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美豚  作者: よしだとよじ
11/13

11.あんぱん事件

 支え合って傾いていた乗客の重心は、辛うじて持ち堪え通常の直立に戻った。私は小さく溜息をついた。電車は私の降りる会社の最寄り駅のホームへ滑り込んでいった。


 ドアが開かれると、押し出されるように前へ進まされ、目の前にいた憧れの彼の背中をすり抜けて、回りの人たちに押されながらホームへ押し出された。


 そして、いつものように憧れの彼の乗る車輌を背にして、改札へ向けて階段を上った。誰もが振り返ることなく淡々と階段を上がっている。私も同じように階段を上がった。


 さらにエスカレーターの左側で、黙って前を向いて上がった。私の右隣りを何人もの人が、急ぎ足で通り過ぎていく、それはいつもの光景であった。


 今日の私はエスカレーターを上がりきる手前で、後ろを振り返り見てみた。同じように上階へ上がる人の頭や顔がいくつもあった。


 老若男女、美人もハンサムもみんな同じ顔にしか見えなかった。いくつもの人生があるようにも見えた。この中で私はどんな顔しているのであろうか。今日の私はそんなことを考えてみた。


 先日、カフェで本間にある告白をした時のことである。

「あっはっは!布団かよ!」

 これは私の話を聞いた本間の感想だった。これまでのトラウマの元凶の“掛け布団”の出来事を話したのである。


 話の始まりは、芸能人の話題から本間が私を「可愛い」と言ったことだった。私はこれまで可愛いなどと言われたことが…なかった訳ではないが、私は一向にそれを胸の中でも認めることはしなかった。


 自分に自信がなかっただけでなく、奈落の底に落とされたあの“掛け布団”の出来事がトラウマとなっていたのだった。


 自分の話に夢中になり、どれだけ自分が不細工なゆえに損してきたかを語っていた。正直、男性の前で話す話題ではない。


 しかし、変に「可愛い」などと言われたことで、不細工に対して感情がエスカレートしてしまった。私だって不細工を認めたくなんかないし、可愛く綺麗な女性になりたいと思う。


 だから、毎朝一生懸命お化粧だってするし、月に一回は美容院だって通っている。服だってファッション雑誌を参考にするし、なるべく流行の色や形を気にしたりもする。食べたいものも我慢して体型を気にしたりもする。


 でも、自分に自信を持つのが怖かった。だから、「可愛い」なんていわれて素直に「そうなのかな」なんて思えなかった。


 豚と言われて辛いなら常に自分を豚と思っていた方が辛くないから。いつもそう思っていた。


 私の話し方もあったのかもしれないが、その“掛け布団”の話を大笑いされるとは思わなかった。本間にとって、私が話すそんな話は単なるギャグでしかなかったのかもしれない。


 本間は何もなかったように笑いながらコーヒーを啜っていたが、私が笑われたことを気にしているのを察したのか、本間がポツリと言った。

「不細工だったら何だって言うの?」


 そして、すぐに「別に掛布さんを不細工と言ってる訳じゃないよ」と笑いながらフォローした。

 この男、本当に女性を扱うのが下手な男だ。本間は自分が不細工だとした上で語り出した。


「俺も不細工がゆえに寂しい思いも悲しい思いも、悔しい思いもしたよ。正直、侘しかったし。いつも回りを見ては格好よくなりたいな、不細工な分、頭良くなりたいな...そして、誰かを見てはあんな風になりたいなっていつも思ってたよ。今もそうかも...。生まれ変わりたいとまでは思わなかったけど、俺はもし違う俺なら、どんな人生だったのかなって切実に思ったよ」


 私は本間の話を聞きながら視線を店の外にやった。店は表通り沿いのオープンカフェで、この日は心地よい風が吹いていた。


 表通りで車も歩行者も行き来しているが、ポカポカと暖かく、雑音も自然な静かな午後だった。本間の話を聞いていて思った。


 私はこれまでの理想と現実の隔たりを、この不細工のせいにしてきた。常に可愛かったらとか美人だったらとか...。いつも自分をそんな価値観で評価しては、諦めたり自制してきたりしていた。


