Work of SSS File No.1 ~彼方からのラブレター~
「詳細をお訊かせ下さい」
SSSで依頼を受けた水乃森雪夜と日坂春奈は、クライアントと接触すべく、大学部のとある研究室を訪れた。依頼人の名は『芹沢 和桜』38歳。独身。大学部の准教授を務める男である。
「何でも『20年前の恋』をお探しだとか」
「ああ、そうなんだ。こんな事をキミたちに依頼するのは筋違いなのかも知れないが……」
和桜は人の良さそうな顔を歪めて苦笑する。
「いえ、私共SSSは、全力でお手伝いさせて頂きますわ」
極めて優しく丁寧な口調で声を掛ける春奈。その笑顔を見て、和桜はポツポツと依頼内容を話し始めた。
話は20年前に遡る。
舞台はとある片田舎。当時高校生だった和桜には、共に将来を約束し合った一つ年上の女性・一之瀬 かすみがいた。
かすみは心臓に重い疾患を抱えており、入退院を繰り返す辛い日々を送っていた。そんな時に、たまたま怪我をして病院に通っていた和桜と出会ったのだ。
二人が逢瀬を重ねていたのは、病院の中庭にある大きな桜の木の袂。なかなか外出許可の下りないかすみにとって、和桜との逢瀬は生きる糧そのものだった。
将来を誓い合い、たった一度きりの契りを交わしたその翌日、いつものように桜の木の袂を訪れた和桜。しかし、待てど暮らせどかすみは来ない。
不審に思った和桜は、かすみの病室へ。だが、そこはもぬけの殻だった。
居合わせた看護士を問い詰めると、ついこの日の早朝、疾患が悪化して遠くの大病院に搬送されたと言うのだ。
当時高校生で稼ぎも無く、大学進学を控えていた和桜に、かすみを追い掛ける事は出来なかった。
自分はただ勢いだけでかすみと将来を約束しただけなのではないか。こんな将来も確約されていない自分に、かすみを幸せにしてやれる事ができたのだろうか。そんな自問自答を繰り返すも、時間の流れは残酷に過ぎ去り、大学進学により上京した和桜にはかすみの消息は掴めなくなった。
それから今年で20年。その間にも何度か恋をし、結婚も経験した和桜だったが、かすみの事が心の底に澱のように沈殿し、悉く上手くいかなかった。そんな気持ちにケリをつけたいのだと言う。
「別にかすみと縁りを戻したい訳じゃないんだ。ただ、彼女の消息が知りたい。私はそれだけ満足なんだ」
「病院やご家族の方には確認されたんですか?」
「ああ。恥ずかしい話だが、彼女の両親には交際を反対されていてね。結局何も教えてもらえなかった。それに自分でも調べてみたが、彼女はその後も色々な病院を転々としていたようで、最後までは追えなかった。当時入院していた病院も、数年前に閉鎖してしまったよ。私が訪れた時には、あの時の桜だけが変わらずに立っていたなぁ」
「………と言う訳なんです」
雪夜と春奈は、依頼内容を所長の静流に報告していた。
「う~ん、デリケートな問題ね。心臓に疾患があったのなら、最悪のケースも想定しなくちゃいけないかも」
「そうなんですよね。出来れば悲しむ顔は見たくないんですけど……」
「だからって、もしホントにそうだった場合でも嘘の報告をする訳にもいかないですしね……はぁ、どうしよっか、雪夜」
三人は顔を見合わせる。暫く唸り声を上げていたが、やがて静流は諦めたように言った。
「仕方ないわ。唸ってても解決しない。取り敢えず調べてみてから決断しましょう。瑛理、よろしく」
「そう言うと思って今調べてるよ」
「さっすがトサカ先輩!」「トサカちゃんカッコいい!」
「やかましい! トサカじゃねェ!」
―――数日後のある休日。雪夜は和桜を伴って件の閉鎖された病院を訪れていた。
「雪夜くん、突然どうしたんだい? 病院が見てみたいだなんて」
「いえ、深い意味はないんですよ。ただの調査報告です。へぇ、これがあの桜の木か。立派なものですね。見頃が終わってるのが残念ですが、さぞ見事な花を咲かせるのでしょうね」
「調査報告……?」
その時、別の方角から一人の女性を伴った春奈が歩いて来た。
「えっ…………?」
和桜は目を疑った。それもその筈。春奈と共に歩いて来る女性は、若かりし日のかすみ、その人だったのだから。
「か、かすみ………?」
女性は和桜を見とめると礼儀正しく一礼した。そんな仕草もかすみそっくりだ。和桜はたまらず駆け寄っていく。
「本当に………かすみ……なのか?」
この20年間片時も忘れた事のない顔。その顔が今、現実として目の前にいる。……が、しかし。
「ゴメンなさい。あたし、かすみじゃありません。あたしはかすみの娘のさくらです」
「えっ………………」
和桜は再び絶句した。確かに娘ならこれ程似ていてもおかしくはないが……。それ以上に、かすみに娘がいた事に衝撃を覚えたのだ。
「えっと、芹沢和桜さんですよね? 母から手紙を預かっています」
和桜はさくらから、開封されていない一通の手紙を手渡された。宛名の欄には、懐かしいかすみの字で『和桜さんへ』と書かれている。混乱する頭をどうにか平静に保つよう努力しながら、和桜はおそるおそる手紙を開く。
『和桜さんへ。
貴方がこの手紙を読んでいる時、貴方の目の前にはさくらがいる事でしょう。さくらは間違いなく、私と貴方の娘です。本当は、私自身でその事を貴方に報告したかったのだけどね。貴方がこれを読んでいる頃には、私はもうこの世にいないのです。』
