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Harmonical Melody  作者: 新夜詩希
11/21

Episode 2 ~心の扉の向こう側~

「碧、日本のお祖父ちゃんの所に行ってくれないか」



 2年前。私は唯一の父親に見捨てられた―――




 当時私はアメリカの日本人学校に通っていた。母はいない。私が幼い頃、家庭を省みない父に愛想をつかせて離婚した為によく顔も思い出せない。父は外資系の一流企業に勤めており、5年ほど前から海外赴任でここアメリカに私と2人で住んでいる。親一人子一人と言えば聞こえはいいけど、男手一つで私を立派に……なんてのは所詮、物語の中だけの話。父は仕事詰めでろくに休日もなく、たまの休日でも一日中自室から出て来ない。食事時ですら家族の会話は皆無。私の作った夕食も、学校の成績を褒めてくれた事も無い。家族としての繋がりは、お金。生活費と学費だけは充分に供給してくれた。……たったそれだけの繋がりを、果たして『家族』と呼んでいいのかどうかは私には分からないが。

 世の中にはそう言う家庭環境で育った人って結構いるらしい。勿論中にはもっと複雑な事情の人もいるけれど。こう言う人達、所謂『両親に愛されずに育った子供』って、心に傷を負うケースが少なくない。私も例に漏れず、すっかり無口で内向的な性格になってしまった。最後に笑ったのは、さていつの事だったか。もう笑い方さえ忘れてしまった気がする。


『お祖父ちゃんの所へ行ってくれないか』


 その言葉の真意を問い質す事も出来ず、僅か一週間後には学校も辞めて約5年ぶりの日本の地へ降り立っていた。父方の祖父母は私に同情して暖かく迎え入れてくれたが、どうしても上手く優しさを受け入れる事が出来ない。


『この笑みは偽りなのではないだろうか』『この優しさには裏があるのではないだろうか』


 そんな風に考えてしまう自分がいる。結果自分勝手に疑心暗鬼に陥り、内向的な性格に拍車が掛かってしまう。人を信用出来なくなる。悪循環。私の中に渦巻く不信の螺旋はやがて私自身を飲み込んで、世界の色を失わせる。

 どうしても耐え切れず、私は祖父母に『転校したい』と直訴していた。公立中学に編入してからまだ半年も経っていない頃だった。これが私の人生唯一の我が儘。理由は明かさなかった。祖父母は勝手に帰国子女の私が日本の学校に馴染めないからなのだと思ったようだが、実際は違う。私は祖父母からも離れて生活する為に寮がある学校に入りたかったのだ。その学校は、何故か祖父母の家で偶然資料を見つけた『私立猿渡学園』。




 しかし今なら……この選択は正しかったと胸を張って言えるだろう―――――




―1―


「「マジで!?」」



 夏休み真っ只中のある日の午後。学園都市SCの端にある『Cafe wind bell』という名前の喫茶店の一角で、私・火咲碧に対面して座っている2人の先輩達が絶妙なハーモニーで悲鳴に近い声を上げた。


「う~む………まさか理央とデートとは…………意表を突かれたな……」


 私の右前に座る男性・水乃森雪夜先輩は汗のかいたアイスカフェオレを前に腕組みで唸る。……それはそうだろう。私だって予想外。否、想像外。何でこんな事になっているのか。


「そもそも、何で理央は夏休みの課題なんてやってるの? この学園は希望者にしか課題出ないでしょ? あの理央がそんなの希望したとは思えないんだけど」


 水乃森先輩に続いて私の正面に座る女性・日坂春奈先輩が、女の私から見ても可愛いと思える仕草で手にしたマンゴージュースをストローで一口啜り、言葉を繋ぐ。


「理央の一学期のテスト結果、知ってるだろ? アレの所為で、いい加減学年主任の寺田がブチギレたらしい。で、理央は『うっちゃったら即留年』という言語道断も甚だしい課題の山に放り込まれた、と」


 口数の少ない私に配慮してか、水乃森先輩が代わりに説明してくれた。


「はあ~……。中間・期末共に全教科0点じゃあね……。幾らこの学園のシステムでも、教師にケンカ売ってるとしか思えないもんね………」


「ホントは教師にそんな文句言う権利はないんだけどな。『自主性』がうちの校風だから。……でも寺田のヤロウだけは何故かそう言う所に五月蝿いからな……。まあ理央もいい度胸してるけど。普通全教科0点なんて取りたくないだろうに。アイツの場合テストは名前書いたら後は寝てるか用紙の余白使って曲書いてるかのどっちからしい。曰く、『校風を遵守した上で、オレ自身にとって最も有益な時間の使い方をしている』のだそうだ。……ものは言い様だよな」


 そんな経緯で月影先輩には山の様な夏休み課題が出されたのだが、成績と反比例して実は頭と要領のいい月影先輩。早々に課題の山を片付けた(水乃森先輩もかなり手伝わされたみたい)が、英語担当の寺田先生が出したかなりいやらしい課題だけはクリア出来なかった。そこで白羽の矢が立ったのが、帰国子女の私。当然と言えばそれまでだが、こう見えても私、英語と数学に関しては学年のみならず高等部でもトップクラスだったりする。……ゴメンなさい……。少し調子に乗りました……。

 で、月影先輩にヘルプを依頼されたのが5日前。協力して一日で課題を終わらせたその時、月影先輩から意外な事を言われたのだった―――




「ふ~、やっと終わった。アメリカのマニアックな純文学を題材にするなんてあのハゲ寺も姑息だよな。前世蛇か何かだろ、アイツ。それにしても悪かったな碧、すっかり世話になっちまった」


「……い、いえ……私はこの程度の事しか……出来ませんから………」


「この程度って……これだけ出来りゃ大したもんだよ。オレなんかよりよっぽど凄いって」


「……いえ……ホントに……わ、私なんか、凄くないですから………ほ、褒めないで下さい………」


「ん~……まあ碧が嫌がるならこれ以上は言わないけどさ。もう少し自分に自信持ってもいいと思うぜ?」


「…………はあ…………」


「……まあいいか。それはそれとして、お礼をしなくちゃな。何かオレにして貰いたい事でもある?」


「そ……そんな………私はお礼なんて……そんなつもりじゃ………」




「じゃあ………不肖わたくしめとデートして下さいませんか、お姫様?」




「えっ……………………………」


「どう?」


「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は……………は……い…………」


「よし、決まりだな。日時は明日の部活の時にでも。それじゃ、また明日な、碧」


「……………………………」




 ……と、このような流れでデートの約束をしてしまった。私は当然この後1時間ほどその場でフリーズ。事態を全く飲み込めぬまま帰路へと着いたのだが……一人で考えれば考えるほど事の重大さが圧し掛かり、どうにも耐え切れなくなって『ある人』に相談を持ちかけてみた所、『月影先輩の方に関してはもっと近しい人に相談した方がいい』と言われ、デートを明日に控えた今日になって水乃森先輩と日坂先輩をこの『Cafe wind bell』に呼び出して相談に乗ってもらっていたのだった。

