第64話 幕間 黒き大樹が燃え尽きた時
帝都の秋は、往来各所の食事所の賑わいから始まる。この時期が旬の作物が多いため、供される料理が質、量ともに増えるのだ。
同時に冬のための準備もある。各地の作物を買い集める食材卸売業をやっているフェンモン商会でも、この時期は稼ぎ時であった。
そんなフェンモン商会の跡取り息子、今年で27になるガウス・フェンは早足で帝都の東にある商会の支店へと急いでいた。そして日も傾き始めた頃に到着し、店番に出迎えられる。
店番の若者に外套を渡しながら、ガウスは、店の奥で帳簿を睨み何かを書き付けている男に声をかけた。
「おう、いたかアッシェ」
声に対して顔を上げたのは40歳前後に見える壮年の男。アッシェ・ウー・カノン。フェンモン商会の手代の一人で……ロイの父親である。
「どうしました、若旦那」
「ガーティの所と話がついた。フーリンの麦は七割がうち、三割が向こうだ」
「おお、元の枠まで押し返せましたか。相当ごねたのでは?」
「言わせねえよ。割り込んできたのは向こうだ。前から損も承知で囲ってんのに、その時積んだ金貨だけで枠よりもってかれてたまるかよ」
「いやいや、金貨の重みを道理で押し戻せるとはさすが若旦那」
「誉めても何もでねえぞ。そんなわけで、悪いが蒸し返されないうちに取りに行ってもらわんといかん。メッシの奴と一緒にフーリンまで行ってくれ。まずは半分を運ぶ。来週末までにだ」
「わかりました、こっちももうすぐ片付きますんで」
「しかし、広まってんぞアッシェ」
「何がです?」
「お前さんとこの坊主の話でもちきりってやつよ」
「はあ……。あの噂ですか。うちのだと分かってるんです?」
「坊主は元からも有名だからな、なんせあの年で黒虎のおっさんが太鼓判押す腕だし、何よりあんたの息子だしな」
「恐縮です」
アッシェは元々は金で商隊の護衛を行う傭兵、用心棒だった。
彼が現役だった頃は頼りになった。少なくとも普通なら商会の用心棒でとどまるような腕ではなく、軍人くずれの賊すら寄せ付けなかった。子供の頃のガウスにとっても、アッシェは頼れる護衛だった。
アッシェは魔術こそからっきしだったが剣の腕前は一流で、しかも駆け引きもうまかった。特に魔術衰退直後の混乱期はそうした腕のよい護衛は重宝されたものだ。
しかもアッシェは腕っぷしだけでなく算術もでき、言葉も複数国語を操った。性格も真面目で誠実、所作にも品がある。出身は西国らしいが、明らかにかなりの教育を受けた身。普通なら用心棒をやるような男ではなかった。
おそらくはどこぞの騎士か、貴族の息子か……それが東方まで流れてきて用心棒業をやるとは何かしら訳ありだったのだろうが、本人は深くは語らず。
それでも父の腹心だったカノンの先代が惚れ込んで、一人娘の婿に請うて、アッシェはカノンの家を継ぎ、フェンモン商会専属の護衛となった。
そしてその後、足を痛め護衛業をやめても、商会の手代として十分やっていける頭と度胸を備えていて、経験とコネ作りも積んできた。ガウスも色々と頼りにしている。
その息子のロイは、武の才においては往年の父親以上とも言われる天才だ。少なくともこの辺りの同年代では飛び抜けた腕前として知られている。
そのうえで武に有用な仙力の才能まであるのだから鬼に金棒だ。噂のような活躍をしてもおかしいというほどではない。
腕に対して頭のほうは……あまり聞かないが、士官学校に引っかかったのだから箸にも棒にもかからんということはあるまい。たぶん。
「しかしまあ、あの噂がどこまで本当やら、私にも分からないんですがね」
「まだ連絡はねえのか?」
「ええ。リィウ(=リェンファの家)さんのとこもそうですが、どうやら仙霊科の関係者一同、学校から出してもらえんらしいですよ……手紙もダメです、何かあるんでしょうな」
「そりゃあな。なんせ、帝都が一瞬夜になって火柱とキノコ雲が上がったんからよ。隠しきれるもんじゃねえから渋々一部だけ流したってとこだろうな」
「少なくとも死んでないなら、あいつならなんとかなるでしょう」
「それもそうだな。まあ、リェンファちゃんに何かあったらリィウのおっさんが黙ってないか」
「ガーティの件以外に何か?」
「なんだって?」
「成功した割にはうかない顔に見えまして」
「……どうにもこの所西の方がきな臭いのが気になってな。……もしかしたら、少しやり方を考えねばならんかもな。現物をもうちょい東に移したほうがいいかもしんねえと悩んでる」
「金子もまとめますか? 今なら棒に替えられますよ」
「そいつも考え中だ、もう少し待て」
「しかし西ですか、何かありましたか?」
