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二槍さんを笑わせたい

 翌日の授業中。冷静になって二槍のことを思い返してみると、新事実が発覚した。そう、二槍は他校の生徒だったのだ。制服が違ったし、三年になるまで一度も会ってないなんて、絶対におかしいと思ったのだ。あんなキラキラした存在を告白マシーンの初心が見過ごしているわけがなかった。おそらく彼女は初心の妹が昨日入学した、隣の公立校、岩校の生徒なのだ。

 学校でイチャイチャできない、その事実に初心は落胆する。

 ……まあでも、いっか。知り合いからとはいえ付き合い始めたんだから。

 

 六時間目が終わり掃除を終え、初心は玄関から外に出た。部活動の勧誘が行われているわけではなさそうなのに、人だかりができていた。制服の男子たちがなにやら輪を作って騒いでいる様子だった。

 どうせエロ本が落ちてたとか、そんなことだろう。そう思ってスルーして帰ろうと思った矢先だった。男たちの群れの中から、ひと際まばゆい光が漏れ出ていたことに気づいた。ただのエロ本ならぬ発光するエロ本でもあったのか? というくだらない思考はすぐに打ち消された。なぜなら、輪の中心には二槍がいたからだ。

「に、二槍さん!」

 とっさに叫び手を振るが、背の高い男子たちが群がっているせいで、声すら届かない。まるで街頭に集まる蛾の群れを見ているようだった。いや、正しくは甘い蜜を持つ花に群がる蜂といったところか。あんな可愛い子が玄関の前で佇んでたら、男なら誰だって吸い寄せられてしまうだろう。それは仕方がない。

 だが仮とはいえ、初心は彼女と知り合いという形でお付き合いを始めているのだ。やがては友達になり、友達以上恋人未満になって、最後は本物の恋人になるのだ。そしておそらく初心の思い上がりでなければ、二槍は今日、初心を待っていたのだ。嬉しい。

 とはいえこの男たちの群れを突破するのは難しい。ざっと見て二十人くらいはいるだろう。背も高くなければガタイもよくない初心にしてみれば、この男子高校生たちの中に無傷で入っていくのは難しいことのように思えた。だが、一瞬できた隙間から見えた二槍の表情が曇っていて、それは嫌がっているようにも見えたから。

「助けに行かなきゃ」

 口に出してから、待てよ、と脳内のずる賢い初心が言った。

 僕の最終目的は二槍さんと正式にお付き合いをすること。その為には、二槍さんが僕のことを好きになる必要がある。いや、好きにさせなきゃならない。なら、今がそのチャンスなんじゃないか?

 初心は先行する足をぴたりと止め、妄想の世界に入り込んだ。

『キャー! 誰か助けてー! 危ない目をした男たちが私のことを狙ってるの!』

 神々しい光が体の周りを纏っている二槍エンジェルが、白い翼を畳んで腕を抱えて縮こまっている。

『誰か助けてー! ……そうだ、初心くーん! 初心くん助けてー!』

 その懇願するような声を聞いたからには黙ってなどいられない。超イケメンの初心正直が、群がる男たちをバッタバッタとなぎ倒して輪の中心に突き進んでいく。そして、

『助けに来たよマイエンジェル』(イケボ)

 儚げな美しさと抱きしめたくなるような可愛さを併せ持つ二槍エンジェルが、まつげを濡らして、はっと見上げる。

『——! 来てくれたのね、初心くん、いいえ、私の愛しの人!』

『なにを驚いているんだいマイエンジェル。君が呼べばどこにいたって駆けつけるよ』

『初心くん、好き!』

 不安と緊張から解き放たれたのか、彼女の熱い抱擁はいつもより力強かった。初心もその気持ちに応える。華奢な体を抱きしめ、耳元でこう囁いた。

『僕も好きだよ、仲美』(イケボ)

