日本あやかし珍道中 ~名付け親が妖怪だった僕は妖怪少女と旅に出る~
小さい頃から「タマキン」と呼ばれる玉造金太郎は、名前を変更しようとしても出来なかった。それは、まるで何か不思議な力で妨害されているかのように。
橋の上で思い悩む金太郎は、川の中から助けを求める少女の声に気がつき、飛び込んだ。
これが、日本全国を一緒に旅をする美少女妖怪ナナとの出会いだった。
日本中のおかしな妖怪達の問題を解決しながら、二人は名付け妖怪名漬け(なづけ)を探す旅をする。
名漬けを見つけだし、金太郎は名前の変更、ナナは名前を付けてもらうことが出来るのか?
笑いあり、涙あり、そして笑いありの日本全国の妖怪を訪ねる珍道中。
もしかすると、あなたの街にも二人がやってくるかもしれませんよ。
大学1年生の夏休み、埼玉県志木市役所の窓口で要件を告げた僕は、冷房でキンキンに冷えた待合所に座っていた。
「玉造さん、玉造、ぷっ、キンタマロウさん~」
しばらくして僕の名前が呼ばれると、あちらこちらで含み笑いが起きる。それを無視して窓口へ行くと開口一番、間違いを訂正した。
「僕の名前は金太郎です。読み違えた上に、勝手に”マ”まで付け加えないでください」
「失礼しました。金太郎さん」
「それで、どうでしたか?」
「ああ、そうでしたね。結論から申し上げますと、変更は出来ませんでした」
「どういうことですか?」
「名前の変更には、家庭裁判所の許可が必要なのですよ」
「それは知っています。ですから家庭裁判所に許可の申請を出しました。先ほどのあなたのように、恥ずかしい名前に間違えられることが多く、非常に困っているのですが、許可が下りないのです。その理由が『よくわかりません』って来たんです。何度もですよ。ですからここに直接来たんです」
「そう言われてもですね。こちらでも、なぜか変更出来ないと出てしまうのです。すみません」
窓口の女性は僕の抗議に対して、申し訳なさそうな顔をしていた。
これ以上、ここで食い下がってもどうしようもないと判断した僕は、とぼとぼと市役所を後にすることにしたのだった。
また、よくわからないが許可出来ないと言われる。なんでだ! 15才以上になれば本人が申立人となって名前の変更が出来るのに。そもそも、『誰がつけたかわからない』この名前を変更するのに理由が必要だろうか?
僕、玉造金太郎は玉造家のひとり息子として生を受け、今でも実の両親は健在である。何なら父方、母方の祖父母も健在にもかかわらず、誰が僕の名付け親なのか誰も知らない。父も母も一人っ子だったため、叔父、叔母はいない。いつの間にか出生届に名前が書かれ、いつの間にかみんな僕のことを金太郎と認識していたらしい。
もう、十八年も前のことのため、今更名付け親が誰か、どんな思いでこんな名前を付けたかなんてどうでもよかった。問題は小学生からずっとあだ名が「タマキン」だと言うことだ。あだ名で呼ばない人たちも、先ほどの受付の人のようになぜか下品な間違いをすることが多い。
僕はそんなあだ名をつけた奴らを見返すために、勉強も運動も頑張り、格闘技も習った。
そして、今年の四月から晴れて大学生になった僕の人生は順風満帆だった。この名前以外は……
僕は市役所を出ると、すぐ近くのいろは橋からぼんやりと新河岸川を眺めていた。薄汚れた橋の欄干に肘をついて、ぼんやりと川を眺めながら、なにか方法がないか考えていると、いつの間にかゆうやけこやけが流れてくる。
「もう五時過ぎか」
そうつぶやいて僕が橋から立ち去ろうと川に背を向けた瞬間、大きな水音が聞こえた。大きな魚でも跳ねたかと川を見ると、高校生ぐらいの女の子が水の中にいた。
どこからか落ちたのか、女の子の頭は水の中に消えた。あたりを見回すと誰もいない。僕ひとりだ。
すると女の子の頭が黒髪を濡らしながら出てきた。
「大丈夫か!」
僕の言葉に、女の子はかわいらしい顔だけを水面から出して叫んだ。
「助けて!」
僕は一瞬のうちに覚悟を決め、欄干を飛び越えて女の子がいる方へ泳ぎ始めると、女の子がこちらに向かって叫んだ。
「兄ちゃん、そっちに行ったから捕まえて!」
兄ちゃん? 捕まえて?
