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美豚  作者: よしだとよじ
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6.ブライダルの広告

電車は次の駅へ向かい走り始めた。揺れる電車の中で、彼との距離はすぐ目の前というか、張り付いている状態だった。


彼とのこの距離は、この満員電車以外ではあり得ない距離である。私は始めて彼の香りを感じた。


別に普通のスーツの匂いであったが、いろいろな匂いがある中で、これが彼の香りだとわかるのは嬉しい新発見であった。同時に彼に抱く勝手な妄想が壊れ始めるような気もした。


そして、私の目に入った次の広告は、華やかなハッピーさがアピールされたデザインの、ブライダル雑誌の中吊り広告であった。


メインのモデルはソフトな感じな顔のウェディングドレス姿の外国人女性で、清く美しい結婚の主役をイメージしたものであった。


モデルの回りには様々な結婚に関する特集やら記事の紹介がされていた。「感動サプライズな演出!」「どうすればいい?結婚準備」「素敵な結婚式のテーマ」等など、夢のような結婚の記事をつらつらと連ねたカラフルな中吊り広告であった。


私はそんな中吊り広告を読んでみて思った。私は結婚を意識したことがほとんどなかった。しかし、結婚したくないわけではない。


意識したことがないというより、意識しないようにしていたのではないだろうか。


やはりこの中吊り広告みたいに結婚を考えてみたいと思うし、そんな幸せを味わい過ごしてみたいとも思う。


あのカラフルな中に自分を置いてみたいとも、切に思うものである。しかし、そんなことを考えれば現実というこの瞬間に叩き落されてしまう。


この叩き落しが辛いから、考えずに意識しないようにしているのかも知れない。ここから先は考えれば考えるほど負のスパイラルで、自分の頭が塞がっていくのがわかった。


そして、憧れの彼に張り付き朝から不安定な気持ちの時に、この中吊り広告はなんて余計なんだろうと思った。


いくら商売の広告でも...というそれは、結婚とは無縁と決め付けている私の妬みでしかないのであろう。そこで先ほどの木下の送別会でのことを思い出した。


面倒臭い席決めが終わり、送別会は始まった。長田が遅れてやってくると、再び乾杯の音頭が取られた。


私はお酒も好きだし、食べるのも好きだから、乾杯の後は女子としてある程度回りに気を使いつつ、飲食を楽しんでいた。


私の左横には今回寿退社する送別会の主役の木下がいて、右側には辻野と前橋が必死に話しかけるキレイ系の女子の望月がいた。


その望月の隣りには可愛い系の宮下。そして、私の目の前には淡々と食べてばかりの無口な本間。右前方には女子に必死に話しかける辻野。本間の右隣りの左前方には普段とは違って陽気な長田がいた。