 こうして二人は末永く幸せに暮らすのであった。

 ……ふう。

 甘美な妄想から帰ってきた初心は、全身に力を漲らせ、眼前に飛び散らかっているケヤキフシアブラムシのような男たちの輪の中に突っ込んでいった。

「二槍さーん!」

 妄想のようにバッタバッタと投げ倒してはいけないまでも、非力なりに頑張って足を進めていく。なんとか輪の中心に抜け、二槍の姿をしっかりととらえた。

「二槍さん! 助けに来たよ!」

 今にも泣きだしそうに頭を抱えてうずくまっている二槍をこの手で助け出してヒーローになろうとしていた初心の目算は大いにはずれ、

「ん? 初心くん、どうしたの? というか、今面白いところだからちょっとあっち行ってて?」

「……え?」

 嫌がっているような雰囲気はただの見間違いだったと気づかされ、さらには男子たちに面白いことをさせて笑っているだけだった、というのがオチだった。腹まで抱えてはいなかったが、楽しそうにこの場を仕切っている二槍の笑顔は、とても邪魔する気にはなれないくらい可愛かった。

「はいはーい! 次私とニャイン交換したい人いるー?」

「「はい!」」

 二槍が煽ると、輪の中心にいる男子数名が威勢よく手を挙げてアピールしている。

「はいじゃあそこの茶髪くん! 私を満足させるくらい面白いことしたらニャイン交換してあげる!」

 ——といったような感じで楽しそうに盛り上がっていたので、こういう雰囲気が苦手な初心はすごすごと退散するほかになかった。

 ふられ屋じゃん、とかなにこいつ、とかいう視線を四方八方から浴びせられながら初心は輪の中から這い出てきた。

 助けてヒーローマイエンジェル作戦、失敗した……。

 一人遠目に陽キャの集まりみたいなイベントを眺めつつ、初心は体育座りをしながらしょげて待ち続けた。


 離れたところから見ていると、時間が経つにつれ、興味がなくなったのか飽きたのか相手にされないことを理解したのか、男子たちの塊がだんだん数を減らしていくのがわかった。

 最後まで笑って見送る二槍は遠くからでも美しく光り輝いて見えたが、反面男子たちの態度はあまりよくなかった。まあ無理もない。散々面白いことをさせた挙句、二槍は誰ともニャインの交換をしないでその場を終わらせたからだった。実際満足させるくらい笑わせたら、という条件がまたなんとも絶妙だから文句も大して言えないで男子たちは帰っていったのだ。

 初心は立ち上がり、屈託のない笑顔でこちらに手を振る女神様のほうへ近づいていく。可愛すぎるので目を合わせすぎると昨日のようにキュン死にしてしまう可能性があったし、普通に照れてもいたので、気をつけながら、適当なところを見ながら歩いていく。

「初心くん! 待たせちゃってごめんね?」

「いや、大丈夫だよ……」

 頭の後ろに手をやって、ポリポリ。視線をずらしながらも、頭の中では可愛いを連呼している。

「それにしても~」

 スイッチをオンにしたのかオフにしたのかはわからないが、急に二槍の様子が変わった。視界の端で捉えた彼女の口元は、さっきまで浮かべていたおしとやかなウフフとはうって変わり、女王様ニヤニヤモードに移行していた。

「なになに初心くん、さっきのって~、なんなの?」

「さっきのって……?」

「またまた~、とぼけちゃって~。わかるでしょ? 初心く~ん」

 さっきの、とは輪の中心にいた二槍を助け出そうとしたあのことだろうか。初心の脳内のマイエンジェル作戦のことはバレていないにしても、あの勘違いは正直つつかれると恥ずかしい。少し顔を赤くしながら、

「い、いや、あれは勘違いしてさ……」

「それって~、もしかして私が男子に囲まれて困ってるように見えて~、それで助けに来たってこと~?」

 意図して出しているであろう甘ったるい声に責められる。

「……ま、まあ、そうだよ」

「え~? ふ~ん。なんで? ねえ、なんで私を助けようと思ったの?」

「なんでって」

 初心はウブだが、相手に好意を伝えることは誰よりも数をこなしてきた。恥ずかしさはあるが、得意分野であるため、目も合わせられないようなヘタレでも言葉に出して伝えることはできる。

