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第72話 嗤う悪霊

 最後に残ったのは十人ばかり。その彼らに、竜の血塗れの爪が無造作に。


 どんっ!


 振り下ろされて、彼らの戦いは、そこで……。


 ガンッ!!


 終わらなかった。


「あ、ああ……」


 黒髪の少年が、自分の体ほどの大きな爪を蹴り飛ばし、逸らしたのだ。




「すいません、あれと戦うための準備に時間がかかりまして」


 ロイは最後に残って竜と戦っていた生き残りの前に立つ。仙力を励起させ(たこなぐりにされ)ているうちに状況がだいぶ変わっていた。


 仙霊科関係者以外に砦のこちら側で立っている兵は、もうこの十人しかいなかった 他は皆地に伏したり薔薇になっているか、反対側に逃げ出した。


 倒れた兵が四百……いや五百以上はいるだろうか? うち明らかに死んでいるのが半分弱。それでもまだ千人以上は無事なはずだが、殆どはもう砦を脱出したか、脱出しつつあるようだ。悲鳴と怒号が遠くなっていく。


 適切な装備も仙力もなしではこの相手には無駄死にするだけだろうから、逃げる事自体は合理的なのだが……どう見ても秩序ある撤退でなく潰走である。


 士官学校では偉そうに講義されたのに。曰わく、例え敗北時であろうと毅然たる集団機動を行える事こそ高祖以来の帝国軍の誇り。


 即ち我々に「敗走」はなく、仮に一時引いたとしてそれは戦略的退却であり、再起のための「転進」である云々……。


 あれはいったい何だったのか。いやしくも教官たるならば、机上の夢想をあたかも現実であるかのように言わないでもらいたい。現場に行った時に落差で絶望することになる。


 このぶんだと背後に無辜の民草がいても、自分らがヤバいなら平気で見捨てそうだ。この砦にいた人らは予備役じゃなくて常備兵のはずなのに、それがこの有り様では……。まあいい、せめて残った勇気ある人等だけでも助けないと。

 

「仙力使い……か?」

「そうです。ここは僕達が相手しますので、皆さんは早く逃げてくださ……」

「危ねえっ!」


 今度は竜の尾が唸りを上げてロイの背後に迫る……自分の体よりも遥かに大きなそれを、ロイは掌打にて迎撃した。


「ふん!」


 兵達を鎧ごとへしゃげた肉塊に変えてきた打撃を、今のロイは少し足が土にめり込む程度で押し止める。そして間髪入れず尾を蹴り飛ばすと、竜はそのまま巨体を半回転しつつ向こう側へとびすさった。


 さっきの爪もそうだが、今は位置をずらす偽装能力を使っていないらしい。見た目と実体が一致している。兵たちを舐めきっていたのだろうか。


 ただ、今の尾の一撃には何か霊撃のようなものも乗っていた。仙力を持つことから可能性は考慮していたが、霊気も扱えるなら霊撃も普通の幻妖より効きにくい恐れがある。やはりロイやニンフィア以外の攻撃は通じないかもしれない。


『GLUUUU!!』


「馬鹿な……」

「あれを押し返すなんて……貴様はいったい」

「あれは太古のとんでもなく強い種の竜らしいです。しかもそれが幻妖になっていて、普通の攻撃は殆ど効かない。仙力使いに任せてください」

「まさか貴様が……あの闘仙を倒したとかいう……」

「ええ、一応はそうです。……早く! 皆さんがいると、破壊向けの仙力も使いにくい」

「……分かった、武運を祈る」


 死を覚悟していた兵らだったが、生き残れるならそれに越したことはない。後ろを少し気にしつつも、先に脱出した味方の後を追った。


 ロイはため息をついて竜のほうを……向いたところで、暴風が襲いかかり体が少し浮きかける。竜の魔力を含んだ羽ばたきがもたらす風撃だ。慌てて固定能力で体をつなぎ止める。

 

 風がやんで顔を上げたとき、竜の姿は消えていた。


「……やっぱり、こうなると私にも視えない……!」


 リェンファの声が聞こえる。


 【透過】と【幻装】を組み合わせることで実現される透明化。


 姿なく、音もなく、魔力の残滓もなく、霊気すら捉えられない。人も機械も欺く忍び寄る(クリーピング)殺戮者(・スローター)と呼ばれた魔物の本領。


「はっ……!」


 ロイは両手の指の間に、合計8つの針のような霊気を作り出す。そしてそれらを自分の周囲の八方向に霊穿の要領で矢として放つ。


 霊矢はいずれも消えず、やはり近くの水平面にはいない。ならば。


「だろうな!」


 奴の巨体と能力からすれば、そうなるのが自然。


 ロイが跳躍した次の瞬間、彼の体があった向こうを地面から開かれた顎が襲った。


『GAARR!!』


 周辺のまだ生きていたらしい何人かの兵は、下から竜の体に突き上げられて高く空を舞い、そのまま受け身も取れずに落下した。……今のだけで、彼らは死んだかもしれない。

 

