第71話 戦える中ではおそらくあなたが先任かと
引き続きR15グロ注意
巨竜は砦内を徘徊し、餌を探す。
幻妖という状態は個としては曖昧だ。複数の同種の記憶や性質が混ざってもいる。だからこそ種として共通する要素は強めに出る。
竜人の『友』であった当時の『彼ら』にとって、竜人と同志たち以外の知的生命は倒すべき敵であり、餌であった。それは今も変わらない。
この体は物理的な餌は必要としないが、食事行為ができないわけではない。それはそれで心地良いものだ。
そして幻妖にとっては生けるものの魂魄こそが本来の餌である。要は、旨そうなら食べるし、そうでないなら単純に殺せばいい。そして今回の餌たちはあまり物理的に旨そうではなかった。若いメスや幼児は殆どいない。さっさと殺すとしよう。
しかし。それにしても脆弱だ。もともと個の生命としては脆弱な猿ではあったが、それでもかつてのこいつらは、鋼の乗り物や火器で武装していたが……。
そもそも何故生身の兵ばかりがこんなにいる? こいつらの主力は自立型機械兵器のはず。あの羽虫の如き機械鳥や蜘蜘型戦車の群れはどこにいった? まあ彼にとってはそちらも敵ではないが。
ただの砲弾や矢如きで彼の鱗を貫けるはずもない。炸薬弾は起爆すれば強いが、鱗の魔力性質をいじって近傍の起爆を封じるだけでただの金属塊と化すので同じ事。
人間どもの火器で注意すべきは遠距離からの狙撃……極超音速の砲撃か噴進弾、もしくは『魔弾の射手』の魔弾のみ。光学兵器は竜種の鱗には殆ど効かない。実体弾も超音速でないなら対応が充分間に合う。
そのため今回も魔力性質を炸薬弾向けに起爆封印にしておいたのだが……呆れたことにこいつらが使ってきたのは、炸薬もないただの鉄塊を爆圧で打ち出すだけの原始的な大砲でしかなかった。
そんなもの、仮に急所に直撃したところで何ら痛痒はない。これは囮でどこかに本命の電磁投射砲台でも隠しているのかと疑ったが……どうやらこれで全てのようだ。
生身で戦うにしても手にしている武器は霊装でなく、王器や神器でもない。彼の鱗を貫くには弱すぎる。
高位魔導兵装が用意できないなら、せめて機関砲や速射砲くらいはないのか? ……なさそうだな。あれらなら当たりどころによっては傷くらいはつくかもしれんのに。
あったところで魔術で向量反転させて射手ごと破壊するだけだが。人工知能付きの自動兵器なら狂わせて支配下に置いてもよいな、あのタイプの相手は楽であった。
最初に自信満々で我々に屈服を迫ってきた後、放ってきた航宙母艦とやらを含む数万の自立兵器群が、同士討ちで次々に墜落炎上していく有り様には失笑させてもらった。
奴らの上層部の振る舞いは目に余った。何故ああも無邪気に、自分たちのほうが上だと盲信できたのか。何故我らを科学を理解できぬ蛮族と思い込んだのか。
機械に頼らねば機械自体の術式構築すら出来ぬ程度の脳味噌しかなく、酸素が減っただけで昏倒し、水が沸騰する程度の温度にも耐えられぬ脆弱な生物が、よくぞ驕ったものよ。
脆い猿だ。……だが最後、我々はそれに負けた。侮ってはならない。ならないのはわかるが……。
刃鎧竜や火岩竜などの亜竜ならまだしも、彼のような真竜に下等な武装が通じるはずもない。そんなことも忘れるとは、あれからどれほどの時が過ぎた?
そしてどうやら……科学技術も時の果てに置いてきたと見える。その状態で、その弱い肉体で、よくぞ繁栄できたものだ。
いや待て。霊装はどうか? 先程彼の透明化を暴いた者がいた。あれは霊威の使い手に違いない。それなら霊装があってもおかしくはないが……あの小僧はどこにいった?