「好きだからだよ」

 そうストレートに告げられて不意にカウンターパンチをもらったように赤面する二槍——なんて状況にはもちろんならなかった。こちらも好きと伝えられることに慣れきっているため、主人公の急な切り替えしに逆にきゅんとくるようなラブコメチックな展開にはならなかった。それどころか、圧倒的優位な立場にいる二槍は強者の特権をフル活用し、初心に追い打ちをかける。

「好きだから、ねえ。それはもう聞いてるからそうなんだろうな、って思うけど……」

 ん~? と初心の反らした視線の前に割り込んでくる。二槍の小さく整った顔を、初心は首を逸らして避ける。

「それだけなのかな~。ねえねえ、それだけ? 本当に~?」

 ニヤニヤという効果音が体中から漏れ出ている二槍を前に、初心は赤面するほかなかった。

「好きだから助けに来たって、それだけじゃないよね~初心くん~」

 ニヤニヤニヤニヤ。

 口からも頭からも火が出るかと思うほど恥ずかしくてたまらないが、初心はなんとかこの猛攻を凌ぐために答えを正直に言った。

「た、助けたら好きになってくれると思って……」

「ふ~ん、そっか~、初心くんって、そんなに私に好かれたいんだ~、へえ~」ニヤニヤ。

 相手に好かれたい。それをその相手から看破されると、こんなに恥ずかしいものなのか。

 ああ恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい——。

 いつも告白するときの顔の赤さなど比にならないほど真っ赤な顔をしている自覚があった。もう湯気くらいは出ているんじゃないか。

「好きになってほしいねえ~、ふ~ん」

 ニヤニヤしながら二槍は初心のほっぺたを指でつんつんと突いてきた。

「ツン、ツン」

 ギャー! これ以上はやめてー! 熱いよー!

 体感四十度ほどになっている初心は、頬を突かれたことで昇天しそうになっていた。

「あ、また顔赤くなった~、面白~い」ニヤニヤニヤニヤ。

「初心くん、大丈夫?」

 火照ったどころかサウナにも入っていないのにのぼせた状態になっている初心を心配してか、二槍が両手で頬を挟んで心配そうな瞳を向けてきた。ひんやりした手の感触が、初心を正気に戻させる。

「うん、大丈夫、だよ」

「そ! なら早く帰ろ!」

 ニヤニヤ顔はどこかへ吹き飛んでしまっていて、腕を引っ張る彼女の横顔には満面の笑みが浮かんでいた。初心と帰ることが楽しみだったのだろうか。

 されるがままに引っ張られる初心はといえば、自然なニヤニヤフェイス、否、デレデレフェイスになっていた。


「どうやったら僕のことを好きになってくれるの?」

 こういう言葉だけは恥ずかしがらずに真っすぐに聞ける初心は、隣を歩く二槍に問うてみた。

「初心くんって随分ストレートだよね、ウブくんのくせに」

 初心がニヤケ面をしてから五分後、長い一本道を二人で帰っているところだった。二槍は手を後ろに組みながら、

「私が思わず恋しちゃうってことだよね~。う~ん、難しいな~。初心くんはどう考えてるの?」

 と聞かれたので、思っていることを率直に話した。

「やっぱりヒーローみたいに困っているところを助ける、とかで惚れちゃうんじゃないかって思ってるけど……」

「ふーん」

 てくてくと二人で並んで歩いている中、横からなら目が合ってしまうこともないと思って初心は二槍の横顔を盗み見る。二槍の表情は笑顔でもニヤニヤでもなく、このときばかりは真面目に考えているような顔に見えた。

