第66話 あるのにない、ないのにある
臨時教官たちは数日前に姿を消したらしい。
「今回の契約期間は終了した。貴殿らも取り込み中とお見受けするため、失礼ながらこの手紙をもって帰国の挨拶とさせていただく」
という旨の置き手紙を残して。
憲兵たちが目の色変えて探してたが、無理だろうなあ。
そもそもあの二人は事件の翌日から、学校内の外れにある建物にいたのだが、そこはどうやらワケありの収容場所だったようで。
つまり、学内で何らかの事件が起こってその容疑者が貴族だった場合に、警邏に突き出す前に一時軟禁するための建物だったらしい。
そのため逃亡防止のために魔術を阻害する特殊な結界や、外からでないと開けられない魔導錠などが施されていたとか。
先日フーシェン将軍……いや万卒長が帰ってきて、その取り扱いに激怒して早く解放しろと憲兵に迫って鍵を開けさせたところ、中は蛻の殻であった。
あれだけの仙力使いと魔導師なら、常人の目や魔導錠を誤魔化すくらい朝飯前だろう。むしろそれを認識してなかったっぽい憲兵よ、大丈夫か。
そしてフーシェン様は憲兵らに激怒しながら説明のために帝城にトンボ帰り。責任ある人はつらい。
それでも憲兵らは懲りずに学校内外を調査した。特に魔導錠の掛かった敷地内から忽然と消えた、という事で【解錠】の仙力を持つシンイーが疑われた。
しかし、そもそも事件後のあの二人がいたところが魔導錠付きの特別製だったことさえ学生は知らんっつーの。
というか、鍵開けたの憲兵様方ご自身じゃないですか、つまりシンイーは開けてない。彼女の仙力は鍵を開けられるだけ、鍵をかける事はできないって代物。魔導錠をかけ直すだけの魔術も使えない。
そして魔導錠の術って鍵と対になってるから、仮にかけ直せても元の鍵で開かなくなる……というのは憲兵なら当然知ってるはず。責任逃れのための悪あがきにしか見えない。
え? 仙力ならそこも誤魔化せるかもしれない? そんな器用な事できたらシンイーこんな所にいないよ、どっかで大盗賊とかになってるか、諜報関係の組織にいると思う。
それにシンイーは普段から異能のせいで疑われることに慣れているので、常時複数人でつるむなど、行動証明しやすい生活を送っている。下手に犯罪に使える力を持つと大変だな。
「むしろ透明人間に注意しないとね」
「何とかアレを視られないものかしら、この目」
……人ごとではないのだ、そこは。ロイも気をつけねばならない。
「憲兵の人ら、あの人らの実力わかってなかったぽいな」
「現場はまだしも、兵部省の上の人も理解してないとかないよな?」
「どうだろう。今の兵部尚書と幕僚たちってフーシェン様らとは派閥が違うからね……情報渡ってないか、渡っても無視した可能性あるなあ……」
「そんな事情聞きとうなかった」
「暗澹とするから仮定でもやめてくれ」
「戦わなきゃ現実と」
士官学校生徒やってますが、うちの国はもしかしたらヤバいかもしれません。
いや昔親父が言ってた事には、四方の方面軍相手の商売なんかはそれなりの心付けというか賄賂がないと、正規の取り次ぎさえ滞るというから、帝国軍内部の腐敗っぷりは今更なのかもしれない。
「……言ってなかったけど、実はさ」
「なんだ」
「なぜか俺のところにも置き手紙があったんだ」
「私にもあったわよ」
「私も、ありマス、だった。だけど消エタ、燃エタ」
なんですと?