 だって……相手は『あの』月影理央先輩。その端整な顔立ちとクールな視線、細身の長身の上『天才』とまで称されるギターテクニックでSG女生徒に絶大な人気を誇る。『才色兼備』とはまさにこの事で、本人もその事は自覚しており数々の浮名を流している。片や私は……ただちょっと勉強が出来るだけの根暗な女の子。男性とデートどころかまともに話しかける事すら出来ない。まあSSSに所属するようになってから多少はマシになった気はするけど……それでも月影先輩となんて、最早住んでいる世界が違う。……正直に言うと少し憧れていた部分もあるのだけど、今は嬉しさよりも戸惑いの方が圧倒的に大きい。


 因みにこの『Cafe wind bell』。以前とある出来事で私たちSSSが力を貸した事があり、SSSメンバーにはメニューを従業員料金(定価の半額)で提供してくれる上、立地条件によりSGの生徒は殆ど来ないが事務所から裏道を一本通るだけで辿り着ける為、現在ではSSSメンバーの憩いの場となっている。


「問題は、だ。理央の真意。それに尽きるな。あのボケ……碧をたぶらかすつもりならホントにぶん殴るぞ……」


「そうかなぁ。私、理央は碧ちゃんの事好きだと思うんだけど。じゃなきゃデートなんて誘わないでしょ?」


「ふ……甘いよ春奈。ヤツは『可愛い女の子はデートに誘わないと失礼だ』と思ってるような生粋の大戯け者だぞ? ……まああんなのにホイホイ付いて行く女もどうかとは思うけど……あ、碧の事じゃないからな?」


「だったら賭ける? 理央が碧ちゃんをどう思ってるか。私は『好き』の方に3000円」


「面白れーじゃん。じゃあオレは『ただのお礼』に3000円だ」


 眼前の先輩二人は当事者であるはずの私をほったらかして、何やら失礼な企画を立案している。私は所在がないので大人しく手にしたアイスレモネードなどを啜って二人の様子を見ていた。……それにしても、本当に仲いいなぁ、この人達。ちょっと羨ましいかも……。


「でも碧ちゃんが理央の事好きなのは明白だよね~♪」


「えっ、マジ!? そうなの!?」


「あれ、雪夜気付かなかったの? 割と分かりやすいよ? 理央と喋る時だけ三点リーダが激増する所とか、たまーに熱っぽい視線で理央を見てる所とか」


 ………あの……本人目の前にしてそう言う恥ずかしい事言うのは………。……ん? 『三点リーダ』って何……?


「まあ何にしても、デートを無事完遂するには色々と準備が必要だ。何せ相手はあの月影理央。ヤツを狙う輩はそれこそ某生物災害のゾンビのように湧いてくる。特にファンクラブの最大手『月夜詠会(つきよのうたかい)』。以前『春コミ』と激突し、未曾有の大惨事を招いた過激に素敵な暗黒コミュだ。あそこのメンバーにデートしている所なんぞ目撃されようもんなら、理央は自業自得だから別にどうなっても構わんが碧の方はマジ死の危険さえあり得る。火急的速やかに問題解決策を練らねばならん」


「隊長! 二人を変装させると言うのはどーでしょーか!?」


「ふむ、良い意見だ。それではオレが理央の方を担当しよう。春奈隊員は碧の方を宜しく頼む」


「いえっさー!! 全力を以って取り組むでありますっ!!」


「………………………………………」




 ……こうして私は何一つ意見を挟めぬまま、奇妙なテンションの先輩二人に流され部活そっちのけでSCへと繰り出すのであった―――




―2―


「ぎゃははははははははははははは!!」


「……笑いすぎだよバカ……。お前、完全に遊んでるだろ………」


「何言ってんだ。お前の場合はこれぐらいやんなきゃダメなんだよ。安心しろ、これなら確実にお前だってバレないから。……それにしても……くくく……ふふふふふっ………ぎゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは……!!!」


「……まあこれならタバコ吸ってても違和感ないのは利点かな。……そうでも思わないとやってられん……」






「………これが………私……ですか……?」


 デート当日。待ち合わせを数十分後に控えた私は日坂先輩の部屋にいた。鏡台の前に座る私の姿は……ほんの数時間前とは別人になっていた。


「そうだよ。碧ちゃんってば本当はすっごくカワイイんだから♪」


 私の肩越しから日坂先輩が覗き込む。

 いつもクセッ毛で髪質の悪い私の髪は、日坂先輩の丁寧なトリートメントとブラッシング、そしてストレートアイロンによって見事なストレートヘアーになっていた。少し触ってみると、自分の髪ではないと思うほどサラサラだ。昨日日坂先輩の見立てで買った、普段なら絶対着ないようなフリルのついた白のワンピースを着込んでいる。顔にはこれも日坂先輩の手によって薄く化粧も施されていた。そして何より違うのは………普段なら入浴時と睡眠時にしか外さない眼鏡を、していない事だ。


「……あの……やっぱり眼鏡を外すのは………」


「着けちゃダメ。せっかくの苦労が水の泡になっちゃうよ。別に見えない訳でもないんでしょ?」


 ……そんな事言われても……。確かに全く見えないほどではないにせよ、恥ずかしい事には変わりがない。この眼鏡はものを見る為よりもむしろ、顔を隠す為に着けている側面が大きいのだから。私は眼鏡に手を伸ばす。

 私のそんな気持ちを見透かしているように、日坂先輩は尚も続ける。


「いい、碧ちゃん? 女の子を輝かせる一番の魔法はね、『恋』なんだよ。髪型や化粧やオシャレなんてただのオマケ。恋をしている時の幸せな空気が、女の子を一番輝かせるの。今の碧ちゃんからはそれがちゃんと出てるよ。碧ちゃん自身は気付いてないかもしれないけどね。そんな素敵な空気を、眼鏡で隠すなんてダメだよ? 勇気を持って。ね? 碧ちゃんなら絶対大丈夫だから」


「………………………」


 私は手に取った眼鏡を再び元の位置に戻した。……そう、それは『あの人』にも言われた事。私に足りないのは『勇気』だ。ここで勇気を出せなければ、何も変われない。


「……うん。それでいいんだよ。それじゃ、そろそろ待ち合わせ時間だから出ましょう?」


 日坂先輩に促され、私は部屋を後にした。






「あははははははははははははははははははっ!!」


「ぎゃはははははははははははははははははっ!!」



 待ち合わせ場所である女子寮『ホワイトハイツ』前。私の隣には、ひたすら笑い転げている日坂先輩。それに釣られて笑い始めた水乃森先輩。そして私は絶句。……だって、月影先輩の格好……。


「もー雪夜サイコー!! うん、これなら理央だって絶対バレない!!」


「だろ。渾身の作品だ。必死にヅラとヒゲ探し回った甲斐があったよ。バッチリ写真も撮っておいたから、これで1週間は笑い倒せるな」


「……ホントにお前らってバカだよな……」


「………………………」


 月影先輩。ファンクラブが出来るほどの人気を誇り、女生徒を虜にする魅惑の男性。……それが今や見る影もない。何故なら、髪型はアフロヘアー、口元には髭、あまつさえミラー仕様のサングラスまで掛けている。しかも月影先輩のトレードマークであるくわえタバコが妙にマッチしていて、完全に別人となっていた。……これは流石に……やりすぎかと………。