「私は多分、助けられても好きにはならないと思うな」

 そう、なのか。じゃあどうやってこんな自分を好きになるんだ? 僕だったら、親切にしてくれる女の子がいたら、ちょっとは意識しちゃうけどなあ。

「あ、でも!」

 真面目な顔つきから一転、二槍は黄色いオーラが見えると錯覚するほどの笑みを浮かべて初心のほうを向いた。

「私、面白い人が好きかな~」

 笑み、といっても純粋な笑顔ではなく、ニヤニヤした笑みだったが。

 初心は真っすぐに長々と続く帰り道を見据えながらも、隣の二槍がニヤニヤしていることを感じ取っていた。


 ひたすら真っすぐ進むと、信号がある。昔からある美容室がその手前にあり、向かいは最近できた居酒屋さんだ。

 押しボタン式の信号のボタンを押し、左右からくる数台の車を止める。横断歩道を渡っている途中で初心は、車内の人から見たら僕たちカップルみたいに見えてるのかな、などと浮かれている。

「あ、初心くん知ってる? あそこに橋があるの」

 そんな浮かれ気分を遮るようにニヤニヤした二槍が前方を指さした。

「知ってるよ」

 橋が見えた途端スキップし出す二槍のテンションの上がりように、なんでだろう? と首をかしげながら初心もついていく。橋の上につくと、下を流れる小川のほうへ身を傾けた二槍が、天使八十パーセント、悪魔二十パーセントの声音で言った。

「川に飛び込んだりしたら、すっごく面白いなあ~」

「え?」

「だ~か~ら~、私、面白い人が好きなんだよね~」ニヤニヤ。

「いや、……え?」

 もしかして二槍は、今から初心に川に飛び込めとでも言っているのだろうか。はっきりと言葉にはしていないが、初心にはそう言っているようにしか聞こえない。二槍はワクワクした顔をしていた。

「いやー、さすがにそれはちょっとね、え、本気で言ってるの?」

 半笑いで聞き返す初心。まさかそんなことさせないよね、いくらなんでも、という意味を視線に込めて。

 だが二槍は橋の手すりの上で頬杖をつきながら、「はあ」ため息をつきながら言った。

「……そっか。初心くん、私を好きって気持ちと、私に好きになってほしい、っていう気持ちは、冗談だったんだね」

「え、は?」

「私、本気だと思ってたんだけどな、遊ばれてただけなのかあ。残念」

 残念そうに俯く二槍。その表情と言葉は、とてもふざけて言っているようには見えなかった。だから初心は焦って、そんなこと絶対ないよ、と手を動かし、目を見開いて必死に首を振る。

「ち、ちがうよ二槍さん! 僕は本気だよ! 本気で君と付き合いたいと思ってる!」

「……そうなの? でもじゃあ、本気なんだったら、川に入るくらいできるよね。口では本気って言っても、信用できないんだよね私」

 二槍は、川のほうを見ながらため息をついている。冷たい風が二槍の後ろから吹いてきて、スカートの裾と横髪を揺らす。

 その発言で初心は気づく。二槍はもしかしたら、初心が罰ゲームで告白した、そんなふうに捉えているのかもしれない、と。たしかに客観的に見ても、こんな冴えない男子がスーパー美人に告白して付き合おうとする、というのはあまり現実的ではないような気がする。今までも、そんなことがあったのかもしれない。その可能性を潰すためにあえてふるいにかけている——おそらくそういうことだろう。

 モテる人ってのも辛いんだな、と一人勝手に納得した初心は、僕は違う、僕は本気の本気で二槍さんが好きで、付き合いたいと思ってるんだ! と心の中で叫ぶ。

 川に飛び込むだけで証明できるのなら、いくらでもやってやる。初心はカバンを肩から下ろし、ブレザーを脱いでから啖呵を切った。

「僕は二槍さんのこと、本気だよ。だから、このくらい、余裕でできるよ!」

 だが二槍の反応はといえば、

「——ほんと⁉ やったー!」

 さっきまでの憂いモードとはうって変わって、予想のかなり斜め上をいくはしゃぎようで、拳を高く上げたのだった。

 あれ、ちょっと反応とセリフが軽くないか? 初心は微かにそう思ったのだが、いやいや、と即座にその邪推を捨て置き、二槍の隣まで歩いていく。ゴクリと喉を鳴らし、橋にかかる手すりに跨った。

 眼下には幅一メートルくらいの小川が流れている。橋に比べてだいぶ細い川で、深さもそれほどないように思える。だが高さにして三メートル以上はあるだろう。その高さから落ちるというのは、初心にとってはかなり怖いことであった。

