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異世界転生した冴えない社畜は最強イケメンになって幸せな夢を見続けます

作者: 鱶川小雨

 霧の中、灰色の道を歩き続けているような人生だった。

 おれの仕事は誰にでも務まるようなもの、おれはまったく交換可能な部品に過ぎなかった。ただ呼吸をして、二本足で歩いているという以外に、おれと歯車を隔てるものはあろうか?

 その日もおれは歩いていた。客先の最寄り駅はもう電車が無くなってしまったので、大きなターミナル駅に向かって機械のように歩を進める。頭蓋骨の中に湿った砂が一杯になったように感覚は鈍り、深夜の街路の何もかもが遠かった。車に跳ね飛ばされる直前まで、何も考えていなかったし、気づいてもいなかった。


「あなたは転生するのです」

 降ってきた女の声に目覚めると、そこには白い雲と黄金の宮殿が浮かんでいた。

 ラブホテルみたいだな、と思った。ラブホテルに行ったことはないが、装飾過多できらびやかな空間に対する形容を、おれは他に持ち合わせていなかった。

「はあ、さいですか」

「あなたには転生先で誰にも負けない戦闘力と、誰からも好かれる容姿をさずけます」

「はあ」

「嬉しくはないのですか?」

女が目をのぞき込んできた時、はじめてそれが人間ではありえない色をしていることを知った。

「どうでもいいんです」少し動揺したのでおかしな返答になってしまった。「いや、あの、どうでもいいというか、なんでもいいんです。自分がどうなるか。あまり興味が無いんです。結局は求められたことをこなすだけですから」

 しどろもどろに言葉を吐くたび、内臓を吐き出して見せているような気がした。おれの中身はグロテスクで、からっぽだ。学生時代は親の言うとおりに勉強して、社会人になれば上司や顧客の言うことを聞いてきた木偶の坊。叱られたくない、嫌われたくないという気持ち以外に何もない永遠の幼児。それがおれだ。

「素晴らしいです。無欲なあなたの献身こそ、世界を救うでしょう」

 女は何を勘違いしたのか、背負った光輪をきらめかせながら柔らかく両腕を広げた。

 女性に抱きしめられたのは中学受験に合格した時、母親にされた以来だった。


 それからおれは何人もの女の子に抱きしめられた。魔物に襲われていたのを助けたエルフ。奴隷市から救い出した猫耳の獣人。酒場で意気投合し、共にドラゴンを倒した女戦士。その他いろいろ。ゴブリンの群れから夜通し教会を守った時は、日の出とともにシスターに抱き着かれ、接吻され、神父に殴られた。知り合った娘たちのうち幾人かはおれについてきたいと言ったので、今はパーティーを組んであちこちで人助けをして回っている。

 今夜は姫君に謁見する。先日彼女を狙っていた悪い魔術師を倒したので、その顕彰会だ。

「お姫様に会う服装ってこれでいいのか?」

「ちょっと!何デレデレしてるのよ!そんなに姫が好きなの!?」ツンデレッ

「正装も素敵です、ご主人様♡」ニャー

「なかなかの色男ぶりじゃねえか!もっと背筋伸ばしな!」ガハハ

 異世界転生しなければ、こんなに他人から好意を向けられることはなかっただろう。居眠り運転様様である。


*


 夜の帳の中を乗用車が滑っていく。鬱蒼とした森の中を貫く一条のなめらかなアスファルト。道はやがて大きな建物にたどりつく。街灯の少ない道路を抜けてきた運転手の目に、深夜でも煌々と明かりをつけている近代的な窓の数々は眩しかった。一見大病院のようにも見えるモダンな冷たい印象の建築、その裏手に回って夜間出入口の横のカードリーダーに身分証を差し込む。”患者”の一親等である彼女は、ロック解除の音を羞じるように素早くドアの隙間にすべり込み、守衛に目礼したあと4階の一室に向かう。

 静かな狭い部屋の中で、ほのかに水槽が光っている。液体で満たされた水槽の中に人間の脳と主要な神経が浮かんでいる。彼女の息子のものだ。


 3か月前に息子は交通事故に遭った。彼は親元から離れて一人暮らしだったから、すぐに駆け付けることはできなかった。翌朝やっとの思いで病院へたどり着くと、糊のきいた白衣を着た医者が良く通る声で、もう通常の生活に戻ることはないだろうと言った。彼女は息子の肉体がズタズタになったことよりも、息子の帰りがいつも深夜だったらしいこと、職場の人間が誰も見舞いに来ないことにショックを受けた。

 彼女は息子を愛していた。幼いころからいくつもの習い事や学習塾に安くない費用を払い、食べるものもつきあう友人も厳選した。団地に住んでいるクラスメイト、低俗な漫画、スナック菓子などは徹底してこれを遠ざけ、時には夫とも言い争った。無害で清浄な環境で優等生に育てれば、子供の人生は幸福なものになると信じていた。

 だが実際はどうだ。親しい人間もないまま、彼は大都市の片隅で日々すり減っていたのだ。反抗期を持つこともできなかった男が主体的に生きられるわけがない。ぼろ雑巾のように使い捨てたのは勤め先だが、原因は自分の教育方針にあったのだ。手足の先から冷えが染み入るように、ゆっくりと理解した。

 認めたくなかった。

 終末ケアとしての脳保存という近年始まったばかりのサービスに夫の退職金のほとんどを注ぎこんだのは、贖罪というよりむしろ証明だった。自分は息子を愛している良き母親であるということの。妊娠して退職して以来、良き母であるということが彼女の唯一のアイデンティティだった。

 今夜も息子は水槽の中で夢を見ている。眼球も失い、もう現実を見ることのない脳。

 夢の中に私は出ているのかしら?彼女はふと考えて、なぜか、出ていないといいなと思った。


思い付きでバーッと書いてしまいましたが、似たような話もうありそう…

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