12.美豚
「それで自分は豚だと?」
本間はズバリ聞いてきた。何て失礼な男だと思ったと同時に、この会話で何か開ける気がした。
本間が不細工だからそう思えたのであろうか。それも失礼だが、本間は真剣に接していてくれた。
「...うん」
私はそんな小学校低学年の出来事から、自分が“ブスな豚”だと思うようになった。
まるで自分の姿を録画したビデオで改めて見た時のような、自分が想像とは違うという恥ずかしい衝撃を、姿や形という外見で感じるのは耐えられなかった。
生まれてきて他の人と同じように当たり前に生きてきたのに、外見からして、行動が身の程知らずだなんて耐えられなかった。恥ずかしかった。
「不細工な俺が、自分の不細工を認めて言わせてもらうけど、確かに掛布さんだって太いと言ってしまえば、太いよ」
なんだこいつ!そうだよ。でも、本間は自分の不細工を前提に話している。
「でも、誰と?何と比べて太いの?」
「それは他の人と比べて...」
「他の人って?例えばあの人?」
カフェの前の歩道を歩く、背の高いモデルのような女性を本間が目で指して言った。
さらに「あの人?」と言って目を移した先には、普通体型な女性がいた。次から次に目で指した。
中には巨漢のド派手なおばさんもいた。本間は歩道を歩く通行人の男性を指して続けた。
「俺もあの人くらい背が高かったらな」
「彼みたいに顔の彫りが深かったらな」
「あんなカッコいい白人だったらな」
本間の挙げる相手はどれもイケメンで、中にはタレントのような可愛い子を連れていた。そして本間は最後に歩道とは違う場所に指差した。
「あいつと俺は同い年なんだぜ」
それは広告塔のキムタクの写真だった。
「何が言いたいかって言うとさ。掛布さんは自分が思っているほど太ってないし、逆に普通より細いくらいじゃないかな」
私はそんな本間の言葉を遮ろうと思ったが、ここは最後まで聞いてみることにした。
「比べる相手が悪いんだよ。というか比べたりしたらダメだよ。掛布さんは掛布さんだし、どんなに頑張ったって、真似は出来ても他の誰にもなれないんだよ」
受け入れろということであろうか。
「掛布さんは掛布さんの価値観で、掛布さんの幸せを描くべきだよ」
だからその幸せがさ...。
「その事件の前の明るい掛布さんで良かったと思う。幸せは明るさからやってくるんだし。『笑う門には福来る』って言うようにね」
私は閉ざしてしまったのだろう。
「幸せじゃないのも自分が“豚”だからだと思ってる?」
そりゃそうでしょ。この世の中あからさまに美人の方が有利だし得してるんだし。理想には全て美男美女がキャスティングされているし。
「でも自分を“豚”にしているのは自分じゃない?」
豚みたいなんだから、高望みなんかしないで豚と認めてしまった方がいいじゃん。
「でも、その豚では不幸なんだよね?」
不幸とまで思わなくても幸せでもないな...。
「豚で損していると?」
豚で損はしてないけど、美人ほど得してないよ。
「掛布さんが自分を豚だと思うのはいいけどさ。同じ豚でも違う豚と認識してみてはどうかな?」
私の豚論議は続いた。昼下がりのお洒落なカフェでの会話は、私がどんな豚かという論議となっていた。
私は“掛け布団”の事件以降、ずっと自分は“ブスな豚”なんだとしてきた。しかし、改めてそうしてきた訳でもないし、意識して“ブスな豚”を演じてきた訳でもない。
事が起こるごとに“ブスな豚”であることを理由にしてきた。不快なことからツイてないことまで、友達との仲違いから失恋まで、満たされないこと全てを自分が“ブスな豚”であることとしてきた。
“ブスな豚”だから運命の巡り合わせも悪く、そんなキャスティングの人生しか送れないのだと…そう思ってきた。のかもしれない。
そこで本間は、豚なら豚で同じ豚でも“ブスな豚”ではなく違う豚にしたらどうかと言っている。私は聞いた。
「どんな豚?」
「...」
本間は悩んでいる。私にはどんな豚がいいかで悩んでいる。
昼下がりのカフェのオープンテラスで、彼は雑踏に包まれながら、その答えを真剣に考えていた。私は黙ったまま考え込む本間の次の言葉を待っていた。
私はチラリチラリと回りを見回した。回りのカップルはそれぞれの話題に夢中になっている。回りのカップルもこの男女の会話が、この女の豚についてとは思っていないだろう。
しばらくして私は考え込む本間に聞いた。
「私の豚で悩んでいる?」
「...うん」