「……くそっ!」


 跳躍後、空を駆けながらロイは分析する。こいつは物質を透過して地中を移動した、それは予測通り。


 フェイロンとの戦いがよい経験となっている。彼が攻撃自体は省略できなかったように、生物を透過できないこいつは、接触する部位だけはその直前に実体化するようだ。


 その実体化の時だけは空気を裂く音が実体の位置からした。そこに反撃の機会もある。


 あるのだが……やはり見かけの位置が実体と異なる。霊気もだ。今も目では、こいつはさっきロイがいた場所の隣を噛んだように見えた。霊気はさらにその向こうだ。


 しかし実際に噛まれたのは、風切り音や宙に舞った人体からすると、恐らくロイがいた位置だ。


 つまり視覚的位置と実体が違う。そして霊気的位置、音や振動から伝わる位置、いずれも微妙に異なっている。どれを信じていいのか感覚が混乱する。あるいはどれをも偽りにできるのか?


 この偽装能力に物質を透過する能力……そして竜ならではの攻撃、防御力と、霊鎧を持たない相手では耐えられずやはり壁を透過する凶悪な幻覚の吐息。


 なんとも面倒な相手だ。古代文明の軍でも勝てなかったというのは伊達ではない。


 幸か不幸か、こいつは幻妖。であれば凝核とやらに霊撃を打ち込めば止まる。とにかく、実体に一撃を叩き込んでリェンファに凝核の位置を確認してもらわなくてはならない。


 ロイを噛みそこねた竜は飛べるとも思えない小さな翼で、しかし飛び上がり、くるりと回って……。


 危機感。隣にあった石壁から飛び退く。


 ゴウッ!


 ロイの目前を、壁からおそらく尻尾と思われるモノが通り過ぎた。見た目は透明だが実体があった。風圧だけでかなりの威力。ロイから離れた瞬間に再び空気をも透過したのか、その風圧と音すら消える。


「くっそ、きついなこれ……」


 透過による壁ごしの一撃。物質透過しているだけでなく位置偽装も併発しているのが嫌らしい。今の瞬間も霊気も姿も目の前になかった。


 物を完全に透過しているならこんな動きはできまい。少なくとも瞬間的にはどこかを足場にしているはずだが、その気配を読み取ることもできなかった。


 ほんの直前にならないと気配がつかめない、しかも見た目を伴わないぶんフェイロンの時より難易度が高い。この状態になるとさっきのような受け止め弾く迎撃は困難だ。


 このままでは神経を使いすぎる。いっそ霊矢を手当たり次第に撃って、位置を推定する博打にでるか……と考えたところで。


 向こうの竜の顔が、こちらを向いた。


『……NICHAAA……』


(笑った!?)


 無論人間と遥かに異なる竜の表情など、簡単にわかるものではない。だが確かにロイにはそうだと感じ取れた。


 太古から蘇った幻の悪霊が嗤う。


──────────────────


「どうにか、援護、ロイ、デキない!?」


 ニンフィアが戦いを凝視しながら呻く。


「……難しいわ」

「他の奴ではあの竜の動きについていけん、足手纏いだ」

「あのでかさなのに、爪の動きとか目が追いつかねえくらい速え。その上で見た目と実体の位置が違って、壁や地面を透過して攻撃してくるなんて、普通無理だ……」

「正直ロイが何でついていけてるのかわからなイ」


 ロイの戦闘感覚は天賦のものに加え、このところの経験で跳ね上がっていた。特に彼自身が分かっているように、フェイロンとの闘いで得たものが大きい。


 あとは彼らには分からぬことながら、ロイの能力が幻霞竜という種の特性と噛み合っていること。


 かの竜は通常、爪や尾の攻撃にも幻覚を併用する。そうして相手の防御や回避を許さない。【幻装】の力は自己情報の偽装だけでなく、相手の精神にも干渉する二段重ねの能力なのだ。


 幻葬の吐息は干渉力を範囲化したものだが、そのぶん力が薄まり、霊鎧ある者には効きにくい。だが、個人相手に干渉力を絞れば霊鎧持ちにさえ有り得ない幻覚を見せ、幻痛で行動不能にできる。普通なら。