「……まあこのバカ共は無視しておくとして……見違えたよ、碧。ちゃんと着飾れば可愛いじゃないか。いつもその格好でいたらどう? 髪も服もよく似合ってるよ。眼鏡を取った素顔も凄く魅力的だ」


 月影先輩が私に向き直り、そんな事を言ってくる。


「……そ、そんな事……ないです………。か……か、か、可愛いだなんて……私には……勿体無いです…………」


「オレはホントにそう思ってるから言ってるんだけどな。それじゃ、そろそろ行こうか」


「……は、はい……。よろしく…………お願いします……………」


「おー気をつけろよー!」


「おみやげよろしくねー!」




 先輩達に見送られながら、私と月影先輩は並んで歩き始めた―――




―3―


「デート開始から一時間。今の所異常はなし。通行人も奇異の目で見ちゃいるが、全く理央だとはバレていない様子。それよりもむしろ、道行く男共が皆碧を振り返っている。……そりゃ素顔があれだけ可愛きゃ当然か」


「二人もデートなんだから、手ぐらい繋げばいいのにね~。……ところで、雪夜は何で私の手を取ってくれないの?」


「……は? 何でオレらが手を繋がなきゃいけないの? 別にオレらはデートじゃねえじゃん」


「酷~い!! この前はおでこにキスしてくれたくせにぃぃ!!」


「ぬなぁぁぁ!? お前あの時起きてたのか!?」


「ふふん♪ あんな面白美味しい場面で眠りこけられるほど、春奈ちゃんはKYじゃないのですっ♪ 見たか私のオスカー受賞確実のたぬき寝入りを! さあ雪夜、次の段階に進もうね~♪」


「不覚!! 一生の不覚ぅぅぅーーーーーー!!!」






「……ホントにうるせえな、あのバカ共……。尾行する気が欠片でもあるなら、もっと静かにやれよ………」


「……え……何か言いました? ……つ、月影先輩………?」


「……いや、何でも無い。碧は気にしなくていいよ」


 ようやくほんの少しだけ我に返って、月影先輩の言葉を耳にした。

 街を歩く。腕時計を確認すると、待ち合わせ時間から実に一時間が経過している。正直その間の記憶は……殆ど無い。もう緊張の糸が張り詰めすぎて月影先輩が何を言ったのか、私はどんな受け答えをしたのか、どんな所を見て回ったのか、全然覚えていない。表情もカチカチなのか、道行く人が皆こちらを振り返っている。……確かに傍目から見たらさぞ不思議な二人組みだろう。外見もさることながら、その身長差たるやまさに大人と子供。月影先輩が180cmを超える長身なのに対して、私は151cmしかないのだから。


「……ところでさ、その『月影先輩』ってのやめないか?」


「……えっ……?」


 突然、月影先輩が立ち止まってそんな事を言ってくる。


「ほら、『月影先輩』って長いし、語呂悪いから呼びづらいだろ?」


「……あ、いえ……そんな事は……」


 長いとか呼びづらいとか、今まで考えた事もなかった。だって『月影先輩』は『月影先輩』であって、それ以外の何者でもない。この呼び方に疑問を持った事など一度もなかったのだから。


「……私は別に……呼びづらいとか思った事は……ないです。先輩を先輩と呼ぶのは……当たり前じゃないですか………?」


「ん~そういう意味じゃなくてさ。碧ってオレらの事、皆苗字で呼ぶだろ? 同学年の瞬でさえ『さん』付けだし。それって他人行儀過ぎないか?」


「………………」


「オレはもっと砕けていいと思うぜ。だってオレらは『仲間』だろ?」


 ……言われてみれば、そうかも知れない。呼び方って、その相手との距離で決まる。遠くても近くても、それに応じた呼び方というものがあるはずだ。……誰に対しても同じ呼び方をしている私は、その時点でもう仲間にも距離を作ってしまっていたのか……。


「オレの事は呼び捨てでも一向に構わないけどな」


「……えっ………」


「ほら、呼んでみな」


「……えっと……………り……り……………り、理央……………………………先輩」


「ガクッ………まあ碧にしちゃ進歩だよな。取り敢えずはそんなもんか。他の連中も名前で呼んだ方が喜んでくれるよ、きっと。ちょっとずつでも、変えていける様になるといいな」


 ちょっとだけ淋しそうに、でも嬉しそうに、月影先輩……あ、いや、り……理央先輩は再び歩き出す。私はあまりの恥ずかしさにフリーズしそうになったが、何とか正気を保ってり……理央先輩の後を追う。……でも……『長い』なら『水乃森先輩』の方が、『語呂が悪い』なら『土笠先輩』の方が上のような…………?






「なかなかいい感じじゃないか。何か微笑ましいな。最初はどうなるかと思ってたけど、これなら尾行するのは逆に野暮ってもんか」


「うんうん、いい感じ♪ 賭けは私の勝ちっぽいね~♪ 雪夜だったら3000円じゃなくてちゅーでもいいよっ♪」


「誰がするかっ!! 3000円の方がマシだっ!! ………………ん? あれは………」


「ん? どしたの雪夜? ……あ、さては私以外に可愛い女の子でも見つけたとか…………?」


「……変な言い掛かりをつけて嫉妬するのはやめなさい。間違いなく違うから。理央達が歩いてる先に喫茶店のオープンテラスがあって、そこに女の子の集団がいるのが見えるだろ?」


「ほらっ!! やっぱり女の子を見てたんじゃないっ!! 雪夜の浮気ものーーーーっ!!!」


「最後まで話を聞けよっ!! あの集団、恐らく『月夜詠会』のメンバーだ。何人か理央に纏わり付いてるのを見た事がある。多分ファンクラブの会合でもやってるんだろうな」


「……でも、何食わぬ顔して通り過ぎれば大丈夫じゃないの? 理央があんな格好してるなんて、ファンなら逆に想像も出来ないだろうし」


「バカ。格好はそうでも、声や煙草の匂いでバレる可能性は高いだろ。こと理央を見つける事に関しちゃ、『月夜詠会』の右に出るヤツはいない。理央は理央で、碧との会話が弾んでいて珍しく周囲への注意が散漫だ。あれは多分まだ気付いてないな」


「ど、どうしよ雪夜……。碧ちゃん、殺されちゃうよ………」


「………飛躍しすぎだよ。尾行してる身としちゃ、下手に手出し出来ないからな……。杞憂に終わってくれればいいが………」






「へぇ~。数学がアメリカの日本人学校でもトップレベルねぇ。凄いんだな、それなら2年の課題もあんなにスラスラ解けるもの頷ける」


「……そんな……凄くなんかないですよ……。それを言ったらり……理央先輩だって、ギターの天才って呼ばれてるじゃないですか……」


「オレは天才なんかじゃないよ。小さい頃からろくに勉強もしないでギターばっかり弾いてたからな。あれだけ弾いてりゃ天才じゃなくてもそこそこは弾けるようになるって」


「……そうなんですか。初めて聞きました……。皆が天才天才って持て囃すから、てっきりそうなのかと……」


「そりゃそうさ。この話を知ってるのは雪夜と碧で2人だけだからな。……まあ静流先輩にはバレてるだろうけど。『天才』って思われてた方が目立てるだろ?」


 理央先輩はカラカラ笑って、慣れた仕草で今日何本目かの煙草に火を着ける。

 ようやく慣れてきたのか、デート開始から暫くして結構会話が弾むようになって来た。……確かにまだ緊張は残ってるけど、恥ずかしさはかなり薄れてきたみたい。このまま会話が弾めば、私も笑顔になれるかな……。


 だがその時―――




「……何か、『BLACK STONE』の香りがいたしません事? 近くに理央様がいらっしゃるのかしら?」




 そんな声が、聞こえて来た。


「ッ!!」


 理央先輩に緊張が走る。

 理央先輩が吸っている煙草はアメリカの『BLACK STONE Vanilla』という銘柄で、当然の事ながら日本にはあまり出回っていない。少なくとも私はこのSCで他に『BLACK STONE』を吸っている人を今までに見掛けた事がない。しかもこの煙草、バニラの風味を含有したかなり癖のある独特な匂いを放つ。

 前方のオープンテラスにいる数人の女の子たちが、キョロキョロとし始めた。……もしかして……理央先輩のファンクラブ………? 彼のファンなら、それなりに遠くからでも識別出来るだろうけど……………まさか……?


