカへと注意を与えていた。
今思えば、ギルバートとリンカの恋を燃え上がらせるだけで、逆効果だったのに。
だから、ディアリアは敢えて何も言わないことにした。
出会い頭に愉しそうな笑みを浮かべるギルバートと、脅えたふりをするリンカに、優雅な淑女の礼をして通り過ぎる。
穏やかな笑みを浮かべたディアリアに、は?と言うかのようにギルバートが怪訝な顔をした。
リンカも大きな目を丸くして、きょとんとしている。
後は横目に見たまま、通り過ぎて振り返らなかった。
彼らの相手をする暇はない。
ギルバートの側近の中でも、くだらない馬鹿騒ぎに同調しない者達を次々に取り込んでいかねばならない。
一学年下のアンナマリ・バーセル侯爵令嬢とロバート殿下はまだ学園には通っていないのだ。
そのまま彼らは学園に通わずに、王城での教育を受けさせる手筈になる。
また、ギルバートの側近で国に対しての忠義が薄い者は、裏から手を回して廃嫡に追い込む事にした。
まずは、現在の婚約者の家門からの抗議と、婚約者の変更が少しずつ進んでいく。
同時に行っていたのに、取引先を大量に失ったリンカの男爵家だけはあっという間に困窮を極めた。
見るからに苛々する様子を見せるリンカと、実家の財力では何も協力できないラウラ。
明らかに敵意のある目を向ける彼らを無視して、財務卿の息子のライリーと軍務卿の息子ロシュフォールを連れて通り過ぎれば、彼女が声を上げた。
「何故ですか、何故こんな嫌がらせを!」
名指しで呼びかけられた訳でもないので、ディアリアは一瞥もくれずに通り過ぎた。
茶番に付き合う必要はない。
「まるで女優ね。誰に見せているのかは知らないけれど」
「空々しい女ですね。何故アレが良いのか私には分かりません」
「同感だ。婚約者を蔑ろにする奴らの気がしれません」
ライリーが言えば、ロシュフォールも応える。
彼らも彼らの婚約者達もまた、救うに値する家門だ。
前回は敵味方入り乱れて、共倒れになってしまったけれど。
それからすぐの事。
学園で行われる小さな夜会で一悶着が起きた。
「ディアリア・ボーヴォワール、貴様、何故リンカ・バーライネンに嫌がらせをする!?」
「嫌がらせ?何の事にございましょう」
「惚けるな!話しかけたリンカ嬢を無視したそうではないか!」
「話しかけられた事はございませんが」
首を傾げて見せれば、ギルバートは答えに窮する。
「話しかけました!この前!廊下でです!」
ギルバートに縋るようにしてふるふると震えながら、精一杯強がっている振りをするリンカに目を留めて。
ディアリアは不思議そうな顔をした。
「ああ、何か仰っていましたけれど、わたくしは名前も呼ばれていなければ、挨拶もされておりません。そのような不躾な態度で許される間柄でしたかしら?親しくも無いですし、礼儀作法もご存知ではないのね」
「その場には私も居りましたが、話しかけているようには見えませんでした。それを嫌がらせとは……逆にこの言いがかりこそが嫌がらせなのでは?」
ディアリアだけでなく、ライリーにまで言われて、更にリンカの無作法な醜態まで晒されたギルバートは頬を紅潮させた。
「今のは本当なのか、リンカ嬢」
「え……ほ、本当ですけど、でも……」
ちらちらとリンカが見るのはディアリアとライリーだ。
証人がいるせいで嘘がつき通せないようで、見守るラウラの目が怒りに細まっている。
「宜しいかしら?わたくしまだ舞踏もしていないので、解放して頂いても?」
そうディアリアが言えば、途端にギルバートが自信に満ちた傲慢な顔を覗かせた。
「舞踏?誰が貴様の様な冷酷な女と踊ってやるものか」
「殿下と踊りたいなどと、わたくし一言でも申し上げまして?最初からその様な事は望んでおりませんわ。殿下には隣にいらっしゃるその平民と踊るのがお似合いですもの」
クスクスと扇を口に当てて笑うディアリアに、会場の淑女達も忍び笑いを漏らす。
「不敬な……そこまで言うのなら、貴様との婚約は解消だ!」
前の時間軸は、そう言えばディアリアは大抵のことは涙ながらに我慢してきていた。
不貞を働かれようと、執務を押し付けられようと。
「あら?殿下との婚約はわたくしからの申し出で既に解消されておりますわ。お聞き及びではございませんでしたの?第一王子殿下の後ろ盾からも我が家は下りましてよ。新たな後ろ盾はバーライネン男爵家になるのかしら?」
