第39話 Sideフェリックス
〈フェリックス視点〉
うるさい女が近付いて来ているが、俺はそれどころではなかった。
マーガレットの温もりが俺から離れていく。しかも!まるで拒否をする様に胸を手のひらで押されて、俺は絶望を味わっていた。
もしかして……汗臭かったのではないだろうか?着替えもせず、そのままこの会場に来てしまった事を今更ながら後悔した。だが、着替えに戻っていたら、間に合わなかっただろうし……。
俺は今朝の出来事を思い出していた。
国境から戻る道中の休憩所で、ソワソワしている俺に殿下は言った。
『鬱陶しいな。そんなにその婚約者に会いたいのか?十年前は伯爵令嬢だと文句を言っていたくせに』
『そんな昔の話をされても困ります。今日は折角の卒業式ですし……俺の贈ったドレスを着たマーガレットを見たいんです」
『卒業式か……なるほどな。まぁ人生の節目だしお前もその瞬間に立ち会いたいのも分かる。ふむ……ここからなら馬を走らせれば間に合うのではないか?』
俺もそれをさっきから考えていて、ソワソワしてしまっていたのだが、そう殿下に言われて、ますます気が急いてしまう。
『そう……ですね。今から休みなく馬を走らせれば、何とか』
『わざとらしいな。それをずっと考えていたんだろ?まぁ、いい。お前が一人居なくなった所でこんなにたくさん護衛は居るんだ。問題ない。お前にはこの十年、ステファニーの面倒を見て貰った感謝もあるしな。行って来い』
『良いんですか?!ありがとうございます!!』
俺は思いっ切り殿下に頭を下げた。
『嬉しそうだな。うん、良いよ。それに……そうだな、卒業式か……ふむ。という事はステファニーもそこに出席している……という事か』
俺は頭を下げながら、その言葉に肩をピクリと震わせてしまった。まさか……
『よし!休憩は終わりだ!私もその卒業式……いや、そのダンスパーティー会場に向かう!』
その言葉に各々休息を取っていた護衛達が少しざわついた。
『さぁ、フェリックス。お前は早く行け。……私が行くまでそのパーティーを終わらせるなよ?』
頭を上げた俺の顔は渋かったのかもしれない。
『おいおい。折角婚約者の元へ行って良いと言ったのにその顔は何だよ』
殿下はそう言って笑う。
『パーティー会場には宰相も居ますよ?』
『分かってるよ。だから面白いんじゃないか』
俺は悪趣味な殿下に、ますます厳しい顔になるが、それを見た殿下はますます大声で笑った。
だが、殿下はそんな俺を無視して、馬を指差した。俺はもう一度頭を下げて、自分の馬へと向かう。
殿下の事は考えるのはよそう。今はマーガレットの事だけ考えて馬を走らせれば良い。
俺は脇目もふらず、馬を走らせた。
「もう!フェリックスったら。帰っているのなら、何故私をエスコートしないのよ」
クソッ!お前に構ってる暇はないんだ。それより今はマーガレットだ。
ずっと殿下との約束を守ってステファニーを優先してきた。だがそれももう、今日で終わりだ。
しかし俺がその言葉を無視していると、
「ちょっと!聞いてるの?」
とステファニーが俺の肩を掴んだ。
俺はその手から逃げる様に肩を揺らしてステファニーから一歩離れた。
「今日でお役御免だ。俺がお前の面倒をみるのはこれまでだ」
俺から少し離れてしまったマーガレットが、俺とステファニーの間でキョトキョトしている。もうこいつの事は気にしなくても良いというのに……ステファニーの圧に小さくなってしまったマーガレットの肩を守る様に抱いた。
「何?その言い草。次期王妃の私が幼馴染のよしみで貴方に目をかけてあげていたというのに……」
マーガレットはこいつが俺に好意を持っていると言っていたが、普通、好意を持っている相手にこんな事を言うか?
「それはどうも。俺も幼馴染だからとお前の面倒をみていたが、もう十分だろ?もうすぐ殿下も戻って来る」
「でも、ここには居ないわ!ならば貴方がエスコートするべきは私でしょう?」
周りが俺達に注目している。こいつ……馬鹿なのか?殿下が戻って来ると言ってるんだ。一応殿下の婚約者の立場だろ?
大人しく宰相と踊っておけば良いものを……悪目立ち過ぎる。
宰相もそう思った様だ。ステファニーの側に近寄ると俺を見て言った。
「やぁ、フェリックス。殿下を迎えに行ったのではなかったのか?」
「どうしても、お……僕がマーガレットをエスコートしたいとお願いして、一足先に戻らせて頂いたんです亅
「なるほど。で……少し訊きたい事があるのだが……ちょっと良いかな?」
宰相に促される。俺は後ろ髪引かれながらもマーガレットと離れ、宰相である公爵に壁際まで連れて行かれた。
後ろを振り返るとマーガレットは俺に小さく手を振ってくれていた。か、可愛い……。俺も小さく手を振り返す。
何故かマーガレットの隣でステファニーがギロリとマーガレットを睨んでいた。
そういえば、学園でステファニーがマーガレットに走ってぶつかったのを覚えている。あの時はステファニーに殺意が湧いた事を思い出した。
「なんでしょう?」
薄々は気付いている。宰相が俺に何を訊きたいのかを。
「殿下は客人を連れ帰っている筈だが……君は見たのか?その客人を」
「はい。ですが口外するなと言われております」
「何処の国の王族なんだ?何処の王子だ?」
俺は殿下と馬車に乗っていた人物を思い浮かべる。だが、宰相に言うつもりはない。少なくとも俺の口からは。
「先程も言いました様に、口外するなと言われております」
「おいおい。私は宰相だぞ?その私が知らない事などあって良い訳ないだろう?」
「僕に口外するなと言ったのは殿下ですよ?宰相は……殿下より立場が上だと?」
俺の答えに宰相は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「すみません。婚約者を一人にしておくのはこの辺で」
俺は頭を下げて、その場を去る。
急いで戻らなければ、ステファニーからの圧でマーガレットがより小さくなってしまいそうだ。