「初心くん、ガッツあるね~」

 組んだ手にあごを乗せて二槍が視線を送ってくる。先ほどまで見せていた憂鬱そうな空気はもうどこかへ行ってしまっていた。ワクワクした瞳が初心と川を行ったり来たりしている。あれ、やっぱり、僕の勘違いだったのか……。

 だが今さら「やっぱりやめる! ほんとは怖いんだよう……」とは言えない。さっき見栄を張って言った『余裕』の一言のせいで、後には退けなくなっていたのだ。

 跨った状態から、もう一方の足も手すりの外側に移動させる。心臓がドキドキして緊張してきた。

 この地域では四月でもまだ雪解けが完全には済んでおらず、小川の周りに生えている草木のところどころにはまだ白い雪が散見される。そのため、水温もかなり低いだろう。

 首の後ろから吹き付ける冷たい風が初心の体を震わせる。ごくり、と唾を飲み込んでよし、行くぞ、と決心しては、そこからが長い。体は正直で、防衛本能なのかなんなのか、指が手すりから離れようとしない。そんな初心の内心を知ってか知らずか、

「初心くん、まだ飛ばないでよ? ちょっと聞いてほしいことがあるんだ~」

「な、なに……?」

 面白いショーを見物するかのようにニヤニヤする二槍が、楽しそうに言ってきた。

「思ってることを口に出して、それから飛んでほしいなって~」

「え? ええええ?」

 なんだその罰ゲームみたいな催しは、と思わず突っ込みたくなるような案件だった。いやそれ以前に春先の冷たい川に飛び込むことがまず罰ゲーム以外の何物でもないのだが。

「私のこと、本気で好きなんでしょ?」

 挑発的な目で、上目遣いで初心を覗き込んでくる。そんな可愛すぎる二槍には、初心であろうと誰だろうと太刀打ちなんてできない。

「わかった。飛ぶ前に心の内を口に出せばいいんだね?」

 わずかに歯の根をカチカチと言わせつつも、初心は男を見せるために恐怖を我慢する。

「そう! それと、すぐには飛ばないでね? バンジー前のこの時間がなにより楽しいんだからさ」

「そうだね……って、え? ばんじー? って、なんのこと言ってるの二槍さん! って、こんな感じで思ってること言っていけばいいの?」

「おお、いい感じだよグッジョブ初心くん!」

 初心は速くなる鼓動を押さえようと深く呼吸をした。それから二槍の要望に応えて話し出す。

「正直高いし怖いし不安だけど、や、やるぞお」

「うんうん、なんでやるの?」

「もちろん二槍さんが好きで、好きになってほしくて、それが本気だってことを証明したくて」

「いいね~嬉しいね~。あでもさ、この川すっごく冷たそうじゃない?」

「うん、きっと今入ったら風邪ひいちゃうね」

「うんうん、すぐあっためないと確実に風邪っぴきになっちゃうね! あと、この川って深いのかな、浅いのかなあ、浅かったら怪我しちゃうね」

「そ、そうだね、ここからだと景色が反射して浅いか深いかなんてわからないけど、たぶん浅いんじゃないかな」

「そっか~、あ、もしかして綺麗に見えてヘドロが溜まってらどうしよう? 制服が臭くなっちゃうかも~」

「それは困るなあ、今からクリーニングの心配しなきゃいけないじゃないか——って、もう! 二槍さん! 飛ばせる気あるの⁉」

 あまりにマイナスなことを連続して言ってくる二槍のせいで、飛び降りる勇気がどんどん削がれていく気がしたので初心は大声でちょっとふざけて言った。

 それを待っていたかのようにプッと吹き出して腹を抱えて思いっきり笑う二槍。ケラケラと爆笑する姿は、やっぱり普段の二槍からは想像できないほど強烈で、新鮮で、初心までつられて笑ってしまう。ひーっ、ひーっ、と腿を叩きひとしきり笑った二槍は、目尻を拭ってからニヤニヤし始めた。