ホホホ、と扇の内で笑えば、更に会場の笑いはさざ波のように広がっていく。
自分が言いだした婚約解消なのに、ギルバートの頬は引きつった。
傍らに置いているバーライネン男爵家は後ろ盾になり得ない程の弱小貴族だ。
しかも、破綻寸前の。
言葉に詰まったギルバートはまだ証人すら用意していない冤罪を口に出す。
「お前の悪辣さを考えたら、それも仕方あるまい!リンカの教科書を破ったり、ドレスを汚したり、突き飛ばすなど…」
「あら、身に覚えのない事ばかり。替えの教科書が購入できないのでしたら、百冊ずつお届けしましょうか?色々な方に恨みを買っているのですわね?わたくし以外にそんな事をする方がいらっしゃるなんて」
白々しい!とギルバートが混ぜ返す前に、令嬢が進み出て同意した。
「他人の婚約者に擦り寄る様な女性ですものね。勿論わたくしも、そんな些細な嫌がらせは致しませんわよ。ただ気分が悪うございましたので、バーライネン男爵家とのお取引は今後一切しないよう両親にお願い申し上げましたわ」
ディアリアに並ぶように立ってにっこりと微笑んだのは、ライリーの婚約者であるリルネである。
驚いたように、えっ、とリンカが声を上げた。
実家の困窮は、ディアリアだけが原因だと思っていたのだ。
他にも進み出た令嬢がいる。
「あら、奇遇ですのね。わたくしも、礼儀作法と常識のない家門の方とお取引をするのは危険ですから、今後はご遠慮頂きましたの」
リンカに侍ったままでいる騎士団長の息子、ホーズの婚約者だった、アリスだ。
その言葉を聞いて吠えたのはホーズである。
「何という嫌な女だ。俺もお前なんかと結婚しないぞ」
「ホーズ!」
嬉しそうなリンカの声を聞いて、ホーズは姫を守る騎士のように笑顔を浮かべる。
が、そこに被せられた言葉は。
「誰が誰と結婚なさいますの?わたくしとキルロ伯爵令息がですか?浮気をするような婚約者はこちらから願い下げですので、弟君のカーズ様と既に婚約者を変更しておりますのよ。次期伯爵はカーズ様になりますわ。お互い結婚したくない同士ですもの、宜しかったこと」
アリスの言葉に、今度はホーズが愕然とした。
自分が選ぶ立場だと偉そうにも踏ん反り返っていた男だ。
家の利にならないと判断されて、切り捨てられた事が理解出来なかったのだろう。
だが、宰相の息子のヴィンセントは流石に少しだけ聡かった。
瞬時に自分の婚約者に目線を向け、婚約者のウィスタリアは穏やかに頷いたのである。
何も言わずとも、同じ道を辿ったと分かり、彼の顔色も蒼くなった。
ギルバートも何と返せば良いか分からなくなって、ただ歯噛みしたのである。
リンカの家の事情は聞いていたが、今の話を聞けばディアリアだけが何かをしたという訳ではない。
令嬢達の不興を買ったリンカの家が、直接的に被害を受けたのである。
けれど商売相手などは、各貴族家の決める事であって、流石に王族といえど口出しできない。
取るに足らない嫌がらせなどはしないのだ。
権力のある貴族なら低位貴族など、家門ごと消し去る方が早い。
ディアリアは会場を見渡しながら、ラウラが冷え切った眼でリンカとギルバートを見ているのを確認した。
ラウラがリンカに加担しているのなら、既に彼女の中には心に決めた相手、王弟のレオシュがいるのだろう。
前の時間軸で、彼女の闘争の原因は全てレオシュだったのだから。
ディアリアを放逐し、ロバート第二王子の婚約者のアンナマリを襲撃し、更にアンナマリの命を盾にロバートの婚約者まで登り詰め、王宮へと入り込んだ毒婦だ。
ロバートの婚約者になったのは王宮に出入りする為で、ラウラはそこでも王弟を執拗に狙っていた。
それだけの為に、アンナマリは一生を左右する怪我を負わされたのだ。
今回も同じ事を仕出かしかねない。
だからディアリアは先手を打つことにしていたのである。
ラウラの憎しみが他の者でなく自分へ向けられるように。
「ああ、そうでしたわ。第一王子殿下の誤解を解くために、新しい婚約者を紹介致しますわね」
ディアリアの合図を見て、高らかな楽器の音が響く。
階段上に現れたのは王弟レオシュだ。
鮮やかな金の髪に、深い森の様な緑の目の美丈夫で、颯爽と階段を降りてくる。
ラウラが信じられないようにその姿を見上げる。
