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第94話 業魔の影

「寒イ」

「真冬にこんな外で哨戒しなきゃならんなんてなあ」


 吐く息も白い冬の最中、ロイとエイドルフの二人は防寒着に身を包んで歩いていた。防寒着といってもペラペラの外套と手袋だけで、ないよりマシという程度のものだが。


 魔導大隊の参加から煌星騎士団は防戦から攻勢に打って出た。そして一月ほどをかけ、異界化しているという峡谷の近傍まで戦線を押しあげることに成功していた。


 もちろん完勝ばかりでなく時折被害が出ることはあったが、それまでの苦戦に比べれば遥かに順調であった。


 そしてようやく異界化したところとの境界にまで辿り着き、四班に別れていた班のうち砦の防衛班を除く三班が合流。来るべき突入の準備として、境界の外側にある丘に陣地を設置中であった。


 ここしばらくは、工夫(こうふ)担当の者たちを守るために、魔導大隊の式神だけでなく、仙霊機兵も哨戒に駆り出されている。


 帝国の畿内方面軍には工兵という兵種がいない。何かを作らねばならない場合は、契約した市井の土木職人組合に依頼する。


 こうした軍の依頼を受ける土木職人には退役兵や予備役がやっていることが多く、多少の荒事はこなせる。しかしさすがに最前線にはやってこない。


 職人が来ない場合の陣地作りは魔術師が土魔術によって穴を掘ったり壁を作ったりして、それに合わせて建物を作っていくのが基本だ。


 というわけで、前線での陣地構築は魔術師と歩兵がやるのだが、専門化されていないのではっきり言って遅い。


 魔術師についても、今同行している魔導大隊の人等の専門は索敵と攻撃。正直土木工事は手際が悪い。……本人等は決して認めないが。


 建築向けの魔術が得意な魔術師はまだ西宿砦の修復や、その周辺の壁作りをやっていて前線には来ていないようだ。


 専門の工兵がいないのは畿内方面軍が長らく外敵と戦っていないせいもある。建国初期にはいたらしいが、ここ百年以上軍としてそういう兵を抱える必要がなかったため、数十年前に廃止されていた。


 他国と地続きの国境がある西方と北方の方面軍なら専門の工兵部隊がいるらしい。しかし主に政治的な問題により彼らは畿内には来られない。


 何が政治だくそったれ、あともっとマシな寒さ対策装備はないのか。上の人等はこの寒さを味わうべき。


「早く屋根の下で毛布にくるまりたイ」


 屋根といっても布一枚でしかないが。もっと冬が寒い地域だったら酷いことになっていただろう。

 

 畿内方面軍は真面目に陣中作成能力と野営装備を充実させるべきだ。いくら使う頻度が少ないからといってこの少数へのまともな防寒着すら無いのはどうかと思う。


 もっとも話によると、ちゃんとそういう装備はあったらしい。

 

 ……帳簿上では。


 実際の在庫はなかったようで。老朽化して使い物にならない、というのでなく、あるべき倉庫の中になかったという。元々架空発注で担当者が横領したのか、あるいは横流しされて消えたのか、それすら不明。いい加減すぎる。


 それで大慌てで市井からかき集めていると……ほんと帝国軍の腐敗っぷりときたらくそったれである。皇帝のお膝元の畿内でこれなのだ、四方方面軍はもっとアレなのだろう。そりゃ評判も悪いわ。


「せめてもっとマシな服欲しいな」

「全くだ、早く終わレ」


 現在哨戒担当はそれぞれ二人一組で循環している。エイドルフはどうも寒いのは苦手らしく、ぶつぶつと文句を言い続けていた。


 彼に支給された試作宝貝は、杖から手甲に変わっていた。そちらのほうが彼の役割(=肉盾(タンク))に合った効果を得られるからだが、金属部材が多い代物のためこの寒空の下では余計に冷たい。それも彼の不満を助長していた。


「おお……心頭滅却すれバ、氷もまた熱死」

「溶けてんのかよ。だいたいお前なら【賦活】で凍傷になっても治るだろ」

「治るだけだ。ならないわけじゃなイ。むしろ治るせいで感覚が麻痺しない、ずっと辛イ」

「そりゃご愁傷様で」


 峡谷のほうを見る。


 ここからあともう少しいくと変な空気の壁のようなものがあり、それを越えると突然世界が変わる。空は茜色になり白く奇妙な影が飛ぶ。そして太陽も月なく、夜すらない異形の空間になっているのだ。


 壁の外からは普通の景色に見えるのが気持ち悪いところだ。なお幻妖については壁を超えてこない限り見えないし、攻撃もお互いに届かない。魔術師からすると非常に興味深い、結界的な状態らしいが、よく分からん。


