襲撃
「…違う!」と、イラリオンが空へ浮き上がっていたのを飛び降りて来た。「霧ではない!」
いったい、何が起こっているのだ。
アンジェラが判断がつかない間に、ヴァルヴァラには術の力が気取れたが、気取れた時にはもう、それに飲まれて行くのを感じていた。
回りで、カラスが騒がしく鳴いているのが聴こえた。
「ヴァルヴァラ!」と、イラリオンが叫んだ。「アンジェラ!」
アンジェラは、茫然としていた。
感じた事のない術の波動…ヴァルヴァラが、その波動に囚われて行くのが、まるでスローモーションのように見えたのだ。
次に、こちらへ向かって術が飛んで来るのを感じたが、アンジェラはそれが一瞬のことで、身動きすることができなかった。
「アンジェラ!」
父の声が耳元でしたかと思うと、父のイラリオンが自分の前に躍り出て、その術にもろに当たるのを目の当たりにした。
「父上!」そこで、やっとアンジェラは剣を手にした。「賊め!」
その影は、人型をしていた。
イラリオンが言う通り、霧ではなく神のようだったが、気が良く読めず、姿もかすむように見えて、はっきりしなかった。
剣で倒せるのか分からなかったが、アンジェラは思い切りその霞みのような人型に向けて、剣を振るった。
「…死ね!よくも女王を!」
「ぐ…!!」
剣がそれに吸い込まれた瞬間、くぐもった声が聴こえる。
間違いなく、手ごたえがあった。
「…逃がさぬ!」
アンジェラは、何度も剣を振り下ろしたが、その影は実体のような形になったかと思うと、マントでさっと顔を隠してその場からスッと消えた。
…どこへ行った…?
アンジェラは、そこまで一瞬の出来事に、しばしキョロキョロと辺りを見回したが、あの神のような霧ようなものはもう、気配も感じ取れなかった。
アンジェラは、そこへ来て我に返って、慌てて自分を庇った父と、ヴァルヴァラの姿を探して振り返った。
「父上!女王!」
父は、身を起こして意識をハッキリさせようと、小刻みに首を振った。
「…我は大丈夫ぞ。」と、ヴァルヴァラを見た。「ヴァルヴァラ!」
イラリオンは、急いで倒れたヴァルヴァラの方へと駆け出す。
ヴァルヴァラは、ふらつく体を起こそうと、地面に手をついて半身を上げたところだった。
イラリオンは、そのヴァルヴァラの体に手を回して起き上がるのを手伝って抱き上げた。
「ヴァルヴァラ!大事ないか、どこをやられた!」
そこで、イラリオンはハッとした顔をした。
「…これは…。」
ヴァルヴァラは、イラリオンに抱き上げられて、驚いた顔をしたが、首を振った。
「我も何が何だか…ですが、何も問題はありませぬ。」
アンジェラが、ホッと肩の力を抜いた。
「良かった…防ぐ事もできずで。ご無事で何よりでございます。」
しかし、イラリオンは険しい顔をした。
「…無事ではない。」え、とアンジェラとヴァルヴァラがイラリオンを見ると、イラリオンは続けた。「膜ぞ。ヴァルヴァラの体に、ぴったりと膜がついておる。」
言われてアンジェラは急いでヴァルヴァラの体をじっと見つめた。
確かに、体の回りに透明の膜のような物が見えた。
ヴァルヴァラは、己の手を見つめて、言った。
「…確かに膜のような物が。ですが特に…力がこれに取られているような心地はしますが、僅かなものでありますし、補充すれば問題ない程度。何の嫌がらせでありましょうか。」
イラリオンは、首を振った。
「それが問題なのだ。これは、ベンガルの術ぞ。その昔ヴァンパイアが囚われて滅び掛けた、その原因になったあの膜。術が命じている間、強制的に己の力で己から籠める膜を形成しており、外から気の補充はできずでゆっくりと死に至る。今の影、あれはベンガルだったのでは。」
ヴァルヴァラとアンジェラは、愕然とした。
ということは、この膜の中にある気が尽きたらヴァルヴァラは死ぬ。
アンジェラは、小刻みに震え始めた。
「そんな…それは、どうしたら解除されるのでしょうか。誰に助けを求めたら良いのでしょう。」
イラリオンは、答えた。
「サイラス様はドラゴンに助けられたと申されていたが…ならばドラゴンに頼めば、なんとかしてもらえるのでは。」
