第57話 幕間 天からふりそそぐもの
分体たちとの定期会合を終えて、魔人王は一息つく。
本来自身の分体であるからには、もっと一括かつ高速に情報交換できる方法もあるのだが、それをやると分体たちの時間感覚が地上と乖離してしまい、折角育ててきた個性も薄れる。
分体たちを運用する理由の大半が地上の生命たちとの接触、監督であるからには下手に自分の感覚と同期させるわけにもいかない。ウラシマタローとやらになられても困る。
報告の状況を今度は彼女自身が調べていく。とはいえ今の彼女が認識できるのは極めてマクロな状態だけだ。
この所、外宇宙からの神と折衝していたせいもあり、感覚が大きくなりすぎている。人間相手だと、よほど霊力が強くないと認識も会話も成り立たないだろう。
この間リュースが送り込んできた子くらいに素質があれば何とか……。ただ、あのレベルは人類史上でも数えるほどしかいないし、それでさえ相当注意深く扱わないと吹き飛んでしまう。
まあそれはいい。喫緊の問題は稀神と呼ばれる外世界の神がやらかしたことだ。このクソ神が、勝手に観光と称してこちらに移動中に星系内の惑星にぶつかって破壊しくさってからに。わざとやりやがったな。
いくら外縁とはいえ本星に100倍する大質量の惑星が崩壊したのだ。当然星系内各星の公転周期やバランスにも影響が出るし、将来的に様々な不具合が想定される。おのれ。
さらに崩壊によって小惑星や彗星が爆増した。いわゆるガス惑星だったとはいえ、核は珪酸塩や鉄などの金属質が煮えたぎった代物だ。その部分だけでも本星質量の20倍は超えよう。しかもそいつらの移動方向の大半が太陽側ときた。
十数km大ぶんの冷え切っていない金属塊が本星に一つ落下してくるだけで人類絶滅は必至。そんなのがあと数年で最低数十万個は本星の公転軌道近傍にやってくる。重力に引かれて落ちてきそうなのは全部捕捉消滅させなくてはならない。
最近やたら過去の記録にはまっている愚者なら「宇宙での三次元弾幕シューティングですか? え? 連射不可、マップ兵器不可、敵機数十万かつ非固形物含む、軒並み相対速度差30uC(≒秒速9km)以上、自機の残機1、コンティニュー不可? 超クソゲーですね!」とでも言うことだろう。
現在の地上各国の天文技術でも惑星の崩壊は認識できよう。その意味を曲がりなりにも理解できる専門家は、今はまだ世界全体でも禍津国かルディラ帝国あたりにしかいないだろう……が。
さっきの報告では、禍津国に理解できてしまった専門家が一人いて発狂。公衆の前で、まもなく空から恐怖の大王が群れをなして墜ちてくる! 世界が終わる! と絶叫したため、分体の一人が手をくだして入院させたらしい。
そいつは天文学者であって占星術師ではないはずなのだが、どこか繋がってはいけない何かと繋がっていないか確認させよう。変な予言を垂れ流されても困る。これも愚者は私じゃないですと言ってはいたが……あいつは割と信用ならん。
まあ放っておけば確かに終末だ。天からふりそそぐものが世界をほろぼすだろう。そんな悪夢を何とかするため急遽、盤古眼計画と呼んでいた衛星創造計画を前倒しすることにした。
これは現在神座の材料として利用している移民船方舟の残骸を核として、かつて人類の故郷にあったという『月』に近い大型衛星を創造しようというものだ。
その月を新たな神座としつつ、各資源を集約し将来的に宇宙港などの様々な機能を持たせる予定だったが、計画を修正。当面急いでガワだけでも作り、これを拠点および盾として地上に降り注ぐ隕石などへの最終防壁に使う。
本来は、公転と暦が狂わないバランスを見いだしつつ隠蔽術をかけながら長い時間をかけて構築するはずだったのだが……時間が足りない。忙しい。
あと百年はかかると見込んでいた計画を数年で実現しなくてはならない。折しも龍脈の大殺界、しかもヘヴィ級のまで重なったからそちらを利用することも計画に組み込んだ。超忙しい。
だいたい魔神の野郎が悪い。手持ちの切り札の一つ、神殺しの神器・火之迦具土の奥義で魂を焦滅させたはいいが、内包する魄のエネルギーまでは燃やし切れなかった。残滓だけで龍脈がパンクするには充分だったようだ。