 広告を眺めてはいいなぁと思いながら、でも自分にはふさわしくないし、自分にはあり得ない話だよなと目を逸らす。


 これではせっかく美男美女を使った広告主にとって、私のような自虐的な客は不本意な客であろう。


 私は小学校時代の“掛け布団”事件の後のある出来事を思い出した。それは学校から帰った時の母親との出来事であった。


 家に帰り玄関のドアを開けると、家の中からパンの焼けたいい香りがした。お腹の空いていた私には、それは涎が出るほど恋しい香りであった。


 “食べたい”と思うと同時に私は急いで靴を脱ぎ、香りがやってくる居間へ向かった。


 居間の引き戸を引くと、母親がテーブルに山盛りのアンパンを積み上げ笑顔で私を待っていた。

「瑠衣ちゃんお帰り。お腹空いたでしょ。アンパン焼いたから食べよ」


 後日聞いた話であるが、母親はその日初めてパン焼きに挑戦したという。それは当時、私が元気がなくて落ち込んでいるようで、気にしてのことだったという。


 元気がないのは“掛け布団”の出来事が原因であった。その頃は一部のクラスメイトから日常的に“掛け布団”と言われ、何かに付けて“掛け布団”と比喩されていた。


 言われると落ち込むから、テンションが下がってしまう。テンションが下がると弱くなったと見なされ、さらにそれはエスカレートし止むことなく続いた。


 喜んでも「豚」。

 怒っても「豚」。

 悲しんでも「豚」。

 楽しんでさえも「豚」。

 いつも私の頭には「豚」の文字が浮かび、特に給食は楽しめない状態であった。


 だから、家に帰るとその「豚」の文字から少し解消され、給食で楽しめなかった分まで、家ではいろいろ食べて楽しんでいた。


 しかし、日が経つにつれて「豚」の原因を、心の片隅で私を産んで育てた母親にあるのではないかと責任転嫁するようになっていた。


 母親は普通より太っていていたし、鼻も少し上がっていて豚顔だったからだ。その娘の私が豚にならない訳がない。


 そして、テーブルにはまるで豚でも作るかのようなアンパンの山。

「留衣、お母さん初めてアンパン焼いてみたんだ。上の方は少し焼きすぎたかな...」


 私はそう言う母親の前を通り過ぎ、テーブルのアンパンを一個おもむろに手に取ると、一生懸命アンパンの出来を語る笑顔の母親に投げつけた。


 投げたアンパンは母親に当たり、跳ね返って床に落ちた。そして、残りのテーブルのアンパンをトレイごと床にばら撒いた。


「瑠衣!」

 母親は悲鳴とも取れる声で私の名前を叫んだ。


 そのまま居間を飛び出し階段を駆け上がると、後ろから母親の「留衣どうしたの⁈」という困り果てた声が聞こえた。


 私はその声にワラワラと泣きながら部屋へ飛び込んだ。


 そして、気持ちが落ち着いた数時間後、夕食の準備の香りがする中で、母親の胸の中で「ごめんなさい」と謝り泣いた。ゴミ箱には私がばら撒いたアンパンが詰まっていた。

「ごめんね、ごめんね!お母さん!」


 私は話の流れでこのエピソードを本間に語っていた。本間は私の話をひと通り聞くと質問した。

「お母さんはアンパンを投げつけ、ばら撒いた理由は聞いてこなかったの?」


 母親は私に悩みがあるのかとか、学校で何かあったのかとか、気にしていたのかこの機にいろいろ聞いてきた。しかし、私は答えなかった。


 次第にそれらを悟られないように内に秘めるようになり、外面では自然体を装うようになった。その分、心の中は暗くなる一方であり、そして、そのまま暗くなったままとなった。

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