玉
アマゾネスの新しい女王が告示された。
エフィムは戻ることを拒み、残った一族が新たな王に取り決めたのは、ヴァルヴァラだった。
ヴァルヴァラは、律儀にドラゴンとマトヴェイに事の次第を知らせ、自分が女王としてこの地を守って行く事を約束していた。
きちんと筋を通して王座に就いたヴァルヴァラは、誰もそれに異を唱える事もなく、あっさりと北の大陸の神たちに受け入れられ、島の方でも特に異論を差し挟む事はしなかった。
やっと落ち着いたと思っていたベンガル城では、イゴール宛にヴァルラムから書状が届いた。
話したい事があるので、妃と共にドラゴン城へ来いと言うのだ。
何事かと思ったが、最近は落ち着いていて問題が起こったとは聞いていない。
わざわざ妃を連れて来いというのが気になったが、もしかしたら他に誰か呼んでいて、そちらが妃を連れて来るので話し相手にと思っているのかも知れない。
何しろ、ヴァルラムには妃が居らず、皇子も居ないので女っ気がなさ過ぎて、来客が妃を連れて来ていたら退屈させてしまうからだ。
イゴールは、どちらにしろ断るという選択肢もないので、指定された日にソフィアと共にドラゴン城へ行く事にした。
留守の間はイグナートに見させ、くれぐれも外へフラフラ出て行く輩が居ないように見張れと言い置いて、その日イゴールはドラゴン城へと飛び立った。
ドラゴン城へと到着すると、ヴェネジクトが出迎えてくれた。
「イゴール殿。よう参ったの。ソフィア殿も。とりあえず、ソフィア殿は控えでお待ち頂けるか。まず、イゴール殿との話があっての。その後で、またお呼びするとのことだ。」
ソフィアは、頷いてイゴールを見た。
「では王よ。我は控えの間でお待ち致しますゆえ。」
イゴールは、頷いた。
「また後での。」
ソフィアは頭を下げて、侍女達と共に案内のドラゴンについてその場を去って行った。
ヴェネジクトは、その背を見送ってから、イゴールを見た。
「では、イゴール殿はこちらへ。」
イゴールは頷いたが、ヴェネジクトがソフィアを見送る目が気になった。
何やら鋭く、値踏みするような感じに見えたのだ。
…確か龍の宮で、イグナートと共にソフィアとは会っているので面識はあるはず。
イゴールは思いながら、それでも黙ってヴェネジクトの後ろについて、城の中を歩いて行った。
王の居間までたどり着くと、ヴェネジクトが言った。
「王。イゴール殿をお連れしました。」
「入れ。」
ヴァルラムの声が答える。
扉が開かれると、そこにはヴァルラムと、島の神である維心、炎嘉、そして焔ともう一人、若い神が並んで座っていた。
イゴールが驚いていると、ヴァルラムが言った。
「よう来たの、イゴールよ。本日は折り行って話があっての。維心殿達にも来てもろうたのだ。」と、若い神を見た。「維心殿、炎嘉殿、焔殿は知っておるな。その隣りに居るのは、島の西の島南西の宮第一皇子、紫翠ぞ。」
紫翠は、頭を下げた。
「イゴール殿。」
イゴールは、会釈を返した。
「また大層な面々ぞ。何があった?また我が眷属が何かに利用されておったとかなのか。」
炎嘉が、口を開いた。
「面倒な事になっておるのよ。実は、皇子達の立ち合いの会の前に、月見の宴を開いた事があったろう。あの折、龍の宮で事件が頻発し、その時の事はイグナートから聞いてはおるとは思うが。」
イゴールは、頷いて良いのかどうかと迷ったが、頷いた。
「…維明殿には内密にと言われたのだと、我にだけあれは話してくれたが、魔法陣の事であろう?それが何か。」
維心は、頷いた。
「その通りぞ。もう隠し立てしても仕方がないので申すのだが、あれはかつてエラストが治めていた時に、アマゾネスの城に嫌がらせのように設置されておった物とよう似ておった。それで…調べた結果、恐らくはそれは、主の妃であるソフィアがやったのではないかと分かったのだ。」