死者は増えていないのに霊子エネルギーだけが増えたものだから龍脈システムが誤作動を起こしている。だからこんな大殺界初期の時点で幻魔だの真竜だのが出てくるのだ。そのうち業魔も出るだろう、そしてアレが出てきたら本番か。
それでもこの際だ、一石二鳥三鳥で懸案事項を一気に解決してやる。そして利用し終わったら龍脈のほうは本格的に作り替えだ。
冥穴などという黄泉への霊界門が地表に剥き出しの状態など放置すべきでなかったが、前任者達の手になるシステムとプロテクトは非常に難解で頑固だった。地上の文明が滅びてもいいならやりようはあるが、流石にそれはできない。
零から自分でプログラムを作るのと、大昔の思考形態すら違う存在の残したプログラム、しかも仕様書も取説すらない代物を解析しつつシステムを運用しながら改変するのとでは、難易度の桁が違いすぎるだろ。畜生。
分体どもはそんな神なりの苦悩を理解してくれない。むしろ普段座から動かないとものぐさ扱いしやがる。貴様らにもあの複雑怪奇な龍脈の霊基配列コード群へのアクセスを開放して手伝わせてやろうか? 霊気の逆流で発狂されたら困るからやらないけど。
ぼやいても仕方ない。とりあえず龍脈についてはより安定した恒常機構を構築し、地上の住人たちが自発的に龍脈の掃除をやるように仕向けなくては。彼女や分体がいちいち出張らずに済むように鞭だけでなく飴も用意しよう。
稀神はそのうち詫びの品を携えて再訪するから宜しくとか言っていたが面倒極まる、むしろもう来るな。惑星も修復してやるとか言いやがったがそっちは丁重にお断りした。
こっちを探るために裏で動き回ってんのは分かってんだよクソ野郎。何を埋め込まれるか分かったものじゃない。惑星についてはいずれこちらで作り直すが正直余裕がない、後回しだ。
星界を渡る稀なる神。恒星環状体を内包し超光速移動できる『生物』が奴の乗騎だ。それが普段の住居じゃなく外行きの乗り物の一つにすぎないという時点で、存在規模の大きさが伺いしれる。
しかもあれほどの巨大質量体にも関わらず、ステルス性能は高く重力異常も殆どない。科学力と霊力の浪費としか言いようがない。贅沢で羨ましいことだ。
奴はあれでもこの銀河においても長老格の神々の一角。永遠に限りなく近い超越者たち。上には上がいる。まだ力を蓄えるべき時だ……。
「不機嫌そうだな」
「至らぬ身を嘆いているところよ」
小惑星群の捕捉、月を構築する設計図、龍脈の再構築式などを並列思考で進めていたところで、座の中で彼女に話しかける男がいた。
赤毛に緋眼の青年。それは白龍ナギの兄、赤龍シュラクが人身に変じた化身。崑崙の雷仙が不倶戴天と信じる、かつて人類にとって最大の強敵だった存在。
最近のシュラクは本来の龍身であることより、人身であることが多い。人が支配する世では龍身は大きすぎて面倒なのだ。
彼は戦いを本業とする闘神だ。かつての初代魔人王らとの戦いでは妹が先に降伏したがゆえに彼もまた降伏したが、彼自身が戦闘において人類に後れをとったわけではない。
古き超越種……龍種。かつて龍種は銀河に覇を唱えたというが、その全盛期は十億年は前のことで、今は衰退して久しい。彼ら兄妹のような末裔がところどころで生き延びてはいるが、全体としてはもはや滅びを待つばかりの斜陽の種だ。
人類がこの星に来たとき、仮に彼らに全盛期の力があれば、人類はこの星に降り立つことはできなかっただろうし、彼女が新たな守護者になることもなかっただろう。
「そっちも移動砲台役があるんだから他神事じゃないでしょ」
「俺の力の射程範囲に入るのはまだ先だからな」
「それじゃあこっちの捕捉計算手伝いなさい。現世代の霊算機よりあなたの霊子演算のほうがまだ速い」
「適材適所というものがある」
基本能力が戦闘向きに偏っているとはいえ、彼も神の端くれ。まして捕捉照準作業は戦闘の一部、できないはずはない。面倒臭がっているだけだ。
妹のナギのほうも世界管理の仕事を譲位をいいことにこっちに丸投げしやがってからに。諸国漫遊してる暇があるなら働け。
「仕事から逃げるな」
「慣れていない事をやってミスをしては却ってお前の仕事を増やす……ん?」
シュラクは座の空間の向こうに並ぶ多数の黒い石柱の上に展開されつつある積層立体魔法陣に目をとめた。
