Work of SSS File No.4 ~価値の所在はその胸に~
「―――翡翠?」
夏休みもいよいよ終盤に差し掛かった、ある暑い日の午後。探偵商社SSSの応接テーブルを挟んだ向かい側に座る依頼人の言葉に、応対している月影理央が聞き返す。
「はい、そうなんです。今日の午前中にこの都市を散策している途中、紛失してしまって……」
今回の依頼人は木田 久遠。14歳。中学二年生男子。だがSGの生徒ではなく、外部からの観光者である。SCは学園都市ではあるが、休みを利用してSCを観光する人間は決して少なくない。久遠はその中の一人と言った所か。
「……失礼だけど君、中学生だよな? 何だって宝石なんて持ち歩いてたんだ?」
対面する理央が首を傾げる。本来飛び込みの依頼は所長の静流が応対する事になっているのだが、当の静流は5日間の休みを取って海外へバカンスに行っている。何でも金音家の毎年の通例なのだとか。……学生の癖にいい身分だなぁオイ。
「……えっと……話すと長くなってしまうのですけど……と、とにかく、アレは大切なものなんです。って言うより危険なものなんです。早く探さないと大変な事に……」
「……危険? ……大変?」
「……あ! え、ええっと……『世界観が壊れるからあんまり詳しく話すな』と言われていまして……って、何言ってるんでしょうね、僕……。あは……あはは……」
「……………」
額に汗を浮かべてしどろもどろに言い訳する久遠。当然理央は困惑している。
「と、とにかく、一刻も早く探し出したいんです。理由は……すみませんがこれ以上お話する事は出来ません。怪しいのは重々承知してますけど……力になって貰えないでしょうか?」
久遠は深々と頭を下げる。
確かに怪しい。『翡翠』と言えば、その透き通るような深緑の輝きで人気の高い宝石の一つだ。英語で『ジェイド』と呼ばれ、古代では金以上に重宝されたという。件の翡翠の大きさや形状はビー玉程度だというが、本物であるならその手の業者に売ればそれなりの金額を手に入れられるはずだ。そんなものを、どう見ても普通の中学生である久遠が持っていたのか。どのように入手したのか。疑問は尽きない。因みに、混同されがちだが『翡翠』と『エメラルド』は別物である。
マニュアル通りならば追い返して然るべき。SSSは部活とは言え、慈善事業ではないのだから。むやみやたらに怪しい依頼を受ける訳にはいかないのだ。……だが、このように真摯に懇願している少年を無碍に追い払う訳にも行かない。本来ならば静流の意向を仰ぐべきなのだが、事態はどうやら急を要するようで、理央は独断で返事をする。
「分かった。オレがその依頼を引き受けよう。中学生みたいだから料金の方も勉強しとくぜ」
刹那、久遠の表情が明るくなる。
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!! いや~、こっちはいい人多くていいですね。この事務所の事を教えてくれたお嬢様口調の女の人も何だかんだで優しかったし。あっちは嫌なヤツ多くてちょっと人間不信になりかけてた所だったんです!」
「………そ、そうか」
依頼を引き受けてもらった事がよほど嬉しかったのか、別に言わなくていい事まで口走る久遠。勢いに圧されて理央はまたも困惑気味。気を取り直してコホンと一つ咳払いをすると、理央は他のメンバーの方に振り返る。
「お~い、そんな訳でこの子の依頼を引き受けたから。暇なら誰か一緒に……」
「雪夜ってば酷~い! 今年はバカンスに連れてってくれるって約束したじゃな~い! ……夢の中で!!」
「勝手におかしな約束するな、夢の中のオレ! 苦学生のオレの何処にそんな金がある!?」
「うおおおっ! おれもバカンスに連れて行って欲しいッスーーー!!」
「お前らホントに飽きねェよな……。ある意味尊敬すんぜ」
「……わ、私も……理央先輩と……バカンスに…………ポッ」
無茶な約束を吹っ掛ける春奈、それを律儀に突っ込む雪夜、KY風味を貫く瞬、その光景を眺める瑛理、何やら妄想の世界に沈み込んでいる碧。つまり、誰一人まともに仕事していないのである。静流が休みに入って今日で3日。SSSの協調性は限界を迎えつつあった。
「……ダメだ、ありゃ役に立たん。……仕方ない。オレだけで行くか……」
理央は嘆息して、久遠と共に事務所を後にした。
「ハックション!」
「風邪ですか? 夏風邪はしつこいですから、気を付けた方がいいですよ」
「……いや、風邪なんぞ引いてない筈なんだが……多分何処かの女の子がオレの噂でもしてるんだろ。それはそうと、何でSCに来たんだ? お前ここの生徒じゃないんだろ?」
久遠が歩いた足取りを辿ってSCを歩いていた理央達だが、翡翠を探していた為に昼食を摂っていない久遠の為、サウスアベニューにあるファミレスに入っていた。既に昼食を済ませている理央はアイスコーヒーを飲みながらそんな事を問うている。
