Work of SSS File No.3 ~乗り越えなければならないもの~
「どうにか出来ないもんかねぇ……」
夏も盛りの8月某日。SSSの事務所を訪れた今回の依頼人は、成瀬 今日子。46歳。ウェストアベニューにある女子寮の一つ『ホワイトハイツ』の管理人である。
「私が飼ってもいいのだけど、あそこまで威嚇されちゃあねぇ……」
今回今日子が持ちかけてきた話はこう。
1週間ほど前から『ホワイトハイツ』のある一室の前に犬が居て、その犬が頑としてその場を動こうとせず、通行の邪魔になっているのだという。それだけならまだしも、通り掛る人々に牙を剥いて誰彼構わず威嚇して来るのだそうだ。これが中々凶暴で、保険部の人も手を焼いているらしい。苦情が殺到してしまって、困り果てた今日子が静流の元に相談しに来たという訳だ。
「寮母さんの頼みでしたら無碍にする訳には行きませんわね。取り敢えず、現場を見せて頂いてよろしいですか?」
静流自身はSC内にある自宅に住んでいる為寮生活ではないが、それ以外のメンバーは全員寮に住んでいる。男女それぞれ3つある内、メンバー内では春奈がこの『ホワイトハイツ』で生活しているので当然メンバーとはゆかりのある人物だと言える。いつもはこの手の依頼を毛嫌いしている静流だが、そう言う事情もある為なのか、今回は妙にすんなり快諾したのだ。
「けけけ、この前のカフェの件といい、最近すっかり『何でも屋化』して来てるな、この事務………うごォ!?」
問題発言をした瑛理を、凄まじい速度と威力のスリッパが襲った。これが静流の得意技『スリッパ魔弾』である。その卓絶した頭脳で物理法則、運動力学、空気抵抗等を瞬時に計算し尽くし、通常では考えられないほどの速度と威力でスリッパを投げ付ける天才・金音静流の恐るべき固有技だ。得物が何故スリッパなのかは永遠の謎。静流はどうもSSSを何でも屋と言われるのが嫌いらしい。
「それじゃあ春奈ちゃんついて来て。女子寮じゃ男の子と一緒に行く訳には行かないしね」
「あ、はい」
魔弾の射手は何事もなかったかのように、暇を持て余していた春奈に声を掛ける。春奈と今日子を伴って事務所を出て行こうとしている静流に、鼻を押さえている瑛理が近寄っていった。
「何よ。恨みでもあるの? あれは貴方の発言が聞き捨てならなかったから……」
「ちげェよ。ほら、情報だ。これがなくちゃ話にならねェだろ」
そう言って瑛理は書類を手渡す。
「あ……ゴメン。助かったわ」
「ボーっとしてんじゃねェよ。まあお前の事だから、何となくどう言う事なのか分かってるのかも知れんがな。せいぜい怪我しねェように気を付けるこった」
「やっぱり……そうだったのね……。しまったなぁ……」
事務所から寮への道すがら、静流は書類に目を通していた。
問題の犬、名前は『ゴン』の飼い主は小森 皐月という高等部1年の少女で、『ホワイトハイツ』の住人だった。過去形なのは、その少女はもう『ホワイトハイツ』に住んではいないから。犬が居座り始めたのと同じ1週間ほど前に、交通事故で短い生涯を閉じたのだった。遺体は家族が引き取ったが、皐月が犬を飼っていた事実は知らなかったらしい。なのでゴンは家族に引き取られる事も無くそのまま放置されていたようだ。
因みに『ホワイトハイツ』は3つの寮の内で唯一ペット可である。許可さえ下りればかなりの種類の動物を飼えるようになっているのだ。同様に男子寮も3つある内の一つがペット可となっている。
春奈の方に振り向き、質問を投げかける。
「寮内での反応はどう?」
「ん~そうですね。私は階が違うからあんまり詳しくは分からないんですけど、同じ階の友達はやっぱり迷惑がってましたね。中には咬み付かれそうになった子もいるらしいです。聞いた話だと、元々は人懐っこい犬だったらしいんですけどね。居ついてからは人が与えた餌は絶対食べようとしないらしいんです。何も食べてないからここ2,3日は衰弱してきてるみたいなんですけど」
「まあ野良を拾って飼ってたらしいからね。警戒心が強いんでしょう。野良だった頃を思い出したんじゃないかしら」
「ゴンちゃん、皐月ちゃんの帰りを待ってるのかねぇ……。部屋の前を動かないんだったら、そうとしか思えないけど」
「………どうでしょうね。実際見てみないと何とも……」
『ホワイトハイツ』3階の現場。静流達は問題の犬、ゴンと対面していた。
「ガルルルル……………」
ゴン。年齢不明。オス。雑種。大きさとしては普通だろう。全身の毛を逆立て、目を怒らせ、牙を剥いて目の前にいる静流たちを全力で威嚇している。だがその声は何処か弱々しい。衰弱はかなり進行しているようだ。
「今日子さん。彼の食事とお水を用意しておいて頂けますか?」
一目で衰弱を看破した静流は今日子に指示を出す。
「いいけど……食べないんじゃ?」
「まあそれはこれからの『説得』次第ですわね」
静流の真摯な答えに、今日子は頷いてすぐさまその場を走り去る。