「チッ、注意を怠ったな」


 周囲を見渡していた理央先輩が一つ舌打ちし、火を着けたばかりの煙草を素早く携帯灰皿に揉み消して踵を返す。


「碧、こっちの道へ行こう」


「……え? あ………!」


 理央先輩が急激な方向転換をする。私は咄嗟にその動きに付いて行こうとしたが……足がもつれてしまった。転びそうになる時の条件反射で、私は必死に手を伸ばす。


 が、これが最悪の結果を招いた。伸ばした手は、事もあろうに理央先輩の顔を掠めて―――


「ぐッ!!」


 ほんの少しだけ伸びていた爪で、理央先輩の顔を引っ掻いてしまった。

 ……私は普段爪など伸ばさない。それがデートの為にと日坂先輩がマニキュアをしてくれていたので、普段よりもほんの少し長めに残っていたのだ。


カチャン


 私に引っ掻かれた理央先輩の顔から、サングラスと付け髭が剥がれ落ちた。そして……頬には少し血が滲んでいる。


「碧!!」


 それでも倒れこむ私を必死に受け止めようと上体を屈めた瞬間、被っていたカツラまでも外れてしまった。つまり……変装道具は全て外れ、理央先輩を隠すものは何一つ残っていない。


「きゃああああっ!! 理央様よ~~~~!!」


「理央様があそこにいらっしゃるわ~~~~!!」


「いやああああああっ!! 理央様の! 理央様のお顔が~~~~!!!」


「貴方邪魔ですわよっ!!」


「あっ……!」


 文字通り、あっと言う間にファンに取り囲まれてしまった理央先輩。私は殺到したファンの一人に弾き飛ばされてしまった。理央先輩は心配そうに倒れた私を見つめるが、ファンに取り囲まれて全く身動きが取れない様子。………ああ………大変な事になってしまった………。私………私はどうしたら…………………。


「……はあ……はあ……うぐっ………はあ……はあ……」


 ……何か息苦しい……。空気は吸えるのに、上手く吐けない……。動悸が激しくなって視界が真っ白になって、意識がぐらつく……。


「おい碧! 大丈夫か!?」


 ……あれ……この声、水乃森先輩……?


「碧ちゃん!? しっかり!!」


 ……日坂先輩も……? 何でここに二人が……?


「マズイな……大丈夫じゃなさそうだ。大学病院まで運ぼう。ここからなら救急車呼ぶよりおぶって行った方が早い。春奈、手伝ってくれ!」


「……あ、あの……私、大学病院はちょっとトラウマなんだけど……」


「んな事言ってる場合かよ! 碧が大変なんだって! 頼むからちょっと我慢してくれ!!」


「う、うん……分かったよ。……あれ? 理央は何で碧ちゃんから離れていくの……?」


「いいから、行くぞ! 碧、もうちょっとだけ頑張ってくれ!」


 


 私の意識は、ここで途切れた―――




―4―


「………………」



 ぼんやりと目を覚ます。あれからの経緯は分からないが、私はベッドに寝かされていた。回りはもう暗くてはっきり見えないが、恐らく病院の一室。個室のようで、余計な調度品のない無味乾燥な部屋には私しかいない。

 枕元のスタンドライトを探し当て、灯りを点す。サイドテーブルに私の荷物一式と眼鏡が置いてあった。私はすぐさま眼鏡を掛ける。


 ……あれから一体、どうなったのだろう。私が理央先輩の変装を剥がしてしまい、オマケに怪我までさせて、しかも自分は意識を失ってしまったようだ。何となく……水乃森先輩と日坂先輩に助けられたような気がしたのだけど……はっきりしない。でも日坂先輩の部屋に置いて行ったはずの眼鏡がここにあるという事は、少なくとも一回は日坂先輩がここに来たという事だ。


 私は取り敢えず枕元のナースコールを押し、当直の先生の診察を受けた。私が倒れた原因は『過換気症候群』。俗に言う『過呼吸』というものだ。極度の緊張で必要以上に換気活動を繰り返し、動脈血中の酸素分圧が上昇し炭酸ガス分圧が低下する。その結果、眩暈や動悸を引き起こし、呼吸困難になって失神してしまったという訳だ。

 先生の話によると、私は救急車で運ばれたのではなく二人組みの男女に抱えられて病院に運び込まれたのだという。……やはり先輩達二人に助けられたという記憶は間違いではなかった。もしかしたら、二人はずっと私たちを見守っていてくれていたのかもしれない。でなければあんなに早く私を助けるのは不可能だろう。


「………………」


 診察を終えて先生たちが部屋を出て行く。もう心配はないだろうとの事だが、今日はもう遅いので明日の朝まで入院する運びとなった。

 灯りを消してカーテンを開けると、夜空に輝く大きな満月が顔を覗かせる。


「……はあ……………」


 ため息を吐く。揺れた髪からふわりと煙草の香りがした。今日半日も理央先輩と一緒にいたのだから煙草の匂いが移るのも当然だ。

 ……理央先輩はどうなったのだろう……。あんな大変な事になって、しかも私が顔を怪我させてしまった。もう愛想をつかされてしまったかもしれない。こんなドジな女の子なんか、嫌って当然だろう。理央先輩にはあんなに多くの可愛い女の子のファンがいるのだから、こんな可愛くない私なんかをデートに誘った方が何かの間違いだったんだ。恐らくただのお礼。それ以上でもそれ以下でもない。


「………ダメだな、私…………」


 蒸すような熱帯夜。月の光は柔らかく、私を照らす。不夜城めいたSCの夜景は涙に霞んで、とてもとても物悲しい気持ちにさせた。切なくて、やるせなくて、自分が際限なく嫌いになる。自分自身を消したくなる。皆の前からいなくなりたくなる。




 私は窓際に座り込み、一晩中泣いていた―――――




―5―


「理央、お前なんで碧を迎えに行ってやらないんだよ」


「そうだよ。碧ちゃん、きっと理央に会いたがってるよ?」


「……………」


「お前があの時碧から離れて行ったのは、動けない碧を人混みに巻き込ませない為だろ? オレらが付いて来てる事に気付いていたから碧をオレらに任せ、自分は人混みを碧から遠ざける事に徹した……そうなんだろ?」