……分からない。幻霞竜は感覚面に優れた種ではない。【幻装】と【透過】の霊威は強力だが、それを除いた能力は真竜としては低いほうに類する。魔術で補うにしても……。
考え事をしていると、猿たちのいくらかが反撃してきた。だがやはり弱い。弱すぎる。さっきからことごとく【透過】せずとも鱗で弾けるレベルだ。【幻装】で誤魔化す必要すらない。
最初の一斉攻撃は何かあってはと【透過】したが、あれも正直不要だった。
防御も雑魚だ。適当に爪と尾を振り回しているだけで死んでいく。かつての人間どもは、生身で出てくる時は結構頑丈な強化外骨格などで身を守っていたものだが、その技術も喪ったか。
ただ、以前と違って魔術も使ってくる個体がそこそこいるようだ。しかし……これも貧弱だ。術式自体は低段階とはいえ特に間違いではないのだが……こんなに魔術とは弱いものだったろうか?
彼が使おうとしても魔術は酷く劣化しているのが分かった。『生前』ほどには自在に扱えない。効果も落ちているし、高段階のものはかなり術式を作り込まないと、発動に少々長い呪文が要りそうだ。
探知魔術のノイズも酷く、さっきの小僧を探査できない。何があったのやら……まあ気にするだけ無駄か。足りない分は【幻装】の霊威で補うとしよう。
とにかくも今の彼は所詮写し身に過ぎない。力尽きるまで喰らい、殺せばいい。単純で結構なことだ。
……そう思っていたところ、残った餌の群れに何気なく振るった爪が弾かれた。ほう?
探していた小僧のほうから目の前に現れたようだ。?? 先程よりも命数が遥かに多いな? さすがにこの規模になると油断できん。何があった?
尻尾を叩きつけてみる。……その体躯でこれを弾くか。身体強化系の霊威使いか?
しかもそれだけではないな。同時に放った幻撃も効いていない。かなり堅固な霊鎧も持っている……。
混濁した記憶の断片がよぎる。そうだ。人間達は大半は機械だよりの脆い猿たちだが、中には信じがたいほど強き霊威を宿す戦士の一団もいた。
かの『啓示の王』に率いられた魔人たち……『魔弾の射手』や『雷帝』らはまこと強敵であった。
真竜の長、竜王種の奈落竜バールフェルルガンドゥス殿や闇黒竜アガートランゼウス殿ですら、奴らと戦った結果限りなく死に近い眠りについたはず。奴らさえいなければ……。
そういえば……あの魔人たちの中に、この小僧と似た霊気の持ち主が居たような気がする。なんといったか。ナントカの腕? いや爪であったか? ……思い出せんな。
……まあよい。時を超えてなお、似た力持つ者が立ちはだかるか。
良かろう。人間種の小僧よ、その力を示してみるがいい。
我らは幻妖、即ち生に焦がれ生を望み、生を欲するがゆえに生を騙る者なり。
未だ冥穴は開ききらず。しかれども幻妖として我ら真竜が顕現しえたということは、龍脈を巡る霊気の天秤が酷く傾いたということ。
天秤の傾きを放置すれば、ほどなくこの星は生命が棲めぬ地になり果てる。この星の寿命は本来とうに尽きているのだから。
……ここまで傾いた理由は不可解ではあるが……影に過ぎぬ我の関知する所にあらず。
均衡を取り戻すためには龍脈に魂をくべねばならぬ。我らの如きモノが【再演】されるは捧げるべき贄も多いがゆえなれば。
幻妖として現界せし我が為すべきはただ一つ。
次代の子らのために。次生の我らが輪廻のために。次世に星を残すために。我ら過去の残滓を得て汝らを鏖殺せん。
人間達よ。汝らが己自身の未来を欲するならば、己が力にて過去を凌駕してみせよ。さもなくば……。
捧げよその身を。今宵は殺戮の宴なり。
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シーシゥ砦に残った兵らは絶望の淵にあった。
「だ、だめだ、あんな化け物……勝てない……」
「三垣魔術師団への連絡は!? 紫微垣旅団は帝都にいるはず! 魔導伝文は!? 飛竜でもいい!」
三垣魔術師団は帝国の誇る高位魔術師を集めた部隊。紫微垣、太微垣、天市垣の三つの旅団からなり、何れも対軍規模の大規模魔術を得意としている。飛竜師団と並ぶ帝国の切り札だ。
あの竜は間違いなく一軍以上と見なすべき怪物だ。彼らの儀式魔術でもなくてはアレに立ち向かうなど……。