「じゃあ、そろそろ飛ぼうか」

「う、うん……」

 欄干に尻をつけて体重をかけている状態の初心は、前に重心を移動させて手を離せばすぐにでも川にダイブすることができる。そんな状態の初心のすぐ隣、絶対にしないが肩を抱き寄せてくっつけ合うことができるほどの距離に二槍が来た。頬杖をついて、どの角度からでも可愛く見えるその天使の顔で初心を見つめている。

「はいカウントダウ~ン! 初心くんが私のことを大好きなことを証明するためのダイブまで~、三、二、一……」

「ちょっと待って心の準備が……って、——言ってられるかー! 僕は二槍さんが大好きだあああ!」

 初心は垂直に自由落下をしようとして手すりから手を放し——


「うおっと……!」


 胃の辺りに押し付けられる感触がして、一瞬吐きそうになるくらいの痛みを感じたのも束の間、初心は空中でとどまっていた。否、後ろから抱きついてきた二槍によって落下を阻止されていた。

「——っ! まさか本当に飛ぶなんて、やるねえ、初心、く、んっ!」

 二槍が女の子とは思えないほどの馬力で初心を引っ張り上げ、初心は今しがた離れた手すりの前に再び立っていた。

 意を決して勇気を振り絞って飛び込もうとしたのに、命綱なんてつけていなかったのに、飛べと言った本人が初心を助けていたことに正直驚いていた。

「二槍さん、どういうこと⁉」

 初心は手すりに手をつき、後ろからまだきつく抱きしめてくる二槍のほうを首だけ精一杯振り返って聞いた。

 それほど重くないとはいえ初心の体重を一人で支えて持ち上げた直後の二槍は、まだ息をハアハア言わせていたが、やがてそのまま初心を掴んだまま言った。

「……まさか、本当に飛ぶとは思ってなくて。……冗談だったの! ごめん初心くん! はあ、いくら私でもそこまで鬼畜なことはしないよ」

 息を切らしながらも笑っているのが分かる。背中側で喋っているのでなんだかくすぐったく感じる。

 なんだ、冗談だったのか。初心は安堵する。だが、鬼畜まではいかずとも、川に飛び込む指令を出した時点で悪魔なのではないか、と少し考えてしまう。まあ可愛い悪魔だから許しちゃうんだけどね。

「耳おいしそ、ハ~ム」

 と、そこで不意に耳が食われた。正確には、二槍がかぶりついてきていた。

「ひぇっ⁉」

 それと同時に、さっきよりも密着したことで背中や首に二槍の体温が迫ってくる。ピタッとくっついた二槍の胸を想像してしまう。それに加えて人生初の耳ハムときたもんだ。ウブウブの実を食べた初心にはそんな衝撃、耐えられるはずもなかった。

 そのまま数秒間動かない両者だったが、やがて初心のほうが音を上げて、

「ちょ、ちょ、ちょ——!」

「ぶぶくんぼうひたの?」

 最後には耳を咥えられながら喋られることによって完全にギブアップした初心は、その場からとりあえず逃げるために、落ちると川があることなんかとうに忘れて下に落っこちた。

 バッシャーン、と水しぶきを盛大に立てて落下した。

「大丈夫初心くん⁉」

 意外と深かった川のおかげで、岩に頭を打ちつけて死亡なんてことは避けられた。が、春になったばかりの雪解け水は想像以上に冷たく、瞬時に体が震えだす。橋の上から心配してくれている二槍に向かって「大丈夫!」と返した後、立とうとして近くの岩に手をついた。すると、緑色のぬるぬるした藻に触ったみたいで、体重をかけていた手が滑って派手に転んでしまった。再び水しぶきが上がる。バッシャーン。