「すぐ西のラオシュンあたりで魔物がやたら増えたそうだ。近くで綿花の収穫が滞ってるらしいし、黄旗(=畿内方面軍のこと)連中の動きが妙だ。砦の噂は知ってるな?」
「山の辺りを立ち入り禁止して突貫工事で作ってるってやつですか」
「それだ、どうやら思ってたよりデカい。それで、少なくとも二大三月(=二個大隊、約千人+軍馬の食料三ヶ月ぶん相当の意)以上、ガーティのとこに発注がきてるようだ。うちのや他で聞いたぶんも考えたらたぶん二連(=二個連隊、約六千人ぶん相当)近くいく。そっちも最低三月だ」
「三月ですか。そりゃ……。こちらでも調べてみます」
「頼む」
問題は数でなく、期間指定されている点だ。これはその間は継続的に買う意志があるから在庫を切らすなよ、ということ。仮に突発的な演習や訓練、叛乱への対応なら期間指定は必要ない。軍はそうしたもの向けの在庫は確保している。
そして軍の通常の糧秣ならフェンモン商会に発注が来ることはない。そこは別の商会と棲み分けている。
こちらにも注文が回ってくるのは穀物や乾燥肉などの、持ち運び性と長期保管前提の戦時糧秣の素材が追加で必要な場合だ。もちろんそれらはフェンモン商会に軍から直接発注が来るわけではなく他の商会経由の話だが、業界にいれば本当の発注元がどこなのかは自明だ。
戦闘糧秣用食材を通常より多めに継続確保しろとの内示。となると、通年計画になかった突発の、それでありながら長期的軍事行動が既に始まっているということになる……帝都のすぐ近くで。
「クンルンやホウミンの動きも気になるしよ、メルキスタンは未だに安定しねえし、さらにこないだは、オストラントでも騒ぎがあったそうじゃねえか」
「ああ、そうらしいですね。こっちにも少しは話が流れてますよ」
「お前は向こうのほうの出だったか?」
「ですねえ。まあもう向こうを出て20年近く、そろそろこっちで暮らした時間のほうが長くなります。あちらの家族はとうに亡くなりましたし、今更さして気にかけることもないですわ」
そうして、その後しばらく商売についての打ち合わせののち、いくつかの指示を改めてアッシェに言うと、ガウスは別の支店のほうに行った。
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アッシェはガウスを見送りながら頷いた。若旦那も頼もしくなったものだ。アッシェがここに来た頃には、やんちゃ盛りの鼻たれ小僧だったのだが、なにぶん20年は長い。今の調子なら大旦那の後を継ぐには問題ないだろう。
そしてアッシェはもう一度、手元にある書類に目を落とす。店の帳簿と、そして……新聞とかいう西国の情報誌の写し。それには遥か西方の国で起こった事件の顛末が記されていた。
「……ヴェステンベルク公は領地没収ののち処刑。降神猟兵隊が正式に発足……。隊長は……ジークフリート・ヴァルター侯爵」
アッシェはかつて友と呼んだ男の名をそこに見て、嘆息する。
「ジーク、お前はそれでいいのか? そもそもどこまでお前の心は残っている? ……まあ、燃え尽きた灰となった俺の言葉などお前に届くまいが……」
かつて何度も胸の内に問いかけた。どこで間違ったのかと。もっといいやり方はなかったのかと。
だが、あの頃の自分には友の裏切りを予見などできなかった、どうやっても反逆者の汚名を着せられたとの結論に至るだけだった。仲間たちの末路を思えば、生きて脱出できただけでも僥倖だったろう。
「……過ぎたことだ。せめてうちの息子は、俺達みたいにならんで欲しいものだが」
あいつが仕官と出世を狙うのは別にいい。才もあるのだし、あいつの人生だ。もはや貴族でもない父親がどうこう言うべき話ではあるまい。
「……だがなあ、力なんてものはあればあったで厄介だぞ。ことにお前みたいな特殊なのは」
息子の仙力が、自分に宿るモノのせいなのかどうかは分からない。アレとは方向性が違うし、仙力に血縁は余り関係ないとも聞く。
ロイの妹のスゥリンは10歳。今のところ仙力はなく、魔力もろくにないようだ。仙力はまだしも、兄妹揃って魔力が弱いのには苦笑する。普通なら魔力こそ血縁の要素が大きいのに、自分の魔力はそういう意味でも燃え尽きていたようだ。
全く、懐かしさと共に、嫌なことを思い出させる記事だった。
どうやら故国はあの後、僅かな成功作に続いて、隊が出来上がる程度にまで成功例を積み上げたようだ。
成功率があのままなら狂気の沙汰だ、少しはマシになったのだろうか。それまでにどれだけの犠牲者が出たのかは、考えるのもおぞましいが……。
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──かつてレオン・シュヴァルツバウムという男がいた。
