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それからキース様は毎日我が家を訪れた。
だが、ある日からそれはばったり途絶えた。
一日目。彼の夢を見た。キース様にクッキーを焼いて待っていたのに彼は来なかった。寂しかった。
二日目。ひょっとしたら来れない事情が出来て手紙でも来るかもしれないとずっと誰かが来るたびに玄関に足を運んだ。彼は来なかったし手紙もなかった。何かあったのかと心配だけどこれくらいで騒ぐと嫌われるかもとぐっと我慢した。
三日目。医者が来てもう歩いてもいいと言われた。何度も廊下を歩いて足首もほとんどいたくなくなった。
キース様に脚が治った事を知らせたかった。でも、彼はやって来なかった。胸が張り裂けそう。
月明かりが窓から差し込んで来た。
今度の休日は満月だから月でも見ながら庭を散歩したいねって話していたことを思い出した。キース様をもう一緒に歩けるんですよって…辛い。
四日目。今日も彼は姿を見せなかった。これは何かあったに違いない王宮にある近衛隊のキース様宛に手紙を書いた。
<キース様ご無事でしょうか?会いに来て下さらないので心配しています。体調不良とかなら私、脚が治りましたのでお見舞いに伺います。お返事をお待ちしております>簡単な手紙を彼宛てに綴った。
胸れない夜、キース様の無事を祈りながら星空に祈った。明日父に届けてもらおう。そうすればきっと彼の事が分かるはずだもの。
五日目。何の返事もない。何かがおかしい。
帰って来たお父様に問いただす。
「お父様、キース様に手紙を渡していただきました?」
「ああ、その事なんだが…キースは捕まった」
「お父様それはどういう事?」
「ああ、キースは隣国パッショーナ国のスパイだったんだ」
「うそ、だって彼はラバン殿下の側近までしてるのよ。それは彼が信用を得ているって事でしょう?」
「ああ、確かに。だが、彼の母親はパッショーナ国出身でスパイでどうやら親子でスパイをしていたらしい。」
そこにアンソニーが入って来た。
「アンソニーどうしてここに?」
「副長官もうすべて話してもいいですか?」
「ああ、リザベルお前もあいつに誘惑されていたしもう時間がなかったからな」
「何?どういう事よ。キースは私を好きだってはっきり言ってくれたのよ。彼が嘘を言うはずがないじゃない!」
私はかなり動揺している。
「ああ、順番に説明するから…いいか、まずダリアのバースディパーティでキースが来ていたのはリザベルお前を誘惑して落とすためだ。だから俺は先回りしてお前に声をかけた。まあ、お前はおかしな勘違いをしてけがをさせたが…それで予定が狂った。キースをこの屋敷に入りやすくしてしまった。俺達は何とかお前に近づけたくはなかったが逆にそれを利用した方がいいと言う話になって…もちろんリザベルに危害が及ばない用見張りをつけていた。俺がどんなに気を揉んだかお前わかってるのか。ったく!」
「アンソニーの話はちっとも分からないわ。キースが何をしたのよ!」
「あいつはこの屋敷の金庫にある副長官の持っている王宮の詳しい間取り図や近衛兵の配置図を狙っていた。そしてその間取り図が手に入ったらパッショーナ国の手誰が王宮になだれ込んでくる計画だったんだ。キース親子はその手柄でパッショーナ国の貴族になると約束されていた。これは本人の自白だリザベル」
「でも、そんなのおかしいわ。だってキースはゴート侯爵令息なのよ。今でも立派な貴族の令息なのにどうして?」
「キースの母親とゴート侯爵は再婚。そしてキースは母の連れ子だ。あいつは貴族籍に入ってはいない。でもゴート侯爵家の人間だからとラビン殿下の側近にも慣れたんだ。なのにあいつらはゴート侯爵を裏切っていた。これで信じたか?」
アンソニーが父の前で嘘をつくことは絶対にない事はわかっている。だから私は今の話が本当なのだとじわじわ感じていた。
「そんな…キースの言った事は全てうそだったなんて…」
私はがっくりして父の書斎のソファーに腰を落とした。
六日目。私は父にキースの面会を頼んだ。
アンソニーは反対したが私はどうしてもキースの口から本当の事を聞きたかった。
国防院のある地下牢に彼はいた。
牢のある場所は昼間でも暗く案内する男はカンテラを持って先を歩く。私はアンソニーに連れられてその後ろを歩いた。
牢の前につくと異臭がした。牢内に汚物入れがあるせいらしい。
「こんな所にいるの?ひどいんじゃない?いくらスパイ容疑を掛けられたからって!」
私はまだキースを信じたい気持ちを持っていた。
「何言ってるんだリザベル。相手はスパイなんだ。油断すればこっちがやられるかもしれないんだぞ。ほんとはこんなところ来るべきじゃないんだ。どうしても確かめたいって言うから…」
アンソニーは顔をしかめた。
私は息を殺して薄暗い牢の中を覗き込むようにしてみる。壁に座り込みもたれている人影がありそれがキースなのかさえもよくわからない。
「キース?そこにいるのはキースなの?」
私はそっと声をかけてみる。
「誰だ?」
「私。リザベルよ。ねぇキースこっちに来て話をして、あなた本当にスパイなの?私を騙していたの?」
思わず聞きたいと思っていることを口走った。
キースはゆっくり立ちあがってこちらに近づいて来た。
「キース…あなたその顔…」
私は彼を見て驚いた。
何度も殴られたのだろう。頬は膨れ上がり瞼は腫れて前が見えているのかさえもわからない。唇の端は切れて血を拭いた跡が残っている。
着ていたシャツもボタンは引きちぎれところどころ破れてあちこちに血が付いた跡があった。
「誰だ?ああ、お前か。フフッ。リザベルお前って相当ばかだよな。俺が優しくしてやったらホイホイその気になって。あと少しで甘えの屋敷の金庫から王の私室の見取り図が手に入ったのに…あいつが…クッソ!」
そんな…
私の身体中の血が凍りつきそうになった。
喉の奥が強張り頭の中が真っ白になる。
それでもやっと言葉を繋いだ。
「…きーす。そんなの嘘でしょ?私を…騙してたの?好きだって言った…のも嘘…なの?」
キースはげらげら笑うと「当たり前だろう?あんたを利用するためにそう言っただけだ。でも、まあ、そんなあんた可愛かったけどな。次は純潔を頂こうと思ってたのに…ったく。余計な奴が現れたから。プッ!」
キースは私に向かって唾を吐いた。
私はあまりの事にその場に立っていられないほど身体が震える。
アンソニーが私の腕をぎゅっと掴んで支えてくれたと思ったら鉄格子越しにアンソニーのもう片方の手がキースの顔面を直撃した。
「ぶぼごっ!」
「げふっ!」
キースはそのまま後ろにぶっ倒れた。彼は意識を失ったまま鼻血を出していた。
「リザベル。これでわかっただろう?あいつには自白剤が投与してあったんだ。だからべらべら本当の事を話した。でも嘘をつかれるよりはいいはずだ」
「ええ、そうね。私ばかみたい」
「そんな事あるもんか。殿下に裏切られて優しくされたら…もう気にするな。なっ!さあ、帰ろう」
「ええ、キースから直接言われてなかったらまだ彼を信じてたかも知れないわ。アンソニー連れて来てくれてありがとう」
「そんな事…俺達の仲だろ。気にするな」
アンソニーはどこまでも優しかった。まるでキースみたいに。
素直に喜んでいいのか。信じていいのか私の心は複雑だった。