ワイワイ盛り上がる右側の六人と、ボソボソ慣れない会話をする私たち四人。私と望月との間には越えられない大きな壁があった。そこでこの宴は真っ二つに分かれていた。


木下が長田に気を利かせて取り皿に料理を取り分けると、長田が木下に言った。

「おぉ悪いねぇ。木下君の式はいつなの?」


「来月なんです」

照れくさそうに木下が言うと、長田の質問がさらに続いた。そのたびに木下は照れた表情

でその質問に答えていた。

「式はどこで?」

「プリンスホテルです」

「凄いね!」

「そんなことないですよ」

「彼はどんな人なの?仕事とか」

「税理士です」

「それも凄いね!」

「準備とか大変だったでしょ?」

「大変でした」


長田は木下の相手の職業を聞くと、質問の方向を変えトーンダウンしていった。木下も答えるのが面倒臭そうであった。


彼女とは普段から仲が良かったため、既にいろいろ話は聞いていた。はっきり言って羨ましかった。彼女は大変だとは言うものの、そんな準備がまた楽しかったに違いない。


結婚の楽しさや嬉しさは、そんな準備からあるものなんだなと、彼女の話を聞いていて思った。


長田が「だよなぁ」と言ってグラスに口つけた。

私はその長田の言葉に思った。はぁ?カチョーは結婚してんの?私が言うのもなんであるが、カチョーが結婚?と思った。というか、カチョーが既婚とは知らなかった。


その瞬間、私は何気なく本間と目が合った。本間も同じくそう思ったのであろうか。


「俺もすごく面倒臭くウザったかった記憶があるよ」

長田はそう言って笑った。

カチョーの結婚は、たぶん見合い結婚だろうなと私は勝手な想像をしていた。


「金もかかるし、気も使うしな...。新婚旅行はどこなの?」

木下は長田に聞かれると、嬉しそうに元気良く「ハワイです」と答えた。


私はハワイには新婚旅行で行くと決めており、それまでは絶対に行かないと決めているくらいであった。今の私にとってハワイは月に近いくらい遠いものであった。


それから長田の結婚の思い出話が続いた。本間はそれを淡々と聞きながら、特に反応せず飲んで食べていた。


「課長は何歳でご結婚されたんですか?」

木下が長田に質問し返した。

「俺は三十歳だよ。ところでお前は?」

長田はすぐ隣りの本間に話を振った。本間は食べるのを止めて「は、はい?」と言って長田に聞き返した。


「結婚だよ、結婚!」

長田は本間に話を振ってやったのにといった感じで言った。本間は関係ねぇだろと言いたかっただろうが、短く「まだです」とだけ言った。


さらに木下が本間に、「彼女はいるんですか?」と訊いた。すると長田が横から笑いながら「失礼だろ」と口を挟み言った。

「いないだろ。こんな暗い奴に」


本間は適当に頷き、木下に流すように微笑むと黙っていた。そして、そのやり取りを見ていた私に本間が話を振った。

「掛布さんは彼氏いるんですか?」


こいつどんだけ空気読めないんだよ。わかってて言ってんのか?いないものはいないと答えるしかないが、普段から気にしているだけあって改めて口にするようで嫌だった。

「いませんよ...」


本間はそれを聞くと、「そうですか」と言って手前の料理をつつき始めた。

話が止まったじゃねぇか。

そこで私も意地悪に本間へ質問した。

「本間さん、本当は彼女いるんじゃないですか?」


本間は私の質問に口の中の物を飲み込むが、そこでまた長田が口を挟んだ。

「何度も失礼だろ〜」

そう言って長田は笑い出した。本間も苦笑いして頷いていた。

「で、いるの?」

笑い終えた長田がトーンを変えて本間に聞いた。


「いませんよ」と本間があっさり答えると長田はトーンを上げて言った。

「だよなぁ。俺が女だったらお前なんか選ばねぇもん」

そして、長田はグラスのお酒を美味しそうに飲んだ。


そうか...。でも私も、ここにいる女子全員も、いや、あなたの奥さん以外の女性も、いや奥さんも...長田さん、あなたを知る限りあなたを選ばないよ。


「お前もこのままじゃ結婚も出来ねぇだろ。彼女みたいに幸せにできるか?結婚式してハ

ワイに行けるか?」

長田はそう言って本間の方を見て笑った。


こいつ何てこと言うんだ。酒のせいか日常からかわからないが、こんな席では人を害さないで欲しかった。本間は送別会としてやってきただけなのに、送られる主役の木下だって嫌な気持ちになるじゃないか。


右側からはワイワイと別次元の会話が耳に入ってきた。

「望月さん彼氏いないの?」

「俺、フリー」

「あそこの店おいしいよね」

「あたしも知ってるそのお店」

「このあとカラオケに行こうよ」


一方こちらでは、本間が長田の質問に苦笑いしながらごまかしていた。というより長田の言葉を聞き流しているようであった。


「無理だろうな。お前みたいな奴には無縁だよな。この街で働く冴えないサラリーマンには無理な話だな」

長田は吐き捨てるように本間に呟いた。私と木下は表情には出さなかったものの、長田のその言葉には不快だった。


しかし、何となく長田の言うことは現実的にそうなのかなとも思ったりした。


それからひと通り飲食して時間を過ごした送別会は、望月から木下へ餞別の贈り物が渡され、木下の一言の挨拶と皆の拍手で幕を閉じた。


皆、赤ら顔で店を出ると、しばらく店の前でダラダラと木下とのお別れのやり取りをしていた。そのうち家路につく者とコソコソと次に行く者とで別れ、それぞれの方向に足を向けた。


私と本間は同じ方向を歩いていた。オフィス街の店はほとんどがシャッターを閉めており、飲んだ帰りか残業帰りのサラリーマンか OL がポツポツ歩いているだけであった。


本間は静かなオフィス街で唯一明かりを灯すカフェを見つけると私に言った。

「掛布さん、お茶でも飲んで帰りませんか?」

「え?話すことあるんですか?」とは言えなく「はい」と答えた。

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