「僕にはなかったね」
「俺もない。お前たち三人だけじゃないか?」
「なんでさ?」
「なんとなく」
「どういう中身だったのさ」
「今後の訓練のやり方と、俺個人の力の簡単な説明、注意点」
「私もそんな感じ。講義で言われた訓練のまとめと、この目で色々視ようとした場合の問題点」
「……同じ……と思いマス。私の力、課題と訓練法。あと霊気のナントカ」
「やっぱ、お前らの仙力の何かしらが、向こうの人らにとっても取り扱い危険物なんだろうな」
「危険物って失礼な」
ロイ向けのに書かれていたのは、仙術訓練の今後の発展形と、ロイの力についての説明だ。能力の分類名称のほかには……。
仙術気功は霊気を操作する術である、と講義では習ったし、質疑応答でも現時点では今回教えている以上のものはないと思え、みたいな事を言っていたが、本当はその延長上には別種の応用があるらしい。
その段階の霊気術……敢えて東方風にいえば応用仙術は魔術に近く様々な事ができるのだそうだ。しかも魔術より発動が高速で、比較的打ち消されにくい特性がある。
しかし、そうした応用仙術による事象改変は同じ効果の魔術と比較すると圧倒的に効率が悪く、桁違いに霊力や体力を消耗する。人間向けのやり方ではないらしい。
基本的に各人固有の仙力であっても同じことを魔術でできる場合は規模面で劣る傾向があるが、技術としての応用仙術はそれがもっと酷いらしいのだ。
そして魔術の場合は魔力が尽きても疲労で気絶する程度だが、仙術の場合は霊力が尽きると後遺症が残ったり死ぬ事もあるとか。うへぇ。
そんなわけで応用仙術は、魔術衰退前までは習得する意味がほぼないものだった。衰退後の現在ですら効率が桁違いなのだ、衰退前ならその差はさらに大きく、そもそも誰もが魔術を使えたわけで。
それなのに応用仙術が実用的な段階に至るには、通常数十年以上の修行を要するという。そりゃ余程奇特な奴か、寿命の糞長い魔人や上位仙人くらいしか習得しようとはするまい。
そして冥穴の魔物相手には大半の特殊効果は余り意味がなく、単純な霊撃のほうが効きやすい。
だから今の帝国の仙力使いなら基礎の霊撃、霊鎧を磨くのが優先。魔術でもできることは魔術師に任せるべきだというのは変わらない
しかし、ロイは別だ。彼の仙力は普通でなく比較的簡単に実用的な段階に届く可能性がある一方で、魔力は大した事がないためだ。
そのため応用仙術の中でも比較的簡単に習得でき、かつ有用性の高いいくつかの手法について修行法の指針を記す、とのこと。ありがたく今後の訓練に生かすことにする。
とはいっても、結局は地道な霊操修行と功夫が基本なのは変わらないが、その先にやれる道が増えるのは励みになる。
なおクンルンにおいても上の双仙は応用仙術を知っているという。そして、つい最近それらを仙人たちにも教え始めたのだそうだ。
応用仙術……陰陽五行術、風水術、召鬼術、変幻術、厭勝術などなど。……従来はそのうちの「命咒術」──フェイロンのアレだ──の基礎くらいしか教えていなかったものを、本格的に伝授し始めたらしい。
そして応用仙術のさらなる発展として、固有仙力や魔術と併用できるならば、高速さと規模を兼ね備えた術式を作り出すこともできる、と。……魔術のほうはロイには無理だが、固有仙力となら併用もできるだろう。
そうして従来双仙は応用仙術を用いた技を「宝貝」に封じ、簡易に使えるようにする一方で、宝貝なしには使えないように元の技術は教えていなかったらしい。
応用仙術は下手すると死にかねないというからには、安全装置的な意味があったのだろうか。それを外すとは、何に備えているのだろう?