イゴールは、目を見開いた。
「ソフィアが?!だが…イグナートは確かにソフィアが幼い頃魔法陣に覚えがあると言い出したので、それを蒼殿に話に参って。嘘はついておらぬと言われたと。」
炎嘉は、頷く。
「その通りよ。我らはソフィアを責めようとこんな事を言い出したのではないのだ。恐らく、ソフィアがやったのだが本神は覚えていない。というのも、あれが仙術で操られているからなのだ。」
イゴールは、小刻みに震えながら言った。
「仙術で?…しかし、一度もあれから仙術の気配など気取れなんだ。我が城で、おかしな魔法陣が見付かった事はない。そもそもあれに、他の城や宮に危害を加える理由などない。」
ヴァルラムは、何度も頷いた。
「だから分かっておるのだ。我が、あの頃主の城を訪ねてソフィアの体を調べた事は覚えておるか。不妊ではないかと問うたあの時ぞ。」
イゴールは、記憶をたぐい寄せた。
「…確かにそんな事が。」
ヴァルラムは、頷いた。
「あの時、我はこれらに頼まれて、ソフィアの体に術の玉がないか、調べに参っておったのだ。それは、確かにあった。左の脇腹から少し下の辺り。それが邪魔をしていて不妊だが、それを取り除けば命も危ういのではと取り除く事をしなかったと主は言うておったな。それの事ぞ。」
では、あの時からソフィアは疑われていたのだ。
イゴールは、もはやガタガタと震えながら、言った。
「ということは…ソフィアは、それを隠して?」
炎嘉は、言った。
「今も言うたように、ソフィアは知らぬ。こちらが調べたところでは、それは幼い頃に身に埋められた物らしく、長年ソフィアの体の中にあった。恐らく利用しようと誰かにそんな事をされたのだろう。それがわかっておったゆえ、我らはこれまで主に言わずに来た。が、またそんな事があった時、誰がそんな事をしたのか分からぬゆえ、ソフィアが罪に問われてベンガルの責になるだろう。そも、ベンガル自体が被害に合うやも知れぬ。ゆえ、こうして主を呼び出したのだ。本日ここで、その玉を消してしまわねばならぬと。」
イゴールは、愕然とした。
ソフィアは、アマゾネスに育てられた。
つまりは、アマゾネスの誰かがソフィアに、そんな事をしたのではないのか。
「…あれはアマゾネスに育てられたのだ。もしや、アマゾネスが利用しようとそんなことを。つまりは、アマゾネスが龍の宮の事件を引き起こし、もしやエラストも、そのアマゾネス達が魔法陣を使って殺したのでは…!」
だとすると、エミーリアか。
イゴールは、ギリギリと歯を食い縛った。
あの女は、恐らく父王を殺し、母親を殺し、あまつさえソフィアも利用しようとそんな術を埋め込ませていたのだ。
炎嘉が、言った。
「それは分からぬ。状況はそう示しておるが、証拠がない。というのも、調べたところソフィアを育てた母親らしい女はもう死んでいなかった。主はエミーリアと思うておるやもしれぬが、そもエミーリアはまだ成神前、ソフィアよりも歳下ぞ。やったとしたら、その回りの側近だと思われるが、それすら分からぬ。エミーリアは死んだし、ここはとりあえず、懸念は消しておかねばならぬ。新しい王になったが、そやつは知らぬだろう。が、やった側近が生き残っていたら、そやつらが何をするか分からぬからな。早急にソフィアの身から、そんな術は取り除かねばならぬのだ。」
確かに、証拠はない…。
イゴールは、項垂れた。
エミーリアは死に、何か知っていたとしてももう黄泉だ。
新しい王は堅実で、外とも丁寧に対応していていざこざを起こそうとはしないだろう。
つまりは、何も知らないと見た方がいい。
ここは、ソフィアが二度と操られる事がないように、その術の玉を体から出すよりない。
が、それはソフィアの死を意味していた。