「そもそも通信兵が持ち場にいません!」
「逃げたのか!?」
「飛竜どもは鎖を杭ごと引き抜いて逃げました!」
「馬鹿な!? ありえん!」
正確には、厩舎と固定杭を飛竜の持つ固有魔術「風の吐息」で破壊して逃げ出したのだ。飛竜が勝手に逃亡するなど前代未聞だったが、何せ事態が事態であった。
なお今日は砦に元から居る個体だけでなく、「要人」が騎乗してきた帝国でも指折りに優秀とされる飛竜もいたのだか、そちらも同様に逃亡した。
飛竜は普段は家畜馬と大差ない程度に大人しい生き物だ。太古に竜人たちによって竜を参考にそのように『造られた』生き物である。
一応竜の名がついているがそれは勝手に人間がそう分類しているだけのこと、本来は竜種ではない。そして彼ら飛竜からすると幻霞竜などの真竜は雲上の上位者、恐怖の対象であった。
もちろんここにいたような若い個体は真竜に会った事などないが、遺伝子に刻まれた本能で分かる。刃向かうなど論外であり、その上で飼い主の人間たちまで震えながら逃走しているのだ。恐慌をきたし逃げるのも当然であった。
遠距離通信については魔導具により短い文章を対になる魔導具に送る魔導伝文という技術がある。(音声や映像を送る魔術もあるが魔力消費が激しく、ここからでは帝都まで届かない)
帝国軍ではそうした魔導伝文専門の魔術師を各地に通信兵として配属している。しかし今回その通信兵は……逃げたわけでないが、緊急事態を知らせようと持ち場に行こうとした所で吐息に巻き込まれ昏倒していた。
「千卒長はどうなされたのだ!?」
「上の櫓におられたかと、おそらくは奴の炎に……」
「百卒長は? ガバースカル殿やナイドゥ殿は……」
「………少なくともナイドゥ上百卒長は亡くなられました」
「他の方々は?」
「…………分かりません」
「では誰が今の砦の指揮を……」
「隊長」
「まさか」
「戦える中では、おそらくあなたが先任かと……」
「……な……」
千卒長に何かあった場合の代理になるべき者として、シーシゥ砦には百卒長、上百卒長級の佐官幹部が6人いたが、うち2人は櫓内で気絶中。3人はそれぞれ外壁上や壁の内側などにいて、運悪くほぼ最初期に墜落や踏み潰されたことで戦死していた。
残る1人は兵站責任者で戦闘指揮官ではない。さらにこちらのほうは恐怖にとらわれ全てを放り出して逃走中であった。
その下となると上十卒長や十卒長、つまり百人未満規模の小隊長どまり。
地位だけなら、現在無事な中で一番高いのは仙力使いの引率者であるマゼーパ百卒長だ。
しかしさっき来たばかりの彼はまだ正式配属でもなく砦の戦力や状況を殆ど把握していないし、政治的にも微妙な立場にある。軍事的な専門という意味でも彼は本来水軍の武官だ。陸の砦の防衛指揮を取るには不適切だった。
そんなわけで組織的抵抗はできなくなっていた。それでも勇気ある上十卒長、十卒長らの率いる隊によって何度か反撃が試みられたが……竜には全然歯が立たない。
これが既知の竜種なら、数十人程度もいれば専用の装備がなくとも戦いにはなっただろう。しかしこの竜は普通の竜ではなかった。真竜、即ちこの東方では数千年以上前に消え去った上位の古竜だ。
魔力に覆われた真竜の鱗は普通の武器を通さない。ましてこれは幻妖であり、物理攻撃には一層強くなっていた。
そして、その鱗にも通じるような上位の武装は……この砦では、櫓で気絶している要人しか持っていなかった。
生き残った殆どの兵らが砦を捨て潰走……いや転進する中、やけっぱちの蛮勇を発揮して竜の前に立つ者達の抵抗も終わろうとしていた。
もはや竜のほうは、霊力を消費する吐息など使うまでもなく、爪や尾を振るうだけだ。そして人体はそんなものにも耐えられない。
なけなしの魔術で強化された渾身の一撃も竜の鱗一枚を剥がすにも至らず。全力の防御魔術も鎧も紙のように破砕され。兵たちは次々にボロ雑巾のように潰されて息絶えていった。
「く、そ……こんな、馬鹿なことが……」
「隊長……!」
最後に残ったのは十人ばかり。その彼らに、血塗れの爪が無造作に。
どんっ!
振り下ろされて、彼らの戦いは、そこで……。




