「真に尊ぶべき勇気とは、自らの意思で男を捨てて美少女勇者になることです」
運命と神の意思とは、常に人間にとっては理不尽なもの。
北方の傭兵剣士ガイゼル。
目覚めた時、彼が立っていたのは天上の聖域だった。
そして目の前に現れる女神を名乗るやべー女。
(自称)女神(真)は語る。
「男である事を捨てて、大災厄から世界を救う勇者となるのです」
冗談事ではなかった。
しかし運命と神の意思は無慈悲にも、ガイゼルから未来と男の尊厳を奪い去る。
大災厄とは?
世界を救う勇者とは?
そもそも美少女にする必要性は?
「逞しい殿方を見目麗しい女の子にするのって最高じゃないですか?」
耳を疑う戯言をほざくコイツは本当に女神なのか?(本当です)
男ガイゼルは勇者としての使命を果たし、奪われた尊厳を取り戻せるのか?
負けられない戦いが、そこにある。
「さぁ、契約を」
「さぁじゃねぇよ??」
荘厳な鐘の音が鳴り響く。
太陽より暖かく、月より柔らかな光に満たされた世界。
そこは紛れもなく神々の住まう地だった。
遠き理想郷、或いは戦乙女の館。
呼び名は様々だが、人間の文化圏なら似た伝承は必ずある天上の領域。
そんな信仰者なら涙を流して跪きそうな光景。
その中にあって、ひと際強く光輝く者。
――女神だ。
豊かな稲穂のようになびく黄金の髪。
艶めかしく淫らで、同時に乙女の清純さを漂わせる豊満な肢体。
百人見れば百人が振り返る絶世の美貌。
間違いなく本物の女神だった。
不信心な俺の胸にも、自然と畏怖が湧き上がってくるぐらいだ。
そんな女神様が……。
「さぁ、早く契約しましょう」
「いやちょっと待て」
「何か?」
「契約云々の前に一体何を言ったよ」
「ですから男である事を捨て、大災厄から世界を救う勇者となるのです。
ついでに美少女にもなれて今なら大変お得ですよ?」
「何言ってんの?」
マジで意味が分からない。
そもそもどういう状況だ、これは。
女神――正直、それが正しいか自信が無くなって来たが。
兎も角、女神は小さくため息を吐いて。
「細かい事は良いですから、早く契約しましょう?
尺が足りませんし、無駄話をしてる暇はありませんよ」
「いや決して無駄じゃなくね? ちゃんと説明しろってそんなおかしな話か?」
あと尺がないって何の話だ。
「まったく。見た目は豪胆な割に細かい人ですね、ガイゼル」
「……俺の名前は知ってるんだな」
「当然です。貴方をこのパンテオンに招いたのは、この私なのですから」
パンテオン。
詳しくは知らないが、神様の住む領域のはず。
本来、生者では辿り着けない場所。
何も覚えてないが、そんなとこにいるって事は……。
「俺は死んだのか」
「いえ死んでませんよ?」
「え?」
「ガイゼル、家名無し。二十八歳男性。
北方辺境で活動している傭兵剣士。
腕前は見事ですが性根は粗雑で乱暴者。
依頼人でも気に入らなければ斬りかかるため評判悪し」
「うるせぇよ」
女神はいきなり俺の事を語り出した。
抗議は無視され、話は続く。
「あと十年ほど先、貴方はその力で北方蛮族を平定。
やがて中央諸国すら脅かす大帝国の礎を築くことになります。
だから当分死ぬ予定はないですよ。
先日、宿で飲み過ぎて記憶が曖昧になっているだけで」
「お、おぉ。そうか。ところでサラっと未来の話をしなかったか?」
「ええ、しましたが気にしなくて良いですよ」
ニッコリと、女神は魅力的な笑顔で答える。
「貴方は私と契約し、千年に一度の大災厄に立ち向かう勇者となるのですから。
蛮族帝国の初代皇帝とかそっちの運命はキャンセル済みです」
「なんで?」
いや、本当になんで?
つーかマジで無茶苦茶なこと言ってない?
しかし女神は、本当に心底不思議そうな顔で首を傾げて。
「何がそんなに不満なんですか? 勇者ですよ? 世界救えますよ?
あと美少女になれますよ? 最高じゃありませんか?」
「クソっ、女神っぽい面しといてやっぱ邪神だろお前!
俺が不信心な田舎者だから簡単に騙せると思ってんだろ!?」
「おぉ、何と失礼な人間でしょう。
父なる大神よ、私に寛容と慈悲の心をお与えください」
なんかそれっぽく祈っても騙されんぞ。
「今の無礼は水に流します。
貴方が田舎者でも、大災厄と勇者についてはご存じでしょう?」
「御伽噺ぐらいにはな」
そう、そんなものは御伽噺だ。
千年ごとに世界を滅ぼそうと襲って来る大いなる災い。
その闇から人々を守るため、神々に選ばれた勇者が現れる。
陳腐でどこにでも転がっている退屈な御伽噺。
「ですがそれは真実です。
そして今回の勇者に貴方が選ばれた、というわけです」
「そうかい。お断りだよバカ」
「何故ですか」
「いや今までの自分の言動を思い出そうぜ?」
さっきコイツの言った事が正しいとするなら。
俺は地元で頑張れば、そのまま良い感じに天下取れるっぽい。
なのに何で勇者なんて貧乏くじを引かなきゃならんのか。
あと男を捨てて美少女になれとか素直に嫌だわ。
「兎に角お断りだ! 第一ホントに女神なのかお前!
