少女剣士メオは神に挑む
その剣派は、名を『真月刀流』という。
遥か東方の島国に伝わる曲刀を扱い、神速電瞬の抜き打ちを得意とする。
抜き打ち、つまりは剣を抜くと同時に斬りつけるため対手は間合いが読めず、故に不意打ちや暗殺に向く。
後に『三十年戦争』と呼ばれることになる宗教戦争の真っただ中にあって、それは大いに恐れられた。
多くの宗教指導者が、軍事指導者がその剣派の手によって闇の中に命を落とした。
被害の甚大さは、やがて戦争そのものを止めるきっかけのひとつとなった。
動機は復讐。挙げた首級の数、実に千六百。
何よりも驚くべきは、それを成したのがひとりの剣士だったという事実である。
その名はメオ。
当時まだ十四歳の、燃えるような赤毛の、見目麗しき少女であった──
木枯らしが身を凍らす秋、その深更のことである。
ボヘミア国王フリードリヒ五世の支配下であるプラハの街外れの猟師小屋に、ふたりの人物がいた。
ひとりはメオである。
歳は十四。顔の両側面で結った燃えるような赤毛はところどころほつれ、白磁器のように真白き頬は泥と返り血にまみれている。
小柄な体には似合わぬ重たげな鉄頭巾付きの鎖帷子、腰には反りの深い曲刀──刀。そのいずれもが、おびただしい人の死にまみれている。
「お師匠様、お師匠様」
床に横たわっている男に声をかけると、わずかに反応があった。
「……メオか」
男は──カゲツは重たげにまぶたを開いた。
周囲を見渡し、自らの肉体を確認すると、低く長い息を吐いた。
カゲツはメオの師匠であった。
遥か東方の島国より単身で大陸に渡り、己の剣技ひとつで身を立て一流を興した、伝説の達人。
歳は五十と老いているが、その大柄な体躯には未だ端倪すべからざる術の気配がある。
ひとたび戦場に立てば、敵の十や二十は瞬く間に斬り捨てることだろう──戦場に立てさえすれば。
カゲツの体には無数の切り傷がある。
右肩には矢が突き刺さり、左腕は半ばから斬り落とされ欠落している。
布を巻き止血こそしているが、顔色は青を通り越して白くなり、今にも息絶えてしまいそうだ。
かてて加えて、毒である。
数日前のことであった。
フリードリヒ五世よりカゲツに、城の戦術武官としての登用打診があった。
先代の武官が急逝したのでその後任となってくれないかとのことだが、これが罠であった。
求めに応じ門下生五十人を引き連れて城へ向かったところ、酒宴に乗じて一服盛られた。
遅延性のある、人の動きを抑制する麻痺毒。
動きの鈍ったところを襲われた。
対プロテスタント強硬派であるハプスブルク家の戦陣に参列した過去を問題視されたのだろう。
大規模な戦の前の大掃除というわけだ。
「……現況は」
囁くように小さな声でカゲツ。
「ザカン、シデンが討たれました。ライネス、ゴルツとは途中まで一緒でしたが、カルレ橋ではぐれ、以後連絡がとれません。今ここにいるのはわたしとお師匠様だけです」
「……敵は」
「小屋の外をぐるり。数はおおよそ三十。内訳は弓兵が十、剣と槍が合わせて二十」
「銃兵も騎兵も無しか……なら抜けるな」
状況を把握したカゲツは、わずかに笑んだ。
「おまえの術を持ってすりゃあ造作もねえ。小屋に火を放って、後方から駆け抜けな。二、三人も斬って捨てりゃあ、あとは無人の荒野だ。自慢の足でもって、どこへなりとも逃げちまえ」
「そんな……それではお師匠様がっ」
「わかってるだろうが、おいらはもう助からねえ」
「そんなのまだわからないじゃ……っ」
「メオ」
「包囲をくぐり抜けて街医者に見せればあるいは……っ」
「メオ」
「わた……しは……っ」
剣士が涙を見せるべきではない。
そうと知っていながらも、堪えることが出来なかった。
悔しさで胸元を濡らしながら、メオは頭を垂れた。
「悪かったな、メオ。おまえの忠告を聞かねえで。今考えてみりゃ、あからさまな罠だったってのに」
城に出向いてはならない。
出向くのだとしても絶対に飲食物には手をつけず、最低限の武装は施すべきだ。
メオがそう主張したのはフリードリヒ五世の疑り深い性格を考えてのことだった。
しかしカゲツたちは刀を下げたのみで城に出向き、結果こうして全滅寸前にまで追い込まれている。
「こいつは言い訳になるんだがな。おいらはもともと、長くはなかったんだ。肺を患っててな。医者の見立てじゃ、保って一年。だからこそ、その前になんとかしようと思ったんだ。そこへきて今回の話は渡りに船だった。城付きになって、給金をもらって。猫の額ほどでもいい、皆で暮らせる土地でもあればと。そんなことを考えちまった。バカだよなあ、ホント」
「お師匠様……」
たしかに最近咳き込むことが多いなと思ってはいたが、まさかそんなことになっていようとは。
驚くメオの頬を、カゲツは優しく撫でた。
「おまえと会ったのはもう十年も前になるのかな。シャムの裏路地でおいらの財布に手をつけようとした野良猫みてえなガキが、よくもデカくなったもんだ。人の言葉を覚えて、人の道を知って、剣に関しちゃあもうおいら以外の誰もかなわねえ。まあたいしたもんだ」