食い入るように手紙を貪り読む。まずは必死に文面を理解しようと努力する。そんな意思に反して、和桜の瞳からは涙が滲んできた。
『多分混乱されている事でしょうから、順を追って説明しますね。
貴方と別れた後、私はいくつかの病院を転々としました。そんな中で、私には赤ちゃんがいる事が分かったんです。私は真っ先に貴方に連絡を取ろうと思ったのですけど、貴方の大学進学などの事があったり、両親に反対されていたりした事もあって連絡出来なかったんです。
でもどうしても貴方との子供を産みたかった私は病院から逃げて、人里離れた田舎で一人ひっそりとさくらを産みました。勿論『さくら』と言う名前は貴方の名前とあの時の桜の木から取ったんですよ。さくらとの生活は、大変だったけど本当に楽しかった。勿論、隣に貴方が居ればもっと楽しかっただろう事は容易に想像出来たけど。』
和桜の顔は、既に大きく歪んでいる。それでも、最愛の女性が書き綴った手紙を一字一句漏らさず刻み込もうと、懸命に涙が零れないように歯を食いしばっていた。
『だけど……そんな生活もそれほど長くは続かなかった。さくらが生まれてから暫く安定していた心臓の病気が、再発したんです。
さくらを親戚に預け、自分は治療に専念しましたが、もう手遅れでした。日に日に病状が悪化していくのが自分でも分かります。でも、貴方の事だけがどうしても心残りだった。だから貴方がこれを読んでくれる日を夢見て、今筆を取っている次第です。』
和桜はどうにも涙を堪えきれなくなった。大粒の涙が頬を伝い、手紙に落ちる。
『私は幸せでした。貴方から両手じゃ抱え切れないほどの幸せを貰いました。本当に、本当にありがとう。私は貴方に幸せをあげる事は出来なかったのは心残りだけど……ゴメンなさい。
あの時、貴方と出逢えた事は、余命短い私への神様からの贈り物だったのかも知れません。ううん、違うわね。私と貴方が出逢う事は、私達が生まれるずっと前から決められていた運命なのよ。……って、もう死んじゃう人間にそんな事言われても迷惑よね。貴方は私の事なんか忘れて、今大事に思っている人を精一杯愛してあげてね。
遠い空のどこかで、貴方の幸せをいつまでも祈っています。 かすみより』
「か……すみ……………うう……うああ…………!!」
和桜は地面に崩れ落ち、手紙を掻き抱いて咽び泣いた。かすみと別れたあの時から、決して流れなかった涙。それが、今は後から後から溢れ出てくる。最愛の女性がもうこの世にいない。どんなに逢いたくても、逢う事は叶わない。だがこの20年間、彼女と同じ気持ちで思い合っていたのだ。真実を知った驚愕。20年前、臆病だった自分への後悔。そして何より、最愛の人はその最後の瞬間まで自分の事を思ってくれていたのだという事実。あらゆる感情が入り混じり、涙として、嗚咽としてとめどなく流れ落ちる。
和桜を見守る雪夜も春奈もさくらも、皆涙を流していた。手紙の内容は分からなかったが、和桜の様子で何となく察したのだろう。雪夜と春奈はさくらに一礼すると、何も言わずにそっとその場を立ち去った。
「あの……」
しばしの後、和桜がそろそろ泣き止んできた頃、一人残ったさくらが和桜に声を掛けた。
「………ああ、ゴメン。みっともない所を見せちゃったな」
「みっともないだなんて、そんな事ないです。……本当に母さんの事が好きだったんですね」
和桜は苦笑する。そう言えば、この子は自分の血の繋がった娘なのだ。
「……正直、あたしは貴方を『父さん』と呼ぶのは躊躇われます。今まで母さんからいっぱい貴方の話は聞いてきましたけど。でも、貴方があたしの父さんだなんて、今はまだ実感が湧かないんです」
「………そう、だよね。今までほったらかしにしてきてしまったのだから、仕方が無い」
「でも………………」
さくらはもじもじと下を向く。何か言いにくそうにしているようだ。そして意を決したように―――
「あたしを………母さんの代わりに……抱き締めても……いいですよ?」
「――!」
「あ、あたしだって、女の子ですから……血が繋がっているとは言え、知らないおじさんに抱き締められるのはちょっと嫌ですけど…………。でも、母さんを思って流したその涙は………とても……キレイだったから………」
「………………ありがとう」
「ううん、その言葉は母さんに言ってあげて下さい。あたしはあくまで代わりですから。……でも、きっと今ここで聞いてるよね、母さん?」
「……ああ、そうだな。ありがとう、かすみ。……でも一つ間違ってるぞ。私だって……お前と出逢えて幸せだった。お前から両手じゃ抱えきれないほどの幸せをもらったんだ。それだけは……胸を張って言える」
二人は桜の木を見上げる。20年前から恋人達を見守ってきた桜の木が、緩やかな初夏の風に揺れていた。その表情は優しく、かすみの気持ちを代弁しているかのよう。20年の時を経て、再び巡り逢った恋人達を祝福するように、桜の木は揺れている。
20年前には言えなかった、たった一言の感謝を添えて―――――
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