「はい、そうなんですけどね。ここには3に……いえ、2人で来てまして。そのもう一人が楓さん……女の人なんですけど、その人がどうしてもこのSGを見学したいと言うもので」
「ふ~ん、さしずめデートか?」
「ええ、デートです。デートですから、それ以上深く追求しないで下さい……」
「……何か目が暗く淀んでるが……。で、その女の子は何処へ行ったんだ?その子と一緒に探せばいいんじゃないか?」
「いえ、それがSCに着いた途端……『ふむ、この学園都市は実に興味深い。私は暫く一人で散策するぞ。その間はお前を解放してやる。お前が一緒では何かと不自由だからな。束の間の自由を満喫するがいい。あっはっは』……とか言って何処かに去っていったんです。後でこの人も探さなくちゃいけなんですけど」
「……そうか。お前もなかなか苦労してるんだな」
「分かって……くれますか?」
「ああ、分かるとも。辛かっただろうな」
二人は互いに慰め合う。若干のディテールは違えど、共に『女の子で苦労している』同士なのか、何か通じ合うものがあるようだ。その切実な姿に不覚にも涙が止まりません。
久遠が昼食を食べ終わるまでの間、そんな感じで話を進めていると……
「きゃ~☆ 理央様来てくれたの~? 律子嬉しいっ!!」
突然ウェイトレスが割って入って来た。どうやら理央のファンの子らしい。理央はコンマ1秒で切り替えスイッチオン。別人格を反転させる。
「やあ律子。今日も可愛いね。制服もよく似合ってるよ」
久遠をほったらかして女の子に甘い言葉を掛けて髪を撫でている。久遠は顔を朱に染めながらそっぽを向く。うん、実に正しい反応だ。お子ちゃまは見てはいけません。つーかこんな風になってはいけません。
「あら? その子……」
女の子は理央との挨拶もそこそこに、久遠の顔を見て首を傾げる。
「ああ、ちょっとした知り合いでさ。SCを案内してる所だ」
「ど、どうも」
依頼には守秘義務があるので、理央が久遠の依頼を受けて動いている事は明かせないのだ。
「ええっと、失礼だけど、さっき『豊田ベーカリー』の前で人にぶつからなかった?」
「え?」
「さっき買出しに行った時に、ちょうど君みたいな男の子がお店の前でおばさんとぶつかって転んでいたのを見ちゃったから。大した事なかったみたいだったから声を掛けそびれたのだけど……大丈夫だった?」
「あ……はい、大丈夫でしたよ。ちょっとだけ荷物が散らばっちゃっただけですから。店のおばさんも手伝ってくれましたし」
「……? 豊田ベーカリーって確かこの前旦那さんが…………ッ! まさかその時に……!」
その一言で、理央はハッと閃く。そしてそのまま久遠の手を掴んで携帯を取り出すと、すぐさま店を飛び出す。
「ちょ……ちょっと理央様!?」
「悪ィ律子、SSSに伝票回しといてくれ! ちょっと急いでるんだ!!」
問題の豊田ベーカリーの前。店は閉まっている。だが勝手口らしき横の扉から、中年と思しき女性が出て来たのを理央と久遠は捕まえて詰問していた。
「なあアンタ、さっきこの子とぶつかったろ? その時何か盗らなかったか?」
「………………」
その声色に普段女の子と接する時のような柔和さはない。
女性は豊田 正美39歳。この『豊田ベーカリー』を夫婦で経営している。だが最近経営に行き詰まり、ギャンブルにはまった夫が蒸発。失業の危機に瀕していた。理央はその情報を事務所にいる瑛理から電話で聞き出していた。
「それは大事なものなんです……。返して戴けないでしょうか?」
久遠も負けじと問い詰める。
「私は何も知らないわよ。何かの間違いなんじゃない? 確かにさっきその子とぶつかったけど、私は宝石なんて見てもいな……」
「へえ……? 盗られたのが『宝石』だなんて、よく知ってるな。オレ達は宝石だなんて一言も言ってないが」
「あっ!?」
正美は自らの失言に愕然とし、口に手を当てる。確定的。『盗りました』と自白したようなものだ。
「アンタの境遇には同情するがな、だからって人の物を盗っていい事にはならない。ちゃんとこの子に返してやってくれ」
「くっ………」
理央の強い物言いに気圧されたのか、正美はしぶしぶ翡翠を取り出す。それを見て久遠は大声を上げる。
「シラ! よかった!!」
「……シラ?」
「……あ、えっと……ぼ、僕、翡翠に名前を付けてて………あははは………」
「何よ……こんな子供がこんな宝石持ってたって意味無いじゃない。どうせ物の価値もろくに分からないんでしょう?」
正美は搾り出すように言葉を漏らす。それはさて、何に向けたものか。その言葉を聞いて、理央が口を挟む。