 霊気面でもロイ達には何か壁のようなものがある、というのは分かるがその向こうは見えない。リェンファは何か見えるらしいが、見ていると気分が悪くなるらしく、直視しないようにしているようだ。


 現在は時々少人数の偵察が行われている。いざ侵攻となれば大人数が入り込んでは退く、を繰り返す必要があるだろうということで、壁の手前で陣地を作っているのである。


 そうして巡回していると、同じように巡回している兵達が向こうからやってきた。お互いに軽く手をあげる挨拶をしてそのまますれ違う。


 しばらく行った後でロイは首をかしげて立ち止まる。


「……今すれ違った人ら、誰だっけ」

「さあ? 今ここにいる部隊だけでも600人はいるゾ、顔知らん人いるの当たり前じゃネ?」

「そうなんだけど、何か違和感あったんだよな、うーん?」


 後から思えばこの時もう少しこの違和感について、詳しく考えてみるべきだったのかもしれない。


 だがどちらにしろ、次に起こったことからすれば深く考えている余裕はなかっただろう。


 ドオン!!


「…………!?」「…………!」


 丘の逆側から爆発音とざわめき、叫び声が聞こえてきたのだ。


「向こうか?」


 走り出そうとしたロイをエイドルフが止める。


「待て、緊急警笛はまだ聞こえなイ。一応哨戒続けんといかんだロ」

「むむ……」


 仕方ない、何かあったとしてもそれだけでは他の警戒を緩める理由にはならない。命令違反にならない範囲で巡回路を早歩きで進んだところ、声が聞こえてくるようになった。


「くそっ、何故だ! くそったれが!」


 まず聞き取れたのは罵倒。この声は、若手魔導師の一人だったか。


「あの黒いのはっ、なっ、うわっ!? こっちにも! うわ、来るな、来っ」


 叫びが中断し、同時に遠くこちらまで地響きのような音と振動が微かに伝わる。


「黒?」

「……まさか」


 これも後から聞いたところによると。


 最初は、峡谷のほうから陣地の端のほうに影が一つ、ふらぁっと近づいてきたのを見つけたらしい。


 それは異形の三本角の山羊のような頭部と下半身に人間っぽい胴体、背に翼のようなものを持つ鬼。獣角魔鬼(バフォメット)と呼ばれる魔物だった。


 一般に鬼種の魔物は力自慢の怪物で固有魔術も一つだけというのが多いが、獣角魔鬼は例外的に魔力が多く、複数の固有魔術を持っているとされている。


 記録にある獣角魔鬼は黒い頭部に、首から下は白い毛が生えているらしい。しかし今回現れたそいつは首から下も黒かった。しかも毛でなく、鱗のような感じの奇妙な状態で……。


 ロイ達からすると、「黒い鱗」という情報が入った時点で「もしかして例のアレか?」と警戒するのだが、魔導大隊、特に現場のほうはその認識が薄かった。


 もちろん情報としては初期に周知されていた。しかしあの禍津国の女謹製の特殊映像を体験していない者には単なる情報その一でしかなく、今まで全く発生していなかったこともあり、余り重視していなかったらしい。


 そして魔導大隊の参加以後、煌星騎士団は少なくとも単体の敵に遅れをとったことはなかった。あの古竜のような突出した怪物が出なかったせいもある。


 そんなわけで、ここのところの快進撃ですっかり慢心と増長を蓄えていた魔導大隊側は、現場指揮官であるマゼーパ上百卒長(※昇進した)や仙霊機兵たちに連絡する前に、いつものように鬼に対して魔術攻撃を始めた。


 もっとも、連絡前の先制攻撃自体は間違いとはいえない。ちんたら承認を待っていると防衛が間に合わない場合のほうが多いので、余程でない限り現場で対応し事後報告することになっている。


 間違っていたのは「余程」かどうかの判断であった。


「ぎゃああああっ!!!」

「なぜっ!」


 そして魔導大隊の持ち場のあたりで絶叫が上がり、緊急事態を告げる警笛の音が響いた。


 ピイイイイイイイーーーーー!!


 緊急警笛。


 これが鳴ったなら殆どの者は通常任務よりそちらが優先だ。ロイ達がそっちに駆け出したとき、声がかけられた。


「こっちにいたか!」


 ウーハンだ。仙霊機兵の中でもウーハンは伝令役になることが多くなっていた。霊力が増えて転移できる距離や回数も増えたためだ。


「仙力使いは魔導大隊の援護に向かえってよ! 例の業魔っぽいのが出た、魔術も剣も効かないらしい」


 それだけ言うとウーハンは他の仙力使いを探して転移していく。


「急ごう」

「うむ」


 バンッ!!

 ドォォン……


 駆け出し始めた矢先。目的地のあたりで、何かが盛大に爆発する音がし、ついで地面が音を立てて揺れた。


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