妄執と戸惑いの宿った眼を見て、ディアリアは満足げに笑むとレオシュに手を伸ばした。
「レオ様」
「ああ、愛しいアリア」
まるで運命の恋人が再会を果たしたように、ディアリアの伸ばされた手を優しく握って、抱擁する。
「今日も美しいよ、ディアリア」
「レオ様も素敵ですわ」
お互いを見つめる目には確かに熱が宿っていて。
レオシュは、ディアリアの肩を抱くとギルバート達へ向き直った。
「やあ、ギルバート。君がディアリアを手放してくれたお陰で、私が手に入れる事が出来たよ。有難う。心からの感謝を」
大袈裟に、けれど優美な所作で、レオシュは紳士の礼を執る。
そして真っすぐに背を伸ばして立つと、会場に集まった紳士淑女に向けて笑顔を見せた。
「どうか君達も、私とディアリアの婚約を祝って欲しい」
レオシュの言葉に、会場にいた子女達が丁寧な礼を執る。
憎悪と殺意に塗れた目でディアリアを射抜いていたラウラも、皆に倣って膝を折った。
「そうそう。私達だけ幸福になるのも申し訳ないから、ギルバート、お前の結婚の許可も陛下に頂いてある。公爵令嬢を蔑ろにして入れ込むくらいだ。その男爵令嬢との婚姻が許されたよ」
「では、リンカが王子妃という事ですね」
ギルバートの傲慢な笑みに、リンカもぱあっと笑顔を浮かべる。
「ならば、バーライネン男爵家のイヴァーラ商会を王室ご用達として認定しよう」
「まあ、嬉しゅうございます、ギル様っ」
勝手に盛り上がらせた後で、レオシュは静かに言う。
「何を言っているんだ?お前の臣籍降下はもう決まったぞ」
「……は?」
「ロバートが立太子される。後ろ盾が少ないお前では次期国王にはなれないだろう」
ギルバートは呆然とした顔になり、側近とレオシュを見比べる。
「ですが、宰相家のヴィンセントも伯爵家のホーズも…」
「元嫡男とはいえ、後継ではない人間に家を動かす力は無い」
呆れたように言われて、ギルバートは言葉に詰まる。
「ホーズもヴィンセントも、婚約を組み替えた際に後継から外されている。その際に彼らの有責の責任の一部を作ったお前の後ろ盾を両家とも下りた。家と家の繋がりを無視するような当主など必要ない。家の利よりも自分の感情を優先するなど貴族として愚かだろう」
決定的な判断を下されて、ホーズもヴィンセントも俯くしかなかった。
今まで傲慢な態度で居られたのは、家の力と王子の権威があってこそだ。
彼らは後継に選ばれ、家を継ぐまではただの令息でしかない。
稀に優秀だったり、大きな家門であれば従属爵位を学生の内に戴く事もあるが、二人はそうではなかった。
「だからボーヴォワール公爵家の支持を失ったお前には、もうバーライネン男爵家くらいしかいないのだよ」
「叔父上は……私からその女を奪って後ろ盾を手に入れて、王位簒奪を目論んでいるのか!」
激高したギルバートに、可笑しそうにディアリアはふふ、と笑った。
「ご自分から捨てたのに何を今更、奪った、などと……。殿下がその令嬢に心を移したのは別に構いませんけれど、それなのに何故、わたくしがずっと殿下をお慕いして、我が家が殿下の後ろ盾を続けると。そう、本気で思われましたの?」
残念ながら前の時間軸では、その愚かな真似をしていたのだが、結局最後は復讐を果たしたのだ。
見向きもされないだけならまだしも、足蹴にされれば愛だって枯れてしまう。
ディアリアはゆっくりと笑みを深めて続けた。
「それに、立太子されるのは第二王子のロバート殿下だと先程レオシュ様も仰いましたでしょう?お話はきちんと聞いてくださいませ。ああ、でもやはりこの様な方では国王は務まりませんわね、レオ様」
「そうだな。話を聞かずに自分の考えで捻じ曲げるようではな。……改めて言うが、私はロバートの後見と補佐をするし、ほとんどの貴族家がロバートを支持している。お前の出る幕はもう無い。結婚相手の令嬢に合わせて、お前には男爵位が与えられる。王族としての権威や責務を放り捨てるお前には似合いの爵位だ」
ぎり、と歯軋りをしたギルバートが尚も食い下がる。
「父上と話をする!お考え直し頂かねば!」
「ならぬ。本日を以て、お前は男爵となった。お前の侍従だった者が用意された家まで連れて行く。陛下に会いたくば、謁見の申請をすることだな」
冷たく言われて、ギルバートの顔が驚愕に歪む。