「お師匠様……」
メオはぎゅっと唇を噛んだ。
カゲツに褒められたのは、これが初めてのことだった。
今までどれだけの術を示してもどれだけの大敵を倒してもニコリとすらしてもらえなかったのに、最大限といってもいいほどの賛辞をくれた。
だが、嬉しくはなかった。
それは明らかに遺言であったから。
自分にかけてくれる、最後の言葉であったから。
「だがな、おいらはそれを失敗だと思ってる。本当は、おまえを剣士にすべきじゃなかったんだ」
「え……っ?」
どうして急にそんなことを言うのだろう。
メオは息苦しい思いで師の顔を見つめた。
「血風吹きすさぶご時世だ。人の命も、情だってゴミ同然。おまえがどれだけ強かろうといつかは殺される。横から刺されるか後ろからか、あるいは複数で一気に。いずれにしろ、まともな死に方は出来やしねえ」
「それは……剣士なら当たり前のことで……」
「メオ、おまえは剣士である前に女なんだ。殺すことしか出来ねえ男とは違う。産み育てることの出来る女なんだ。なあ、剣なんざ捨てちまえ。おまえほどの器量だ。金持ちの男をたらし込んでお城住まいなんてのは朝飯前だろう。そんでいっぺえ美味いものを食って、ついでに子供もこしらちまえ。女としての幸せを掴むんだ」
「お師匠様……」
「今さらなんだって顔をしてるな。ああ、そうだと思うよ。本当だったらもっと早くに告げるべきだった。そうしなかったのはおいらの一生の過ちだ。おまえの才能に、光り輝かんばかりの天稟に惚れちまった。許せ、メオ」
「お師匠様……っ」
今までの苦労がすべて無駄だと言われているようなものだが、不思議と傷つきはしなかった。
なぜならそこにあったのは自分への気遣いであったから。
無駄死にしないよう逃げ道を用意してくれた、師の優しさであったから。
「……メオ」
霞がかったカゲツの瞳に、ぐしゃぐしゃに歪んだ自分の顔が映っている。
「生きろ、メオ。土を食み、泥を啜ってでも生き延びるんだ。剣士としてじゃねえ、人間としての幸せを掴むんだ。そいつがおいらの、おまえの師匠の、最後の命令だ」
しばらく後。
メオは絶命した師を床に横たえると、その体に火を点けた。
小屋そのものへも火を点けると、乾燥していた木材はすぐに燃え上がった。
火を放つこと、裏から飛び出し逃げきること。
それが師との約束だった。
だがメオは、裏ではなく正面の扉に手をかけた。
奴隷商の檻より逃げ出した自分を匿い育ててくれた、愛すべき師。
その復讐を遂げずにのうのうと生きて行くことなど、どうして出来ようか。
「……許さぬ」
宗教も、神も、それに関わる胡乱な者どもも。誰ひとり。
「お心に添えぬこと、お許し下さい。猫はこれより、野良に戻ります」
鉄頭巾を被って小屋を出ると、兵士たちが大騒ぎしていた。
早く水をかけて火を消せだの、騎士様はまだかだのと口々に言い交わしている。
なかなか小屋に踏み込まずにいたのは、カゲツの剣の腕を恐れ増援を待っていたというところだろうか。
「……大の男が雁首そろえ、なんたる惰弱」
メオが吐き捨てると同時、小屋の天井の一部が崩れて落ちた。
「やべえ! 踏み込め!」
「灰になっちまっちゃあ銅貨の一枚も貰えねえぞ!」
カゲツの遺体を差し出すことで恩賞を得る約束になっていたのだろう。兵士のうち特に足の速いふたりが、半狂乱になって突撃して来る。
その途上にいる娘ひとりのことなど、まったく目に入っていないようだ。
「……愚かな」
吐き捨てるなり、メオは刀の柄に右手をかけた。
左足の引きと鞘の引きを竜巻の如き腰の回転と合わせると、一挙動で引き抜いた。
左下から右上へ。途上にあった兵士の首が胴体から切り離され、スポンと冗談のように上へ飛んだ。
「……は?」
あまりに鮮やか過ぎて自らの死にすら気づいていないのだろう、首を飛ばされた兵士が間抜けた声を上げ。
「……は?」
すぐ後ろを走っていた兵士がポカンと口を開けた──そこへ切っ先を突き込んだ。ぐりんと捻った。
「げぶ……うえ……っ?」
喉奥から後頭部までを貫かれた兵士は血を吐き崩れ落ち、絶命した。
メオはびゅんと刀を振って血を払うと、そのまま鞘に納めた。
驚き戸惑う残りの兵士たちにジリリと距離を詰めると、朗々と発した。
「見知りおけ。我が名はメオ、貴様らにとっての死神だ」
瞬く間にふたりの仲間を討たれたことで、兵士たちは硬直している。
大の大人が、自らの子供といっていいほど歳の離れた娘に呑まれている。
「命乞いは聞かぬ、逃げようとて逃しはせぬ。一兵卒や騎士はもちろん、司祭に牧師、王であっても容赦せぬ。衆に没するならその衆ごと。頭に戴く神がいるならその神ごと、ことごとくこの世から滅してくれる」
メオはニィィと唇を横に引いた。
それこそはまさに、後に三十年戦争と呼ばれる宗教戦争の中にあって最も恐れられた、幼き死神の笑みだった。