この石柱群は科学と魔術と霊威の結晶、超量子霊算機だ。通常のコンピュータよりも遥かに高速かつ大規模な演算を行うことができ、事象改変すら可能にする。
元は数千年前の人類製人工知性に毛が生えた程度の性能だったが、25年前の魔神討伐の際に時間操作の異能を回収できたため、それを援用する事によって莫大な高速化を実現。太古の龍種全盛期の技術にだいぶ追いつけた。それがないと今回の事態にも対応しかねただろう、危ない危ない。
龍種が全盛期の頃に作り上げた最高位魔導具である神器もこれの一種だ。あれらは人間が扱う限りはせいぜい対軍、対国レベルの道具に過ぎないが、神域の者が使えば星全体に影響する規模の事象改変を起こせる。
あれほどコンパクトかつ低燃費につくろうとするとコストが洒落にならないので、彼女はまだ神器新造には手を出していない。まあ神器どころか、この石柱群のレベルでも新参の神が新規で作るには有り得ない代物だろう。
これが稀神の野郎に知られると面倒だからここしばらく起動できていなかった。そしてその負担は彼女自身にのしかかっていた。畜生地獄に落ちろ、向こうの世界に地獄とやらがあればだが。
とりあえず遅れを取り戻さなくてはならない。霊算機たちは数多の条件を振りながら演算の最適化を進めていて、その過程が高密度立体魔法陣として空間に目まぐるしく展開されていた。
「なんだこの術式は?」
「話を切り替えて誤魔化すな」
「前にも見た気がするな」
はあ……。
ため息に相当する仕草をしてしまう。肉の器など放棄して久しく、今の体もそれを模した仮初めのものなのに、癖のようなものはなかなか抜けない。
「冥宮計画。忙しくて先延ばしになってたんだけど、事情が変わったから」
「龍脈を作り替える気か」
「大殺界での調整は人間種のタイムスケールではガス抜きの頻度が少なすぎるの。百年単位では技術や知恵が伝承されず、噴出規模も大きすぎる。今の頻度は竜人種向けでしょ? 魔人にとってもやや面倒なのに、地人主体の地域で封が緩んだなら、根本から変えないと」
「竜人どもですら短命と思っていたが、人間はその半分以下だからな」
「もっと短いわ、竜人は千年以上が普通でしょ」
「大差あるまい」
ほんとにこいつら、下天は夢かの時間感覚なんだから。それだから人類が勝てたのだけど。
「次の大殺界が始まっているのだろう。介入はどうする?」
「しないわ」
「しない? 今回こそ試しの儀が始まりかねんぞ、魔神の命は重すぎた」
「だからこそ。試しの儀は守護者とその眷属以外の者が相対しなくては正式には終わらないのは知ってるでしょ」
あの『試練』は守護者の力で抑えこんでも時をおかず再発するように設計されている。それでは駄目だ。
「だが、現在の下の文明で耐えられるのか? イレギュラーな状況だろうこれは」
確かに、こんな文明段階で発生するはずのないものではある。今回のは想定仕様外の外乱により生じたシステムの誤作動だ。
「今回はお前が抑えこんで先延ばしにすべきではないのか」
「いえ。私が出るのは最後よ、今回はね」
そうして彼女は横で回り続ける構造式に目を向ける。……これも、実体などないのについやってしまう癖だが。
「中身を利用したいから」
「本神が聞いたら絶句しそうだな……」
「そんなわけで私はその後のほうに注力してるの」
「支援しないのか?」
「多少の試練は乗り越えて貰わないと」
「多少で済むのか?」
「済むと期待するわ」
それに何もやっていないわけではない。直接でない手ならいくつもうった。鍵を握るのはあの少年少女達か。応援と後始末くらいはつけてやろう。
「そんなだから眷属どもから博打好きといわれるのだ」
「心外ね」
なぜこうも博打扱いされるのか。分体どもは地上の人類を舐めすぎではないか。シュラクも同意するんじゃない、そんなだからお前ら兄妹は初代に不覚をとったのだ。
「今回をやり過ごせれば、地上にとっても悪くない話よ。吐き出しさえすれば冥穴がもっと安定した存在に作り変わるのだから。……そんなに気になるなら、こっちのほうを手伝って?」
そうして当代の神なる魔の王は、顔をしかめる伴侶に、押し付けるべき仕事を告げた。