「さてと……」
「静流先輩………」
春奈が不安げに見つめる中、静流はゆっくりとゴンに近づいていく。その距離が50cm程になった時、ゴンは静流目掛け飛び掛かる。
「ガウッ!!」
「先輩危ない!!」
だが静流はゴンを避けようともせず、真っ直ぐに受け止め、そのまま抱き締めた。ゴンは静流を振り解こうと暴れ、牙を立てる。抱き締めた静流の腕から僅かに血が滲む。
「先輩!!」
「大丈夫よ、春奈ちゃん。こんな傷、大したものじゃない。……このコの心の傷に比べれば」
駆け寄ろうとした春奈を制し、抱き締める腕により一層力を込める。そして、一つ小さく咳払いをし喉の調子を整えると、声のトーンをいつもより若干高めに設定して、静流はゴンに話しかけ始めた。
「貴方、本当はもう皐月ちゃんが帰って来ない事に気付いているわね? でもその事実を受け入れられないのでしょう。分かるわ、その気持ち。大事な人を失うのは辛いわよね。苦しいわよね。認めたくないわよね。私も同じ経験があるから、貴方の気持ちはよく分かるわ。
……でもね。それじゃあダメなの。だって、貴方は今生きてるじゃない。大切な人がいなくなってしまうのはとても悲しい事。でも、それは乗り越えなければいけない事なの。どんなに悲しくったって、辛くったって、貴方は今生きてる。生きてる以上、現実から目を背けずに、事実を受け止めて、前を向いて歩いて行くしかないの。
今の貴方を皐月ちゃんが見たら、どう思うかしらね。きっと、皐月ちゃんは貴方以上に悲しむと思うわ。いなくなってしまった人の分も、精一杯、生きなければいけない。そうしないと、いなくなってしまった人に失礼だわ。
頑張って前を向きなさい。下を向いちゃダメ。事実を受け止め、乗り越えなさい。今すぐでなくてもいい。ゆっくりでいい。でも、絶対に乗り越えなさい。また辛くなったら、私がこうして皐月ちゃんの代わりに抱き締めてあげるから。
……『大好きだよ、ゴン』」
「………クゥン」
あんなにも暴れていたゴンが、静流の最後の言葉を聞いた途端、みるみるうちに大人しくなった。そして、静流の腕の傷を舐め始める。
「よし、いいコね、ゴン」
静流はゴンの頭を撫でる。ちょうどその時、餌を持った今日子が駆け付けた。
「……大人しくなってる……」
「ああ、今日子さん。いいタイミング。このコにご飯を食べさせてあげて下さい」
今日子は恐る恐るゴンに近づき、食器を地面に置く。すると、あれほど他者を拒んでいたゴンが、一心不乱に餌を食べ始めた。
「……コラ、そんなに急いで食べなくても誰も盗らないわよ」
今日子と入れ替わりで静流は苦笑しながら立ち上がる。
「……どういう事ですか? もしかして静流先輩、犬と話せる能力でも持ってるんですか?」
困惑しきりの春奈。頭上に大きな?マークが浮かんでいる。
「フフフ……そんな瞬クンあたりが持っていそうな能力なんてないわよ。私、あのコたちが散歩してるのを何度か見掛けた事があるのよ。私の家の近くを散歩コースにしてたみたいだったからね。だからゴンの声色は最初から知ってたの。犬も声に感情が表れるわ。人間と同じで、悲しい時にはトーンダウンするものよ」
静流は未だ懸命に餌を食べ続けるゴンを眺めながら、尚も続ける。
「で、当然私は皐月ちゃんの声も知ってたから、出来る限り伝わりやすいように皐月ちゃんと限りなく近い音程・声質でゴンに喋りかけていたの。最後の『大好きだよ、ゴン』って言うのは皐月ちゃんがよくゴンに掛けていた言葉。ゴンが頭のいい犬でよかったわ。私と皐月ちゃんじゃ、匂いが明らかに違うから上手く行くかどうかは本当に賭けだったんだけどね。ちゃんと皐月ちゃんの声も覚えていたみたい」
「………………」
僅かな音程・声質の違いをも聴き逃さない、『神の耳』を有する静流ならではの解決法だ。片や改めて静流の凄さを実感し、閉口する春奈。
「皐月ちゃんが亡くなったって聞いた時、ご遺族が一緒にゴンも引き取ったものだとばかり思っていたのよね。でも今回の件を聞いて、何となくゴンの事じゃないかと気付いたから引き受けたんだけど、瑛理の資料で犬の名前がゴンだってはっきり分かった時は自分の浅慮さを呪ったわ。もっと早く対処していれば、ここまで大事にはならなかったのに」
「……静流先輩が浅慮だったら、私達なんて何も考えてないに等しいじゃないですか……」
「ま、まあまあ……でも、ゴンが立ち直ってくれて、本当によかったわ。これで人を無駄に威嚇する事もないでしょう。強いコだわ、本当。今日子さんにも懐いているようだし、万事解決ね」
「こーら、くすぐったいよ、ゴン!」
静流と春奈は、じゃれ合う今日子とゴンを暖かい目で見つめる。ゴンが皆から愛される『ホワイトハイツ』の番犬になる日は、そう遠くない未来の話―――――
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