「そうなの!? じゃあ尚更碧ちゃんに会いに行くべきだよ! きっと碧ちゃん、理央に置いて行かれたと思ってショック受けてるんじゃない? ちゃんと誤解を解いてあげなきゃ!」


「いえ、理央クンの判断は正しいわ。碧ちゃんはきっと、昨日の件の責任は全て自分にあると思っている。碧ちゃんは自分に自信が持てない性格だから、何かあると自分を責めてしまうのよ。今理央クンの傷を見たら、多分もっと自分を責めてしまうわ」


「碧ちゃん、大丈夫かな……。せっかく勇気を出して、眼鏡も外して頑張ってたのに……」


「でも碧、転入してきた当初に比べると全然明るくなったッスよ。最初の頃なんてホントに喋らなくて、マジ幽霊かと思いましたも……うごッ!?」


「余計な事は言わなくていい。……でもこのままSSSにも顔出さなくなるかもしれませんね……」


「……………」


「仕方ないわね。私が後で様子を見に行って来るわ。暫くデスクワークの人数が減っちゃうけど……瑛理、お願いね。雪夜クンも出来るだけフォローしてあげて」


「まあ仕方ねェな。……どうでもいいが静流、お前がデスクワークに入れば万事解決なんだが……その『天才のクセにパソコン苦手』って奇妙な設定、どうにかなんねェのか……?」


「ならないわね。そういう事は作者に言いなさい」


「し、静流先輩までメタな発言しないでくださいよぅ………」




「……雪夜」


「ん、どうした理央?」


「ちょっと頼みたい事があるんだが……協力してくれるか……?」




―6―


「はい碧ちゃん。いつものアイスレモネード。顔色悪いけど、大丈夫? ちゃんと朝御飯食べた? 何ならサンドウィッチでも持って来ようか?」


「……いえ、お構いなく………」



 病院から出た私は、一度寮に戻ってシャワーと着替えを済ませると、事務所に行く気にはならず『Cafe wind bell』に来た。ウェイトレスの智華さんが甲斐甲斐しく私を心配してくれている。確かに朝食は食べていないが、食欲自体が湧かない。智華さんは暫く心配そうに私を見つめていたが、忙しいのか知らぬ間にいなくなっていた。


「……………」


 レモネードを一口啜る。いつもより味がしない気がするのは、品質ではなくて私自身の問題だろう。

 私は部活までサボって何をやっているのか。こんな所にいても何も解決しない。私が行くべき所はただ一つ。SSSの事務所ではないのか。事務所に行って理央先輩とちゃんと話をすべきではないのか。怪我をさせてしまった事、迷惑を掛けてしまった事を謝らなくてはならないのではないのか―――?




「もうっ、父さん! ケチャップが撥ねちゃってるよっ!!」




 物思いに耽っていると、女性の大きな声が聞こえてきた。思わずそちらに目を向けると……少し離れた所に親子らしき男女の二人組みがテーブルに座っている。女性の方が私の視線に気付き、軽く会釈をして来た。私も慌ててそれに倣う。

 他にあまりお客さんのいない店内には、その親子の会話はよく響く。私は何となくその会話に耳を傾けていた。




「あ~シミになっちゃうかも……。全く、白いシャツにケチャップ飛ばすなんて子供じゃあるまいし。父さんもうすぐ教授になるんでしょ? そんなんで生徒に示しが付く訳?」


「ははは……さくらは厳しいな。面目ない」


「もうっ、あたしがいないと何にも出来ないんだから」


「……む、そんな事はないぞ。これでも料理の腕前は昔からかすみより上だったんだからな」


「……知ってる。母さん、料理はあんまり上手くなかったのよね……。まあだからあたしがその分上手くなったっていう部分もあるけど。……我ながらよくグレなかったなぁ……」


「確かにさくらの料理は美味いな。これならいいお嫁さんに………させてたまるかぁ!! さくらは嫁にはやらんぞ!!」


「と、父さんっ! 恥ずかしいから大声でそんな事叫ばないでよっ!! ……もう、親バカなんだから……」


「親バカで結構。私にとっては最高の褒め言葉だ。今まで寂しい思いをさせてしまったからな。たっぷりと罪滅ぼしをさせてくれ」


「……お祖父ちゃんたちに土下座までしてあたしを引き取ってくれた。それだけで充分なんだけどな、あたしとしては」


「さくら………」


「……それより、既にあたしに彼氏がいるって言ったら、どうする?」


「ほほう、それはそれは。今度是非家に連れて来なさい。たっぷりと語り合って、酒でも酌み交わそうじゃないか」


「と……父さん………目が怖い…………」


「はっはっは、そんな事はないぞ。その彼氏とやら言う何処の馬の骨とも分からん輩に、私はちょいと人生の厳しさを叩き込むべく阿鼻叫喚の教育的指導を………」


「するなバカオヤジ!!」




「……………」


 私は無言で席を立つ。他人には微笑ましい会話なのかもしれないが、私にとっては……父に愛されなかった私にとっては、胸が締め付けられる。このまま聞いているのは辛すぎる。でも……正直に言えば、ちょっと羨ましい。私もちゃんと親に愛されていたなら、こんなに自分を嫌いになる事なんてなかったかもしれない……。




 一口しか飲んでいないアイスレモネードの会計を済ませ、私は自分の部屋へとフラフラ歩き出した―――




―7―


「………………」



 ベッドに膝を抱えて丸まっている。この学園に来て1年半。最近ようやく少しは普通に他人と接せられるようになって来たと思っていたが、また昔の自分に戻ってしまった感じ。アメリカで父と生活していたあの頃に。何もかも息苦しかった、あの頃に。……ホント、何やってるんだろう、私……。


ピンポーン


 どれくらい蹲っていたのか。部屋に満ちていた静寂を呑気な電子音が振り払った。ドアチャイムが鳴っているのだ。


ピンポーン


 一拍置いてもう一度。だが誰にも会いたくなかった私は無視する事に決めた。宅急便という事もないだろう。私に荷物を送って来る人はいないし、最近通販で何かを買った覚えもない。だとすればこのチャイムを鳴らしているのは必然的に………そういう事だ。


「……………」


 3度目のチャイムは鳴らなかった。何処かでホッとしている自分がいる。……そんな事さえ嫌になる。仲間がわざわざ私に会いに来てくれたのに、いないフリをしてしまうなんて……。しかもそれでホッとしているなんて……。何処までダメなんだろう、私は……。

 緊張からか、少し喉の渇きを覚える。確か冷蔵庫にミネラルウォーターが入っていたはずだ。私はベッドから立ち上がりダイニングへ移動した。するとそこには―――




「居留守なんて使っちゃダメよ、碧ちゃん」


「きゃああああああああっ!?」




 何故か、金音先輩がいた。


「ビ……ビックリした……。碧ちゃんの大声なんて物凄く久しぶりに聞いたわ。……いや、これで二回目?」


「……ビックリした、は私の台詞です………。私、鍵掛け忘れてましたっけ……?」


「いいえ、内側のチェーンまでしっかり掛かってたわよ」


「…………………」


 これも探偵のスキルの一つよ、エッヘン。と胸を張る金音先輩。……先輩……それは犯罪です……。言い訳無用なほど完璧な不法侵入の現行犯を目の当たりにして、絶句する私。……何となく、この人からはどう足掻いても逃げられない気がする……。自分の部屋なのに、妙な圧迫感があるのは気の所為だろうか……?