俺は知ってんだぞ、最近まともに奇跡を使える司祭の方が少ないってな!」
「時代の流れで信心が薄れている事は、私としても嘆くばかりです。
しかし私が女神の一柱である事は紛れもない事実。
そも勇者の選出は、その時代で最も強き神がその権利を得るのですよ?」
「じゃあ何の神様だか言ってみろよ」
「性愛の女神、地母と大神の娘オルテールです」
「ひえっ」
主神と地母神の娘とかいうガチ女神だった。
しかも性愛とか、そら信仰つえーよとしか言いようがない奴だ。
もう胸に湧き上がる畏怖のまま土下座してしまった。
司る性愛から与える主な奇跡は避妊、性病の予防、あと母神と同じく安産。
時代を問わずに強いに決まってる。
女神――オルテールは、あくまで慈悲深く微笑んでいた。
「誤解も解けたようですし、早速契約しましょう?」
「いやそれとこれとは別なんで」
「何故ですか! 世界を救う大望と、それを果たした末に得られる名誉!
ついでに美少女にもなれるというのに、何がご不満ですか!」
「美少女は愛でるもんであってなるもんじゃねぇよ!」
俺の魂の叫びを受けても、女神は小動もしない。
むしろ微笑みには、慈悲に加えて憐憫までプラスされた。
「そんな事はどうでもいいですから、契約しましょう?」
「いや断ってるんだから他を当たれよ」
「ダメですよ。私は貴方を選んだのですから、ちゃんと契約して貰わないと」
「ありがた迷惑だって言ってるんだけど?
先ず俺に拘る理由がわかんねーよ!」
「一つは貴方が優れた戦士――もっと言うなら、英雄の資質を持っている事」
「む」
思ってたより真面目な答えが返って来た。
大災厄なんて、九割御伽噺で細かいことなんて覚えちゃいないが。
それでも神様が出張るような案件だ。
選ぶべき相手には、相応の力ってのを求めるよな。
そういう意味では神様のご指名そのものは悪い気はしない。
「一つは、鍛え上げた肉体を持つ逞しい殿方を見目麗しい美少女に変えたいから」
「おい」
「あと貴方の未来を放置すると、肥大化した蛮族帝国が凄いハッスルするので。
大災厄のダブルパンチで、最低でも文明が五百年ぐらいは後退するので。
流石にそれは面倒過ぎなので、貴方には勇者になって貰います。
資質ヨシ、私の趣味的にヨシ、大災厄と蛮族帝国の二つの問題も片付いてヨシ。
一石三鳥どころか一石四鳥、これは大変素晴らしいですね?
さぁ、今すぐ契約しましょう!」
「やなこったよ!」
くそっ、ちょっとでもプラスに考えた俺が馬鹿だった!
神を罵る奴は、それはそれで知性が足りない奴だと思っていた。
だけどこの瞬間、俺は考えを改めた。
神様なんてのは糞の極みだ。
「はぁ……そんなに嫌なのですか?」
「嫌だよ。当たり前だろ?」
「大丈夫ですよ。最初は戸惑うでしょうが、だんだん気持ちよくなりますから」
「嫌だっつってんだろ?」
「貴方ほど条件を満たした候補は他にいないんですよ。
ワガママ言わずに、ね?」
「子供相手にするみたいな態度取っても頷かねぇぞ!!」
しかし、どれだけ拒否ってもオルテールは諦めなかった。
こっちも逃げたいが、そもそも相手の庭先だから逃げ道がどこにもない。
とはいえ、相手も無理やりってワケにはいかないらしい。
だったらこのまま拒否を続ければ、女神様だって根負けするはずだ。
「ふぅ……そんなにお嫌ですか?」
「当たり前だろそんなもん」
「大災厄は人の世の滅び。対抗するには勇者の力が必要です」
「そりゃ分かるが、だからって嫌なもんは嫌だぞ」
「美少女になれるんですよ?」
「だからそれが嫌だっつってんだろ?」
ぶっちゃけそれが一番デカいわ。
大災厄とやらがヤバいのは、口ぶりからして何となく分かるが……。
「……仕方ないですね。
如何に英雄の資質ありといえど、やはり人間。
大災厄の恐ろしさに怯んでしまうのは致し方なき事」
「は?」
「いえ良いのですよ。私は貴方を許しましょう。
臆病な犬が闇夜に震える事を、一体誰が咎められるでしょうか」
「は??」
なんだその憐れみ全開の目は。
神様目線で死ぬほど見下されてるのがハッキリと分かる。
「ガイゼル、私の判断が誤りでした。
貴方に到底不可能な重責を背負わせようとした事、今は罪に思います」
「おいコラ、馬鹿にしてんのかこの神様」
「おや、大災厄が恐ろしいのでしょう? 無理する必要はないですよ?」
「ンなもん恐ろしくねェよ!!
大災厄なんざ怖くねぇ! 俺が幾らでもぶっ飛ばしてやるよ!!」
「はーい言質取りましたー! 契約ありがとうございまーす!」
「ああああああ!!?」
おい嘘だろ。
今ので契約完了とか。
後悔しても手遅れだった。
獲物を見つけた竜みたいな面をした女神様が、もう目の前まで来てる。
あ、ダメだコレ。
「さぁ、痛くしませんから」
「や、やめ」
「雲の数でも数えてて下さい。すぐ終わりますから」
「やめろぉぉぉぉ!」
俺の叫びは、残念ながら神様には届かない。
なんせ今、俺を無理やり組み敷いてるのが神様なんだから。
意識を失う直前。
確かに俺は、自分にとって大事なナニかを捨て去られるのを感じた。