名誉あるオストラント王国の魔導騎士団に、魔術衰退後にも関わらず、衰退前の基準でも希少だった優判定で入団を許された二人だけの天才、その片割れ。名門シュヴァルツバウム伯爵家の若き当主。
かの騎士団は魔導師として一流の魔力を備えつつ、戦士としても達人たる者だけが入団できた国威の証だった。だが魔術衰退事件の際、既存の団員の多くは魔導師と言えるだけの力を失った。
その状態で、若くしてかつてにおいてすら優秀といえる成績をおさめるとは、どれほどの才か。いずれは彼らこそが王国を支えるのだと誰もが信じた。
だが、およそ20年前。騎士団のうち、レオンたちの部隊は貴族と王族と軍の権力争いに巻き込まれ、気付かぬうちに反逆者の汚名を着せられた。
レオンと並びたつ双璧、もう一人の天才、ジークフリート・ヴァルター。彼が裏切り、さらに証拠を捏造したのだ。なぜそうなったのか、正確な理由と経緯は分からない。だが、推測はできた。
最後に投獄されたレオン達に会いに来たとき……奴は人を辞めていた。
恐ろしいことに、奴に悪意などなかった。だからレオンも仲間たちも事が起こるまで気がつけなかった。
おそらく奴は善意のままに仲間を「自分と同じ存在に」変えようとしたのだ。身に宿った新たな力に歓喜し、仲間たちもそれを宿す事が正しいと信じた。
だがあんな施術など、普通なら受け入れるはずもない。だから、そうせざるをえない環境に追い込んだのではないか。
レオン達は冤罪と訴えるも聞き入れられる事なく、そのまま刑としてジークフリートとその直属の部下が受けたであろう実験の被験者にされた。
それは魔術衰退を覆す切り札であり、成功すれば罪を許し、名誉を回復させるとの事だった……。
だが。レオンの隊への施術は全員失敗した。原因は不明だ。何故だ! やり方は同じなのに! と担当の魔導師が絶叫していたのをかすかに覚えている。
殆どの者は「適合」せず息絶えるか、あるいは発狂、暴走して討たれた。レオンは辛うじて生き残ったものの、代償は大きかった。魔術衰退を覆すどころか、逆に魔術を全く使えなくなったのだ。
それは、なまじ最初の数人が偶然成功してしまったために起こった悲劇だったのか。いや、成功体であるはずの奴らも、本当に成功したと言えるのか? 本来のジークフリートならこんな事をしただろうか?
実は奴らも魔力が増えただけで中身は狂っていたのではないか? それを有用であり再現できると見なした軍魔導師団も、彼らの策を黙認した王族達も、正気ではなかったのではないか?
あるいはそんな博打に縋るほどに、魔術の国と呼ばれた王国にとって、魔術衰退がもたらした数多の悲劇は深刻だったのだろうか。
かの国は魔術の能力、素質に優れることこそが貴族たるための十分条件だった。魔術衰退で平民の多くが魔術が使うことさえできなくなったことで、その身分格差はむしろ固定化された。
客観的には、衰えゆく力にしがみつく斜陽の国なのかもしれない……。
レオンは生き残りはしたが魔術を失ったために施術失敗と見做され、機密保持のため殺されそうになった。
消される寸前に脱走し、故国を捨て、名前をアッシェと変え、遥か東方の地で平民として生きることを選んだ。
魔導騎士として磨いた剣技は、魔術を失っても長い間新しい人生のために役にたってくれた。鍛えた技の大半は魔術の併用が前提であったため使えなくなったが、それでもそこらの賊に遅れをとることはなかった。
だがある時脚に怪我を負い、それを庇ってさらに膝を痛めた。以来大事をとって用心棒業から足を洗った。これ以上無理をすれば、日常生活にも支障が出かねないと医者に脅されたせいもある。
こうなる前なら、その気になれば、こちらで仕官くらいはできたかもしれない。復讐もできたかもしれない。いや今でも魔力の代わりに宿ったモノを使えばあるいは……。
だがもう、国や貴族というものに関わる気にはなれなかったのだ。黒き大樹の伯爵家はあの日に燃え尽きた。せめて望むとすれば、次代の苗を育てるための灰になることくらい。
ヴェステンベルク公の先代は真実を知っていたであろう一人。当代も恐らくは父親から聞いていただろう。彼の諫言を受け入れず、思いあまっての挙兵を退け逆賊として処刑し、代わりにあんなモノに頼らざるを得ないとは。
今後伝統あるオストラント王国はどうなるのだろうか。今の彼にはもはや関係ないことではあるが……。
アッシェは、一息ため息をつくと自分の役目、商会の事務仕事にとりかかった。そうして日々の糧を稼ぐ、それこそがやるべき事だ。
彼のいるべき場所はもはやかの国でなく、愛しい妻子のいるこの国なのだから。
ある意味息子より主人公してたロイ父
2/12 名前の表記揺れを修正