「……部活を無断で休んでしまってすみません……。昨日から体調が優れなかったもので……」


「昨日倒れて病院へ担ぎ込まれたのは雪夜クン達から聞いたわ。声の感じからすると、もう体調はかなり大丈夫そうね。少し寝不足みたいではあるけど。だとすると、部活を休んだのは何か別の理由があるのかしら?」


 ……あっさりと見透かされた。やはりこの人には敵わない……。


「別に無理に部活に出て来いって言ってる訳じゃないの。確かに私は所長として、社員の体調を管理する義務があるわ。でもね、そんな事以前に仲間として心配しているの。何か悩んでる事があれば相談して欲しいな。私でよければ幾らでも相談に乗ってあげるから。……ね、私の心配は迷惑?」


「………………」


 私は無言で首を横に振る。

 金音先輩と初めて会った時の事を思い出した。あれはちょうど去年の今頃。私はとある事件に巻き込まれた。それは学園のみならずSC全体をも巻き込む未曾有の大事件。後に《狂気の魚》と名付けられた連続猟奇殺人事件だ。私はその時、金音先輩に助けられた。私がSSSに入るきっかけになった、そして私が他人を信じてみようと思うきっかけになった出来事だった。


「……私は………自分が嫌いなんです………」


 今まで誰にも話さなかった、今尚私に暗い影を落とすあの過去を口にした。






「ふ~ん、両親の離婚、父親との確執か……」


 アメリカでの生活、突然私だけ日本に帰国させられた事、SGに来た経緯、もう長い間笑っていない事……洗いざらい吐き出した。金音先輩なら、少しは同情してくれるかもしれない。金音先輩なら「辛かったね」って言ってくれるかもしれない。そんな淡い期待を密かに抱いていた。……だが、金音先輩が私に発した第一声は、期待とは真逆のものだった。


「確かになかなか辛い過去を歩んで来たみたいだけど……でもね碧ちゃん。今の自分の在り方を人の所為にするのはいけないわね。それが例え親でも」


 ……そんな……私が悪いというのか。これは全て私の所為だと言いたいのか。


「私は何も碧ちゃんをイジメようと思って言ってる訳じゃないの。確かに家庭環境が人格形成に影響を与えている側面は大きいわ。でも、必ずしもそれが全てじゃない。だって碧ちゃんは現に、一年前初めて私と会った時に比べれば遥かに自分を出せるようになったじゃない。それは紛れもない、碧ちゃん自身による変化でしょう?」


「……………」


 金音先輩は尚も続ける。


「自分を好きになるって、そんなに難しい事じゃないと思うの。例えばお気に入りの洋服を着てる日とか、目覚めがよかった朝とか、ちょっとラッキーだった時とか気分がいいでしょ? そんな時の自分が嫌いな人はいないと思う。自分を好きになるのなんて、そんな些細な事の積み重ねなのよ。そういう小さな幸せをゆっくり大事に重ねていけば、きっと碧ちゃんも自分の事が好きになるわよ。だって、少なくとも私は碧ちゃんの事好きだもの。多分SSSの皆も同じだと思うわ。他人の私達に出来て、碧ちゃん本人に出来ない訳ないでしょ?」


 金音先輩は優しく諭す。確かに言ってる事は理解出来る。けど……


「……そんな事……私には……出来ないと思います………」


 どうしても、自分に自信が持てない。自分を信用出来ない。親にさえ愛されなかった私を、どうしたら自分で好きになれるというのか。

 しかし金音先輩の次の言葉は、予想だにしない言葉だった。


「……頑なね。ふう、あんまり自分の事を引き合いに出すのは好きじゃないんだけど……実は私にも、母親がいないのよ」


「えっ…………」


「10年くらい前、病に倒れてそれっきり。当時は父がSG設立で多忙を極めていた事もあって、母の容態に気付くのが遅すぎた。で、ろくにお見舞いにも来ないまま、母は逝ってしまったわ。その時は父を恨んだわね。『ママが死んだのは貴方の所為だ』とまで言った事もあったわ」


 当時を懐かしむように、金音先輩は事も無げにあっさりと辛いはずの過去を打ち明けた。……金音先輩も片親だったなんて……。確かに理事長の奥さんの話とか、今まで聞いた事はなかった。


「それと……いい機会だからもう一つ教えてあげましょうか? 本当は私から言うべき事じゃないのかもしれないけど……まあ理央クンなら訊かれても答えなさそうだし」


 えっ……何故そこで理央先輩の名前が出て来るんだろう……? まさか……。




「実は理央クン、私達よりももっと辛くてね、両親がいないのよ」




「………………」


 衝撃的だった。あの理央先輩までもが……。


「理央クンが生まれてすぐに、施設に預けられたそうだわ。彼の両親が今何処で何をしているのかは全く分かっていない。健在なのか亡くなっているのかさえも。どんな理由があって理央クンを施設に預けたのかも分からない。この事を知ってるのはこの学園で私と瑛理、それに雪夜クンと春奈ちゃんだけ。瑛理がその辺の情報を操作して、広まらないようにしたからね。一度理央クンには内緒で調べてみた事があったのだけど、その両親も余程上手く痕跡を消したのか瑛理でさえ辿る事が出来なかった。唯一の手掛かりは、彼がいつもしている金のペンダント。見た事あるでしょ? あれ、預けられた時に持っていたものらしいわ」


 確かに理央先輩はいつも金色のペンダントをしている。てっきりファンから貰ったものなのかと思っていたが……そんな意味があったのか……。


「分かった? 親なんて関係ないのよ。今の自分を作るのは自分でしかないって事。……ああそうそう、これは私の勝手な想像だけどね。碧ちゃんはお父様に嫌われてなんかいないと思うわよ」


「………え?」


 自分でも驚くくらい奇妙な声色を漏らす。金音先輩がこういう言い方をするのは、何かを確信している時だ。……私は……嫌われていない……?


「まず碧ちゃんのお父様だけどね、実は私の父と知り合いなのよ。昔の同僚、と言えばいいのかしら。前に父を介して何度かお会いした事があるのよ。その時に一回だけだけど聞いたのを思い出したわ。『碧は出来た娘だ』って。多分碧ちゃん本人には照れくさくて言えないのでしょうけど。碧ちゃんに似て愛情表現が上手く出来ない人なんでしょうね」


「………………………」


「それと、碧ちゃんがSGに来た経緯。碧ちゃんは『偶然祖父母の家で資料を見つけた』って言ってたけど、そんな事あるかしら? よく考えてみて。ご老人しか住んでいない家に、何で学校の資料なんかあったのか。それは恐らく、お父様が碧ちゃんをSGに入れるようにそれとなく仕向けたのでしょうね。お父様は碧ちゃんが苦しんでいた事に気付いていたのよ。SGに入れればもしもの場合私の父とも連絡が取れるし、それにお父様が勤める会社って確かSCにも支社があったはずだわ。将来的にこっちの支社に異動出来るかもしれないと予想を立てていたのでしょうね」