フェイロン達の宝貝の能力は魔導具としてはやけに高速で多彩だと思っていたが、つまりああいう宝貝はそうした応用仙術と魔術、両方に精通した使い手でないと作れないのだろう。当面ああいうものが国から支給されるのは期待しないほうが良さそうだ。
ロイが普通でない所の最たるものは、霊力量だ。通常、仙力に使える霊力の総量、命数と呼ばれるものは、鍛えていけば上がってはいくものの、一定以上にはならないらしい。
人間が訓練で引き出せる命数の最大値は、多くても最初の十倍行くかどうかだそうで、これは魔人でも同じ。
個人の素質というより、人間という種の種族的限界という話だ。時々最初から多くの霊力に目覚める者もいるが、その場合でも最終的な上限は変わらないようだ。
魔術の場合は、訓練で上がる魔力量は生まれつきの数倍くらいまでと言われている。こっちも天井はそれなりの所にあるということだ。結局仙力だろうと魔術だろうと「人間のままでは」個人でできる事は大したものではない……が、もちろん例外は存在する。
魔術なら、リディアはそういう例外の一人だろう。そして仙力なら、ロイの力もそうらしい。
ロイの場合、半年前を1とすると、今の普段の状態で2くらい。そしてみんなに殴られて励起した時で7か8くらいまでいけるだろうか。
つまり量だけなら励起時のロイは、何十年と修行した達人と同等なのだ。
そしてこの程度ではまだ訓練で届く範囲内。ロイの力は、それよりも上、人間の種族限界を超えられる代物なのだという。条件を満たすと、それこそ桁違いの霊力を世界の奥底から汲み上げられるらしい。
肝心の条件が何なのかについては書いてなかった。おい。
そうして汲み上げた霊力が人の器を超えた場合どうなるのか? 単純にはそのあたりから行使可能な奇跡の規模が指数関数的に上がり、効率でも魔術を上回るようになり、瞬間的にはほんとに凄いことができるという。
だがどう凄いのかも書いてなかった。だからさあ……。
つーか指数関数ってなんだ? 算術の用語か? 少なくともまだロイは習ってない……はずだ。たぶん。
──実際、これについてはロイが授業を聞いていなかったわけでない。帝国では指数や対数の概念はまだ高度な数理の専門家段階止まりのもので、士官学校の授業に出ていないのである。
そして、うまい話ばかりではない。
以前の【救世】の力の持ち主は、霊力が人の限界を超える事態を何十回か経験したが、徐々に苦痛を訴えるようになり……晩年には霊力と生命力が枯渇していく奇病にかかって、治ることなく亡くなった、そうだ。
何か心の奥底がざわつくな?
最後のほうに書かれていたのは、心配しなくても器の限界を超えても一時的なら直ちに影響はない。ないはず。たぶん、きっと。
到底安心できないんですけど?
そして訓練して普段の霊力を高めると、瞬間的に耐えられる上限も上がるはずだ、頑張れ。あと特に側の女の子たちを大事にしろ、というよくわからん激励であった。
「……とりあえず調子に乗りすぎるな、地道に訓練して基礎霊力上げろってことのようだ」
「こっちもそんなものかな……結局使わないと訓練にならないけど使いすぎはだめ、ということと、あとは……」
リェンファがロイのほうにジト目を向ける。
? 何だろう?
(私の力なら、こいつが霊気面で問題を抱えた場合に気がつけて、治せる……というけれど……。色合い自体よりその変化速度に注視し、適宜霊気の針を鍼灸の要領で、か……。これ、普段の美容健康にもいいらしいし、練習するしかないんだけど……難しそ)
「私は、無理して出来ないこと、やるダメ、と。発想転換、使い方、Adviceいろいろ……正直わからない点、多カッタ」
(力のイメージ方法や現時点で出来ることの指南はありがたかったけど、霊気というものの本質って……何なのよあれ!
「(前略)…神霊仏理学において霊威、東方で言うところの仙力とは、魂魄と称される生命現象に付随する第七次元エーテル連続体の…(中略)…そして連動する霊気が魂固有の流路を流れる事で発生する仏理幻象と定義され…(中略)…しかし我々人類のような三次元存在はそれが己に紐付くものであっても彼岸を直接認識も干渉もしえず…(中略)…従って霊気操作と呼ばれる行為も実際には霊気を直接操作するものではなく、覚醒した末那識と阿頼耶識から霊界に至る生体チャンネル、即ち霊輪を介して…(後略)」
……意味わかりません!
「(前略)…この霊子チキソトロピー特性により、魂魄樹流路壁面近傍の霊子粘性値がメタトロン数以下に低下した場合…(中略)…希薄プラズマ流体とみなせるので、拡張ボルツマン方程式では…(数式略)…ここで関数fk2は活性陽霊子の速度分布関数であるが、人間の場合これが取り得る範囲は…(数式略)…功徳を積むことで境界条件を緩和できるものの…(中略)…結局のところ、神や覚者でもない俗人には到底不可能である。そのため各人の素質に合わせた選択が重要に…(中略)…と、ここで最初に述べた結論が導き出される。ならば君達の目指すべき次段階の修練がいかなるものであるかは自明であろう…(後略)」
……うわーん、無理、無理ぃ! なんで霊気なんてオカルトパワーの説明に数式が出てくるの!? 変な専門用語も使わないでよ! 結局結論はぼかしてあるし、何、何がどう自明なの!? 読み返そうとしたら燃えるし、あの人のバカー!!)