「うん」ってあんた失礼だよ。
少しムカついてもきたが、自分を“ブスな豚”にしている私を思ってのことと思うと、本間の答えが少し気になった。
どんな豚にされるかわからないが、彼の真剣に考えている姿にとりあえず黙っていた。
しばらくして本間が閃いたように言った。
「美しい豚は?」
「はい?」
「そう、美豚」
「...」
「留衣美豚」
「るいびとん??」
「そう。掛布豚(掛け布団)にかけて、留衣美豚」
「...」
つまらなかった。下らなかった。実に下らなかった。この話のオチがこれかよ。どうしてそういう発想になるのかわからなかった。
本人も下らない駄洒落であることはわかっていたようで、その後あれこれ笑って説明し誤魔化していた。
私はあまりの下らなさに少し引いていたが、後に彼が何を言いたいかわかってきた。豚だと決め付けている私はその豚を“ブスな豚”としていた。
本間はそこで同じ豚でも、自分が美しい豚だと思えばいいと言い出した。それは「物は考えよう」ということであった。
彼は私の例えに当てはめて、強いて言えば自分を狼だと例えていた。もちろん彼は狼という例えにはほど遠いが、容姿を別にすればどんな動物にだって例えられるということである。
本間は人がどう思うより自分がどう思うかだと言った。同時に人は自分が思っているほど、自分のことを何にも例えていないという。
いや、そう思わなきゃダメだと言った。しかし、本間は自分を見る回りの本当の視線を、皮肉にもよくわかっていたようだった。
「まぁ女性に対して、失礼にもさんざん豚、豚と言ったけど、俺は掛布さんを“ブスな豚”だなんて思ってないよ」
本間はそう言って続けた。
「逆に一見可愛い草を食べるウサギに見えても、内面性格悪く裏では肉を食っているようなウサギだっている。そんなウサギより表に見える性格の良いきちんとした“豚”の方が俺は好きだな。いや、世の男性のほとんどがそう思っているに違いないと思う」
本間はひと呼吸置いてさらに続けた。
「もし、今後も自分を豚と例えるなら、“ブスな豚”ではなく“美しい豚”に自分を例えてあげて欲しいな。出来ればもう自分を豚とは思わないで欲しいな」
私は改札を出て外に出ると会社へ向かって歩き出した。
駅前にはいくつもの顔と人生が私の前を交差していて、いくつもの広告がいくつもの“物語”をこちらへ発信していた。
いつもの通勤ルートであるが、今日だけは少し違って見えた。いつも目にする駅にある旅行の広告ポスターも、今日は違って見えた。
緑いっぱいの草原から、清涼感たっぷりの渓谷、疲れが抜き出るような温泉、浴衣姿の美女に色とりどりな料理という写真。
広告だからそんな写真演出は当たり前であるが、ポスターには誰が見ても「行きたい」と思わせる“物語”が詰まっていた。
いつもはそんなポスターを横目で見ては「いいなぁ」「行きたいな」と思い想像し、そして自分に当てはめてはその想像の現実感の無さで流してしまう。
それは自分が「ああだったら」「こうだったら」と理想の人種を描いては、自分はダメなんだと結論づけるからだ。
しかし、今日の私は違った。行き交うたくさんの人たちの中で、私はその“物語”での自分のキャスティングを変えてあげることにした。
私はもう自分を“ブスな豚”だと思わないようにした。なるべく自分を高めてあげようと思った。もう広告の“物語”に捉われて「いいなぁ。でも私は...」と自分をいじめるようなことはしないと決めた。
いつも駅で会う通勤電車の彼も私の想像でしかない人で、本当の彼がどんな人かもわからず、自分に本当に合う相手なのかどうかもわからない人である。
縁があるなら何か出来事なりサプライズなりがあり、自然とそんなシチュエーションとなるはずである。これまで彼は私に見せつけるだけで、何をしてくれたのであろうか。
それこそ私が勝手に彼の回りを回っていただけで、それは彼がどうとかではなく、私の勝手な想像や思想でしかなかった。そんな自分の価値観の下らなさに、彼への熱は冷めていった。
楽しまなきゃ。"美豚"という物語を演じてみてもいいかなと思った。
幸せの価値観が少し外れていた自分には悔やむし、トラウマから自分を蔑み痛みつけ、さらに望むものは見上げるばかりの人生も違う。思い描いて自分に幸せを与えてあげるべきではないか。
私は変わろうと決めた。かなりつまらないが、本間のダジャレの“瑠衣美豚”。そして、明日から女性専用車輌に乗ることにした。




