第6話 臨機応変に……転進!
出発してから数刻。一口にタンガン峡谷と言っても結構広い。ロイたちがあてがわれた地域は、今のところ「少し外れ」の気配であった。
魔物は一体の討伐に成功していた。毒跳蝦蟇と呼ばれる、猛毒をもち異様に跳躍能力に優れ、大きさも人の子供ほどある蛙の魔物だ。
毒持ちなだけに厄介だが、蛙という生き物は動きの素早いものはよく見えるものの、止まったもの、ゆっくりとしたものは余り認識できない。これは魔物でも同じだ。
魔術師たちの探知で魔物を見つけ、それが蝦蟇だと知った班長のスウは、姿を木々に偽装しつつ音を抑える魔術をかけ、ゆっくりと投擲槍の間合いまで近づいて攻撃せよ、と指示した。
投擲に失敗したら後ろから弩で仕留める、という方針でやったところ、さくっと槍が背中に刺さって蝦蟇は瀕死になり、得意の毒や跳躍能力を発揮させないままに矢でトドメをさすことができた。
結構蝦蟇の皮膚は分厚かったので、仙力無しの常人の槍では弾かれたと思われるが……とにかく順調に仕留められたので班長としては満足であったようだ。
しかしその後は特に魔物との遭遇もなく、少しばかり退屈していた。なぜか魔物どころか、普通の動物さえ殆どいない。このまま夕方になると野営の準備もしなくては……と各人が考え出していたころ。それは起こった。
森を抜け、黒い岩の多い山肌に出たとき。少し向こうで、地響きがした。
「なんだ……?」
ロイの背筋に悪寒が走る。
この感覚は、強者にであったときに覚えるものに似ていて……。
「おいカノン、ちょっと見てこい」
「……はい」
嫌な感じがするが、班長の指示とあれば仕方ない。音のする方向に少し先駆けて進んでいったところ、岩山の尾根の向こうに、何かが見えた。……巨大な何かの一部。
赤く長い首の上に、角があり牙がある頭が……。そして。やはり巨大な目が、近づく人間をじろりと捉えた。悪寒がさらに酷くなり、立ち止まったところで……。
……ぐるおおおおおああアアアアアアアッ!!
怪物は咆哮を上げると……尾根の向こうから飛び出してきて、人間たちのほうに突進を始めた。
……まずい。今のロイでは戦うのはまだ無謀だと直感が告げる。まして他の班員では瞬殺されるだけだと。自分のこうした感覚をロイは信頼していた。慌てて撤退を開始する。
怪物は全身がおそらく12シャルク(約8m)以上の巨体、背中に小さな翼があり、巨大な爪牙と尾を持つその姿は……。
ロイが皆の近くまで戻ったところで、後ろのほうにいたツァオ教官からあからさまに焦りが混じった声が飛んだ。
「ぜ、全員下がれ! 撤退しろ!」
「教官、あれは!?」
「……あれは、火岩竜だ!」
「竜!?」
「いいから、走れ! 逃げろ!」
竜種は数ある魔物の中でも折り紙付きの強さを誇る怪物。しかし辺境ならともかく、こんな帝国の中心部に近いところで竜など、少なくともここにいる皆は見たことも聞いたこともない。
教官は走って逃げながら続けた。
「何故かは、分からんが、あの見かけは、そうに、違いない! とにかく、逃げろ! 今の我々、では、勝てん!」
「……!」
「デラック、ダシャー、どちらでも、いい! 距離がとれ次第、『通伝』の術で、本部に連絡!」
「は、はいっ」
「あとお前ら、なんで荷物、持ったまま、なんだ!? 捨てろ! 走れ!」
全員が荷物の大半を放り出して一目散に逃げ出す。すぐに後ろで見守っていた七班の連中のところまで来たが、竜はそのまま追いかけてくる。
その動きは巨体の割りに思った以上に速い。何がそこまで興味を引いたのか、木をなぎ倒し、岩を砕き、道なきところを最短距離でぶち抜いて人間たちを追ってくる。
「教官、いったい何ご……あれはっ!?」
「竜だ! お前たちも、逃げろ! 全力で!」
「りゅ…!? はっ、はいぃっ!」
全力で逃亡しながら、七班の班長が、固まっていてはいけない散開して逃げろと叫ぶ。確かに最悪一人二人追いつかれても全員よりはいい、皆散り散りになろうとしたところで、竜の動きが変わった。一声大きく吠えたかと思うと、前方に向かって大きく跳躍したのだ。
飛べるとは到底思えない小さい翼を開き、僅かに滑空して…………勢いよく着陸。物凄い衝撃で周囲の地面が揺れる。振動に足を取られ、皆の足が少し止まったその瞬間、偶然ロイとリェンファが走っていた辺りの地面に、亀裂が走り……そのまま崩落した!
