第33話
「何だか忙しそうね」
アイーダ様に言われて、私はため息を吐いた。
「結婚式が半年後になりまして……それに教師になる為の試験もあるし、アマリリス様の授業の準備も……それにフェリックス様も不在ですし」
フェリックス様が『半年後に結婚式!』と宣言してから三日が経っていた。
アイーダ様にはフェリックス様との関係が好転した事、結婚もするが、教師の夢も諦めない事を話していた。
話した時にはフェリックス様への罵詈雑言が止まらなかったが、当の本人である私がフェリックス様を許しているなら……と渋々納得してくれたのだ。
「半年後?!それまた急ね」
「はい……殿下の帰国が早まったので、半年後には落ち着いているだろう……というフェリックス様の見立てです」
「はぁ。殿下も気まぐれよね。最初は三年とか、四年とか……それぐらいの留学期間を十年に延ばしたかと思えば、急に帰って来るとか……振り回されるこっちの身にもなって欲しいわ」
アイーダ様のお父様も大臣をされている。振り回されている内の一人だ。
それより振り回されているのはステファニー様のお父様だろう……この国の宰相だし。
「それに……何だか客人も連れて帰るそうじゃない」
こっそりと小声でアイーダ様は言った。この事はまだ、主要な貴族しか知らない事だからだ。
「みたいですね。王宮は大騒ぎなようで……」
「本当に……迷惑な話よ」
アイーダ様は大袈裟に肩をすくめてみせた。
「学園も……何だか静かになりましたね」
私は教室の中をぐるりと見回した。授業が終わっているからだけではなく、もう一つ理由がある。
「卒業を待たずに結婚したご令嬢もいらっしゃるものね。私はまだまだ先だけど」
アイーダ様は苦笑する。ジェフリー様の卒業を待たなければならないアイーダ様だが、幸せそうなので、私は何も言わなかった。
「まぁ……卒業式の式典はまた騒がしくなるでしょう。貴女、結婚式の準備も忙しいでしょうけど、そっちの準備は出来てるの?」
「準備?特に何かする必要が?」
「普通は婚約者や、結婚相手がドレスを贈るのでしょうけど……もちろんフェリックス様からは何も贈られてないわよね?」
「フェリックス様はご不在ですから父のエスコートですし、手持ちのドレスで良いかと……」
私は夏の夜会で着たドレスをまた着ようと思っていただけだった。
「まさか貴女……夏の夜会で着たドレスを着る気ではないわよね?」
図星を突かれて言葉に詰まる。私はアイーダ様の顔色を窺う様に、
「ダメ……ですかね?」
と尋ねた。
「ダメじゃないけど、ダメよ。今から用意しても間に合わないかもしれないけど、せめてリメイクぐらいはしなさいよ。全く同じドレスで出るのは女の恥よ」
ピシャリと言われて、私は若干青ざめた。
デービス様にローレンさんのお店を尋ねようか……彼女に頼めばあのドレスをリメイクしてくれるかもしれない。
私がそんな事を考えていると、にわかに廊下が騒がしくなった。
「そう言えば……今日は来てるって言ってたわね……例のあの人」
とアイーダ様が廊下へと視線を送る。すると、数人の取り巻きと共にステファニー様が現れた。
私も無意識に廊下を見る。その瞬間ステファニー様と目が合った。
私はいつもの様にそっと視線を外して、今まで確認していた結婚式までの予定表に目を落とす。
ステファニー様も、もう私の事など見向きもしていないと思っていたのだが……
「ス、ステファニー様?」
「ちょっと、貴女、何を……?」
ステファニー様の取り巻きやアイーダ様の声がざわざわと混じる。私は机に落ちた影に顔を上げた。
そこには、いつもの様に美しい顔で微笑むステファニー様が、私を見下ろしていた。
「貴女と話すのは初めてよね?」
挨拶も無しにステファニー様はそう私に言った。学園では一応平等を謳っているが、この圧……。座っていたら潰されそうなその圧に、私は弾かれたように立ち上がった。
「ステファニー様、こ、こんにちは。そう……ですね。直接こうして会話をするのは初めてかと……」
「私、貴女に話しがあるの」
私の最後の言葉を待たず被せる様にそうステファニー様は微笑んで首を傾げる。……でも目が笑っていないので怖い。
そこにアイーダ様が口を挟む。
「話ならここでどうぞ?」
相変わらずアイーダ様はステファニー様には強めだ。
「アイーダ様、貴女には関係ないの。ねぇ、えっと……名前、何だったかしら?」
ステファニー様が可愛らしく顎に手を当てまた首を傾げた。
取り巻きの令嬢方がクスクスと笑う。小さな声で『本の虫令嬢』と笑いながら言っているご令嬢も居た。それが聞こえたステファニー様は、
「皆さん、笑ったら悪いわ。それに悪口なんて、はしたないわよ?いくら彼女の影が薄いからって……」
と言いながらもステファニー様も笑う。
「王太子妃になる人が貴族の名前も分からないなんて……勉強不足な貴女に問題があるのではない?」
アイーダ様の言葉に取り巻きの方々もステファニー様自身も笑うのをピタリと止めた。
「先程から……私はこちらの方とお話しているのよ?アイーダ様は邪魔なさらないで」
「邪魔って……!」
アイーダ様が言い返そうとするのを、無視してステファニー様は私が机の上に広げた予定表に視線を落とした。
「あら……これは?」
サッとその紙をステファニー様が持ち上げる。咄嗟に取り返そうとした私の手は空を切った。
「あっ!」
「ふーん。フェリックスとの結婚式ね……」
予定表を眺めたステファニー様はそう呟いたかと思うと、その紙をグシャと握り潰した。
予想外の出来事に、取り巻きの方々も、アイーダ様も、そして私も、口をポカンと開けたまま何も言えなかった。
「ねぇ……。貴女には本当に申し訳ないと思っているの。でもね、フェリックスと結婚するのはやめた方が良いわ」
とステファニー様は眉を下げた。
「やめた方が良い?」
予定表を握りつぶされた衝撃から立ち直りつつある私は、何とか言葉を発した。
「ええ……。その事についてお話したかったの。ここでは何だから……サロンに行きましょう?」
学園にはサロンがあるが事前に予約が必要だ。
「そんな……急に?」
「大丈夫。私は未来の王妃よ?学園のサロンぐらい融通が利くわ。安心して?」
ステファニー様はまたそう言ってニッコリと微笑んだ。
……だから、目が笑ってないんだってば!




