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美豚  作者: よしだとよじ
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7.キムタクの広告

 そして電車内の人はブレーキと同時に大きく傾いた。彼の背中に張り付いている私は彼と共に傾いた。


 彼の体と共に回りの人の体重が私にかかってくる。私の体重もまた別の人にかかっている。乗客は皆、目を強く閉じて苦痛に耐えている表情をしていた。


 そして、傾きが落ち着くと皆体勢を直し始めた。その時、私に話しかける声がした。

「すみません。大丈夫ですか?」


 私はその声の方向に目を向けた。その声は目の前にいるいつも会う彼であった。私は急な緊張に頷くだけが精一杯であった。彼はそのまま吊革を握り直して前へ向き直った。


 私はそんな彼の横顔を無意識にしばらく見つめてしまった。今日はついに彼の声を聞いた。私はびっくりする余りそっけない態度を取ってしまった。


 もう一度何か言ってくれるかな。またブレーキがかかりさっきのようなシチュエーションになれば何かあるのかな。私は次のチャンスに期待していた。


 その彼への視線をごまかすために、彼より先にある中吊り広告へ視線を送った。広告のモデルはキムタクであった。


 キムタクはジャニーズのSMAPのメンバー木村拓哉で、歌手としても俳優としても日本一の男性 タレントである。


 キムタクは端整な顔立ちのアップは、視線をこちらへ向けていた。広告の内容よりこのキムタクの方がインパクトが強い広告であった。


 いい男ランキングでは常に一位で、それをもう何年も維持している。SMAPではヒット曲 を連発し、ドラマや映画でも主役で素晴らしい演技にヒットを連発している。


 私もそんなキムタクが好きな女性の一人であった。今、中吊り広告からキムタクがこちらを見つめている。その手前には私が意識している電車の中の憧れの彼がいる。


 彼と広告の中のキムタクを比べるわけではないが、私はキムタクへ向ける視線と同じような視線を、彼に送っているのかもしれない。


 キムタクが広告の中の人で架空ならば、その目の前にいる彼も私が作り上げた架空の人で、それはキムタクも彼も似たようなものであるからだ。


 目の前に現実の男がそこにいた。

「どうですかね?」

 洋服屋の試着室から、試着した服で変なポーズをとる笑顔の本間がそこにいた。


 やめてよ!みっともない。お笑い番組のコーナーじゃないんだからか。カーテンを閉めちゃおうか。

 もちろんそんなことはせず、しばらく見つめて考えてから「いいんじゃないですか」と答えていた。


 半年程前の送別会の帰り道。本間から誘われて酔い醒ましにカフェへ寄った。その時本間から、同窓会で着ていく服を買いに行くのを付き合って欲しいと言われた。


 本間は服などに全く興味がなく、服を買いに行くと何を買っていいやらわからなくなるのだという。しかし、予算に余裕はなく安物でまとめなければならなかった。


 いいものは高い金を出せば揃うとしても、いずれにせよ元が元だからやはりうまく自分ではコーディネートできないという。そこで私のような女性に選んでもらい、さらに客観的に見て判断して欲しいとのことだった。


 会社の人とプライベートの時間を過ごすのもどうかと思いつつ、私も休日は特に忙しくなく、どちらかというと暇だったので行くことにした。


 本間は選ぶものに特にこだわりなどなく、それに加え彼の選ぶ服は特に外れたものでもなかったので、私の出番はそんなになかった。しかし、彼は選ぶもの全てにいちいち「これいいかな?大丈夫かな?」と迷って聞いてきた。


 そして、ひと通り買い物が終わると、少し休もうと繁華街の片隅のカフェに入った。

「今日はありがとうございました」

 本間は買い物した袋を傍らへ置くと、満足そうに言った。


「いえいえ、私は何の役にも立たなかったような...」

 私もそう言って微笑みながら水に口をつけた。

「俺、服にセンスも興味もないんで、独りで買い物来ると心配になるんです」

 そう言う本間に私は「そんなことなさそうですよ」とトーンを少し上げて言った。


「いや、だからいちいち聞いちゃって」

 本間は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべて言った。

 本間は手にした洋服が自分に合うかどうか判らなくなるそうだ。


 家族からは一万円の服も自分が着ると千円にしか見えないと言われるという。それから私たちはしばらく買い物の続きをして、食事がてら居酒屋へ行った。


 生ビールを注文すると身近な他愛のない会話を始めた。本間と会社では、ほとんど会話をしたことがなかった。


 私も女子社員とはお昼や帰り道に会話することはあっても、男性社員とは機会もなく会話することはあまりなかった。


 本間は会社ではほとんど無口で、必要以上に誰かと話すことはなかった。

「え?俺が無口ですか?」


 本間は私が「会社では無口ですよね」と言うと驚いた顔してそう言って、付け加えた。

「確かにあの会社に入社してからそうかも」

「会社、合わないですか?」

 私は判りきった質問をした。


「いやぁ。そんなことないですよ。好きじゃないですが」

「やっぱ合わないんですね。笑」

 お互いのボケ・ツッコミに二人で笑った。この日、買い物からカフェと本間と一緒に過ごしていて、よく冗談ばかり言うしよく笑う人だなと思った。


 いつの間にか本間とはボケツッコミするようになっていたし、本間のあからさまなボケにツッコんでいる私がいた。その姿は会社での本間とはとても重ならなかった。


 また同時に、初めて一緒に過ごすような感じには思えなかった。会社にいる暗い本間を見る限り、恋人なんかいなく恋愛とは無縁だと感じていた。


 しかし、こうして一緒に過ごしてみると、気さくな感じがとても良く、外見と中身が逆転していくように感じた。

「もちろんこんなはずじゃなかったですよ」


 本間はそう言って笑ってみせた。彼はやはり会社に対して無理しているようであった。しかし、このご時世では適当に動くわけにはいかず、仕方なくこの会社にいるのだという。


 本間はこの会社に希望を持ちここで出直そうとしたのだという。今まで得られなかったものをここで得て、この会社こそが自分の最終地点。


 人生はどんな三十代を歩むかで決まる。だから、決断として動いた結果、今この会社にいるのだという。

「まぁ人生には失敗が付きものですから」

 本間はそう言うとビールを飲み干し笑った。


 そして、本間は話題を変えようとメニューを開き、しばらく眺めると私に差し出しながら言った。

「何か選んでください。キムチ食べませんか?」

「いいですよ」

「あ、キムチで思い出しました。話が変わりますが、俺、キムタクと会ったことがあるんです

 よ」

「え?キムタクにですか?」


  つーかキムチからキムタク?何から思い出してんだよと内心笑った。私はメニューを受け取るもそのキムタクの話が気になり、何も選ばずにメニューを閉じながら本間に聞いた。

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