10.分譲マンションの広告
そんなことを思い出させた週刊誌の中吊り広告から目を逸らすと、網棚の上には他の広告よりひときわ重厚感のある分譲マンションの広告があった。
私は押されるままに身を任せその広告を眺めていた。
「駅から 2 分」「全室角部屋」「公園に面した最高のロケーション」といった宣伝文句の他に、広告中央のメインスペースには公園の緑を強調した外観パースに、“素敵な家庭”が くつろぐようなリビングルームの写真があった。
誰もいない明るいリビングのモデルルームの写真であったが、私の見るその広告には妄想が広がっていた。
妄想には美しいパパとママといった若い夫婦と、小学校低学年と幼稚園くらいといった女の子と男の子がいた。
部屋はマンションの広告だから当たり前であるが、お洒落で素敵なリビングに明るく楽しい幸せな家庭を表現していた。
私は押し潰されそうな満員電車で、崩れる重心を必死に保ちながらそんな広告を眺めていた。この広告を見てこの家族はどれだけ幸せなのかなと思った。
実際にこんな広告のような家庭もあるのだろうけど、ほとんどの人がこの広告に一瞬の憧れを抱くだけなのであろう。この広告には今の私の求める幸せが詰まっていた。
いつかこんな素敵な旦那さんと結ばれて、こんな可愛い子供が欲しい。そしてこのような綺麗なマンションに住みたい。
休日の昼下がりには家族でポカポカの陽気の下、パースのような緑の美しい公園で、くつろげたらいいだろうな。
そして、夜には家族でパースのようなリビングルームで、食後のくつろぎタイムもいいだろうな。
このマンションを購入する人は、みんなそんな気持ちに駆られて購入するのであろうか。
しかし、今の私にはそんな暮らしはほど遠いものである。現実を照らし合わせれば、お金もなければ結婚する予定もない。
それらを真面目に考えてみれば、遠い遠い夢から幻想へ変わり、現実にもみ消され諦めへと変わっていく。いつものことであるが私にはそれが一番辛かった。
広告のリビングルームにいる私が描いたママを想像してみた。彼女くらいの素敵な美人ならこの広告のような生活はありうるのかな。
私にはほど遠い女性像である。ならばここに描いたパパのような人は、今私の目の前にいる憧れの人のような人なのかな。
この広告のパパもママも私の想像で架空なら、目の前の憧れの彼だって、私の妄想で当然架空である。彼らは私が勝手に作った虚像でしかない。
本間のキムタクの話もそうであるが、私は広告の作り手にまんまと乗せられているのではないだろうか。私は願望と価値観を勘違いしていたのではないだろうか。
そう思うと同時に、現実の電車のガタンゴトンという音が耳に入ってきた。
そんなことを思いながら向けた視線の中に、マンションの広告に目をやる前に見かけた週刊誌の中吊り広告が目に入った。
その中にある「婚活」という記事に目が止まった。結婚って何だろう。結婚を想像するとそんな疑問に行き当たる。
特に私には恋愛にすら行き当たる節がない。この「婚活」という結婚活動とは、そんな私のような者の話なのであろう。
出会いというものを考えると、出会いがないというより出逢うことができていないのかと思う。
木下が辞めてしばらくして、私は望月と宮下と女子三人で会社帰りに食事をしていた。話題は木下の送別会での話から、男性社員の話になった。
望月と宮下は送別会の後、二次会に辻野と前橋とカラオケに行ったという。
そこで望月は前橋からメルアドの交換を求められ、その後日誘われて飲みに行き、その席で前橋から付き合ってくれないかと告られたとのことだった。
「無理でしょ!」
望月が断ち切るように言い切った。
「身の程知れとは言わないけど、この会社の社員とは無理でしょ!」
