悪役令嬢と蔑まれた私が、家から逃げたら隣国の皇太子に見初められ、彼の手で家族と元婚約者に復讐されてから、次期王妃の座に収まりました
ローデリア侯爵家の次女、アナスタシア・ローデリアは、生まれながらにして“間違い”の存在だった。
金髪碧眼、容姿は整っているものの、姉クラリッサのような秀才でも、家の将来を背負う長女でもない。母からは「出来損ない」、父からは「無能」と呼ばれ、従者も寄り付かない。日々、クラリッサの暴言と暴力に晒され、微笑みひとつも自由に浮かべることができなかった。
唯一、心の支えだったのが――幼馴染であり、婚約者である第二王子アレクだった。
彼とだけは穏やかな時間を過ごせた。だが、それすらも、幻想だった。
「――アナスタシア・ローデリア、貴様との婚約を破棄する!」
舞踏会の壇上、アレクはクラリッサの手を取って宣言した。
群衆の前での婚約破棄。
「陰湿で嫉妬深い、性格の歪んだ悪役令嬢」と噂されるアナスタシアに、同情の声は一切なかった。
足元が崩れたような感覚だった。
けれど、泣くことすらできなかった。
それから二晩、眠らず、食事も摂らず――ついに彼女は、屋敷から脱走した。
***
馬車を奪い、北の国境を越えたアナスタシアは、盗賊に襲われかけたところを、一人の騎士に救われる。
「ご無事ですか、貴女」
そう言って手を差し伸べてくれた男――レオンハルト・リュクス・アルステッド。隣国イルゼンベルクの皇太子だった。
「私は、死んだ者です。どうか、お気になさらずに」
彼の保護を断ろうとするアナスタシアに、レオンハルトは微笑む。
「それでも構わない。君が君として生き直すことを、私は望む」
彼の瞳は真っ直ぐで、彼女を一人の人間として見ていた。
けれどアナスタシアは、自分が“愛される”など信じられなかった。
「私はもう、誰にも期待していません」
「では、私がその絶望ごと抱えよう」
***
しばらくの間、イルゼンベルク王宮で過ごす中で、アナスタシアは少しずつ笑顔を取り戻していった。だが彼女は、なおもレオンハルトの想いを受け入れられなかった。
そんな中――イルゼンベルクの諜報部隊が、アナスタシアが受けていた虐待と、ローデリア家の不正、王国王家の腐敗を暴き出した。
それを手にしたレオンハルトは、静かに宣言する。
「彼らに、相応の報いを受けさせる」
レオンハルトは、アナスタシアに代わって動き出した。
***
王都を揺るがす大告発劇は突然に始まった。
ローデリア家は資産凍結、母と姉は侮辱罪で逮捕され、父は爵位を剥奪された。
さらにアレク王子は、婚約者クラリッサとの不適切な関係と収賄で、王位継承権を剥奪され、幽閉処分となった。
復讐は終わった。けれどアナスタシアは、まだ自身の未来を決められずにいた。
レオンハルトは、静かに問いかける。
「――今度こそ、君の意志で、生きてくれないか」
アナスタシアの瞳に、涙が浮かんだ。
(私はもう、逃げない――)
彼女は静かに、彼の手を取った。
「……はい」
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イルゼンベルク王国の王宮。
そこには、かつて“悪役令嬢”と呼ばれた少女の姿はなかった。
整えられた金髪、上品に微笑む唇、迷いのない眼差し。アナスタシア・ローデリアは、ゆっくりと変わり始めていた。
「アナスタシア。……君に、正式な婚約を申し込みたい」
皇太子レオンハルトが差し出す、小さな箱。中にはイルゼンベルク王家に伝わる、紅い宝石の指輪。
「君と共に、未来を築きたい。王妃としてではなく、一人の女性として、君と共に生きたい」
かつて「誰にも必要とされていない」と思っていた少女は、その言葉に、涙を流した。
それでも、口元を引き締めて、答える。
「私は……私の意志で、あなたの傍に在りたいと思っています」
彼女の指に、指輪が光る。
***
王宮での婚約発表は、イルゼンベルク中を沸かせた。
“亡命貴族の令嬢”と“完璧無欠の皇太子”という異色の組み合わせに、最初こそ噂も絶えなかったが、レオンハルトの強固な支持と、アナスタシア自身の知性と礼節がそれらをねじ伏せた。
「王妃としての教育は厳しいぞ」
「ふふ、あなたの国では女性に笑顔を強制しないだけで、幸せですわ」
皮肉めいた言葉すら、彼女の芯の強さと気品を表していた。
過去の傷を力に変え、アナスタシアは次期王妃として、確かな歩みを進めていった。
***
ある日、彼女のもとに報せが届く。
「元家族が、謁見を求めている」と。
ローデリア家はすでに領地を失い、爵位も剥奪され、都の片隅で細々と暮らしているという。
父は酒に溺れ、母は精神を病み、姉クラリッサはかつての美貌も失い、使用人にすら見下される日々を送っている。
「……会う必要はありませんわ」
そう言いながらも、アナスタシアは静かに、玉座の間に向かった。
薄暗い謁見の間に、三人は膝をついていた。
かつて彼女を蔑み、罵倒し、踏みにじった者たち。
「アナスタシア……いや、閣下……っ。許してくれ。お前を愛していたんだ、本当に……!」
「あなたに会いたかったの……ずっと……お願い、助けて……」
「妹なんだから当然でしょう、分かるわよね? あなた、今なら分かるわよねぇ!?」
泣き叫ぶその姿に、かつての恐怖が蘇りかける。
だがアナスタシアは、毅然と顔を上げた。
「あなた方の言葉は、もう私には届きません」
「私は王妃候補として、この国に尽くす義務があります。
そしてそれは、かつて私を人間扱いしなかった者たちの言葉に、耳を傾けることではありません」
その一言で、三人は完全に崩れ落ちた。
彼女は、過去と決別したのだ。
***
戴冠式の日、アナスタシアはレオンハルトと並び、民衆の歓声の中に立った。
ドレスはイルゼンベルクの伝統に則り、白銀に赤の宝石が散りばめられていた。
胸元には、あの指輪が輝いている。
「……ここまで、来られました」
「君の力だよ、アナスタシア」
レオンハルトは、そっと彼女の手を取り、誓うように囁いた。
「これからも、共に歩こう。君の過去も、未来も、すべて――私が守る」
「はい、レオンハルト様。私は、あなたの隣に立ち続けます」
その言葉は、誓いであり、宣言であり――愛だった。
“悪役令嬢”と呼ばれ、すべてを失った少女は、今や誰よりも愛され、尊ばれる次期王妃として、人々の前に立っていた。
これは、ただの復讐劇ではない。
――これは、ひとりの少女が自らを赦し、再び“自分”を愛するまでの、誇り高き逆転の物語である。