第26話
「とんでもない!僕がマーガレットを手離す事は有り得ません!」
フェリックス様はテーブルの上に置いた手の拳をギュッと握った。
父もその答えが意外だったのか、
「ではどういう事だ?君はマーガレットをどうしたいんだ?」
と尋ねる。
今までのフェリックス様の行いや態度には、父も母も思う所がある筈だ。
「どうって。マーガレットが教師になりたいのならそうすれば良い。だからと言って結婚出来ない事はありません。僕の妻として……教壇に立てば良い」
フェリックス様の言葉にデービス様が口を開く。
「この国で侯爵夫人でありながら教師をしている者など聞いた事がない。女性の社会進出が進んでいる国ならいざ知らず。伯爵はそれを心配しているんだろ?」
フェリックス様はチラリとデービス様を見てからこう言った。
「前例が無いなら作れば良い。ただそれだけだ」
「ふーん……でもそんな二足のわらじみたいな器用な事、メグに出来るかな……」
「メグって呼ぶな。馴れ馴れしい」
二人の間に何やら不穏な空気が漂う。デービス様はそれを何処となく楽しんでいる様だが、フェリックス様はデービス様に心底不快感を抱いている様な顔でそう言った。
「メグはメグだ。メグは君の所有物じゃないよ。それに僕がどう呼ぼうと勝手だろ?君に指図される覚えはない」
「貴様!!子爵のくせに……っ!」
「あ!それそれ。こんな時に身分を振りかざすのはみっともないよ。メグが伯爵令嬢だからって自分の思い通りに出来ると思った?邪険に扱って良い存在だと?」
その言葉にフェリックス様は、
「そんな!!」
と反論しようとするが、父も、
「……うちの娘が冷遇されていたのは事実だと思っているよ。さっき『マーガレットを手離す事はない』と君は言ったが、マーガレットが不幸になるのを見過ごす事は出来ない。これでも父親なんでね」
そう言ってフェリックス様の今までの行いを暗に責めた。
「僕は子爵を継ぐわけではないし、メグを幸せにしてあげる……なんて約束は出来ない。だから結婚を申し込むなんて馬鹿な事はしないが、君よりメグを笑顔に出来る自信はあるよ」
デービス様の言葉に今度は私が目を丸くした。『結婚』?デービス様の口からその言葉が出た事に私は心から驚いていた。確かに一緒に旅をしようとは言われたけれど……。
「平民になるお前にマーガレットを笑顔に出来ると言うのか?!」
「あぁ!君よりね。君はメグの笑顔を最近見たことがあるの?」
デービス様の言葉にフェリックス様が押し黙る。……笑顔。フェリックス様の前で笑顔になったのは、もうずーっと昔の事だ。
しかし、デービス様と父に責められて拳を握りながらも、
「それでも……僕はマーガレットを手離しません。デービス……お前にも渡さない。絶対に」
と声を震わせたフェリックス様に何故か私は胸が苦しくなった。
『三竦み』と言う言葉が頭をよぎる。あれはカエルとヘビと……あと一つは何だっけ?あ……ナメクジだ。
三人はフェリックス様の言葉を最後に黙り込んだ。
ネイサンが呑気に、
「姉様、意外にモテるね」
と私に耳打ちする。こんな時に何を……と頭を叩きたくなる衝動を抑えた。
沈黙の時間はどうしてこんなに長く感じるのだろう。本当はごく短い時間のくせに。しかしこの空気感……給仕もデザートを運んで良いのか躊躇しているようだ。
ようやくフェリックス様が口を開く。
「王太子殿下が帰国すれば……。いや、とにかくマーガレットと一度ゆっくり話をさせて欲しい。……ダメだろうか?」
最後の問いは私に向けての言葉だった様だ。いつになく自信の無さそうなフェリックス様が別人の様に感じられて私は困惑した。
「マーガレット、お前が全て決めて良い。お前の思うように生きなさい」
父の言葉に、ここまで黙っていた母が口を挟む。
「でも……私はやはり女の幸せに結婚は不可欠だと思っているの。もちろん、それだけが全てではないわ。でも誰かと家庭を築く事、家族を作る事、それを全て放棄するのは……私は反対よ。でも……貴女を大切に思う人を選んでちょうだい」
母はどうもデービス様を推している様だ。フェリックス様の顔が強張る。
「僕も君たち二人には会話が必要だと思っているよ。僕とメグにはたくさん会話する時間があったけど……フェリックス殿は今までその権利を放棄していた様だったから。勿体ない事に」
デービス様は最後までフェリックス様を煽る事を忘れなかった。私はまたフェリックス様が怒り出すのではないかとヒヤヒヤしたが、フェリックス様はまた私の顔を見て、
「君の時間をくれないか?」
と不安げに瞳を揺らしながら私に尋ねてきた。
フェリックス様の顔色が心なしか悪い気がする。そんなフェリックス様に、私はまた胸が苦しくなった。
「では、フェリックス様。一度ゆっくりとお話しましょう。いつに……」
『なさいますか?』の言葉に被せる様に、
「明日からまた忙しくなるんだ。……出来ればこの後二人で話したい」
とフェリックス様が重ねる。
「なら、マーガレットの部屋で二人ゆっくりと話せば良い。……もちろん扉は少し開けておくように」
そう父に言われ、私は頷いた。
フェリックス様には先に部屋で待ってもらう様に伝えると、私はデービス様を見送る。
「今日は送って下さってありがとうございました」
「こちらこそ、夕食までご馳走になっちゃって。凄く美味しかったよ。それじゃあ」
デービス様は扉に手をかけてから、私に振り返る。
「フェリックス殿とゆっくり話すんだよ?せっかく僕が煽ったんだから……って、ちょっと煽り過ぎちゃったかな?」
「え?あれはやはり……わざと?」
「ふふ……どうだろうね?じゃあ!」
デービス様はあやふやな答えのまま笑顔で去って行った。




