第37話
「夫はその時、既に二十五歳。私より七つ歳上だったのに、婚約者は居なかったの。だから陛下が面白がって、そんな副賞を付けたのだけど……夫はそれを一度、辞退したわ」
「辞退?」
「そうなの。『自分は伯爵家の次男で継ぐべき家も持たないから』ってね。私は剣術の試合ですっかり彼を気に入っていたから、それを聞いてガッカリしたのを覚えてるわ。諦めようかとしたその時……王妃が彼を『専属騎士』にするんじゃないか……って噂が流れたの。当時王妃が彼を気に入っていたのは周知の事実だったから」
『王妃』の『専属騎士』
何処かで何やら聞いたことがあるような話だ。私はその言葉に既視感を覚えた。
「私、何だかそれが癪に障って。父になんとしてでも彼と結婚したい!って頼み込んだの。最初は渋っていた父も私の熱意にやっと折れてくれて……陛下伝いに副賞って形で私との縁談を進めて貰ったのよ」
「それで……その時は何と?一度辞退されていたのですよね?」
「そうなの。だから『辞退は許さない』って事にしてもらって無理矢理結婚して貰ったのよ。陛下のご命令なら逆らえないでしょう?」
ニッコリ笑う夫人がちょっぴり怖い。
「でも、夫は私が強く望んだ事を知らないの。だって……恥ずかしいじゃない?嫉妬して、権力を使って手に入れた……なんて」
「では、侯爵様は今も『副賞で結婚した』と思っていらっしゃるのですか?」
「ええ。多分ね。侯爵位を手に入れられたんですもの。副賞としては十分有りでしょう?疑っていないと思うわ。
でも結局……騎士なんかと結婚するんじゃなかったって思ってるの。だって……寂しいんだもの」
結局、夫人は今でも侯爵様が大好きだって事だろう。これは惚気かしら?
「でもフェリックス様が侯爵様の後を追うように近衛騎士になったという事は、侯爵様がとても立派な騎士である事を証明している様ですね」
「そうね。フェリックスは夫を尊敬しているわ……でも彼があまり高望みをしない事に若干苛ついている事も確かね」
「苛つく?」
「元々夫は伯爵家の出でしょう?だから副団長止まりなんだとフェリックスは勘違いしているようだわ」
「勘違い……」
「そう『剣の腕は団長より上なのに、副団長で甘んじているのは伯爵家の出身だからだ』とね。でも……実際は違うのよ。夫は……これ以上忙しくなるのが嫌だと。
団長になると陛下に引っ付いて、あっちこっちに引っ張り回されるのが嫌なんだって。ほら……陛下って少し変わり者でしょう?じっとしているのが嫌で、国中を飛び回っているから……。あんなんじゃ、剣の鍛錬も禄に出来やしないって言ってね。団長になる話はあったのよ。でも断ったの。フェリックスは知らないわ。団長の面目を潰す事になるから、黙っておけ……って」
「……フェリックス様は団長を目指しておいでです」
私がそう言うと、夫人は少し眉を下げた。
「あの子は負けず嫌いだから。殿下が大人しく王宮で執務をする国王になってくれるなら良いけど……留学を十年もするぐらいだから……あまりそれは期待できそうにないわね。マーガレット、今から覚悟しておいた方が良いわ。結婚しても放っておかれるって事」
結局、ステファニー様の専属騎士にならなくとも、私は放置される妻の様だ。
まぁ、何なら今と変わらない。そっちの方が慣れているし、意外と気楽かもしれない。
私は夫人の言葉に、
「覚悟しておきます」
とニッコリ笑って答えた。
「お久しぶりです、デービス様」
「本当だね。相変わらず忙しいの?」
「はい。卒業式もあるし、結婚式も半年後に決まりましたし……。ところでデービス様、私に言う事ありません?」
私がデービス様の向かいに腰掛けながら問いかけると、彼は苦笑いした。
「仕方ないだろ?フェリックス殿に頼み込まれたら断れなくて」
「ステファニー様の時には断ったのに?」
「……意地悪言わないでくれよ。僕としては君のドレスを作るって言うからローレンの事を教えたんだ。ステファニー嬢のドレスって言うんだったら、絶対に教えなかったさ」
「フフフッ。ありがとうございます。お陰で卒業式でも、またローレンさんの素敵なドレスを着る事が出来そうです。本当はあの夜会のドレスを着て出席しようと思っていたのですが、アイーダ様にそれを言ったら呆れられちゃいました」
私が肩を竦めると、デービス様はホッとした様子だった。
「それを聞いて安心したよ。メグにご令嬢として恥をかかせなくて済んだって事だね。
でも……あの時のフェリックス殿は必死だったなぁ……『夏の夜会のマーガレットは悔しいけれど、とても可愛かった。あのドレスを何処で買ったのか教えてくれ!』ってね。僕が渋ると、自分が今までどれだけ阿呆だったのかを語って聞かせてくれてね……興味深かったよ、ある意味」
デービス様はその時を思い出しているのか、クスクスと笑った。
「悔しいって……」
「あのドレスを用意したのが僕だった事が、今更ながら悔しかったらしいよ。それと……今までずっと君の隣に立つ権利を放棄していた事もね」
「そうですか……」
私は少し恥ずかしくなって俯いた。そんな私にデービス様は静かな声で言った。
「でも……今日会えて良かったよ。僕……明日この国を発つ予定なんだ」
「明日?!そんな、急に……」
私は動揺して聞き返した。
「少し前に……父が亡くなったらしいんだ。その話をつい先日聞いてね。もう葬儀も何もかも済んでしまったらしいんだが……一度国へ帰るつもりだ」
「でも………」
その国と家を捨てたのはデービス様だ。私は少し心配になる。デービス様が戻る事で、また実家の義母とトラブルになるのではないか……と。
「大丈夫。実家には近寄らない。別に亡命した訳じゃないし、もう実家は弟が継いでいる。僕はあの家とは関係ない人間だよ。……でも、父は父だ。墓前に花ぐらい手向けたいと思ってね」
「そうでしたか……。デービス様がそうお決めになったのなら。気をつけて」
私にはそれが精一杯の言葉だった。
「おいおい、そんな悲痛な顔をしないでくれよ。もう済んだ事だ。僕にとっては全て過去だよ。過去に囚われていては前に進めない。きっとこれは僕にとって必要な事なんだよ。それに……そのまま僕は世界中を旅するつもりだ。今から楽しみなんだ。旅先から手紙を書くよ。君もいつか……いや、それは彼が許しそうにないな」
そう笑うデービス様の顔は晴れ晴れとしていた。
「デービス様からのお手紙、楽しみに待っています。いつか……私もデービス様の様に旅をしてみたいです。……叶うなら、ですが」
私もそう言って笑った。
本当は寂しい。もうこの図書館に来てもデービス様は居ない。そう思うと少し泣きそうになるのをグッと私は我慢して、右手を差し出した。
「この場所でデービス様に出会えて、本当に良かった。デービス様の書いた小説を楽しみにしていますね」
「僕もだ。この国を好きになれた理由に、間違いなく君の存在がある。君の様に純粋に物語を楽しんでいる人が居ると思うと、僕も頑張って本を書こうって思えるよ。君の様な人達に僕の物語を届けられるように……ってね」
そう言ってデービス様は差し出した私の右手をキュッと握って、私達は固い握手を交わす。
デービス様は最後に、
「幸せになるんだよ。君はもっと欲張りになって良いんだ」
と笑った。