望月がそう言うと宮下とマシンガントークが始まった。派遣の私は同じ派遣ならともかく、社員を前にして同感とはいえ安易にその話に乗れなかった。
「無理!無理!」
「こんなブラック会社の社員と一緒になったら」
「こっちの私生活までブラックになっちゃうよ」
「付き合うにしたって嫌だよ」
「将来ないじゃん」
「どうせ長田にはなれても、長田以上は無理だもんね」
「長田じゃ人生お終いでしょ」
「この会社の男って…なんていうか…」
「輝きがないよね」
「一般社員だから仕方ないんだけど」
「オーナーに敷かれてるだけというか…」
「上の顔色ばかり伺っててさ」
止めどなく続く彼女らのこき下ろしを、派遣社員の私は相槌を打って聞いていた。確かにこの会社の社員たちは、彼女たちの言う通りでもあった。
しかし、彼らもこの会社にいる以上は、仕方のないことなのであろう。彼らだって自分のそんな置かれている環境を考慮して、転職だって考えていると思う。
彼らは彼女らからそこまで言われているとは、夢にも思っていないだろう。確かに普通に相手を選べる女性の理想からしたら、この会社の社員など彼女らの許容範囲外であろう。
彼女らの幸せの基準を満たすなんて、この会社にいる以上一生叶わないものである。それでも前橋は、望月にまだ頑張っているらしい。
「会社で毎日顔合わせているのに、何かたまにメールとか来るし。同じ会社だから返事しない訳にいかないじゃん。メールも変に気遣ったものがあったり、また飲みに行こうとかさ。正直ウザいんだよね」
という望月に宮下も続けた。
「返事の文の後に『?』なんて付けたら続いちゃうから絶対禁止!」
そして二人は大笑いした。
望月に前橋への気持ちなど全くないのは言うまでもなくわかった。私は望月の話を聞いていて、前橋がどんなに努力するとかではなく、望月にただ愛情がないだけではないかと思った。
もしも望月が少しでも前橋を良いと思うなら、ハードルを少し下げてあげるだろうし、友人に他言もこき下ろしもしないはずである。
それに気づかない前橋がまた哀れでならなかった。それはモテない私だから思える客観的意見なのだろうか。
そして、宮下も望月の話をひと通り聞いてから言った。
「私も辻野さんとか無理かも」
そんな二人の会話にまだ本間の話題は出ていないが、それがどこか不自然であった。二人の話を聞きながら本間を思い出した。
本間とは一緒に洋服を買いに行ってから、数週間に一度であるが、お互いの暇つぶしに一緒に出掛ける事があった。
お互い恋愛感情もなく、友達感覚で買い物したりお茶したり、お酒を飲んだりして過ごしていた。本間と一緒にいるところを、友達や会社の誰かに見られたらどうしようと思う自分も確かにいた。
特に言い訳など考えなかったが、二人でいるところを見られて「恋人?」と思われるのは当たり前だし、実際には会社の友達だけど、恋人と誤解を招く可能性もあった。
しかし、意外な方向から本間の話題が出た。
「もしかして掛布さん、本間さんと付き合ってる?」
宮下がいきなり聞いてきた。私は正直驚いた。
「え?何で?」
「いや、何となくなんだけど、送別会の帰りに二人で帰ってたしさ...。何となく」
宮下は“何となく”を漠然と聞いただけで、何の確信もなかったようだが、私はどこからそんな話が出たのか驚いた。
私は付き合っていることを否定し、友人として休みに会ったりしていることも特に言わなかった。
宮下は「だよね!」と言って笑った。
例え付き合っていても、ここではとても言う気になれなかった。
「付き合ってるとか言ったらびっくりだったよね」
望月が宮下の方を見て言うと、宮下は大きく頷き言った。
「掛布さんにあの人じゃもったいないよ」
「あの人って休みの日とか何してんだろ?」
「想像つかなぁ〜い」
そして二人は笑った。「たまに一緒にいる」なんてとても言えず、一応合わせて私も笑った。