「なっ……私は王子だ!国王の息子だぞ」
「その責務すら分からずに、自由恋愛を楽しんだ末路だ。自分の立場を理解しないようなら廃嫡の手続きに移行して良いと許可も得ている。やはり、恩情は通じなかったな」
「ええ、でもこの様な横暴な方に継承権を与えておくと碌なことになりませんもの」
「ふむ。では改めて申し渡す。其方の王位継承権は今を以て剥奪とする。以降、王族としての振る舞いを改めるように。これ以上騒ぎ立てるなら、王都からも追放するがどうする?」
犯罪者のように王都から追放されると聞いて、ギルバートは流石に口を噤んだ。
国王の決定である以上、絶対である。
今ここでまた何かを言って不興を買えば、王都追放が実行されてしまうのは目に見えていた。
「それからお前の爵位は恩情で男爵となっている。男爵となったお前は気安く私やアリア…ディアリア嬢に話しかけられる立場ではないのを理解しろ。国王陛下に目通りしたいのなら謁見を申請しても良いが判断は覆らぬぞ」
「恋する女性と同じ爵位になったのですもの。ご満足頂けましたでしょう?これでもう何の障害もございませんことよ」
うふふ、と嬉しそうな顔で笑うディアリアを、ギルバートは別人のように感じていた。
いつも眉根を寄せて詰め寄って来たディアリアが、愛を乞うて来たディアリアが、今は手の届かない場所で大輪の薔薇の如く美しく笑っている。
「折角の夜会の席を汚して済まなかった。皆も宴を楽しんでくれ」
レオシュが手を挙げると、楽団が音楽を奏で始め、レオシュは改めてディアリアに手を差し出す。
「どうか私と一曲踊る栄誉を」
「貴方となら何曲でも」
幸せそうにディアリアはレオシュの手に優雅に手を載せる。
王族ではなくなったギルバートは始まりの舞踊は踊れない。
今一番高貴な身分の王弟レオシュと、その婚約者の公爵令嬢ディアリアが、生徒達の輪の中心で美しい舞踏を披露する。
憎悪を滾らせるラウラの目の前で、ディアリアはレオシュを愛し気に見上げながら踊った。
「あの毒婦の処遇はどうするつもりだい?」
「ふふ。今は未だ毒婦未満ですけれど、必ずや害を及ぼす事でしょう。それまで見張らせて、最期の仕上げはアンナマリ嬢にお任せしようかと。沢山の屍の山を築いた毒婦でも、直接危害を加えられたのはアンナマリ嬢ですもの」
「そうか。ならば、君はもう学園に通ってはいけない。すぐにでも結婚して、王宮の奥深くに隠す事にしよう」
あまりの過保護な言い分に、ディアリアは珍しく眉尻を下げて、微笑んだ。
「大丈夫、などとは言うなよ?私が死ぬ時に涙を流した君なら分かるだろう。君を喪ったら私はもう一度死ぬ事になる」
「……秘宝をその様に簡単に使う物ではないですし、尊い御命を簡単に投げ出してもいけません。ですから、分かりました。仰せに従います」
やり直しは一度で十分だ。
あの、胸が灼けるような悲しみだって、もう味わいたくはない。
レオシュが死に瀕する場で一緒に死ねたのが幸いだった。
いや、寧ろレオシュのいない世界で生きるのが嫌だったのだ。
そして、きっとレオシュも同じ思いを抱えている。
ディアリアの返答に満足げに頷いて、レオシュはその日、片時もディアリアを側から離さなかった。
数年後、とある事件が起こった。
王弟の子供の誘拐事件。
未然に防がれたその事件の首謀者は、ラウラ・ハザンである。
どう焚き付けたのか、ギルバートとリンカ、ホーズとヴィンセントが彼女の下で陰謀に加担していた。
元王族と元貴族の謀反とも思える事件は市民には公表されず。
ひっそりと闇に葬られたのである。
ラウラ・ハザンは拷問の上で獄死した。
その他の四人は、その凄惨な拷問の様子を目の前で見せられて、恩情によって毒を賜ることになる。
最初は抵抗していたギルバートも、ラウラの死に様を見せられて、最後には素直に毒を飲んだ。
漸く世界が手にした平和を、正しき者達が謳歌したのである。
前日譚含めて書こうと思ったら長くなりすぎたので、きゅっとまとめました。
話は考えて(途中まで書いて)あるのですが、長編増やす訳にいかず…。
ちなみにアーティファクトは回数制限有、命を捧げて死んだ者のみ記憶を保持して戻れるシステムです。
5人+死にかけの王弟なので5年と少し戻りました。絵面を考えると結構えぐかった…!