 その自分の間抜けさに笑えてきて、水中でブクブクと気泡を吐きながら笑った。

 今度こそ立ち上がると、

「初心くん、本当に大丈夫⁉」

 二槍は目を大きく開いて身を乗り出してきていた。ずぶ濡れのまま見上げる。

「平気! でも、綺麗だと思ってたのに、中はめっちゃ汚かったー!」

「いいから初心くん、早く上がってきなー!」

「う、うん! ……ってあれ、なんかあれだな……」

 自分では面白かったのに、はたから見るとあんまり面白くなかったのかな。

 大声のやり取りをした後、初心は川から出て近くの茂みでワイシャツを脱ぐ。寒い。カチカチなる歯を黙らせながら服を絞る。それから、こちらを静かに見ている二槍にちらと視線を向ける。憂い、あるいは自責の念か、そんな心情が透けて見えるような面持ちだった。

 初心は思う。それじゃあだめだ。心配させて終わり、なんてのはもったいない。面白い人が好き、そう言ってたじゃないか。彼女に好きになってもらうのが僕の目標なんだから、ここで笑わせないと!

 ただでさえ月とスッポンくらいの距離がある僕と二槍さんの距離を縮めるためには、ここで笑いの一つくらいとらなくちゃダメだ。

「初心くーん、どうしたのぼーっとしてー?」

 だから昔聞いたことのあるダジャレを一つ思い出した時には、もうそれを実行していた。

 遠くの山にヤッホーと叫ぶくらいの大きな声で、


「おばちゃんが、おーばっちゃん!」


 そう叫び、上半身裸のまま再び汚い川にダイブしたのだった。

 なんの脈絡もないし、初心はおばちゃんの格好でもない。だのにこんなダジャレを思いつくままに言ってしまったことを秒で後悔する初心だったが、水面から顔を上げて二槍のほうを見上げると、

「ギャーっはっはー」

 と笑い転げていた。

 体を張った甲斐はあったのかもしれない。橋の上でひっくり返ったダンゴムシみたいな格好で爆笑する二槍を見ていると、やってよかったのかな? とは少し思えた。


 濡れた制服からぽたぽたと水滴を落としつつ橋の上まで戻ってくると、さすがに二槍ももう立ち上がっていたが、ひーひー言いながらまなじりを擦っていた。そこに初心は真面目な顔つきで問うてみた。

「どう? 面白すぎて好きになっちゃった?」

 初心の頭の中では、あれだけ笑ったのだから、もうこれは好きになってしまったということではないか、とおめでたい思考をしていた。本気で。

「……」

 二槍はぽかんと開けた口を喉奥まで見せながら、初心の放った言葉の意味を考えているようだった。

 このときにはもう初心は二槍という超絶美少女の目を真っすぐに見ることができていた。おそらく、ゲラゲラと笑う少女に親近感を覚えたのだろう。名も知らない美女と対面しているわけではないと脳が判断して、一人の友達として認識し始めたということかもしれない。家族と話すときのように自然に二槍のことを直視できていた。

 やがて遅れて意味が分かったのか、二槍の小さい口が閉じていき、鼻がピクピクし出して、プッと吹き出した。

「なにそれ初心くん、本気で言ってるの⁉」「うん」「というか、そんな期待した目で真っすぐ見ないで!」

 一拍も置かずにさも平然のように真顔で返す初心、その反応速度にさらにガハハと笑った二槍は、

「ハハッ、やっぱ初心くんって面白いね! 最高だよ!」

 可愛い顔をくしゃくしゃにして笑うのであった。え、惚れてないの? と真面目に聞いて追撃する初心に対し、笑うことしかできないでいる二槍がひとしきり笑った後、

「——惚れてないけど、好感度は上がったかな、なんてね」

 天使みたいな女神みたいな美しい顔でそんなことを言うのであった。

 その後、「え、本当にまだ好きになってないの?」「そんなに早く好きになるかー!」「えぇっ!」「ほんっと、面白っ!」などといった応酬を繰り広げてから二人は帰路についた。

 ニャインも交換してもらったのだが、背景画像もアイコンも質素なもので、名前もフルネームだったのが意外だった。二槍さんならもっと楽しい友達との写真とか載せていると思ったのに。

 ちなみに別れ際に、二槍から本気で怪我してないかとか風邪ひかないようにとか心配されたので、弄ばれているわけではないのかな? と思えた。

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