僕は女の子の言葉に泳ぐ手を休めて女の子を見た瞬間、それが目の前に現れた。
魚を思わせるぎょろりとした丸い瞳。とがったくちばしに緑の肌。極めつけにその頭には皿がある。
ここ志木市ではおなじみの河童が、突然目の前に現れたのだった。
あまりの事に思わず、その河童を殴りつけてしまった。当たり所が良かったのか、悪かったのか、河童は仰向けになって、下流にいた女の子の元に流れていってしまった。
「ナイス! これが本当の河童の川流れやな。ハハハハ」
上機嫌の女の子は気絶した河童を捕まえたまま、岸まで泳ぎ始めた。その様子を見て、溺れていたのではないことが分かった僕も、ほっとして女の子の後に続いて岸に上がる。岸から上がった女の子はしっかりと凹凸の見て取れる濡れたTシャツを気にすることもなく、僕ににっこりと笑いかけた。
「ありがとうな、兄ちゃん。おかげで助かったわ。こいつに話を聞かせてくれって言っただけなのに、なんにも聞かずに川に逃げ込んだんや。危うく逃がすところやったわ」
「溺れているんじゃなくて良かった。って言うか、もしかしてこいつは河童か?」
「もしかせんでも、河童やで。逆にこいつが河童やなかったら、濡れ損って奴や。なんや、兄ちゃん、河童見るの初めてか? 意外とメジャーな妖怪なはずなんやけどな」
ボーイッシュでかわいらしい女の子は黒い瞳をぱちくりとさせていた。
「生まれて十八年間、志木にに住んでるが、河童なんて初めて見たよって妖怪ってどういうことだ。ほんとにいたのか?」
女の子の、まるで僕が妖怪を見慣れているかのような口ぶりが気になった。
確かにここ志木市は昔から河童伝説があり、ゆるキャラに河童をモチーフにしていたり、河童の像があちらこちらにあったりする。ちなみに隣の市のゾウの姿にキリンの模様を組み合わせたゆるキャラも妖怪みたいな見た目なのだが。
それはさておき、女の子は愛らしいぱっちりとした二重の目で僕を見ながら、不思議そうに答えた。
「なにを言ってんねん、あんた、妖怪から名前を貰っているやろう」
「妖怪に名前を貰ってる?」
「ああ、妖怪名漬け。気に入った相手に対して勝手に名前をつけるんやけど、しっかり漬け込まれた名前は良くも悪くも相手を縛る妖怪や」
「じゃあ、僕の金太郎って名前はその妖怪がつけたって言うのか? だから誰も僕の名付け親を知らないって言っていたのかい? じゃあ君は……あ、そう言えば君の名前は?」
「あたしか? ……まあ、ナナって呼んでくれればええよ。今は」
「じゃあ、ナナ。君は僕の名前をつけた妖怪を知っているんだね。その名漬けだっけ? そいつなら僕の名前を変えることが出来るのか?」
「多分……出来る」
僕は一筋の光が見えたように気がした。
興奮した僕は思わず、女の子のか細い肩を掴んでいた。
「それで、その名漬けは今どこにいるんだ?」
「知らん」
「知らんって、どういうことだ?」
「あたしもその名漬けを探してるんや。名漬けは日本中をふらふらしとるから、どこにいるかわからん。だから、日本中の妖怪に聞いて回ってるんや。名漬けの居場所を」
それで、この河童に名漬けの居場所を知らないかと、聞こうとして逃げられたところに、僕が現れたということか。
「でも、ナナはなんで名漬けを探しているんだ? ナナなんて可愛い名前があるのに」
「可愛くなんてあるもんか! 名無しやから、仕方なくナナって名乗っとるだけや! あたしら妖怪は人間と違って親から生まれるとは限らんのや。せやから名漬けに名前を貰わんことには名無しのままなんや!」
ナナはほっぺを可愛らしく薄紅色に膨らませて、僕に抗議した。
ちょっとまて、いま、ナナは自分のことを妖怪って言ったか? ナナも妖怪? 妖怪なんて……いや、目の前に気絶したカッパがいる以上、妖怪はいるんだろう。いや、ナナの話が本当なら妖怪はいてもらわなければ困る。僕の名前が変えられないのが妖怪のせいだとすると納得がいく。
しかし、思わぬところで僕の悲願のしっぽが見えてきた。そのしっぽを離すわけにはいかない。そう思った僕はナナに提案したのだった。
「僕もナナと一緒に、名漬けを探させてくれ!」
「は? なんでや? 兄ちゃんはちゃんとした名前があるやないの」
「僕の名前は玉造金太郎、あだ名がタマキンだとしても、そんなことが言えるのか?」
そう、名前は名前だけにあらず、姓と一緒になり、初めて意味を成す。
そんなことも考えずに名付けられた名前。そして付けたのが縁もゆかりもない妖怪ならば、変えるのに理由がいるだろうか?
「タ、タマキン!? 初対面のいたいけな少女に、なに言うとんねん!」
ナナは顔を真っ赤にして思わず、引き上げた河童の首を締めあげていた。
「おいおい、せっかく捕まえた河童が死んじまうぞ」
「に、兄ちゃん、妖怪の世界でもセクハラはあるんやで」
「嘘つけ! だったら素っ裸の河童なんか、セクハラそのものじゃないか!」
「失礼だな~。裸に甲羅が河童の正装なんだぞ」
ナナに締め上げられていた河童が、突然僕達の話に加わって来たのだった。