「げっ!?」
「きゃああぁ!!」
そのまま二人は崩落に巻き込まれ、下に落ちていく。
「カノン!?」
「リェンファさん!?」
「止まるな! 今は逃げろ! あいつらは、異能もちだ、運があれば、助かる!」
「はいっ…!」
「ちっ…!」
落ちながらロイは仙力を発動させる。力をできるだけ、守りに使うように意識し、筋力を高め皮膚を硬化。すぐ上からリェンファも落ちてきている、助けないといけない。
さらに意識していないが、この時ロイの体はいつもよりも数段、骨や血液、内臓に至るまで強化されていた。彼自身すら、今この瞬間も理解していない強大な護りの力。
仮に【金剛】と呼ばれている能力の、真の力の一端。もしリェンファにその時のロイを見る余裕があったら、彼に対してかつてみたことのない霊気の輝きが見えただろう。
そうして一足先に崩れた土砂の上に降り立ち、上から落ちてくるリェンファを抱き止める。
「うぐっ……」
重い、なんて言ったら殴られるか。そう考える余裕があるのも仙力のおかげだろう。少なくとも15シャルク(約10m)以上は落ちたようだ、普通なら二人とも骨折以上の重傷か、下手すると死んでいる。……そんなことを思っていたら。
「あっ……」
微かに悩ましい女の子の体臭と吐息を感じ……慌ててリェンファを下ろす。
「大丈夫、か?」
「うん……あ、ありがと……」
礼を言いつつ飛び退くリェンファ。残念なことに地底は薄暗く、その顔がひどく赤面していたことにロイは気がつかなかった。
穴の上のほうには空が見えたが、竜は遠ざかっているらしく、奴が動いたことによる振動はだんだん弱くなっていた。
「これ、登れるかな……」
「ちょっと……(こいつ抱えながらだと無理だな)……荷物に投網があったから、みんなが取りに戻れればそれを使って何とかなるか」
「今みんなにそんな余裕ないわ、逃げ切れるといいけれど……」
「本部向けに『通伝』の術使える?」
「魔導具や呪符無しだと、私には無理」
リェンファはそこそこ魔術の素質と知識があったが、専門職を選べるほどではない。補助具無しに長距離通信魔術を使うのは無理だった。そしてロイはそもそも自己強化術以外は殆ど使えない。
「……灯りくらいなら、なんとか」
「頼む。ろくに見えないとつらい」
リェンファは呪文を唱え出す。光球を作り出す『灯火』の術だ。呪符もない状態では、呪唱魔術でゆっくりと発動させるしかない。リェンファでは、大きなものは作れないしかなり疲れるが、ないよりはマシだった。
そして灯りができて分かったことは、ここは少し大きめの洞窟のようになっていた空洞だったということ、そして、崩れた土砂の少し先に、何か明らかに人工物らしき白っぽい壁が見えることだった。
「壁がある?」
「……近づいてみるか。足元注意な」
瓦礫を踏みつけながら、二人はそちらに向かった。
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