ヴァルヴァラが、黙って考えていたが、言った。
「…ベンガルの王の術のことは学んでおりますが、これは何やら様子が違う。」イラリオンと、アンジェラがヴァルヴァラを見る。ヴァルヴァラは続けた。「その昔、お祖母様が臣下にベンガルの王しか使えぬ龍王すら手こずらせたその術を、なんとか使う事ができぬかと、仙術を作らせたことがありました。それは成功し、ベンガルの男を拐わせて、子を成してそれらを使ってその術を放った。それならば、王でなくとも使えるはずなのです。そして、仙術となったその術は、確かドラゴンにも破れなかったはず。術者を殺すよりなかったと学んだ気がします。」
確かにそうだ。
アンジェラは、思った。
城の歴史書からそれは学んだ。
「ならば…ならばどうしたら。あの、術を放った誰かは顔さえ見られなかった。何やら霧のようで…だが、神であったようぞ。」
アンジェラは、頷いた。
「はい。確かに手応えがあり、それで相手は消えて行った。」と、アンジェラはハッとした。「…そういえば父上は。父上もその膜の術に捕らわれておりました。我を庇って…。」
イラリオンは、そういえば、と、自分の手を見た。
「…我は何もない。」と、腰に挿してある、剣を見た。「だが何やら膜の波動が…。」
波動の元を探ろうと、アンジェラと二人で剣を凝視すると、剣の根元、柄の先にぶら下がる、そんなものがあっては剣が振りづらいだろうと思うほど、大きめの玉がついた根付が薄っすらと光っていた。
アンジェラがそれを手に取ると、それは膜に囚われてボウッと光っていた。
その瞬間、なぜか自分の幼い頃の様子がフッと脳裏をよぎり、懐かしい心地がした。
「…根付が。膜の術に囚われておるようです。」
イラリオンはそれを見て、驚いた顔をすると、みるみる目に涙を浮かべた。
どうしたのだろうと思ってアンジェラが戸惑っていると、根付は目の前で光を失い、膜は消失して行った。
「…どうやら、根付に籠もっていた誰かの気が失くなったようです。膜は消えました。」
イラリオンは、何度も頷いた。
「それは、アクサナぞ。」え、とアンジェラがイラリオンを見ると、イラリオンは続けた。「死しても我を守ると言いおいて死んだのだとダリヤから聞いておる。アクサナは、それに身代わりの術を遺して死んだのだ。それが今、発動して残っていた術の気が消えた。我がアンジェラを守り、アクサナが我を守ってくれたから、我らは無事だったのだ。」
アンジェラは、手の中の根付を見つめた。
母上…。
アンジェラは、その根付に母の誠の心を知った心地だった。
言葉通り、母は死んでも父を守ったのだ。
「母上…。」
アンジェラが、涙を浮かべると、イラリオンはキッと表情を引き締めて、腕の中のヴァルヴァラを見た。
「…もう、時を待ってはおられぬ。こうなったからには、サイラス様に事の次第をお話しし、対策を練ってもらう。ヴァルヴァラ、必ず主の命は助けるゆえな。主は我の娘、失うわけには行かぬ。アクサナは主に未来を託して生きておった。我が主を絶対に殺させはせぬ。とりあえず、城へ戻って待っておれ。我はこのままヴァンパイア城へ戻って話して参るゆえ。」と、アンジェラを見た。「主がヴァルヴァラを運ぶのだ。無駄な気を使わせてはならぬ。我がサイラス様を連れて戻るまで、ヴァルヴァラは頼んだぞ。」
アンジェラは、涙を拭いて頷いた。
「はい。お待ちしておりまする。」
ヴァルヴァラは、イラリオンを見上げた。
「…父上…我など、居らぬようになってもエフィムが戻ると言っている今、そこまで世は困る事などないのです。ご無理はなさいませぬよう。」
しかし、イラリオンは首を振った。
「主も我の娘ぞ。必ず助ける。父を信じて待つのだ、ヴァルヴァラ。主も幸福になる権利がある。責務だけに生きる事はないのだ。エフィムと幸福になるのだろうが。」
ヴァルヴァラは、会った直後のイラリオンとは、全く違う様子に戸惑った。
が、何やら温かい気持ちになり、黙って頷くと、物凄い速さで飛んで行ったイラリオンを見送った。 そして、アンジェラに運ばれて城へと戻って行ったのだった。