 ……絶句。『ゲシュタルト崩壊』とでもいうのか。全てが私の想像外。今まで私の中にあった父親像が反転する。でも……確かにそう考えると辻褄が合う。いや、そうとしか思えない。


 自然と涙を零していた。金音先輩が何も言わず優しく抱き締めてくれる。私は……とても大きな勘違いをしていた。全てを親の所為にして、自分を嫌って、殻に閉じこもって……そしてその間違いに、今ようやく気付いた。

 変わりたいと。自分を変えたいと心の底から願って、泣いた。昨夜の涙とは違う、何処か心が温かくなるような涙を流した。


「……もう大丈夫よね?」


 金音先輩が体を離して、柔らかく訊いて来る。


「……はい………ありがとうございました」


 ゆっくりと頭を下げる。再び顔を上げた時、金音先輩は満足そうに小さく頷いた。


プルルルル…… プルルルル……


 不意に私の携帯電話が鳴り始めた。私は画面を開いて表示を確認。電話を掛けて来たのは……水乃森先輩だった。




『あー……碧か? 今ちょっと厄介な事になってるんだけど……』




―8―


「理央様~♪」


「……………」



 部屋を出て事務所に戻った金音先輩と別れた後、水乃森先輩からの電話に従って辿り着いたのはイーストアベニューにある小さな公園。入り口には水乃森先輩が私を待っていた。そして広場には……


「……見ての通りだ。さっきからずっとあんな感じ」


 一人の可愛らしい女の子と理央先輩がいる。細かいディテールはさっぱりだが、女の子の方は実に幸せそうな笑顔で理央先輩にベタベタくっ付き、片や理央先輩は困惑気味の表情を浮かべている。

 あの女の子は知っている。確か私のクラスメイトで、名前は『麻生(あそう) 円香(まどか)』。まともに話した事はないから家柄までは分からないが、お嬢様口調と長い巻き髪が印象深く、理央先輩のファンクラブに所属している。そして……私は昨日、彼女に突き飛ばされたのだ。

 私はその光景を見て思わず二人に近寄って行き―――




「あのっ!!」




 その場にいた全員(勿論私も含めて)がビックリするくらいの大声を発していた。


「な……何なんですの、貴方……?」


「……あ………え……っと………」


 ……勢い込んで割って入ったはいいが先が続かない。自分の浅慮さに腹が立つ。理央先輩だって困っているように見えて、実は同意の上なのかもしれないし。私が二人を止めたのは……ただの私の我が儘……なのかも。

 理央先輩を見る。頬には痛々しく絆創膏が貼られていた。……私が傷つけてしまった跡。本当はこのまま逃げ出してしまいたい……。理央先輩に申し訳なくて、謝っても謝りきれなくて……。でも………ここで逃げたら変われない。ここで逃げたら、一生自分が嫌いなままかもしれない。


「……理央先輩、嫌がってますよね……? 離した方がいいんじゃないですか、麻生さん………?」


 勇気を出して、一歩を踏み出す。


「なっ……貴方には関係ないでしょう!? わたくしは理央様が大好きなんですのっ!」


 確かに、私には関係ない。私は別に理央先輩の彼女ではないし。……でも、理央先輩が困っているのを放ってはおけない。


「はい、関係ないです……。でも……自分の思いばかり押し付けてはいけないと思います……。自分に気持ちがあるように、相手にもちゃんと気持ちがあるんです。『好き』なら……何をしても許されるなんて、思ってはいけないんです。一方的な感情をぶつけると、時として相手を傷つけたり重荷になったりしてしまいます……」


「ぐっ………」


「その事に気付かないと………その内嫌われてしまいますよ……?」


「ッ!!」




パシン!




 公園に渇いた音が響く。頬が熱い。一瞬理解が出来なかったが、私はどうやら平手で殴られたらしい。……人に殴られたのは初めてだった。彼女も殴ったのは初めてだったのか、自らの所業に困惑している様子。


「おい円香……流石にやりすぎ………」


 理央先輩が止めに入ろうとしたがそれを意に介さず麻生さんが私に言う。


「う、煩いですわよっ! 欲しいものは待ってるだけじゃ手に入らないんですわよ! 自分というものが希薄で、欲しいものを自分から掴みに行こうとせずただ待ってるだけの貴方に、そんな事を言う権利が何処にあって!?」


 殴られた頬の痛みよりも、麻生さんのその言葉が胸にズシンと来た。確かに……今までの私はそうだった。だからこそ自分が嫌いだった。自分も他人も蔑ろにし、距離を置いて、殻に閉じこもっているだけ。それを他人(親)の所為にして、そのくせ心の何処かでは『その内誰かが私に気付いて、助け出してくれるかもしれない』なんて酷く自分勝手な願望を抱いていたりした。


「……貴方の仰る通りです。私は弱いですから……貴方の様に自分から欲しいものを掴みに行く事なんて出来ません」


 ……でも、それではダメなのだと。自己改革は自分が変わりたいと思わなければ始まらない。私の場合は金音先輩というきっかけがあったからこそそう思えるようになったのだ。




「これからは……少しでも自分を出せるように頑張りたいと思っています。自分を好きになれるよう、頑張ろうと思っています。そういう所は、貴方を見習うべきなのかもしれません」




 思いの丈を、口にする。


「碧が………」


「……笑ってる………」


 先輩達の声で自分でもようやく気付いた。私、何故だか分からないけど、今、微笑んでいる。殴られた頬の痛さも感じない。……何だ。笑うって、結構簡単な事なんじゃないか。


「ふ、ふんっ! 勝手にすればいいですわっ!!」


 麻生さんは気圧されたように公園から走り去る。


「あ、碧……頬、大丈夫か……?」


「私は大丈夫ですから、理央先輩は彼女を追ってあげて下さい……。多分傷付いていると思います……。人を殴るって、殴った方も殴られた方も痛みを伴いますから……」


 理央先輩は一瞬戸惑ったものの、私の顔を見て一つ頷くとすぐに彼女を追って走り出した。


「碧……」


 残った水乃森先輩が私に声を掛けて来た。


「私……皆に迷惑掛けてしまって……」


「いいよ、気にすんな。それより、さっきは立派だったよ」


 そう言って水乃森先輩は私の頭を撫でる。……凄く心地いい。やっぱり理央先輩や金音先輩同様、水乃森先輩も日坂先輩も土笠先輩も木ノ下さんも、皆私にとって大切な仲間なんだと思い知らされる。


「さて、オレらは先に事務所に帰ろうか。トサカ先輩が一人でデスクワークさせられててブチギレ寸前なんだよ……。早くフォローしてやってくれ。オレだけじゃちと無理だ」




「……はい、『雪夜先輩』」




 自然と、名前で呼べていた。驚くほど自然に。こんな簡単な事が、どうして今まで出来なかったのかと不思議に思う。雪夜先輩もすぐに気付いたようで、嬉しそうに微笑むと私の手を引いて駆け出した―――




