ケモノ嫁とこの領地で生きるために出来ることぜんぶ
戦後、父の跡を継いで辺境伯となったユーディン・シルトは密かに詰んでいた。優秀な兄達に押し付けられた地位は金無し・コネ無し・知識無し・人望無しの数重苦。人生逆転のために取った手段こそ、停戦した魔界における有力氏族ドワーフの姫との政略結婚だった。
自身の主義も、領地も、そして愛も諦めない!もふもふの嫁とファンタジー世界で自分らしく生きるためにやれる事全てをやっていく、ちょっとだけ領地経営モノ風味ラブコメ
戦争は終わった。それは人類圏三大国家の内の一つ『聖王国』と魔界の連合国――それを人と同じ尺度で連合と呼ぶのかについては議論の余地があるが、ともあれ――の主である『魔王』の間で停戦調停が結ばれたことを意味する。開戦より十年続いたその戦争は人と魔物の長き小競り合いの中でも歴史的なものであり、犠牲も被害も多く出た。
そして戦争そのものは終わっても爪痕は残る。むしろこれからが本番とすら言うように書類の上で死神が踊り、この土地シルトの辺境伯であるユーディンは頭を抱えていた。
「戦時の略奪で農地はボロボロ。領民もまぁ同じく。経済立て直そうにも僕にそういう伝手はあんまり無いし……貯蓄とかも兄様たちが結構持ってったしなぁ。ははは」
書類をバーッと投げた。現実も同じように投げ出したかった。
「領主辞めたい!」
「介錯ならばお任せを。暴徒共にあなたを辱めさせはしません」
「人生ごとやめる以外の方法で!」
片腕であるミラは女だてらに武人としても文官としても有能であったが、実直で冗談が分かりにくい所がある。ていうか冗談だよね? 顔色を窺ってみるが、眉をぴくりとも動かさないので何も分からない。長い付き合いではあるが未だ本心が掴めない時の方が多い。
正直心が休まらない所はあるのだが、彼女はこの領地に残った数少ない『財産』だ。うまく動いてもらわないといけない。
「大体おかしいでしょ。なんで五男の僕が領地継いでんの」
「長男は王家筋へ婿入り。三男は戦時に勇者に任命、領主より重要な仕事をされています。次男と四男は戦死なされました。よって学問を学んで生きていければいいと言っていた放蕩息子が領主に収まる事になった訳です。どちらにとっても悲劇ですね」
「キツイ冗談で言ってんだよね!? 平時なら首飛ぶからなそれ!」
「おっと無骨者ゆえ許してくださいね」
許されると分かってやっている。たちの悪い女だった。
しかし言葉は事実だ。ユーディンは自分が継ぐことになると思ってもみなかったので領地経営に関する諸々の知識は手慰み程度にしかない。領民の信もほぼ長男と三男に向いており、自分はといえば目立った武功もなければ人脈も浅い。代々精強で知られるシルト家、それだけに武の道に進まず書ばかりにかまけていたユーディンに対する視線は厳しい。
こればかりはユーディンでも理解している事だが、国としてはシルト家が取り潰される事になっても問題ないという判断のようだ。戦後の混乱で領地の再編が行われる事はそう珍しい事ではなかったし、シルトが積み重ねた多くのものは長兄が王家へと持って行ってしまった。
武力は三男だ。彼のおかげで戦争は人間側有利に停戦したが、それ故に多くのしがらみがある。今の彼は『シルト家』ではなく『聖王国』という立場を背負って立たねばならない。
いつの間にかミラが拾い集めていた書類に改めて目を通す。文字と紙が整備されているのはシルドの地盤自体はしっかりしている証だ、少しの慰めになる。
「……正攻法じゃなんともなんないよな」
そして目を留めたのは、魔物との融和を図るために双方の有力者の結びつきを強めたいという中央からのお触れ。言外ながら幾らかの支援や便宜を図る事も期待出来るだろう。
以前より話には聞いていた案件だ。そして目を通した限り、さほどの無茶も困難もなく成り立つ。
まぁ、つまり。
「するか。魔物との政略結婚」
そこからはトントン拍子である。数回ほど書簡のやり取りを行うだけで決まってしまった。
会談や文化交流ならまだしも、姿かたちが違い少し前まで争っていた生き物との婚姻を許容出来る者は少ない。生理的な嫌悪もある、周囲の目もある、そして再び争いが起きれば複雑な立場に立たされることになる。
話が進んでいる家は片手の指で数えられる程度だという。一番乗りになったのは勿論シルト家だ。
「ユーディン様が道楽者で助かりましたね」