しかしなぜ手紙はこの三人にだけ? 最後に言っていたデカブツとやらと戦うために重要だということだろうか?
向こうの思惑に乗せられてはいるようなのは少し居心地が悪いが……ロイ達に余り選択肢があるわけでなし。今のところは助言は助言として受け取っておくべきなのだろう。
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「なんであの娘にあんな手紙残したんです?」
「霊気のことを単にオカルトパワーと思っている気配がした。それではいつまでも感覚だよりから脱却できん。そしてより上を目指すなら、霊気を体内を巡る三次元流体であると錯覚してはならない。それは初心者向けの方便だ。体感できている霊気とは、あくまで低次元存在の我々の感覚による翻訳により劣化したものだと理解し、根源の理を悟る必要がある。あの娘なら相応の物理知識があるはずだから、数式と論理により各パラメータの寄与度が異なる事を示唆すれば……まあそれも第二の方便だが、それでも感覚よりはマシだ。それを用いれば個人によって最適化の方向性も異なることを理解でき……」
リディアは思った。この人に限らないが、専門分野になると饒舌になる天才には時々ついていけない。亡き恩師もそんな所があったなあ……。
「……たぶん伝わってないです。そもそもあの娘、普通の数学や物理の知識も私以下ですよ。鏡壊した時に話した感じだと」
「なに? あの娘は教授とティナの娘だぞ、あいつらが高校生くらいの頃には……」
そうか、あの娘の親はコレの同類だったか……。
「いえ。あの娘、大人びてますし身長とスタイルの良さで誤解しちゃいますが、島で言えば高校どころか去年まで子供向け背嚢背負っていたくらいの年頃でしょ」
「……言われてみればそうだが、それでもあの夫婦は子供の頃から何トカと紙一重のアレだった、その娘が……ああ、そうか。あの娘、幼児期まで教育不可能な状態だったはず、スタートが遅いのか。忘れていた」
「幼児教育できてない? それであの状態ですか? それならあの娘凄いんですね」
「いかんな、つい高校生向けのイメージで書いてしまった」
「はあ。私、島の高校過程相当までは議長に叩き込まれたはずですが、古典の物理化学はまだしも、幻象学分野のやつ、つまり神霊仏理やエーテル波動学系全く習ってませんよ? まあこれは私にそっちの素質が皆無なせいもありますが、拡張ナントカ方程式すら見た記憶ないです、ほんとに高校の範囲ですか?」
「えーとだな、この手の概念紹介は高校生向けの読本にもあって。……数式展開の中身は大学専門課程レベルだったかもしれんが……」
「そもそも幻象学分野ってあの娘の育った時代にありました?」
「…………。学問として確立したのはあの娘が眠りについた後だな、だからその辺は一応説明をだな」
「無理でしょう、彼女から見たら意味不明の論文もどきの怪文書になってると思います。私から見ても意味不明だったので」
「……書いてる時に指摘してくれ」
「いや無理ですって、あれ念写術ですから書くの一瞬だったじゃないですか」
「それで、あの男の子のほうですけど」
「なんだ?」
「仙力のほうは私にはさっぱりわかりませんが……あの魔力、なんなんですか?」
「お前にはどう見えた?」
「あんなの初めて見ました。あるのにない、ないのにある」
確かに、とリュースは呟く。
「型が異なるからだな」
「型?」
「例えるなら、近いのはアミノ酸の光学異性体だ。そこにあるのに人間にとっては殆ど栄養にはならない。それと同じだ、あっても使えないのだからないも同然」
「……なんでそんな事に?」
「原因はだいたい想像がつく。本人のせいではなく、人為的なものだ。島の護法騎士ならルミナスが同じ状態だ。だから詳しく知りたければルミナスか、トリーニ様ないしエーカム様に聞け」
「なんかもう盛り沢山ですね……彼」
「【救世】の担い手はだいたい盛り沢山になるらしいぞ。Weirdness Magnet……異常と奇縁を惹きつける生ける磁石のようなものだとな。フレディもそうだった。そのせいであいつの病の原因究明も難しかった、どれが悪さしているのか分からんかったからな……まあ、あの目の娘が側にいる限りは、大丈夫だろう」