「……どうしてその宝石がこの子にとって価値のないものだと分かる? まだ数時間しか接していないが、オレには久遠がその翡翠をとても大切にして、必死に探していたのはよく分かった。モノの価値なんてもんはな、当人にしか感じ得ない部分があるんだよ。それは決して値段なんかでは推し量れない、尊いものだ。人の物を盗ろうとしたアンタに何が分かる?」
理央の言葉は胸を穿つが如く真摯にして辛辣。まあ久遠が翡翠を必死に探していたのにはもうちょっと別の理由があったりするのだが、それは理央の与り知らぬ話である。
正美は諦めたように翡翠を久遠に手渡す。久遠はホッと一息。表情に安堵の笑みが浮かぶ。
「ああ……私はこれからどうしたら……。あの人が店の売り上げを持って何処かに……。店舗賃貸支払い期限は今日なのに……。このままじゃ店を失うどころか路頭に迷う事に………」
夫婦で仲睦まじく細々と続けて来たパン屋。それがいつしか経営は傾き、夫が蒸発して以来、正美は各方面へ金策に奔走していた。頭を下げ、人に縋って、心身共にボロボロの状態だった。それでもまだ僅かだが必要額に届かない。そんな時に久遠の翡翠を目にしたのだ。魔が差しても無理はない。
理央はその痛々しい姿を見て一つ思案。するとおもむろに、
「だったらこれをアンタにやるよ。調べてもらった所、『フォーナインゴールド』だそうだ。多少古ぼけちゃいるが、売ればそれなりの金額になるはずだぜ」
首に下げた金のペンダントを取り外して、正美に差し出した。
「………!?」
そのペンダントは紛れもなく、理央が施設に預けられた時に着けていたもの。唯一理央と本当の両親を繋ぐものの筈。それを理央は事も無げに、ついさっき会ったばかりの正美に差し出したのだ。
因みに『フォーナインゴールド』とは、金製品の規格の事である。純金成分がその名の通り99.99%以上のものを指して使われる言葉で、『24金』とも言われる金の中でも最高級品だ。
「………ほ、本当にいいの……?」
「ああ。ただし、今後二度と人のものを盗ろうなんて思わない事だ。その時は代金徴収に来るからな。……それと、人探しなら是非『探偵商社SSS』にご依頼下さいませ」
「ありがとう……ありがとう………!」
そう言い残すと、理央は名刺を残して颯爽とその場を後にする。正美はその場にしゃがみ込んでペンダントに縋って泣いていた。久遠は正美に一礼すると、理央の後を追う。
「翡翠を取り戻して下さってありがとうございました。……でもいいんですか……? あのペンダント、大事なものだったんじゃ……」
「まあそれなりに。でも今のオレには………」
目の前にはSSSの事務所。思い起こされる騒々しい毎日。屈託なく笑う仲間達の笑顔。胸に去来するいくつもの風景を噛み締めて、理央は言う。
「そんなものより、もっと大切なものがあるからな―――――」
―――後日談。
「はい理央クン。今日お誕生日でしょ? これ、私からのプレゼント。まあ理央クンなら女の子からいっぱい貰っているでしょうけど」
数日後の理央の誕生日。部活に出た理央に、静流が誕生日プレゼントを手渡した。
「いえいえ、静流先輩からプレゼントをもらえるなんて光栄ですよ。開けますね。……………って、これ………!」
「たまたま貴金属店で見つけてね。理央クンに似合うかなーと思って」
それは、金のペンダント。それも新しいものではなく、理央が手放したペンダントそのもの。不注意で付けてしまった傷も汚れもそのまま。よく出来た模造品でもない。これは間違いようもなく……理央のペンダントだった。
「先輩……これどうやって………」
「プレゼントに野暮な事を聞くものじゃないわ。素直に受け取って、もう手放さないように大事にしてくれると嬉しいな」
静流がこのペンダントを取り戻した経緯は不明。否、言わぬが花というものだろう。そもそもそんな事は些細な問題でしかない。理央の首元にあのペンダントが再び戻って来て、あたかも本来の輝きを取り戻したかのよう。それが全てであり、他の事など瑣末なのだ。
理央は再確認する。確かにペンダントは大切なものではあるが、一番ではない。だが、それでもおいそれと手放していい程どうでもいい存在でもなかった。でなければ施設に預けられたその日から1日も欠かさず着けていた筈がないからだ。知らず知らずの内に、心の拠り所としている部分もあったのかもしれない。何故ならこのペンダントは、理央を片時も逸らさずに見守り続けた、言わば母親の代わりのようなものなのだから。
「ありがとう……ございます」
「ええ、それでいいのよ。さて、今日も元気に頑張りましょう!」
何日かぶりに、ペンダントを着ける。そしてもう一つ再確認。自分の取るべき道は間違っていなかったのだと―――――
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