言い方は悪いがその通りだ。武ではなく学の道を選んだユーディンは周囲の影響もあり自由主義的な気風に染まっている。魔物の文化に対する知識も多少あり、彼らに対する偏見は貴族の中では最も薄い部類だろう。
そして何より、どちらにせよガタガタの領地でまともな婚姻など望むべくもないのだ。なら己を賭け金にする事に何の躊躇いがあろうか。
「まぁ領民や部下はいい顔をしないでしょうが。謀反ポイントがまた一つ溜まりましたね」
「はは……ま、その辺も含めて追い追いなんとかしてくよ」
伝令の連絡通り、婚姻相手を乗せた馬車は太陽が陰り始めた頃に現れた。残り少ない使用人や騎士ら総出で迎えるが、果たして礼儀が自分達と同じかどうか。
馬車は何の変哲もない小さなもの。恐らくは聖王国内で旅の商人に紛れるために買い付けたのだろう、戦後の土地はまだ危険も多い。逆に言えばその辺りの知恵は自分達と同じという事か。
「それじゃ皆、文化の違いで急に斬り殺されそうになったら助けてね」
シルト家忠臣が去った後の覇気がない部下たちの声を背にユーディンは馬車へと向かう。
婦人の手を取るのは作法である。今回はその上に、彼女の背では介助が必要だろうと考えたからだ。
単位にして人間の背は成人男性で1.7メータ近く、女性ならば1.6メータ足らずという所。そこに来て彼女の種族――ドワーフ族は平均して0.5メータは背が低い。なので最初に目に入った彼女の姿と言えば、高過ぎた座席からぴょんと控えめに飛び降りる所だった。
毛深い種族であると聞くが、実際に見るとその体毛は人よりむしろ獣のそれに近い。薄茶の細い毛が全身をくまなく覆っている。鼻口辺りがつんと尖っている以外、顔の形は人のそれとほぼ同じだろう。
ユーディンの顔を見つめるのは黒目がちの大きな瞳。躊躇いだろうか、喉の奥からくるくると鳴き声が聞こえる。ドワーフは人の言語を発音出来ない。
取り繕わずに言えばその姿は二足歩行の犬だ。聖王国に生まれた人間であれば彼女たち魔物を色恋の対象として見る事が出来ないのは当然である。これは『ヒト』ではない――それが人間に生まれ付いた者の常識だ。
「ハルさん、こちらへ」
けれどユーディン・シルトは貴婦人にそうするのと同じように手を差し伸べた。
そして、魔界連合ドワーフ領の第一王女――彼女たちの言葉で『春』を意味する名の少女はその手を取った。
馬車から飛んだ彼女を抱き止めたその姿は、人間から見れば愛玩動物を抱きかかえたようではあったけれど。
ハルの指先、人より鋭く長い爪がこそばゆいほどの優しさでユーディンの手の甲をなぞる。一定のリズム、何度か繰り返すそれを文字だと気付いたのは四度目をなぞる頃だった。
盲者がこのような伝え方をする場面をユーディンは旅先で見た事がある。何より、それは美しく整った共通語の短い言葉だ。気付けば理解する事は容易かった。
人間と魔物をかつて別つたのは言葉だった。神から下されたと言われる共通言語を介する、即ち発音出来る者のみが人間であると。誰がそう言ったわけでもなく、世界の流れがそうであるべきと定まったのだ。
魔物にとって共通言語は忌むべきものだ。人間と意思疎通をするために学ぶ者もいるが大抵は身分が低い。魔物側の身分の高い者にとってはその言葉は穢れである。
けれどハルはユーディンの表情の変化を見て、どうだと言わんばかりに小さく口角をあげてみせたのだ。
彼女はきっと自分と同じだ。ひとつの考えに囚われるのを良しとせず、未知をこそ愛し、どんな時でもやりたい事があって、そのために労を厭わない。自然と笑みがこぼれて、ユーディンはドワーフの簡易連絡言語で同じ言葉を返した。
『よろしくおねがいします』
違う形の小さな笑顔が向かい合って、二人の人生が始まる。
ユーディンはこの領地をなんとかする確かな術を知らない。
ユーディンは領民や部下の信頼を得る方法を知らない。
ユーディンは魔物との融和や戦の折衝、そして適切な軍備も知らない。
そしてユーディンは、魔物である彼女を愛する方法を知らない。
だが何一つとして諦めてはいなかった。
ただ生きる事も、善き領主となる事も、シルト家に継がれたものを守る事も、そして夫となる事も。
誰が信じずとも、この世界で。自分が出来る事を全てやって生きていく。
ただそれだけの物語。
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