―9―


「……悪かったな、円香。こんな事頼んじまって」


「……本当ですわよ。いきなり『お前が突き飛ばした女の子が病院に担ぎ込まれた。少しでも罪悪感があるなら協力しろ』だなんて何処のヤクザかと思いましてよ」


「ははは……悪ィ。手段が他に思いつかなくて……」


「まあこれで貸し一つ……いえ、貸し借りなしでしたわね」


「そう言ってもらえると助かるよ」


「……ところで……あの娘に対して、よくもまあこんな荒療治をしようと思いましたわね……。下手すれば逆効果になったのではなくて?」


「まあな。でも碧はちゃんと乗り越えてくれるって信じてたからな。……殴った時は流石に肝を冷やしたけど」


「あ、あれは無意識に……。そ、それにしてもあの娘の事、よく分かってらっしゃるのですわね。少し妬けますわ」


「円香こそ、よく引き受けてくれたな。ホントに罪悪感に苛まれてたのか?」


「まあ全く無かった訳ではないですけどね。やっぱりライバルはもう少し骨がなくては楽しみがないでしょう?」


「……ははは……は……」


「それにわたくし……あの娘は元々そんなに嫌いではないのですよ。ちょっと引っ込み思案すぎるきらいはありますけれど、自分であんな事言うくらいには思慮深い所もありますし、一生懸命さは伝わりますもの。自分でその事に気付いているようには見えないですけどね」


「……そっか」


「貴方も……彼女のそんな所を好きになったのではなくて?」


「………………悪ィ」


「あら、何故謝るのかしら? わたくしはまだ諦めた訳ではありませんわよ。……ふふふ……これからも覚悟するといいですわ、理央様―――」






―10―


「本当に……ゴメンなさい……」



 部活が終わって、夕刻。私は『Cafe wind bell』にて目の前に座る理央先輩にひたすら謝っていた。一連の騒動は全て私の責任だ。いくら謝っても足りる気がしない。


「……何でもしますから……許してもらえますか……?」


 理央先輩はさっきから一言も発せず手にしたアイスコーヒーをブラックで飲んでいる。完全に無表情で、怒っているのかどうなのかも分からない。……モテる先輩の事だ。やっぱり顔を傷つけられたのはショックだったのだろうか……?


「『何でもする』……って言ったな、今」


「……? はい……言いました………けど……」


 ようやく口を開く理央先輩。相変わらず無表情で、真意は測り得ない。……ふと、自らの発言の重さに気付く。………もしかして…………え、えっちな事を強要されたり……しない……よね? ……ま、まさか……フェミニストの理央先輩に限ってそんな事は…………。や、フェミニストだからこそ………? だ、ダメ……!! まだ心の準備が………っ!!

 ……誰の影響か、我ながら奇妙な妄想に苛まれつつ目を閉じて理央先輩の言葉を待つ。……心の準備が出来ればOKなのか、私………。すると……




「じゃあ……デートのやり直しをしよう。次は変装なしで」




「……え?」


 理央先輩が出した要求は、予想外のものだった。私は目を開けて先輩を見る。


「ほら、途中で終わっちゃった訳だし。今度はあんな事にならないようにちゃんと手回ししておくからさ」


 それは……私自身も望んでいた事だったのかもしれない。何か暖かくてふわふわとした感情が湧き上がり、心を満たす。


「確かに……あの格好でデ………デートするのは嫌でしたでしょうね……」


「あれは流石にちょっとなぁ……。一緒に歩いてた碧も恥ずかしかっただろうし。……あ、勿論碧も変装なしで、だからな? 何でもするんだろ?」


 そう言って理央先輩は、私の眼鏡を取った。


「ほら、これが碧の変装なしの素顔。これじゃないと認めないからな?」


「……理央先輩……」




「……うん、やっぱりこっちの方が可愛いよ。今度はちゃんとエスコートさせて下さいませ、愛しのお姫様」


「………!!」




 そうして理央先輩は、本当の王子様のように私の手にキスをする。私はシュボッと頭から湯気を噴いてフリーズ。顔が茹でダコみたいに真っ赤になるのが分かる。……もう何も考えられない。

 と、その時。




「ほらね~♪ だから理央は碧ちゃんの事好きだって言ったでしょ~♪」


「……ちっ」




 ……何やら、不謹慎な会話が聞こえて来た。


「はい雪夜の負け~♪ さあちゅーしてちゅー♪ 理央なんかに負けてられないよっ♪」


「負けたかぁ……。ホレ、3000円」


「……相変わらず清々しいまでのスルーっぷりだね………」


「給料日前のこの時期に3000円の出費は痛いよなぁ……。全く、理央も所詮はこんなも………あ」


「ほほう………その辺詳しく訊かせてもらおうか、そこなバカ共………」


 理央先輩は席を立って拳をボキボキ鳴らしながら二人に近寄って行く。表情は満面の笑みなのだけど……額に浮かんでいた青筋は見なかった事にしよう。うん。




「きゃーーーっ!! 賭けを提案したのは私じゃないもん! 私は悪くないもーーーん!!」


「嘘つけよっ!! 今スクロールして読み直したら完全にお前発信だったぞ!! 儲けた挙句に罪までオレに擦り付ける気か!?」


「いいから二人とも待てコラーーーーーー!!!」




 かくして、『Melodious Mind』メンバーによる壮絶な追いかけっこが始まった。雪夜先輩と春奈先輩は椅子やらテーブルやら他のお客さんの飲み物やらを投げつけて、必死に追い付かれまいとしている。理央先輩も今まで見た事もないくらいの形相でかなり本気で追いかけている。フロアにいた智華さんはその光景を見て『あーあ、こりゃ静流に損害賠償請求しとかないとね』と言いながら苦笑していた。


「ふふふっ……」


 私もその光景を見て笑みを零す。……何だ、普通に笑えてるじゃない、私。

 暖かい日溜まりみたいな私の居場所。大事に大事にしていきたい。私もゆっくり……ううん、出来るだけ早く、自分の事を好きになれるように頑張ってみよう。




 私に笑顔を運んで来てくれた素敵な仲間達に、感謝。願わくば、この気持ちがいつまでも続きますように―――――









『碧へ。


 久しぶりだな。元気にしているか?


 突然だけど、今度異動が決まってな。予てから申請を出しておいたSC支社に行く事になった。そんな訳で、俺がそっちに行ったらまた一緒に暮らさないか?


 ……自分のやった事は分かっているつもりだ。お前をほったらかしにしてしまった事は深く反省している。本当にすまなかった。自分の不器用さが恨めしいよ。自分では良かれと思っているつもりだったんだけどな。その所為で母さんも出て行ってしまった訳だし。

 許してくれ、なんて都合のいい事は言えない。だからお前が望まないのなら俺と会わなくても構わない。だがもしも望んでくれるのなら……一緒に暮らそう。昔のようにお前に苦労を掛けたりしないから。これからは出来るだけお前の話も聞かせて欲しいし、家事だって手伝う。

 お前の負担を減らす為に日本へ行かせたつもりだったが、居なくなって初めてお前のいない辛さが分かったよ。お前が俺にとってどれ程大切な存在なのか、身に沁みて理解した。だから……出来ればまた、一緒に暮らしたい。


 ……この程度の手紙を書くのに5時間も掛かってしまったよ。本当にダメな父親だ。近い内に一度そっちに行く。その時に、食事でもしながら詳しい話をしよう。




 遠くマンハッタンから愛を込めて   最愛なる娘へ、父より』



Episode end



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