ソフィアとの子が欲しいと治癒の神に診させた時に、長く障りがあってそれを取り除く事はできないと言われたのだ。
回りの臓器を巻き込んでおり、それを取り除く、イコールそれらを傷付ける事になるので、まず生き延びるのは難しいと言い切られたのだ。
なので、何があるのかわからなかったが、子は諦めて来た。
それが、今この時にそんな理由で取り除かねばならないとは…。
「…ソフィアは、恐らく死ぬ。」イゴールは、言った。「事が大事なので、仕方がないと思うておる。が、あれは何も知らぬのだ。それが…やった輩が逃げ延びておるのに、利用されたソフィアの命を削るよりないとは。口惜しくてならぬのよ。」
その気持ちは分かる。
皆は、神妙な顔をした。
維心が、ため息をついて言った。
「…我らも、ベンガルのためにはもうソフィアの命は諦めるよりないと思うておった。が、それではあまりにも哀れであるからと、いろいろ調べたのだ。」イゴールが顔を上げる。維心は続けた。「玉自体は問題はないのだ。問題は、中にある魔法陣ぞ。が、それだけを消し去る事は難しい。方法としては、ソフィアに術で眠らせている間に、玉のある箇所を切り開き、玉を露出させてそこに細くヒビを入れ、そこから焼き消すための気を流し込む。そうして、中の魔法陣だけ焼き消す方法ぞ。」
腹を切り開くのか…?!
イゴールは、身を震わせた。
「身を切り開いて、ソフィアは無事でいられるのか。そも、玉を露出させるまでに必要な臓器も切らねばならなんだら?我が治癒の神達も、臓器が巻いておると言っていた。結局、命を落とす事になるのでは。」
隣りで聞いていた、炎嘉も焔も何やら渋い顔をしている。
維心は、息をついた。
「分かっておる。それが否となれば、後は闇の力を借りるよりない。」え、とイゴールが目を見開くと、維心は続けた。「霧ぞ。霧の粒子はどこへでも入り込む。闇に命じてもらい、霧に体の中へと入って行かせて、まず亀裂を作り、そこから更に入り込んで魔法陣を焼く。そうすれば、体に傷は付かぬ。」
闇なら、それができる…!
イゴールは、立ち上がって維心の前に膝をついた。
「ならば闇に願いを!見返りに何が必要なのだ。なんでも申してくれたら、準備させる!どうか闇に頼んではもらえぬか!」
維心は、炎嘉と顔を見合わせてから、首を振った。
「…残念ながら、この方法を教えてくれた闇は、それができないのだと言っていた。つまりは、制限が掛かるゆえ。神の事は神が。その原則があるので、闇関係の事件ではないこれは、闇の管轄外で手を出せぬのだ。が…。」
と、維心は、紫翠を見る。
紫翠は、顔をしかめた。
イゴールは、維心と紫翠の顔を見ながら、戸惑った顔をした。
「…紫翠が何か?」
炎嘉が、言った。
「紫翠は、神であるのに、まあどうしたことか闇の力が少し使えるのよ。とはいえ、最近に分かった事で、そこまで完璧に扱えるわけではない。」
紫翠は、言った。
「…我は闇ではないので、そこまで完璧に霧に言うことを聞かせることができるわけではないのですよ。親しくなったイグナートのためにも、もちろん力をお貸ししたいと思うのですが、そんな細かい作業をやり遂げられるのかわからぬ次第です。命に関わる事ですのに…霧が玉ではなく心の臓を攻撃したらと思うと、気軽に我がやるとは言えない状況です。」
そんな不安定な状態で…任せることができるのだろうか。
イゴールは、躊躇った。
維心が、言った。
「どちらにしろ、主が選ばねばならぬ。」イゴールは、維心を見上げた。維心はじっとイゴールを見つめ返して、続けた。「その術を消すのは決定事項ぞ。その方法を決めるのは、主自身でしかない。我らができるのは、ここまでぞ。」
あれから幾日も、いろいろなことを調べてくれていたのだ。
イゴールは、どうしたら良いのか、途方に暮れた。