 しかし仙力の根源に【傲慢】を宿すロイの霊鎧は強固で、特に他者からの仙力干渉には非常に強い。竜は能力を少し絞った程度ではロイ自身に干渉できなかったため、いったんその方向性を放棄し自己偽装に注力した。


 竜にとってロイは「生前」の戦い方が通じない、少しやりにくい相手であった。これがロイ以外の仙霊科の者であれば、気を失わずとも身が竦むくらいの激痛を感じたり、幻の攻撃を避けようとして実体の軌道に入ったりして、あっさりとやられていただろう


「仙力を励起させたあいつは単身としては帝国軍内でも上位の力があるだろう。あいつでどうにもならんなら退くしかない」

「……デモ!」

「我々とて援護したいのはやまやまだ、どうにか隙を見つけなくては……」


 教官は苦虫を噛み潰しながらニンフィアに告げる。


「……お前の力はいつでも撃てるようにしておけ、多少周りを巻き込んでも構わん」

 

──────────────────


 竜は「笑み」を浮かべたまま、飛べるはずのない小さな翼で砦の上空まで跳び上がりつつ吠えた。


『……Qj'phmui nhmx'pagj Dvjuhja Gonamjauv p'hja-hjaa pag'mvjahp!』


 奇妙な、人の喉からは出し得ない金属質の響き。

 だがそれは単なる唸り声でなく、明確な意志を感じさせる韻律を持っていた。爪と翼と尾も同時に規則的に動いて空に何かを描く。


 その音と動作に合わせ、多数の魔法陣が竜の周辺の空間に展開していく。


「まさか……魔術? これ呪文と…展印!?」


 ついでそれぞれの陣の中心に燃え滾る槍の穂先が出現する。


 皆の呆然とした声が響いた。

 

「魔物が呪文で魔術!? マジで!?」

「これ、第六段階の『紅蓮炎葬』!?」


 一般に知られる魔物の使う魔術は生得の固定のものだ。


 膂力強化、皮膚硬化、生体雷撃、炎の吐息…………良くも悪くも呪文などなく、単純で融通も効かない、原始的な魔力の発露……とされている。実際にどうであるのかは、正直研究できていないところが多い。


 少なくとも呪文で魔術を、それも上位魔術を行使する魔物などここにいる彼らの知識には無かった。


 そしてただでさえ人間より遥かに強靭な竜が、仙力も魔術も柔軟に使いこなすとなれば……。


『……『Agphn'era Parjanya』!!』


 呪が完成し、少なくとも百を超える魔法陣の一つ一つから長さ数シャルク(数m)はある炎の大槍がそれぞれ現れた。


「は、速すぎ……」


 レダが呻く。彼が見抜いたように、この術式は『紅蓮炎葬』という人間にとっても既知の術。ただし対人でなく対軍魔術とされ、発動に複数の術者が必要で、詠唱にも今の十数倍はかかるような大技だ。


 ……元々この世界における魔術とは竜と竜人たちの技術。彼らの発声器官による圧縮詠唱に、翼や尾も使って印を結ぶ前提のものをヒトが無理やり再現すれば遅くなるのは仕方ない。呪符や魔導具はそれを補うための苦肉の策だった。


 そうした初期の歴史は大陸では大空白時代に失われ、現代の人類は本来の魔術……竜語魔術を知らない。その欠落状態から試行錯誤を経て発展してきた各方式の魔術も自ずと限界があった。


 まあ知ったところで、人間を辞めて翼や尾を生やすか……あるいはかつてユンインの幻妖やリュースがやったように、仙力、仙術など魔術より高速な手段でそれを代替する事象を作り出すかくらいしかない。


 そして人にとっては短すぎる今の呪文すらも、魔術衰退以前であればもっと短かった。かつての真竜にとって魔術とは、ちょっとした呼吸法程度に簡単に扱える奇跡であった。



 衰えたとはいえそれでも対軍魔術が僅か十セグ(約10秒)もかからずに起動し、人間一人に対しては過剰すぎる大火力が次々に射出される。


 さらにこの術による炎槍は燃える油脂のような実体があり、激突の衝撃で周囲に広がる。つまり延焼効果と持続時間がある。その瞬間だけ守っても意味がない、大量殺戮のための術だ。


 炎槍の一つ一つが錐揉み状に回転し、螺旋の炎の尾を引く。赤い死の雨が視界を埋め尽くして全方位からロイに降り注ぐ。紅蓮の炎によって彼を火葬するために。


「ロイ!」


 ニンフィアの悲鳴があがる。

 ロイに炎槍が直撃し……。

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